二十章 温泉旅行と栞の誕生日

第182話 出発前から幸せな時間

 ◆黒羽栞◆


 すっきりした頭でパチっと目覚めた私は、ガバっと布団を跳ね除けるように起き上がる。


「んんぅ〜〜〜〜〜〜!!」


 大きく伸びをして体調の確認。


 うん、大丈夫、昨日の疲れは残ってないみたい。むしろ元気は200%ってところかなっ。


 だってね、今日は待ちに待った日、涼と二人だけで旅行に出かけるんだもん。


 昨夜はワクワクしすぎて眠れないかなーなんて思ってたんだけど、恒例の寝る前の電話で涼の優しい声を聞いてたら、あっという間に眠くなっちゃった。


 涼が『おやすみ、栞』って言ってくれた時にはもう半分くらい意識飛んでたんだよねぇ。


「おはよぉ、涼」


 まずは枕元に置いてある涼の写真にご挨拶。


 涼本人にはまた後で、ね?


 それから時計へと視線を移す。


 アラームもかけてないのに、普段の起きる時間ぴったりの5時半。すっかりこの時間に目覚める習慣がついてる。


「うーん、早く起きすぎたかなぁ?」


 旅行といっても今回はあくまで二人きりでのんびりとした時間を過ごすことが目的。当然、出発もゆっくりめ。


 お母さんが涼の家を経由して車で駅まで送ってくれることになっていて、夜の電話で伝えておいた時間は9時半。


 あと4時間もある……。


 家を出るにはいくらなんでも早すぎる、かな。まだ涼は寝てるだろうから、しっかり寝かせてあげたいとも思うし。


 でもね、私の心はとっても我儘なの。


「うぅ〜〜〜〜! 早く涼に会いたいよぉ……!」


 会いたすぎて再びベッドへとダイブしてジタバタ。


 そこでふと思いついちゃった。


 そうだよ。会いたいなら、会いに行けばいいんだよ。ようは起こさなきゃいいんだし。前にも同じことをしたことがあるじゃない。


 思いついた時にはもう動き出してる。私は部屋を飛び出した、パジャマのままで。


 まずは顔を洗って、髪を入念に梳かして。今日はしっかりメイクをするつもりだけど、今はまだしない。リップクリームくらいは塗るけどね。


 ダイニングへ行くと、お母さんが朝ごはんの準備をしてた。お父さんは普通にお仕事があるから、お母さんもそれに合わせていつも通りの時間に起きている。


「あら、栞。おはよう」


「お母さん、おはよ。あのね、朝ごはん食べたらもう出ようと思うんだけど、いいかな?」


「えぇっ?! 早すぎじゃない? 涼君の家に9時半って言ってなかった?」


「だってぇ……、涼に早く会いたいんだもん!」


 私が叫ぶように言うと、お母さんは呆れ果てたような顔をした。


「相変わらずねぇ、栞は……。涼君が大好きなのはいいことなんだけど……。でも、涼君はまだ寝てるんじゃないの?」


「うん、たぶんね。だから私も涼と一緒にもう一回寝よっかなぁって」


 涼を起こさないようにベッドに潜り込んで、くっついて寝るの。涼が起きるまで寝顔鑑賞、っていうのもいいなぁ。


 涼の寝顔はすっごく可愛いから、何時間だって見てられるんだもん。


「……ダメって言ったら?」


「歩いてくよ」


「って言うと思ったわ……。しょうがないわねぇ。わかった、送っていってあげる。でも、先に水希さんに連絡しておくこと、それと出かけるのはお父さんが仕事に行ってからね」


