第168話 おねむな栞は欲望に忠実

 家に着くなり、栞は俺の部屋に荷物を置きに行ったり、持ってきたおかずを冷蔵庫にしまったりと忙しなく動き回っている。


 俺はというと、手伝いを申し出たのだけれど、


「涼は休んでていいよ」


 と言われてリビングのソファに座らされていた。


 ひとしきりやることが済んだのか、栞がリビングに戻ってきた。


「それじゃ、涼は先にお風呂に入ってきてね」


「あれ、栞は? てっきり一緒に──」


 言いかけて、ハッとした。


 いやいや。栞が泊まっている間はイチャイチャ強化期間という言葉を盾に迫られて、ずっと一緒に入ってたけれど、いくらなんでも当たり前になりすぎなのでは?


 慌てて口をつぐんだ俺を見て、栞はニンマリと笑みを浮かべた。


「ふ〜ん? 涼ったら、そんなに私と一緒にお風呂入りたかったんだぁ?」


 ここぞとばかりにからかってくる栞がちょっぴり意地悪だ。


「えっと、それは、その……」


「ふふっ。別に素直になってもいいんだよー? 私に全身隅々まで丁寧に洗ってほしいって。それとも、私のことを洗いたかったのかなぁ?」


 微笑みを浮かべながら密着してくる栞。それだけで俺の心臓は鼓動を速めてしまう。


「い、いや。さすがにそこまでは言って、ないからね……?」


「あれ〜? 違うの? 私、涼の本心が聞きたいなー?」


「うっ……」


 真っ直ぐに瞳の奥を覗き込まれたら、俺の考えていること程度、容易に丸裸にされてしまう。覗き込まれなくてもバレバレ、っていうのは悔しいので認めるわけにはいかない。


 そして、ますます積極的になってきた栞にかかれば、俺なんて全身余す所なく洗われてしまうだろう。というより、すでに何度も洗われている。


 栞は本当に容赦がないんだ。俺が恥ずかしがろうが照れようが、その魅惑的な身体を押し付けてきて、俺がドギマギしている隙に好き勝手していくんだから。


 何度見ても触れても栞の身体は綺麗で、耐性のつきようがないっていうのに。


 そして洗い終わった後は、タジタジになっている俺の耳元で──。


『ねぇ、涼? 私もね、涼に洗ってもらいたいなぁ?』


 蕩けるような甘い栞の言葉が頭の中でリフレインする。そんな言葉に誘われて、俺も栞を。


 その時の感触が蘇ってきて。


 ……。


 もうダメだ。俺の負け、降参するしかない。栞と一緒がいい、そう口にしようと思ったのに。


 栞の人差し指が俺の唇にちょんと触れて、言葉を封じた。


「でも、ごめんね。今日は一人で行ってきてね。涼がお風呂に入ってる間に、私は明日のお弁当の準備を済ませちゃうつもりだから。それとね」


「そ、それと……?」


「二人で一緒にお風呂はね、せっかくだから明後日までとっておこうかなぁって。少し我慢したほうがより楽しめるでしょ?」


「それも、そうだね……?」


 一昨日まで散々一緒に入っていたわけだけど、栞がこう言うと一理あるような気がしてくる。明後日は栞と旅行へ行く。しかも温泉へと。それなら、楽しみは後に残しておいたほうがいいと納得してしまった。


 でも、さっきの言葉を思い出す。


『今日は寝かさないからね』


 つまり、そういうことはするつもりで。


 栞の基準がいまいちわからないが、深く考える余裕は俺に残されていない。


「さっきお風呂も沸かし始めておいたから、そろそろ」


 ──〜〜♪


 給湯器の操作パネルからメロディーが流れ出す。お湯張りが完了したことを告げるものだ。


 さすが栞、タイミングが完璧すぎる。


「ね? それと、はいこれ。涼のお着替えも用意しておいたよ」


 いつの間にかダイニングの椅子に置かれていた俺の寝間着と下着を手渡してくれた。きっと俺の部屋に荷物を置きに行ったついでに持ってきてくれたのだろう。


「それじゃ、今日は洗ってあげられないけど、ゆっくり疲れを落としてきてね。いってらっしゃい。……ちゅっ」


 風呂に入るだけなのにいってらっしゃいのキスまでされて、何も考えられなくなった俺は素直に風呂へと向かうのだった。


 入念に身体を洗い、湯船に浸かると温かさで疲れが溶け出ていくようだった。そして、頭もボーッとしてきて、ゆるゆるになった脳裏に浮かんでくるのは今日見た栞の笑顔の数々。


