第176話 二人の人生の縮図
目前に迫った俺と栞の出番。
直前まで手を繋いでいたおかげか、それほど緊張はしていない。去年までの体育祭では出番が近付くだけでキリキリと胃が痛んだものだけど、栞がいてくれる今は心が穏やかだ。
栞が俺達の脚を結んで立ち上がったところで、栞の収まるスペースを作る。
俺の左側が栞の定位置。なぜか右側ではダメで、道を歩く時には栞が車道側になるのが気になるけど、どうしても譲ってくれない。なにやら並々ならぬこだわりがあるらしい。
「ほら、栞。おいで」
「えへへ、はぁい」
『おいで』と声をかけるのは栞が喜ぶから。こう言うと嬉しそうな顔をしてくれるので、俺は結構多用している。
ピトッとくっついてきた栞の身体が熱い。一瞬さっきまでの名残かもと思ったけど、真面目な顔をしているのでこれからの競技にやる気を出しているだけなのだろう。
なら、俺も同じ熱量を持って臨むべきだ。なんて気構えなくても、元々俺も今回は熱くなっている。
栞と一緒に最善を尽くしたいから。
何を置いても、二人三脚では息を合わせるのが大事。まず俺は栞と呼吸のタイミングを合わせていく。完全にシンクロすれば、きっとパフォーマンスも上がるはずだ。
男子ペアのレースが終了したら、スタートラインに立つ。
そこで友人達、クラスメイトの声援が耳に届いた。名前を叫ばれての応援なんてものをしてもらうのは初めてだけど、これはなかなかにすごい効果があった。なにがなんでも頑張らねばという気持ちにさせられる。
「栞、しっかりくっついて」
「うんっ」
体格差のハンデはしっかり寄り添い、安定感を出すことで埋める。そうすると、まるで栞と一心同体になったかのような気がする。
「それでは位置について」
いよいよだ。
「よーい」
蹴り出す足に力を溜めて。
──パァーン!
ピストルの音とともに一歩目を踏み出す。
ろくに練習をしていないはずなのに、最高のスタートをきれた。誰よりも早く前に出た俺達は後続を置き去りにする。
風が心地よく頬を撫でて、周りの風景がどんどん後ろへと流れていく。最高の気分だった。栞が見せてくれる景色はいつだって俺の予想を軽く超えてくる。
でも、俺は欲張りだ。もっと、と求めてしまう。栞と一緒ならもっとやれるはずだって。
「涼っ」
俺の思考を読んだようなタイミングで栞が俺を呼ぶ。呼ばれただけなのに、栞の考えていることが手に取るようにわかる。今の俺達は一心同体、なのだから。
「うんっ。いい、よっ」
呼吸を乱さないよう気を付けて返事を返して、栞の呼吸にしっかりと耳を傾ける。少しずつ早くなる呼吸と連動するように、足の回転も速めて。
──ただ、これが良くなかった。
安定してトップを維持している現状。俺が本当に栞にかけるべき言葉は別にあった。
『このままでいいよ』って。焦らなくてもよかったんだ。俺達には俺達に合ったペースがあったはずなんだ。
不意に、栞の身体が傾いた。栞が足を滑らせたんだというのはすぐにわかった。
まずいっ……!
そう思った時には、前傾に倒れていく栞に続いて俺の身体もその後を追うように傾きはじめる。まるでスローモーション映像を見せられているように時間の流れが遅くなるような感覚。
その中で俺の思考が加速した。回転を早めた頭が瞬時にどうすればいいのかを弾き出す。
何があっても俺が受け止める。栞を地面には触れさせない。
栞を引き寄せて、右足を軸に強引に反転。背中が地面にぶつかる瞬間に、腕で栞への衝撃のほとんどを受け止めた。そのまま、栞が投げ出されないようにしっかりと腕に抱いて。
完全に停止したのは地面を1メートルくらい滑ってからだろうか。
背中がズキズキヒリヒリと痛む。でも、そんなことよりも栞が無事かどうかだけが気がかりだった。
「いってて……。栞、大丈夫……?」
転ぶと思ってとっさに目を瞑ったのだろう。ゆっりくと瞼を開いた栞は真ん丸な目をした。
「えっ?! りょ、涼……?」
「栞、怪我は、ない……?」
痛みのせいで声が途切れ途切れになる。たかがこれしきで情けないことだ。
「……なんとも、ないみたい」
自分の身体を確認した栞がポツリと答えてくれた。
「そっか、よかったぁ……」
心の底から安堵した。栞の綺麗な肌に傷でもできて、もしそれが一生残ったりなんかしたら、きっと俺はずっと後悔することになっただろうから。
「そ、そんなことより涼だよ! 大丈夫、じゃないよね……? 私のせいなのに、なんでこんな無茶……」
痛みで歪む顔を見られて、栞の目にじわりと涙が浮かぶ。
