第180話 リレーにかける想い
□柊木遥□
体育祭最終種目のリレー、そのスタートラインに立った俺の身体がブルリと震えた。
緊張……? いや、違うな。これは武者震い、か?
ったく、ガラじゃねぇよなって思う。何熱くなってんだよってさ。
でも、負けるわけにはいかねぇんだわ。
涼に見とけって、任せとけって言っちまったんだ。涼達の負け分くらいは取り戻してやるってな。
*
最初は彩が一緒に出たいっていうから、渋々だったんだ。リレーなんて脚の速いやつに任せておけばいいじゃねぇかって思ってた。ぶっちゃけ、俺の走る速さなんて平均より少し上なくらいだし。
本当はさ、俺はうまいこと皆を盛り上げて、自分はほどほどにやるのが性にあってるはずなんだ。少なくとも今まではそう思ってたし、そうしてきた。
それなのに、
「どうせリレーで全力出すんだし」
気付いた時にはそう言葉にしていた。
たぶん、朝一からクラスの他のやつらを必死で応援してた涼と黒羽さんに感化されたんだ。なんかすげぇ一生懸命でさ、楽しそうで、そんなん真横で見せられたら俺もつい、な。
それにあいつら、二人三脚で最下位になって戻ってきた時、すげぇ悔しそうな顔してやがったんだよ。あんな顔されたらさ、どうにかしてやりてぇって思っちまうじゃねぇか。
涼は俺の……、親友なんだからさ。
*
あれは文化祭の出し物が正式に決まった後くらいのことだったか。
「遥さ、最近変わったよねー?」
家へと帰る途中、彩が俺に言ったんだ。なんでもないような感じで、それこそ世間話をするみたいな気軽さで。
「なんだよ、突然」
「んー? なんとなく?」
「なんとなくって、それじゃ全然わかんねぇんだが?」
こいつは時々こうやって意味のわからんことを言い出すことがある。ただ、そういう時は決まって核心を突くような鋭いことを言いやがるんだ。
頭は悪いが、なにか本能的に感じるがものがあるのかもな。
「遥ってさ、これまで私以外とはそんなに深く関わらなかったじゃん? 他だとかづちんとさっちんくらい?」
「ん、まぁそうだな」
彩とは物心付く前からの付き合いで、一緒にいるのが当たり前だった。付き合うことになったのもその延長。彩のことが好きなのは事実だけど、まぁそんな感じだ。
橘さんとは彩が仲良くなったからというのが大きい。
それ以外は基本、広く浅く。彩の影響もあってか誰とでも仲良くはなれるが、それはあくまでほどほど。
すぐに相手の懐に入っていってしまう彩とは、同じようにできなかった。彩のそういうところ、いつもすげぇなって見てた。
なんでかは、わかんねぇんだ。単に面倒くさかっただけなのかもしれないし、そこまでする必要がないと思ってたのかもしれない。とにかく、俺は他人との深い付き合いってやつを避けていたように思う。そのせいで、クラスの中心にいるようで実際は少しだけ遠くに感じていたんだ。
「それが最近はずーっと高原君と一緒じゃん? 妙に入れ込んでるっていうかさ」
彩が涼と黒羽さんと友達になろうって言い出したくせに、と口にしかけて、やめた。最近いつも涼とつるんでるのは、間違いなく俺の意思だってわかってたからだ。
「んだよ、わりぃか?」
「んーん、悪くないよ。ただね、最近の遥、楽しそーだなって」
「……そうだな」
「あれー、今日はやけに素直だね? いつもならうるせーって言うところじゃん?」
「いいだろ、別に。涼は、その、なんだ。よくわかんねぇけど、特別な気がすんだよ」
「ふーん? じゃあ、遥にとって高原君は親友なんだねー」
「……」
「ふふーん。私もねー、しおりんのこと親友だーって思ってるんだよ! しおりんがどう思ってくれてるのかは、わかんないけどねっ!」
黙り込んだ俺の顔を彩がニコニコしながら見つめて言う。こいつはいつもそうだ。自分でもよくわかってねぇ俺の心の底まであっさり見通しちまうんだ。
でも、親友、か。
彩に涼が親友だと言われて嬉しくなっている自分がそこにはいた。そうだったらいいなとも思う。
こんなことを考えること自体が今までガラじゃなかったってのに。
*
それが変わり始めたのは涼と黒羽さんとの出会いから。もちろん、ただのクラスメイトになっただけの入学式の日じゃないぞ。夏休みのあの日、ショッピングモールで二人の話を聞いたあの時だ。そこが俺達の本当の意味での出会いだって思ってる。
彩にねだられて出かけた先でたまたま見かけて、知ってる顔に声もかけずに素通りすることができなかっただけ。クラスでも浮いていた涼が女連れ──というか抱き合ってたんだけどな──でいるのも気になったしな。
聞けばその女の子が黒羽さんだって言うじゃねぇか。髪で顔を隠して陰鬱な雰囲気を醸し出していたあの黒羽さんが、まさか美少女に変身していたとなれば興味をもつなってのが無理な話だ。
そこからの黒羽さんの話は重く苦しくて、聞くだけでこっちまで辛くなっちまうようなものだった。でも、それを涼がここまで引っ張り上げたんだ。それだけじゃなくて、黒羽さんのために自分も変わろうとしてる。
素直に、本気で、純粋に、心の底から涼のことをすげぇやつだって思ったよ。
そこからだ、この二人に惹かれ始めたのは。
登校日には二人してクラス全員の前で頭を下げてこれまでの非礼を詫びて、受け入れられて、なんやかんやで仲の良さまで見せつけてくれた。
もう面白くて仕方なかった。いろんなやつを見てきたけど、これまでにはいなかったタイプだったからかもしれない。
それにお互いを大事にし合って、幸せオーラ全開な二人の姿がすごくかけがえのないものに見えたんだ。この先の二人の行末を見てみたいって思わずにはいられなかった。
それなら、もっと仲良くなるしかねぇじゃん?
