第171話 借り物(人?)競争

 2年生、3年生と学年が上がるに従って過激さを増していく大玉転がしをドン引きしながら見送った。


 いや、これ絶対大玉転がしという名前の別の競技なんじゃないかな。来年も再来年もこれだけは絶対にやめておこうと思う。


 俺はともかく、栞にあんな危ないことはさせられない。栞の綺麗な肌に傷でもついたら大変だからね。


 内心でそんなことを考えながら。


「おっ、彩の出番だぞ!」


 さっきまでよりもやや興奮した様子の遥の声。大玉転がしが終わればプログラムに狂いはなく、次は借り物競争が始まる。


 借り物競争も各クラス四人が参加、三学年合わせて12レースが行われるらしい。楓さんはその中でも一番最初の走者のようだ。


 スタートラインに立った楓さんは、ぷらぷらと手足を揺らし身体をほぐして気負った様子はない。


「彩ー! ぶっちぎれー!」


 普段素直じゃない遥も恋人である楓さんが出るとあって、やや前のめりだ。


「彩香ー! 頑張ってー!」


「楓さん、いけー!」


「彩ちゃーん! ちゃんと見てるからねー!」


 俺達も約束通りしっかり声援を送る。まだぐったりしている漣は声を出せないようで、手だけを上げてヒラヒラさせていた。


 そんな俺達に向けて楓さんはいい笑顔でサムズアップ。それから前を向いた楓さんの横顔のなんと頼もしいこと。


 スタートのピストルが鳴ると、真っ先に飛び出したのはやはり楓さんだった。確か帰宅部だったはずなのに、陸上部もかくやと言わんばかりのスタートをきり加速する。


 これって借り物競争、だったよね……?


「彩香、はやぁっ……!」


「だろ? あいつ体力お化けだからな」


 栞の呟きに、なぜか遥が得意気に応えた。口ではなんだかんだ言っていても、彼女のことは自慢に思っているのだろう。


 一気に後続を置き去りにした楓さんは、トップスピードを維持したまま上体を低くして、お題の書かれているであろう紙を拾い上げた。


 恐るべき身体能力。って、なんでこれで帰宅部なんてやっているんだろう。これなら色んな部活から引く手数多だろうに。


 もう声援を送るどころじゃなくて、全員が楓さんの動きに見入っている。


 だが、楓さんはお題の紙を開いたところで急ブレーキをかけた。


「あれ? 彩ちゃんどうしたのかな?」


「おっ、こっち見たぞ」


「というか、こっちに向かってくるけど?」


 急ブレーキをかけたのは方向転換のためだったらしく、再び走り出した楓さんは俺達のいる観客席の方へと向かってくる。


「しおりーん! 高原くーん! 一緒に来てーっ!」


 大声で俺と栞の名前を叫びながら。


「えぇっ、俺達?!」


「これって借り物競争、だよね?」


 さすが栞、的を得ている。人を借りたら借り人競争、だもんね。


 俺と栞が戸惑っている間にも楓さんはぐんぐん近付いてきて、


「ほーら、早くっ!」


 楓さんが栞の手を掴む。


「ちょ、ちょっと彩香! お題ってなんだったの?!」


「話は後っ! 負けちゃうから!」


 そう言うやいなや、栞を引っ張って駆け出そうとする。


「あっ、涼っ!」


「ま、待って、栞っ!」


 栞が伸ばした手をギリギリで捕まえて、三人でゴールへと向かうことに。わかってはいたことだけど、この中で俺が一番走るのが遅い。危うく引きずられるところだったが、なんとかゴールまで辿り着けた。


「やったぁ、いっちばーん!」


 息も切らさずにぴょんぴょんと喜び飛び跳ねる楓さんが元気すぎる。俺と栞は急に走らされたせいで呼吸を乱しているというのに。


「それではお題の確認をさせてもらいますね?」


「はーい、どうぞっ!」


 楓さんが係の人にお題を見せるとそこには、


『バカップル』


 と、でかでかと書かれていた。


「あーやーかー……?」


「楓さーん……?」


 これは睨まずにはいられない。


「ど、どうしたの、二人とも……? 目が、怖いよ……?」


 別にね、俺達がバカップルなのは自覚していることだけどさ。自覚しているのと、こうやって衆目に晒されるのとじゃわけが違うんだよ。


 しかも、


『一番にゴールした5組のお題はバカップル。さてさて、これはどうやって証明してもらいましょうかー?!』


 係の人がマイクを通して拡散しているし。


「証明って、なにをすればいいの……?」


 栞が俺の顔をじっと見つめてきて、イヤな予感がする。さすがにキスをしろとは言わな──


「キスでもしちゃえば?」


 ──い、はず?


