第167話 喧騒を抜け出して
栞が潰れてしまわなくて本当に良かった。
酔っ払っている大人達は力加減が全くできていなくて、多少俺が庇っていても栞は苦しそうにしていた。
あのタイミングでインターホンが鳴ったのには感謝してもしきれない。
とはいえ、それはそれとしてのこの状況。
難を逃れた俺と栞はダイニングテーブルに用意された夕飯を食べながら、リビングの喧騒を眺めている。
俺の誕生日同様に、やたら大量に用意された料理。そして、六人になった大人達の手にはそれぞれお酒の注がれたグラスが。
「あっはっは! 結婚式だけじゃなくて婚姻届まで書かせちゃったんだ。いやぁ、文乃も聡君も気が早すぎ!」
「もー、そんなに笑わなくてもいいじゃない、継実!」
「そうだよ、継実。僕はいいと思うよ。君だって見ただろ、あの結婚式」
「ほらー、陽滝君だってこう言ってるじゃない!」
新たにこの宴会に加わったのは継実さんと陽滝さんだった。なんでも文乃さんが誘っていたんだとか。諸々の後片付けを済ませてから来たということで、遅れての参加となったらしい。
「ま、それもそっか。にしても栞ちゃん可愛かったよねぇ。高原君にデレデレになっててさ」
「あっ、そうそう。それなんだけどね、いくつか良さそうな写真をプリントしてきたんだ」
陽滝さんが写真を取り出すと、その当人である俺達そっちのけで奪い合うようにして見始めた。
「これは栞の入場シーンね。あなた泣きそうな顔してるじゃなーい」
「そりゃ栞のあんな姿を見たらそうもなるだろ。あれでもかなり我慢してたんだよ?」
「こっちは涼のね。緊張した顔しちゃって。でもまぁ、昔に比べたら全然マシになったかしら」
「ん、涼も立派になったと思う」
「これなんてキスシーンだよ。栞ちゃんも高原君も幸せそうな顔してるわ」
「このキスシーンは我ながらベストショットだったと思うよ。実はこれ、うちの宣材用に等身大ポップにしようかなって考えてるんだ」
口々に写真の感想を言い合いながら、更に盛り上がっていく。
その光景を見ている栞は、拗ねた顔をしていた。
「うー……。私も見たいのにぃ……」
「さすがにあの中に突入していくのはねぇ。俺はちょっと恥ずかしいからどっちでもいい、かなぁ」
栞と二人で見るのならともかく、この状況では何を言われるかわかったもんじゃない。
というか陽滝さん、等身大ポップって冗談ですよね……?
「そうだっ! せっかくだから、栞の小さい頃のアルバムも持ってきましょうか」
文乃さんが名案を思いついたと言わんばかりにパチリと手を叩いて、
「ちょっとお母さん?! やめてよ、恥ずかしいでしょ!」
栞は顔を真っ赤にして叫んだ。
「あら〜? でも、涼君は見たいんじゃない?」
「……見たいです!」
小さい頃の栞もさぞ可愛いのだろう。そんなの見たくないわけがない。
「だ、ダメだよ、涼! いくら涼でもね、恥ずかしいものは恥ずかしいもんっ」
「まぁまぁ、いいじゃないの。えっとー、確か私達の寝室のクローゼットにしまってあったはずよねぇ」
栞の静止も虚しく、文乃さんはアルバムを取りに出ていった。
しばらくして戻ってきた文乃さんの手には分厚いアルバムが三冊。
「はーい、涼君、お待たせ。お好きなのからどうぞ?」
「お、お母さん……。本当に……?」
羞恥でぷるぷるしている栞には申し訳ないけど、目の前の誘惑には抗えない。どれから見るのがいいのかなんてわからないので適当に一冊を受け取ってページを開こうとすると、
「やっぱりダメーっ!」
表紙を押さえられて止められて、あげく手の自由も奪われてしまった。
「私達、ご飯食べ終わったから、一旦部屋に戻るね! これもしまっておかないといけないし」
栞は俺の手を取って立ち上がる。反対の手には婚姻届を持って。
「し、栞……? せっかく文乃さんが……」
「いいから! ほら、涼。ついてきて!」
有無を言わさず立ち上がらされた。そして栞は俺の耳元でポツリ。