「早く栞と結婚、したいなぁ……」


 気付けばポツリと口にしていた。


 両親やクラスの皆、飛び入りの観客に見守られて結婚式をして、婚姻届まで書いた。そして帰ってきてからの栞は甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれて。


 また栞の奥さん度が上がったようにも思う。


 聡さんと文乃さんは俺達にタイミングを任せると言ってくれた。つまり、最速を考えるのなら栞の18歳の誕生日に婚姻届を提出することができる。


「でも、さすがに高校生のうちは、ねぇ……」


 誰に聞かせるわけでもないのに言葉にしてしまう。


 例え高校在学中に結婚したとしても、おそらく今と生活が変わることはないだろう。夫婦でありながら、それぞれが実家に帰って別々に暮らすというのはなんか寂しい気がする。


「それなら高校を卒業したら、かなぁ……」


 同じ大学へ進学して、同棲できたらいいなというのは前々から考えていたことだ。


 そのために勉強も手は抜いていないつもりだし、結果も出ている。栞のおかげなのは否めないけれど、俺の努力の成果であることも自分で認められるようになった。


 学生結婚なんて許してもらえないと思っていたのにあっさりと許可が出て、それはきっと俺達が努力している姿を見せてきたから、だと思う。


「この調子でこれからも頑張らなきゃ」


 今だけ良ければいいわけじゃない、継続が必要だ。全ては栞との幸せな未来のため、そう考えればやる気も出る。


「まぁ、でも……」


 今日はひとまず栞の期待に応えるとしよう。というと言い訳みたいだけど、もちろん俺も期待している。


 栞が待ってるし。


「よしっ」


 俺は風呂場を出て身体を拭いてから寝間着を身に着け、いつかの栞の言い付け通りにしっかりと髪を乾かしてからリビングへと戻った。


「栞、ただいま」


「あっ、涼。おかえり〜」


 ソファに座っていた栞はトテトテと近寄ってきて、ぎゅっと抱きついてきた。


「ん〜……。ちゃんと温まってきたみたいだね。ほかほかの涼、気持ちいぃ……」


「うん。お待たせ、栞」


 栞が可愛くて髪を撫でると、その身体からは力が抜けていく。


「んーん、全然だよ。それじゃ、私もお風呂行ってくるねー? ほら、涼。んっ」


「んっ、って……?」


「もー、さっきは私がしてあげたでしょ? 今から私がお風呂行くんだから、今度は涼からしてほしいなぁ。ねぇ、ちゅー、して?」


 なんなの、この可愛いすぎる子はっ?!


 栞はふにゃふにゃな甘え顔をしていた。


 たまらず俺からも抱きしめて、仰せの通りにキスをする。一回なんかじゃ止められない。栞も嬉しそうに応えてくれる。


 もうこのまま俺の部屋に連れてっちゃっても、いいんじゃない?


「んー♡ ダメだよぉ、涼。キス、しすぎっ。お風呂行けなくなっちゃうでしょー?」


 うん、まだダメなようだ。


「ごめん、栞が可愛すぎてさ」


「ふふっ、ありがとっ。すぐ戻ってくるからねー、続きはその後、だよ?」


「はーい」


 素直に返事をして腕から解放すると、栞は俺の頭をよしよしと撫でてリビングを出ていった。


「あぁもうっ、幸せすぎるっ……!」


 悶えつつ、また独り言をこぼしたところで違和感に気付いた。


 あれ、もしかして栞、眠い……?


 さっきの栞の声。それにあの甘えっぷり。


 眠い時ほど甘え度が増すのはすでに俺も知っていること。


 大丈夫かな……?




