第174話 栞の暴走と闖入者
「んっ、ちゅっ。んんっ……、涼、もっとぉ……」
「し、しおっ、んんっ……。んむっ……」
俺は今、栞から熱烈なキスを受けている。いつの間にか床に座らされて、膝の上には栞がのっかっていて。柔らかい身体を押し付けて、ぎゅーっと抱きついてくる栞。
火がついたとは言っていたけど、これはいくらなんでもやりすぎでは……?
「ふぁ……。涼、好きっ。こんなんじゃ、足りないよぉ……。ちゅっ。んっ、んーっ……」
「これ、以上はっ! んんっ? んーーっ!」
ま、待って、栞っ!
舌、入れちゃ、ダメ!
歯止め、効かなくなるから!
ここで食後の運動、することになっちゃうからぁーー!
俺は退職中だった理性さんを、もう何度目になるのかわからないけど再雇用して、栞の猛攻を必死で耐えていた。
……。
そういえば、いったいなんでこんなことになってるんだっけ?
確か、最初はちょーっと栞にお仕置きをしようと思ってただけなんだけど。
*
時は数分前に遡る。
誰よりも先に教室を飛び出した俺と栞、もちろん向かう先はグラウンド、ではない。
栞の手を引きながら人気のない場所と考えて、真っ先に思いつく場所はあそこだけ。
「涼ったら、こんなところに連れてきてなにをするつもりなのかなぁ?」
「いいから、こっちだよ」
ドアを開ければ本の匂い。
よかった、鍵はかかってないみたいだ。
ここは俺と栞にとって特別な場所。始まりと、大事な通過点の場所。人がほとんど来ないことでお馴染みの図書室。
「涼。あの席は、ダメだよ?」
「わかってるよ」
いつも俺と栞が座っていた席の横を通り過ぎる。そこは入口から丸見えだから。
更に奥へと進んで書架の間、そこで栞の手を離した。さて、悪い子にお仕置きタイムだ。
「栞?」
まずは少しだけ圧をかけて名前を呼ぶ。
「ふぇっ?! な、なに、涼……?」
突然態度を変えた俺に栞は戸惑う。効果がありそうなので、さらにもう一度。
「栞?」
「は、はいっ……」
後ずさる栞を、一本二歩と追い込んで。
トンっ
栞の背が本棚に触れた。これでもう後ろには逃げ場はなくなった。次は左右の逃げ道を塞ぐ。両手を本棚について、間には栞の顔。なるべく真剣な表情を意識して、じっと覗き込む。
「あぅ……。涼……」
本棚に磔にされて、俺に見つめられた栞の目が泳ぐ。
「栞、学校であんなこと言ったらダメでしょ。それで見つかったりしたらヤバいんだから」
「えへ、えへへ……。ごめんなさぁい」
謝ってるのに、なぜか栞の顔はニヤけていた。
「……なんで、そんなに嬉しそうなの?」
そりゃ、栞相手だからそんなにきつい言葉遣いはしていないけどさ。
「だって、だってぇ……。へへ……。涼に、壁ドン、されちゃったぁ……」
「壁、ドン……?」
改めて自分のしていることを確認すれば、まさしくそれだった。
壁ドンとは、男性が女性を壁際に追い込んで、ドンと手をついて迫るアレである。
この場合、騒がしい隣室に苦情を入れるためのソレではない。
「涼にこんなことされたら私、ドキドキしちゃうよぉ……」
「いや、ドキドキされても……」
それじゃお仕置きにならないじゃない。ときめかせてどうするのさ。
「この後は、無理矢理キスとかされちゃったりするんだよね……。うん、お昼休みにって約束だったもんね。いいよ、涼。ほら、んっ……」
「えっ。あ、うん。まぁ、約束、してたもん、ね……?」
(ここだ。ここで栞のキス待ち顔にやられたんだ。)
本棚についていた右手を栞の頬に伸ばす。楓さんと橘さんをも魅了した栞のほっぺ。すべすべもちもちなほっぺをむにむにすると、お説教をしなきゃいけなかったことも頭から消え去ってしまった。
だってこのほっぺ、やわやわで気持ちいいんだ。
「んんっ、くすぐったいよ。ねぇ、涼。早くぅ……」
「うん……」
ちゅっと唇が触れた瞬間、栞が俺に飛び付いて、そのまま二人で床へと崩れ落ちた。
*
回想終了。
なるほど、どうやら原因の半分は俺にあったらしい。火がついた栞を舐めていたとも言える。
記憶を辿っている間も、栞は俺の唇をふやふやにふやかす勢いでキスを降らせてくる。
「涼、りょーうっ、すーきっ。えへへ……」
うわぁ。その顔、破壊力高すぎ……。
もう我慢とかしなくてもいい、かなぁ?
──どうせ満更でもねぇんだろ? なら、受け止めてやったらいいじゃねぇか。
仕事を放棄して去っていこうとする脳内の理性さんの言葉が、さっきの仕返しと言わんばかりに遥の声で再生された。
…………。
いやいやいや、やっぱりダメだって!
