第175話 二人三脚

 ◆黒羽栞◆


 やりすぎちゃったお昼休み。


 毎度のことだけど、私は涼のことになると周りが見えなくなるというか、夢中になりすぎるところがある。


 そのせいで、危うくとんでもないことになるところだった。


 涼の『それ以上のことは』とか『邪魔されたくない』って言葉で気付いたの。涼がその気になりかけてた、というか我慢してくれてただけなんだろうけど。


 私、涼に求められたら……、断れる自信、ないよ……。


 だからね、今回は涼が踏みとどまってくれて良かったよー。


 ……。


 いや、そうじゃない。そうじゃないよね?!


 夢中になるのも程があるでしょ、私っ!


 冷静になって考えれば危なすぎるよね?!

 だってここ、学校だよ? 

 涼が抑えきれなくなってたら、どうなってたの?

 下手したら涼以外に見られたりする可能性も、あった、わけ、で……?


 あああああぁぁぁぁ…………!!


 無理無理無理、ぜーったい無理!!


 私の全部を見ていいのは涼だけなのっ。他の人に見られるのを想像なんかしたら、ゾワッと鳥肌が立っちゃったよ。


 うぅ、想像だけなのに気持ち悪いよぉ……。


 これは言い訳なんだけどね、なんか皆が盛り上がってるし、イチャイチャしてるし、たぶんそういうので勢いがついちゃったんだと、思う。涼に甘えたくて仕方なくなってたんだよ。


 そんな私を涼は優しく諭してくれたの。最後にしてくれたキス、愛情いっぱいで満たしてくれて、それでいて冷静さを取り戻させてくれた。


 涼ってやっぱりすごい!


 って感心してないで、私は反省しなくっちゃ。

 反省、反省。……足りないかな? なら、猛省?


 家で、二人きりでゆっくりって涼も言ってたもんね。


 二人きりで、ゆっくり……?

 じっくり、時間をかけて……?


 あぅ……。

 そんなの絶対、またメロメロにされちゃうよぉ……。

 でも、もっとメロメロにされちゃいたい……!


 涼に手を引かれて集合場所に向かう間、そんなことばっかり考えてた。


 反省、できてるかな……?


 ……うん、大丈夫。

 時と場所を選ぶ、これが大事なの!


 一人反省会(?)もキリがついて、私達のクラスの観客席に着くと、すでにほぼ全員が揃っている様子。


「あっ! やーっと来た! もー、しおりん、今までどこで何してたの?」


 彩香がパタパタと駆け寄ってきた。


「それは、ほら。ウォーミング、アップ……?」


「本当にぃ……?」


 完全に疑っている彩香の目。


「実は……、ちょっとだけ、涼とイチャイチャしてました」


 さっきのことが後ろめたくって口が勝手に白状してた。ちょっとじゃなかったけど、ね?


「やーっぱり! どうせそんなことだろうなとは思ってたけどね、ほどほどにしとかないとダメだよー? まぁ、遅刻はしなかったから良しとしてあげるけどさっ」


「う、うん。あり、がと?」


 ギリギリすぎたみたいで彩香に怒られちゃった。


 でも、本当に遅刻しなくてよかったよ。涼と一緒に走るの、実はかなり楽しみにしてたの。


 だってさ、二人三脚だよ?

 昨日結婚式をあげて、婚姻届まで書いちゃった私達にはうってつけでしょ?


 これから涼とはずっと呼吸を合わせて、足並みを揃えて、寄り添って生きていく。まさに二人三脚、だよね。


 ここでうまくやれたら、幸先が良さそうじゃない。そう思ったら俄然やる気が湧いてきた。


 全員が集合したことを確認し終わった後、二人三脚の出場者に招集がかかる。


「しおりん、頑張ってねー!」


「栞ちゃん達だから心配してないけど、応援してるからね!」


 私は彩香と紗月から激励されて、涼は柊木君と漣君に背中をバシバシ叩かれて気合を入れられていた。


 他のクラスメイトも声をかけてくれて、『高原夫婦、頑張れー!』なんて言われたり。私達、すっかりクラス内で夫婦扱いになってるみたいだね。


 涼は「まだのはずなんだけどなぁ……」なんて言っているけど、私は嬉しいよ?

 私なんか、もう何人かに高原さんって呼ばれて、普通に返事しちゃってるんだよ?