 楓さんがあっけらかんと答えた。


「いや、さすがにそれは……!」


「だって今更じゃない?」


「「今更じゃない!」」


 俺と栞の声が重なった。


 まったく、何を考えているんだか。


 教室でしたのとは状況が違うってのに。全校生徒プラス教師陣の前で公開キスなんてハードルが高すぎる。さすがの俺達もそこまでバカップルを極めてはいない、と思う。


 となれば、頼みの綱は係の人だけ。ちらっと視線を向けると、


「あはは、さすがにそこまではさせられないかなぁ」


「ですよねぇ……。よかった……」


「でも、大丈夫! 別にちゃーんと方法は考えてありますよ!」


「それはいったい……?」


「まずは二人とも向かい合ってもらって、見つめ合って30秒。その間、目を逸らさずにいられたら証明完了です」


 それくらいならと、ホッと胸を撫で下ろしたのに、


「あっ、でも我慢できなくなったらキスもオッケーってことにしちゃいます? そしたらそこで終了ってことで!」


 そんなからかい半分の言葉に心臓が跳ねて、


「じゃあスタート!」


 心の準備もできていないうちに始められた。


「しょうがないなぁ、もう……。ほら、涼」


「う、うん……」


 ここでごねても仕方がないのは俺だって承知している。俺達がお題にそぐわないと判断されたら、楓さんは新たなバカップルを連れてこなければならなくなってしまう。こうしている間にも続々と2位以下がゴールしているわけで。


 腹を括る他はない。


「……」


「……」


 ──5秒。


 無言で栞と見つめ合う。


「……」


「……」


 ──15秒。


 栞と視線が絡み合うと、喧騒が遠くなる気がして。


「……」


「……」


 ──時間の感覚がなくなった。


 ほんのりと頬を朱色に染めた栞が一歩近付いて瞼を閉じる。俺も反射的にいつもの癖で栞の頬へ手を伸ばして──


「はーい! 時間でーす!」


 あれ……? 今、俺はいったい何を……?


 パチンと手の鳴る音がして、現実に引き戻された。


 栞もビクリと肩を震わせつつ目を開けて、なぜか不満顔。


『いやぁ、もうキス寸前でした! これはバカップルと認めざるを得ませんね!』


 だから、マイク使うのをやめて!


 俺の心の叫びは声になることもなく、観客の歓声にかき消されていった。


「ねぇ、涼……?」


 そんな歓声の中、俺のジャージの裾を栞がちょいちょいと引っ張る。


「どうしたの?」


「私、また我慢できなくなっちゃった……。涼とキス、したかったのに……」


 ……だよねぇ。そんな顔してたもの。というか、今もまだ。


 ただ、そんな切なそうな顔をされてもここでどうこうするわけにもいかない。


「せめて昼休みまで待って、ね……?」


「……待つ」


「ん、いい子だね」


「うん。私、いい子だからちゃんと待てるよ」


 こうなった以上は少しでも昼休みに二人きりの時間を作らなければ。このまま放置すると午後一番にある俺達の出番、二人三脚に響きかねない。栞のメンタルコンディションを整えるのも俺の大事な役割なのだ。


 なんて思いつつも、実際は俺も栞の放つ雰囲気にあてられて我慢しているだけだったりする。すぐこうなってしまう辺りがバカップルたる所以なのかもしれない。


 栞が真剣な顔でコクリと頷いたところで、俺達は楓さんを残して観客席へと戻ることになった。謎の拍手に見送られるおまけつきで。


 ちなみに今回のお題、他にはさっき使用された大玉とか色指定の水筒とか、ちゃんと『物』もあったのだけど。


 最下位になった人のお題がまた曲者で、


『好きな人』


 悩み抜いた結果、ちゃんと連れてきたみたいだった。最下位ではあるけれど、本人達も含めて全体が色めき立って、公開告白のようになっていた。


 微笑ましいような可哀想なような。無事に想いを受け取ってもらえていたのが幸いで、もしフラレていたら目も当てられない。


 なんなんだろうね、これは。確かに恋愛絡みのお題が盛り上がるのはわかるんだけど、もう少しプライベートに配慮してほしかった、かも。


 ただ、そっちのお題を楓さんが引き当てていれば俺達がこんな目にあわなくて済んだのにと思ってしまう。それなら犠牲になるのは遥だけだったはずだから。


 まぁ、過ぎたことは取り消せるわけもなく。


 かくして、俺達はバカップルとして全校生徒に広く知られることになりましたとさ。


 めでたいのかめでたくないのかはわからないけど、ね。



 そして、見事1位をもぎ取って帰ってきた楓さんはというと。


「ふふ〜ん! 1位だよー! 褒めて褒めてー!」


 最初は尻尾をブンブンと振る犬のようだったのに。


「そうだねー。いっぱい褒めてあげないとねー。ほーら、そこ座ってー」


「あ、あれ? しおりん……? もしかして、まだ、怒ってる……?」


 抑揚のない栞の声で震え上がって。


「怒ってないよー? んふふっ」


「いやっ、それ絶対怒ってるやつ!」


「うふふっ、怒ってない怒ってないー」


「こわっ、怖いよ、しおりんっ! んぎゅっ……!」


 両側の頬を栞にむにゅっと摘まれて、しっかりお仕置きをされていた。

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