「写真はまた今度見せてあげるから、今はここから抜け出そ? このままだと本当に朝までつきあわされちゃう。ね?」
「あ、うん。わかったよ」
つまり、恥ずかしそうにしていたのは演技ってことなのか。なら、俺もそれに合わせるべきだろう。
「涼、早くっ!」
「あぁー……。栞の写真がー……」
わざとらしくなってしまったかもしれないが、相手は酔っ払いなのでたぶん大丈夫、と信じたい。
「あらあら、栞ったら。そんなに照れなくてもいいのにね。こんなに可愛いんだから」
アルバムのページをめくりながらの文乃さんの言葉を背に受けて。栞に引っ張られるようにして、二人で騒がしいリビングから逃げ出した。
*
「まったく、皆して困ったもんだよね……」
自分のベッドに腰掛けた栞はため息をついた。
「でもさ、それだけ俺達のことを喜んでくれてるってこと、なんじゃないかな?」
「そうかもしれないけどね、このままだと寝るに寝られないよ?」
「それは確かに」
階下の笑い声は栞の部屋までしっかり届いている。それに加えてあのテンション、きっと本気で朝まで騒ぐつもりだ。人数が増えた分、よりたちが悪くなった気がする。
「ねぇ、今からどうしよっか? 涼、うちに泊まっていく?」
「そんな準備してきてないよ……。それに泊まるなら明日の学校の用意も必要だし」
母さんに急かされて家を出てきたせいで、俺はほぼ手ぶら。しかも俺は黒羽家に泊まったことがないので、栞と違ってお泊りセットが置いてあったりもしな──
「あっ」
「どうしたの、涼?」
「うん、ちょっと思いついたというかね。栞、俺と一緒にうちに帰らない? 栞はいつでもうちに泊まれるようになってるでしょ? 荷物は俺も持つから、明日の準備も全部済ませてさ。また歩くことにはなるけど、ここで朝まで寝られないよりマシじゃ──んぅ……?!」
話の途中で栞に飛び付かれてキスで口を塞がれた。
「んんっ……、ぷはっ。さすが涼、そうしよっ!」
「う、うん。そう、だね?」
栞の勢いが強すぎて俺は押され気味。まぁ、いつものことなんだけど。
「そうと決まればすぐに準備しなくっちゃ。明日はジャージだけあればいいから、制服と一緒に鞄に入れてっと……」
栞はブツブツと呟きながら支度を始めて、
「それなら明日のお弁当用におかずももらってきちゃおっかな。ついでにそれとなく伝えてくるから、涼はここで待っててね」
パタパタと部屋を出ていった。
また捕まらないといいけどと思いつつも、待つこと10分くらいで栞は戻ってきた。宣言通り、おかずの詰まったタッパーの入った袋を持って。
「涼の家、行ってきていいって!」
「本当?!」
「本当だよっ。明日は体育祭だからちゃんと寝たいって言ったらね。残念そうにはしてたけど許可してくれたの。ってことでね、もう出れるよ!」
「じゃあ、行こうか?」
「うんっ!」
嬉しそうに腕に抱きついてきた栞と一緒に騒がしい家を脱出した。行ったり来たりと忙しないが、母さん達が俺と栞を呼びつけた用事もすんだのだし、これで落ち着くことができるはずだ。
今の時刻は9時半。帰って風呂に入ったりしても十分に睡眠時間は確保できるだろう。
そう思っていたのに。家への道すがら、ずっと上機嫌で歩いている栞が上目遣いで言うんだ。
「ふふっ、今日は寝かさないからね、涼?」
「いや、それ本末転倒じゃ……」
「そんなこと言って、私を連れ出したのは涼でしょ?」
「それは明日のために……」
「だめだよ、涼? ちゃーんと責任は取ってもらわないと、ね?」
もう何も言い返せなかった。だって、俺も期待してしまってるのだから。明日のことが心配で、口ではあんなことを言ったけど。
「……わかったよ。でも、栞が煽ったんだから覚悟、しといてよ?」
「そんな覚悟、いつでもできてるもーん。えへへ〜」
やっぱり今日は寝られないかも。
わざとらしくいつも以上に身体を押し付けてくる栞に、俺はそんなことを思った。
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