 きっと涼は恥ずかしがってるだけだよね。照れ屋さんなのは相変わらずなんだから。


 そんなこんなで集められた二人三脚の出場者、その中に紛れた私達はこっそり手を繋いでいる。こうしていると本番前の緊張も感じないんだよ。


 二人三脚は男子ペア、男女ペア、女子ペアで各学年3レース、どの競技もそうだけど1年生から順番に進められる。


 私達の出番は、2レース目。


 最初の男子ペアが走り出したら準備に取り掛かる。涼の左脚と私の右脚をバンドで結んで立ち上がると、涼は左腕を開いて私の収まるスペースを作ってくれた。


 私が左側、これは普段涼と歩く時と同じ位置なんだよ。私はいつも涼の左腕にくっついてるの。だってその方が涼の心臓が近いんだもん。涼の心により近い気がして好きなんだ。


「ほら、栞。おいで」


「えへへ、はぁい」


 抱きしめてもらうわけじゃないけど、こうやって呼ばれるのが好きな私はそれだけでウキウキして、涼にピッタリと身を寄せる。


 身体をくっつけると、少し速くなった涼の心臓の鼓動が伝わってきて。


 ──トクン、トクン。


 私と涼の鼓動が同じ速度でリズムを刻んで、いつの間にか呼吸すらシンクロしてる。まるで二人で一つになったような感覚。


 こんな時に思い出すことじゃないかもしれないけど、涼と身体を重ねている時に似てるかもしれない。初めての時に涼がくれた言葉、『一つになる』、その体現のようで。


 前のレースが終われば私達の番。この間、会話はなかったけど確かに心が繋がってるのを感じる。


 他のペアは最初に踏み出す脚がどっちからとか、最終確認をしているけど、そんなの私達には不要なんだよ。リズムを合わせる掛け声だっていらないんだから。


 スタートラインに立つと、またクラスの皆からの声援が聞こえてくる。涼と二人で進む道、それを後押ししてくれる人がいる。


 これは結構嬉しいかもしれない。


「栞、しっかりくっついて」


 涼もやる気に満ちた顔。キリッとしてて格好いい。でも、ときめくのは今じゃないよね。


「うんっ」


 涼の腰に腕を回してギュッとしがみつく。涼は私の肩を抱き寄せてくれて、安定感はばっちり。


「それでは位置について」


 いよいよだ。


「よーい」


 わずかに腰を落として。


 ──パァーン!


 ピストルの音で私達は飛び出した。練習の時と同じように、最初の一歩は結んだ方の脚から。これ以上ないくらいに完璧なスタートがきれた。そこからグンッと加速して、後続を置き去りにする。


 ほらね、誰も息ぴったりな私達についてくることなんてできないんだよ。


 圧倒的な全能感。涼と一緒ならなんでもできる。怖いものなんて一つもない。ただ真っ直ぐ前だけを向ける。


 たぶん涼も同じことを考えてくれている、よね。


 うちの学校の体育祭ってどの競技も結構ハードで、二人三脚もその例に漏れずにコースはトラック一周の200メートルと長め。


 もちろん、ペース配分は必要になってくる。でも、スピードを緩めるつもりはない。


 私よりもちょっぴり体力のない涼の呼吸にも乱れはないから、まだいけるよね。


 涼と並んで走っているからか、頬を撫でる風がとっても気持ちいい。どんどん過ぎていく景色も、涼と一緒だから見れるもの。


 このまま二人でどこまでだって行けるんだ。そんな気持ちをくれる涼がやっぱり大好きだって思う。


 もう少しだけ、速度、上げてみてもいいかな?


 もっともっと違う景色が見てみたくて、


「涼っ」


 呼吸の合間に声をかけてみる。


 これだけで意図を察してくれる涼は本当に私のことをわかってる。


「うんっ。いい、よっ」


 その言葉に頷きを返して、少しずつ脚の回転を速くしていく。そんな練習はしていないはずなのに、涼もしっかりついてきてくれた。


 ──でも、これがいけなかった。


 トップを維持しているのだから、無理をする必要はなかったのに。余計なことをしなくてもよかったのに。


 きっと私は調子に乗りすぎてたんだって、後になって後悔する。欲張りすぎたって。


 でも、この時の私はそんなこと考えもしなかった。


 100メートルを過ぎたくらいかな、最後のコーナーで私はやらかした。スピードが乗りすぎていたせいもあるのかもしれない。


 わずかに傾いたアンバランスな体勢で、涼と結んでいない方の脚の着地を失敗した。しっかりと地面を掴めていなくて、コーナーの外側にズルっと滑ってしまった。


 あっ、と思った時にはもう遅い。脚がもつれて、安定感を失った身体が前のめりに崩れ始める。受け身を取ろうにもパニックに陥った左手は無様に宙を搔いて。


 時間の流れが遅くなるような錯覚の中で、道連れにしてしまう涼に心の中で『ごめんね』と呟いた。


 なすすべのなくなった私は、来たるべき衝撃に備えてぎゅっと目をつむるしかなくて。


 ………………。


 …………。


 ……。


 あ、あれ……?


 思っていた程の衝撃がいつまで経ってもやってこなくて混乱する。


 温かいものに包まれて、その後に軽い衝撃があっただけ。それも、分厚い真綿に飛び込んだかのような柔らかなものだった。


 恐る恐る目を開けると、そこには涼の顔。これからキスでもするのかなってくらいの距離感。


 実際はそんな艶っぽい状況じゃなくて、


「いってて……。栞、大丈夫……?」


 涼の顔は苦痛に歪んでいた。


「えっ?! りょ、涼……?」


 私は涼に抱きしめられて、涼を下敷きにして、地面に横になっていたのだった。

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