俺の今まで通りの付き合い方じゃ、高校を卒業したらそこで終わり。中学で同じクラスだったやつらが高校に進学した途端にパタリと音信不通になったのが良い例だ。
涼と黒羽さんとは、そうなってしまうのがなんか嫌だったんだよ。
幸い二人とも俺と彩には心を許してくれたようだし、逆に彩は黒羽さんのことをいたく気に入っている。友人としてのスタートとしてはなかなか悪くないものだった。
そうして友人として過ごすうちに、面倒見の良さとか性格の良さとか、そういうのが見えてきたりしてさ。
こういうのも惚れたって言うのかねぇ?
間違っても恋愛的な意味じゃねぇぞ。きっと俺は涼の人間性に惚れてたんだ。スレてなくて、真っ直ぐで、律儀で、優しくて、黒羽さんのことをめちゃくちゃ大事にしてて、そんなところにさ。
まぁ、黒羽さんとイチャついてる時はただのバカップルなんだけどな。それも、黒羽さんがベタベタに甘えてるから仕方のねぇ部分はあるんだろうが。
*
スタート直前、俺の耳に声援が届いた。
「柊木くーんっ、頑張ってー!」
「遥ー! 負けるなー!」
その声を聞くと、また体の奥から熱が込み上げてくる。もちろん他の皆の声も聞こえちゃいるが、あの二人の声には及ばない。
こんなに応援されちゃ、やるしかねぇよなぁ。
声援に応えて手を振ってみる。視線は前に向けたままだ。今の顔を見られるのは、なんか照れくさい。
「遥っ、力みすぎだよー! もう少し力抜いてっ!」
アンカーでありトラックの内側で出番を待つ彩に、熱くなりすぎているのを見抜かれて指摘された。
深く息を吸って、吐き出す。強張っていた身体から力が程よく抜けていく。
「うんっ、いい感じ!」
彩からもオッケーがもらえた俺は、そのまま腰を落とす。最初に蹴り出す脚にだけ力を溜めて、神経を研ぎ澄まして。
スタートのピストルの音と共に飛び出す。
走り出しは俺にしてはまずまず上手くいった、と思う。でも、二番目だ。
前を走る上級生男子の背中を睨みつけるようにしながら、必死で喰らいつく。
序盤で差を広げられたらこの後がきつくなるのはわかりきってる。一人が走る距離はたかだか200メートル。
この後のことは考えるな!
そう自分にムチを打つ。そこからは頭を空っぽにして、足を回転させることだけに集中する。
それでも肺と心臓が悲鳴を上げそうになって、挫けそうになる。大見栄切ったくせに情けねぇ……。
そんな時だ。
「遥ー! いっけー!」
「柊木くーん、そのままー!」
また声が聞こえてきて、涼達がちゃんと見てくれてるんだって思ったら、ふっと身体が軽くなるような気がした。
更に、
「さすが私の遥ーっ!」
ったく、彩のやつはこんな時に……。
でも、軽くなった身体によくわからん力が漲る。目の前の一人を抜き去ることなんて容易に思えてくる。実際には容易じゃねぇんだけどさ。
100メートルが過ぎ、最後のコーナーを曲がり切ったところ、テイクオーバーゾーンの手前の直線で勝負に出ることにして、残っている力を全て使い切るつもりで加速した。俺の身体は俺の想いにしっかりと応えてくれた。
バトンさえ繋げてしまえば、ぶっ倒れても構わねぇよな。
たぶんこの時の俺は過去最速で駆け抜けたと思う。先頭を走る上級生を一気に抜き去った、って言えりゃ良かったんだが、並走するところまでが限界だった。
次の走者である2年5組の先輩女子がこっちに手を伸ばしながらゆっくりと走り出すのが見えた。
俺は速度を維持したままそこへと突っ込み、流れるようにバトンを手渡す。これも合同練習でバトンパスの練習ばっかしてた成果なのかね。
「あと、頼みますっ!」
それだけの言葉を絞り出して、トラックの内側へと倒れ込んだ。全身が熱い、酸素が足りない。ラストスパートで無意識に呼吸を止めていたらしく、身体中が悲鳴を上げてる。
それなのに、
「遥、すっごーいっ!」
頭が酸欠でクラクラしているところに彩が突撃してきやがった。
地面に倒れていたのを無理矢理起こされて、抱きしめられて。今は文句を言うことも抵抗することもできねぇってのに。
「遥ぁ、頑張ったねぇ。えらいえらーい!」
ワシャワシャと犬みたいに頭を撫でられる。いつもならやめろって突き放すところなのに、なぜか今はそれが心地良い。
俺も大概、涼と黒羽さんに影響されてるのかもしれんな。
「遥ー! 見てたよー! さすがー!」
涼の声がする。
「柊木くーん! すごかったよー!」
続いて黒羽さんの声も。
おぅ、有言実行してやったぜ!