完全に消え去る寸前で、どうにかこうにか理性さんを引き止めることに成功した。
俺まで一緒におかしくなってどうするんだ。明らかにこれはやりすぎでしょ。このまま栞のペースにのまれたら、俺の方が歯止めが効かなくなって、きっといくところまでいってしまう。
俺が求めたら、栞はきっと応えてくれるだろう。嬉しいけど、今は逆にそれがよろしくない。
中には学校でやっちゃう人もいるのかもしれないけどさ、俺は嫌だよ。
栞が大好きで大事だから。
相応の場所で、栞だけを見ていればいい状況で、ムードとかも大切にしたい。栞のこと、雑に扱いたくないんだ。
心を鬼にして、栞の肩を掴んで無理矢理に引き離そうとしたその時、
──カチャッ。
ドアの開く音。俺達はビクリと身体を震わせて、そのまま硬直した。
「栞っ。誰か、来たっ……!」
「え、えぇっ……?」
しょんぼりする栞とは反対に、俺はホッとしていた。
力尽くで止めないといけないかと思っていたところに救いが現れたのだ。
「ごめんね、こんなところに連れてきて。ここならさ、人が来ないって聞いたから……」
「い、いえ、大丈夫です……!」
俺達が潜んでいると知らない闖入者が会話を始める。やましい気持ちでいっぱいな俺達は息を潜めて、気配を消す他なかった。
「えっと、それで、ご要件は……?」
「うん、さっきのこと、謝りたくて。ごめんね、人前で告白みたいなこと、しちゃってさ」
「あ……。や、やっぱり、あれは本気じゃ……」
「ううん、告白は本気なの。あたし、
繰り広げられている会話が気になりすぎて、栞と一緒に本棚からわずかに顔を出して、様子をうかがうことに。
話の内容からなんとなく予想はしていたが、借り物競争の楓さんと同じレースで『好きな人』というお題を引き当てた女子と、そこで指名された男子だった。
女子の方はほんのりと髪色を明るく染めたギャルっぽい人。対して奥田君と呼ばれた男子は、以前の俺を思わせる、あまり印象に残らなさそうな人だった。
「……ねぇ、涼。私達、ここにいていいのかな?」
「今更出ていけないでしょ……。いなくなるの、待つしかないよ……」
「そ、そうだね……」
図書室の出入り口は二つ。図書室から廊下へと続くドア、もう一つは司書室のドア。そのどちらもあの二人の目をかいくぐって通り抜けるのは不可能。なら、このまま隠れているしかない。
「イヤ、ってことはなかった、です。でも、なんで僕なんかに……」
「なんか、とか言わないでよ。君、一応あたしの好きな人、なんですけど?」
「す、すいませんっ……!」
「まぁ、いいけどね……。でね、奥田君さ、教室でラノベとか漫画とか普通に読んでるじゃない?」
「え、えぇ、まぁ……」
「それがさ、なんか格好いいなぁって思ったんだよね」
「格好いい、ですか……? 普通、あまり良い印象はないと、思うんですけど……」
「そんなことないよ。あたしもね、本当はそういうの好きなの。でもさ、あたしってこんなじゃない?」
おどけるように両手を広げたところを見るに、自分の容姿のことを言っているようだ。ギャルっぽい見た目でオタク趣味、俺は別にいいと思うけど、本人はそうじゃないのかもしれない。
「あたし、周りの目とかすごく気になっちゃう方でさ、好きなものを好きって言えなくって。友達とかもそういうのは疎いっぽくって余計にね。だから、自分の好きなものを堂々と楽しんでる奥田君のこと、すごいなって思ってたんだよね」
「は、はぁ……」
「もうっ、気の抜けた返事しないでよね! すっごい恥ずかしいの我慢して話してるんだから!」
「ご、ごめんなさい……」
見た目通りに臆病な性格なのだろう。告白されているのにずっとオドオドしていて、少し可哀想になってきた。
「それで、気付いたら好きになっちゃってたのっ! これであたしの話はおしまいっ! 今度は奥田君の番だよ。あたしの告白、オッケーしてくれたんだよね? それは、なんで?」
「あの、えっと……」
「あたしも話したんだから、ちゃんと聞かせて?」
「わ、わかり、ました……。えっと、
ふむふむ、あの子は三枝さんっていうのか。
なんか、この出るに出られない状況、少し楽しくなってきたかもしれない。奥田君とやらに心の中でエールを送ってみたりして。
そう思うと、やっぱり俺もあのクラスの一員なんだなぁって気がする。他人のことなのに応援したくなったりさ。
「そりゃね。隣の席だし、仲良く、なりたかったし……」
「僕もこんななんで、話す相手はオタク友達ばっかりで、女の子に話しかけられることなんて、全然、なくて……」
「もしかして、それだけで好きになって、くれたの……?」
「えっと、はい……」
「奥田君、チョロすぎない……?」
「否定は、しません……」
『チョロい』という言葉が俺にも突き刺さる気がした。俺も栞に話しかけられて、あっという間に好きになってしまったのだから。
「……ぷっ。なーんだぁ、ならもっと早く告白すればよかったなぁ」
「えっ、えっ……?」