「やったぁ! お母さん、大好きっ!」


 私はお母さんに抱きついた。お父さんが家を出るのは6時半。いつも私が涼の家に着くよりも遅くなるけど、それくらいなら我慢できる。


「まったくもう、調子がいいんだから……」


 それから遅れて起きてきたお父さんも交えて、家族三人で朝ごはんを食べて、その後水希さんに電話をする。


『はーい。おはよう、栞ちゃん』


 思った通り、水希さんはもう起きていてすぐに電話に出てくれた。


「おはようございます、水希さん。あの、朝早くて申し訳ないんですけど、これから行っても大丈夫ですか? お母さんも一緒なんですけど」


 自分で言っていて変な感じがする。だって最近の私、もうこんな連絡せずに涼の家行ってるんだから。


『もちろん、いつでもいらっしゃい。栞ちゃんなら夜中に忍び込んでても文句は言わないからね』


「えへへ、ありがとうございますっ」


『ふふっ。それにしても涼から聞いていたよりもずいぶん早いけど、そんなに待ちきれなかったの?』


 からかうような水希さんの声。でも、これくらいで照れちゃうような時期はもうとっくに過ぎてるの。


「そうなんですよ。なんかじっとしていられなくって。私、涼が大好きですから」


『あらら、朝からご馳走様。本当に涼は幸せ者ねぇ。それじゃ待ってるから、いつも通り鍵開けて入ってきてね』


「はーいっ」


 電話が済んだら部屋に戻って、今日着る予定だった服をバッグに押し込んで。出かける準備が全部整ったところで、階下からお母さんの声がした。


「栞ー! たまにはお父さんのお見送りしてあげたらー?」


「わかったー!」


 旅館の予約をしてくれたのはお父さんだから、これくらいのお返しはしてあげなくっちゃ。


 パタパタと階段を駆け下りると、お父さんとお母さんはすでに玄関で待っていた。


「お父さん、いってらっしゃい」


「栞もね。涼君と仲良く楽しんでおいで」


「うんっ!」


「それじゃ、文乃。行ってくるよ」


「はーい、今日も頑張ってね」


 ──ちゅっ


 おっと。この夫婦、娘の目の前でいってらっしゃいのちゅー、しちゃいましたよ……?


 仲良しなのはいいんだけどさー、両親のイチャイチャを見せつけられる娘の気分、わかってるのかなぁ?


 ……。


 うー! ずるいよぉっ! 私だって早く涼としたいのにーっ!


 これが本音だったりする。


「さて、それじゃ私達も行きましょうか。って栞、まだパジャマじゃない」


 笑顔でお父さんを見送ったお母さんが振り返って言う。


「そうだよ」


「そうだよって、着替えないの……?」


「うん。今日はこれで行こうかなって。どうせ涼のベッドに潜り込むつもりだもん、着替えたら服がシワになっちゃう」


 今日はね、気合を入れていこうと思ってるの。そのための服も旅行の話が決まってから大急ぎで用意したんだから。お店に行く時間はなかったから、ネットで探すことになったけどね。


 せっかくなら綺麗な状態で見てほしいじゃない?


 仕上げは涼が身支度とか朝ごはん食べてる間にしたらいいもんね。メイクを後回しにしたのもこのためなんだから。


「まぁ、栞がいいならいいわ……。ほら、荷物持っていらっしゃい」


「はーいっ」


 仲良し両親にあてられた私は大急ぎで玄関と部屋を往復。その勢いで家を出て、車に乗り込んで涼の家に向かって出発した。


 思いつきでしちゃったけど、パジャマで外に出るとちょっぴりいけないことをしてる気分、だね。




 歩いて20分くらいかかる道のりも車なら5分ちょっとで着いてしまう。


 いつも持ち歩いている合鍵を使って、高原家の玄関を静かに開ける。これくらいで涼は起きたりしないけど、念の為にね。


 まず最初に水希さんへの挨拶。これはいつも通り欠かせないの。


「おはようございます、水希さん」


「すいません、水希さん。栞が我儘言ってしまって」


「いえいえ、いいんですよ。どうせ涼は栞ちゃんがいた方が喜ぶんですから。でも、栞ちゃん。なんで、パジャマなの……?」


 水希さんからもツッコミをもらっちゃった。


「この子、これから涼君のベッドに潜り込むつもりなんですって」


「あらあら、栞ちゃんったら大胆ねぇ……」


 お母さんズの視線が痛い。


「え、えへへ……。えっと、それじゃ私はそろそろ……」


 とりあえず笑って誤魔化して、その場を退散することにした。


「ふふっ、ごゆっくりー」


「栞ー? 時間になっても下りてこなかったら叩き起こすからねー?」


 そんな言葉に見送られて。


 涼の部屋に入ったら、念願の寝顔とのご対面。


 やっぱり可愛いよぉ……。食べちゃいたい……。


 なーんてっ、結局食べらるのはいっつも私の方なんだよねー。今夜のことを考えたら、身体がウズウズしてきちゃう。でも、今は我慢だよ。


 せっかくだから、最高のシチュエーションがいいもん。そのための準備だってしてきたんだからね。


「りょーうっ、ちょーっとお邪魔するねー?」


 小声で囁いて、少しだけお布団をめくって涼の横に潜り込む。


 涼の体温でぬっくぬくになったお布団、最高だよぉ。


 それに横向きに寝てる涼のお顔も至近距離。それだけで身体が勝手にキスしてた。


 でも起こさないようにそっとだよ?


「ふぁ……」


 しばらくは涼の寝顔を眺めていたんだけど、涼の温もりと寝息のせいでだんだんと眠くなってきて、あくびが漏れた。


 お母さんに叩き起こされるのは勘弁だから、アラームをセットしたスマホを枕元に置いて、目を閉じる。もちろんピッタリ涼にくっついて。


「涼、だぁーいすきっ」


 まだ出発もしてないのに、こんなに幸せでいいのかなぁ?


 でも、今日はまだまだここからが本番なんだよね。


 二人でたーくさん幸せで楽しい思い出作ろうね、涼?

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