「なんでって、栞に怪我、してほしくなかったからに、決まってるじゃん」
「……涼のバカっ! 自業自得なんだから、怪我くらいなんてことないもん! 私のせいで涼が痛い思いするほうが、よっぽど……」
こういうところ、やっぱり俺達は似ているって思う。お互い、自分よりも相手の方が大事なところとかね。
「俺がしたくてしたんだから、いいんだよ。栞のこと、守らせてよ」
だってさ、こんなんでも俺も男だから。好きな子には格好つけたいじゃない。こんなことを口にすると、また考えが古臭いって言われちゃうんだろうなぁ。
「バカっ、バカバカっ! でも、ありがと……」
真っ赤になった栞にバカと連呼されてちょっと凹んだけど、お礼でお釣りがくるくらい満たされたた。
「うん……」
そこでようやく栞が俺の上から降りた。栞の重みが消えて、ちょっとだけ寂しい。
「ごめんね。背中、痛いよね。このまま棄権して、診てもらお?」
栞の棄権という言葉に背中よりも心がチクリと痛んだ。
「それは、いやだ……」
「いやだ、って……。怪我、してるでしょ? だったら……」
「うん、すごく痛いよ。でも、どうしても棄権だけはしたくないんだよ」
今回の二人三脚、俺は栞と歩むこれからの人生の縮図のように考えていたんだ。だからこそ、諦められない。
こうしている間にも次々に抜かされて、1位はもうゴールしているかもしれない。もしかしたら、俺達以外の全員がすでに。
悔しいよ。悔しいけどさ、もっと大切なことがあるんだ。
誰かに劣るのは、負けるのは構わない。でも、途中で投げ出すことだけはしたくない。栞と二人できっちりゴールしたい。
たった200メートル、それを最後まで走りきれなくて、どうしてこの先の長い人生を栞と二人で歩み切れるというのか。
まだたった一回転んだだけで、再起不能には程遠い。また栞が転んだら今みたいに俺が助ければいい。俺がくじけそうになれば、きっと栞が力を貸してくれる。
出会ってからここまでそうしてきたはずで、これからもそうやって生きていく。それは昨日、いろんな人の前で誓ったことなんだ。
だから、棄権だけは認められない。いくら栞のお願いであっても。
強い意志を込めて栞を見つめると、栞は呆れた顔でため息を吐いた。
「涼の頑固者……」
「そうかもね」
栞と出会うまで何のこだわりもなく生きてきた俺だけどさ、ようやく最近になって譲れないものができたんだ。それは他でもない栞自身で、栞がくれたものなんだよ。
「まったくもう……。なら私からの条件。ゴールしたら、すぐ手当してもらうこと。いい?」
「わかった」
さすがに出血とかしてたらまずいし、そこは素直に頷いておく。あんまり栞に心配かけたくないしね。
「それから──」
そこで栞は言葉を区切った。
どうやらまだ何かあるらしいけど、栞は顔を赤くして少しだけモジモジしてて。かと思ったら、そのままの表情で俺の目を覗き込んできた。
「また私を惚れさせた分、きっちり責任取ってもらうからねっ」
「う、うん。わかった、よ」
それが一番大変そう、かも。もう学校で暴走することはないと思うけど、家に帰った後がすごいことになりそうだ。
「ほら涼、立てる?」
先に立ち上がった栞が手を貸してくれる。
「ありがと、栞」
二人でしっかりと立って、もう一度脚を結び直して。
周りを見れば思った通り、俺達以外はすでにゴールしていた。必然的に全校生徒の視線が俺達だけに注がれる。
ちょっと照れくさいけど、逃げ出したりはしない。ゆっくりと、でも確実に一歩一歩地面を踏みしめて走り出す。栞と一緒に。
ゴールを諦めなかった俺達に観客が湧き立ち、歓声が浴びせられて。
そして、健闘を称えるように、俺達だけのために貼り直されたゴールテープを二人で切った。これも栞が俺の我儘を聞いてくれたおかげだ。
「栞っ、ありがとうっ!」
なんだか無性に嬉しくなって、思い切り栞を抱きしめた。それだけじゃ全然喜びが抑えきれなくて、栞を持ち上げてクルクル回ってみたりして。背中の痛みもこの時だけは気にならなかった。
「わ、わわっ……!! りょ、涼っ?! 浮いてる、浮いてるよぉっ?!」
「あははっ! 栞っ、俺達ちゃんとゴールできたよー!」
「うんっ、わかった、わかったからぁっ! 目、目が回るよぉー!」
テンションが上がりすぎた俺は栞がぐったりするまで回り続けて、後でちょっぴり怒られることになるのだった。
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