 俺の予想が正しかったのがわかったのは栞が戻ってきてからだった。


「りょ〜うっ!」


 リビングに入ってきた勢いそのままに、俺に飛びついて隣に腰を下ろした。栞は俺の誕生日のために用意してくれた黒いベビードールを身に着けて、俺を誘惑する気満々のようだ。


 なのに、栞の髪は未だに濡れている。いつもならちゃんと乾かしてから出てくるはずなのに。


「栞、髪は乾かさないの?」


「ん〜。乾かすけどね、早く涼のところに戻りたかったのっ。へへ、涼。大好きっ」


「俺も大好きだよ。でも、そのままじゃ風邪引いちゃうよ?」


「うー……。だってぇ、離れたくないんだもん。そのために急いでお風呂出てきたんだもん。あっ、そうだっ。ねぇ、涼が乾かしてくれない?」


「俺が……?」


「うんっ。待ってて、ドライヤー取ってくるから」


 急ぎ足で出ていった栞は、ドライヤーを手に急ぎ足で帰ってきた。そんなに急ぐほど離れるのがイヤらしい。


 そして、コンセントに繋がれたドライヤーが俺の前に差し出された。


「ねっ、お願い?」


「……いいけど、変になっても知らないよ?」


 栞ほどの長さの髪を乾かした経験なんてないわけで、俺にはうまくやれる自信はない。


「いいからっ。ほら、早くー」


「わかったよ」


 いいと言うならいいのだろう。ドライヤーを受け取ってスイッチを入れる。温風を当てると栞はポテッと俺にもたれかかってきた。


「ふぁ〜……」


 栞の口から気の抜けた声のような息のようなものが漏れる。気持ちいいのかな、なんて思っていたのだけど、しばらくすると栞の頭がカックンカックンし始めた。


 ……寝ちゃった?


 栞も今日はかなりはしゃいでいたから、そりゃ疲れてるよね。とりあえず髪が乾くまではこのままにしておいてあげよう。その後のことは、残念だけど持ち越しになりそう、かな。


 そう思っていたのに──


「栞ー? 髪、乾いたよ?」


 耳元で囁くと、


「ひゃっ……!」


 栞は耳を押さえて飛び上がり目をパチパチと瞬かせた。


「あ、あれ? 涼……? 私……」


「うん、寝ちゃってたよ」


「あ……、ごめんね……」


「いいよ、疲れてたんでしょ? だから今日はこのまま寝よ──」


「やっ……!」


 眠そうな目をこすりながら、栞が短く抗議の声を上げる。


「やって……。明日も学校あるよ? それも体育祭だし」


「うぅ……。だって、だって今日は今日だけなんだもん……。今日は今までで一番幸せな日だったんだもん……。せっかく二人きりになれたのに、なにもなしなんて、そんなのイヤだよぉ……」


 ついには泣き始めてしまった。


 栞にとって今日という日はそれほどまでに特別な日だったんだ。なら、栞が泣いたままでは今日は終われないじゃないか。


 まったく、栞は欲望に忠実というか。眠気で箍が外れているだけなのかもしれないけどさ。


「……わかったよ。俺も期待してたくせにあんなこと言ってごめんね。でもね、無理はさせられないから、ちゃんと睡眠もとることが条件だよ。それでもいい?」


「うん……」


 栞の返事を確認して、俺はその小柄な身体を抱き上げた。どうせなら今夜はとことん特別扱いをしてあげよう。


「それじゃ、ベッドまで運ばせてもらいますね、お姫様」


「あぅ……。お姫様って、私のこと……?」


「他にいないでしょ? 栞は俺の可愛いお姫様だよ」


 うん、自分で言っていて恥ずかしくなってきた。でも今更やめられない。


 きゅっとしがみついてくる栞を抱えたままでリビングを出る。俺の部屋まで運んで優しくベッドへと横たえた。


「はい、到着ですよ」


「はぅぅ……。涼、すごく格好いいよぉ……。あのね、私ね、もう我慢できないの。ねぇ、涼。いっぱいちゅー、して?」


 睡魔に負けている栞はトロトロな顔をしていて、そんな栞を見た俺も我慢の限界をあっさりと超えた。


 そしてひとしきり愛し合った後、栞はそのまま眠ってしまった。さすがの俺もそこで疲れがピークに達して、栞を抱き寄せて眠りについた。



 この日、俺は一つの学びを得た。


 眠い時の栞には気を付けろ。更に破壊力が上がるぞ、って。

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