「いい、奥田君。君、もうあたしの彼氏なんだから、そんなチョロいと困るんだよ? だからね、これからあたしが女の子の耐性、つけてあげる」
そこで三枝さんがぎゅっと奥田君の手を握った。当然、奥田君は軽くパニックに陥ったようでワタワタしている。
「わ、わわっ……。手、手が……」
「はいはい、これくらいで動揺しなーい! これからこうやって慣らしていくんだからね!」
動揺するなと言う割には、三枝さんも赤くなっているのがここからでも見て取れた。
「あのっ、でもっ……」
「逃さないよ? そろそろ昼休み終わっちゃうし、まずはこのまま皆のところ、行こっか?」
「えぇっ?!」
「ふふっ、ほら早くっ!」
「ま、待ってくださいよっ……!」
「ダーメっ! それと、これからはあたしには敬語も禁止だからね?」
「そ、そんないきなり無理ですっ……」
「あははっ、無理じゃなーい!」
そんな会話を残して二人は図書室を出ていった。奥田君は三枝さんに引きずられるようにして。
さすがは学校祭。色々と甘酸っぱいことが起こっているらしい。奥田君には試練かもしれないけど。
頑張れ、奥田君。押しの強い彼女を持った仲間として、陰ながら応援してるぞ。
なーんて、呑気に考えている場合じゃないんだよねぇ。
「むぅ……」
だってさ、俺と一緒になって覗き見をしていた栞がむくれているんだから。
「えっと、栞。集合時間、もうすぐみたいだし、俺達も行かないと」
そう言ってみたけど、栞はその場から動こうとはしない。唇をとがらせて、ますます頬が膨らんでいく。
「邪魔、された……」
「うん。そうだね……?」
「もっといっぱいイチャイチャしたかった……」
「うん。残念、だね……?」
本心を言えば、俺はヒヤヒヤだったけどね。
「うーっ! 涼っ!」
ガバっと栞が抱きついてきて押し倒されてしまった。少し冷静になってくれたかと思っていたけど、まだのようだ。
「な、なに……? どうしたの、栞……?」
「最後に涼からキス、して……? 一回でいいから、私のこといっぱい好きって思いながら、して……?」
「……まぁ、それくらいなら。その前に、起きよっか?」
「うん……」
少し涙目になっている栞を抱き起こして、まずは落ち着かせるように頭を撫でる。それから、ご要望に応えて耳元で愛を囁く。
「栞、好きだよ。大好き」
「私も好きっ。涼が大好きっ」
「ありがと、栞。それからさ、学校ではもう少しだけ控えようね?」
「善処、する……」
善処じゃだめだよ?
それ、またやるやつでしょ。
だからもう一押し。
「これも本当はあんまり良くないんだろうけど、軽いキスくらいなら人目を盗んでしてあげるから。それ以上のことは家で、二人きりで、ゆっくりしようね? 俺も邪魔とか、されたくないし」
「っ! ……わかった」
ゆっくり言い聞かせると栞はハッとなり、それからコクンと頷いてくれた。
素直ないい子だ。慣れないことをしなくても、最初からこうしていればよかったのかも。
「じゃあ栞」
「はい、涼」
栞が目を閉じてくれたところで、そっと唇を重ねる。決して情熱的ではない。盛り上げるためではなくて、鎮めるためだからこれでいい。もちろん栞への愛情は特盛で。
全力で気持ちを込めれば、それだけで十分満足してもらうことはできる、はず。キスが終わると、栞がスッキリした顔になっているのが何よりの証拠だ。
「はふぅ……。涼、ありがと。涼のキスってすごいね。すっかり落ち着いちゃった。それと、やりすぎてごめんなさい」
申し訳なさそうにペコリと頭を下げた栞を見てホッと息を吐く。完全に平常心を取り戻してくれたようで一安心だ。
「まったくだよ。栞が止まってくれなかったら、無理矢理に押さえつけなきゃいけなくなるところだったんだから」
「うん、ごめんね。私、どうかしてたね……。本当はあそこまでするつもりなかったはずなのに、盛り上がってる空気にやられちゃったのかなぁ……」
「そう、かもね」
最初にその空気を作ったのは栞なんだけど、というのは言わないほうがいいのだろう。俺も俺でテンションがおかしくなっていて、途中までは受け入れてしまっていたわけだし。
「これからは気を付けるねってことで、私達も行こっか? 二人三脚、頑張らなきゃだもんね」
「うん、頑張ろうね」
出番に遅刻して不戦敗で最下位、なんて残念な結果は認められない。
さっきの二人に負けないようにしっかりと手を繋いで、俺達はグラウンドへと向かうのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
借り物競争で最下位になった子のエピソードを入れてみました!
どうしようか悩んだ結果、栞さんの暴走を止めるのに一役買ってもらうことになりました……。
一応、今後涼君達と絡むことはないと思われますが、どうなるのかはわかりません。
会長の時もそんなことを言って、結局再登場してましたからね……(笑)
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