そんな思いを込めて、親指を立てておいた。
「ふふっ、遥も一段と男前になったねぇ。格好いいぞっ!」
「……そりゃ、どうも」
ま、涼までになるには程遠いけどな。
「さーて、せっかく遥が頑張ったからー、私も気合入れていくぞぉー!」
彩の言う気合ってなんなんだろうな?
そんな気の抜けた声で言っても説得力ねぇよ。
ただ、やると言ったらやるやつだってことは俺が一番よく知ってんだ。
その後のリレーは抜きつ抜かれつ、熾烈な争いが繰り広げられていた。俺だけでどうにかなるわけねぇってのはもともとわかっていた話。
でも、最後に控えるのは体力オバケの彩。きっと、なんとかしてくれんだろ。
5人目の走者がバトンを受け取ったら次は彩の出番。なのにスタートラインには向かわずに俺のところへとやって来た。
「はーるかっ! 充電さーせてっ!」
「……さっき黒羽さんでしてたんじゃねぇのかよ」
「しおりんはしおりんでー、遥は遥だよ? しおりんは言ってみればおやつって感じで、遥は主食、みたいな?」
「みたいな、じゃねぇんだわ」
んだよ、それ。今から俺、喰われるのか?
「いいからー! ほら、ちょっとでいいからぎゅってして! じゃないと私、行かないからね?」
彩は彩で黒羽さんの影響受け過ぎだっての。
「おい、俺の頑張りを無駄にすんじゃねーよ」
「それは遥次第だよ。ほらほら、時間ないんだからさっ!」
「ったく、しょうがねぇなぁ。一瞬だぞ」
「うんっ! それでいいよ!」
幸い周りの視線はリレーに釘付け。グイッと彩を引き寄せて、抱きしめる。もちろん、念押しした通りに一瞬だけだ。
「これで満足か……?」
「えへへ。元気いっぱーい!」
「……だろうな」
あぁもう、見られてなくても恥ずすぎるわ。涼はよくこんなん平気でやるよな。さすがにここまでするのは俺にはまだ厳しいわ。
照れくさくなってる俺とは対照的に、彩は喜びを隠さずぴょんぴょんと跳ねるようにスタートラインへと向かっていった。
その背中へと声を掛ける。
「彩、頼んだ」
「ふふーんっ、おまかせっ!」
ニカッと笑った顔の横でちっさくピースした彩。
まぁ、ここでくらいは素直になってやるか。
今の、すげぇ可愛かったぜ。
彩へとバトンが渡った時、俺達のチームは3位まで順位を落としていた。でも、トップとの差はそれほど開いていない。
──トンッ
地面を蹴って彩が跳ねる。軽く、そして速く。
まるでチーターみたいなやつだ。低い前傾姿勢で空気抵抗を減らして、滑るように走る姿には全く無駄がない。あっという間に2位に上がって、1位との差もぐんぐん縮まっていく。
150メートルのコーナーに差し掛かった時には、彩の前に立ちふさがるものは何もなかった。彩の独壇場と言ってもいい。
彩はそのままゴールテープを切り、
「遥ーっ! 私一番だよー!」
速度も落とさずに俺にダイブをかましてくる。まだ疲労から回復しきっていない俺は、受け止めきれずに再び地面へと崩れ落ちた。
「ってて……。おいっ、あぶねぇじゃねぇか!」
「えへへー。遥、褒めて褒めてー!」
全然話を聞いちゃいねぇ。しかもあれだけ走って息も乱してないって、体力オバケにも程があるだろ。
それでも、
「よくやってくれた。サンキューな、彩」
これで涼達の負け分は取り戻せた。むしろお釣りがくるくらいだ。そのお釣りの分で、今度は俺が頭を撫でてやる。
「へへー。これもしおりんと高原君のためだもんねー?」
「……なんだよ、聞いてたのか?」
「まぁねっ! うんうん、友達思いの遥もいいよねっ。ますます惚れ直しちゃうよっ!」
「そりゃどうも」
まぁ、こんなんじゃ涼には全然敵わねぇんだけどな。
なぁ涼、自分では気付いてねぇんだろうけど、お前、今日一番の魅せ場をかっさらっていったんだぜ?
競技の順位なんてちっぽけなもんじゃなくてさ、大事なもんをなにがなんでも守り通す覚悟と姿勢、それは結構たくさんの人の心を動かしたんじゃねぇのかな。
少なくとも、俺はすっげぇ感動したんだよ。そのせいで怪我してる背中ぶっ叩いちまったんだけどな……。
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