第165話 二人きりの二次会(未遂)

 外から見た時に明かりがついていなかったのでおかしいとは思いつつも、


「ただいまー」


 玄関から声をかけてみる。でも、予想通り返事はなく、我が家はシンと静まり返っていた。


「水希さん達まだ帰ってきてないのかな?」


 一緒に帰宅した栞も不思議そうにキョトンとしている。


「んー、特に何も聞いてないんだけどねぇ……」


 うちの両親も、文乃さんと聡さんも先生の式には参加していなかったし、それならすでに帰ってきていてもおかしくはないはずなのに。


 母さんにやかましく出迎えられると思っていたのに拍子抜けしてしまう。ないならないでそれにこしたことはないわけだが。


 疑問に思いながらも家に入りダイニングを覗くと、テーブルの上に一枚の書き置きがあるのを見つけた。


『涼・栞ちゃん、おかえりなさい。突然だけど二人の結婚式の二次会をすることになったから、着替えを済ませたらすぐに栞ちゃんの家に集合すること!』


 こりゃまた急なことで。どうせ母さんと文乃さんの企てに違いない。きっと俺達の式の後で盛り上がってこんな話になったのだろう。


 というか、それならそうと連絡の一つでも寄越してくれていたら。そしたら早く心づもりもできて、


「えー……。涼と二人でのんびりしたかったのにぃ……」


 栞にこんな顔をさせなくて済んだはずなのに。


 栞はぷくりと頬を膨らませていた。もちろん俺も栞と同じつもりだった。だから教室を出る前に続きは帰ってからと言ったのだ。


「帰るのが遅くなったってことにして、遅れて行こっか……?」


 そう提案した俺に、栞は瞳を輝かせた。


「うんっ! って、いいのかなぁ……? すぐに来いって書いてあるよ?」


「少しくらいなら構わないでしょ。それにさ、俺も栞と、その……、イチャイチャしたいし」


 せっかく気分が盛り上がっているところ、むしろ二人きりなのは好都合でしかない。


「へへ、しょうがないなぁ。まったく涼は甘えん坊さんなんだからぁっ」


 そんなことを言いながらグリグリと額を押し付けてくる栞。どう見ても栞の方が甘えん坊だが、そんなのはどっちでもいい話。どうせお互い様なのだから。


「そうと決まれば俺の部屋、行こっか?」


「はーいっ!」


 嬉しそうにしがみついてきた栞を連れて自室へと移動して、鞄を放り投げてベッドに腰掛け栞を呼ぶ。


「栞、おいで?」


「うん、涼っ」


 俺に『おいで』と言われるのが好きな栞は嬉々として俺の膝に跨ってきて、ベッドがギシッと軋む。俺も栞をしっかり受け止めれば甘い時間の始まり、二人だけの二次会だ。


「栞、好きだよ。愛してる」


 押しが強すぎるところはあるけれど、俺に対してはいつも甘々で、身も心も蕩けるような幸福感をくれる栞が大好きで、愛おしくてたまらない。


 頬に触れれば、スリスリと頬擦りをしてくるのも可愛くてしかたがない。


「私も好きっ、愛してる」


 愛を囁きあったら、すでに盛り上がっていた気分は更に加速する。


 二人きりなら少々ハメを外しても問題はない。きっと栞もそのつもりだろう。


 見つめ合って、まずはキスから──


 と思った矢先、ズボンのポケットに入れっぱなしだったスマホが震えた。アラームのセットなんてしていないので、着信で間違いはない。


 わずかばかりやましい気持ちがあったせいか、それだけでビックリして身体が跳ねた。


「涼? どうしたの?」


「えっとね……、言いにくいんだけど、電話かかってきちゃった……」


 こんなタイミング悪く電話をかけてくる人間なんて一人しかいない。脳裏に浮かぶのは付き合い始めたあの日、もう少しで初めての栞とのキスができそうだった瞬間。


「もしかして、水希さん……?」


「うん、そうみたい……」


 画面にはしっかりと『母さん』の文字が表示されていた。またしても邪魔されたことになる。でも、ここで出なければ後で余計うるさいことを言われるに決まっている。


 渋々通話ボタンを押すと、


『ちょっと涼! まだ帰ってないの?!』


 母さんの大声が。


「いや、えっと……」


 誤魔化すのが苦手な俺はそれだけで狼狽えてしまう。


『その感じ、どうせこっそり栞ちゃんとイチャイチャしてたんでしょ? 栞ちゃんのご両親も待ってるんだから早くいらっしゃい! 二人にはまだやってもらうことがあるんだからね! いい? すぐに来るのよ?』


 そのままブチッと電話を切られた。


 誤魔化すどころか、話すら聞いてもらえない始末。母さんの予想は大当たりだから、どうせ何も言えないんだけど。


「水希さん、すぐ来いって言ってたね……」


 漏れ出た母さんの大声は栞にまで聞こえていたらしい。


「うん。どうしよっか……?」


「うーん……。これ以上何か言われる前に帰ったほうがいいかもね……」


「なんか、ごめん……」


「ううん、涼のせいじゃないよ。でも──んっ」


「んぅっ……?!」


 突然栞が俺の口を塞ぎ、情熱的なキスをくれる。唇を啄んで、吸って、重ね合わせて。まるで今から我慢する分を埋めるように。


 その意図に気付いてしまったら、俺も負けてなんかいられない。


「んんっ……。ちゅっ、涼、好きっ……んっ」


「栞、好きだっ。ちゅっ、今は、んっ、これで、我慢してね。んんっ……」


 お互いに歯止めが効かなくなるギリギリで止めることに。正直物足りない。もっと栞にこの溢れんばかりの愛情を伝えたい。


 なのに時間が足りなくて。


「大丈夫だよ、涼。今日はこれで終わりになんてさせないから。だってね──」


 他に誰も聞いていないというのに、栞が俺の耳元に口を寄せる。世界中の誰にも秘密にするように、そして、俺の脳が溶けて流れ出てしまうんじゃないかってくらい、甘く妖艶な声で囁くんだ。


「今夜は結婚初夜だもん。だから後で私のこと、いっぱいいっぱい愛してね?」


 本当に栞は殺し文句が上手い。これだけで心臓が暴れ出して背中がゾクゾクしてくる。あんなこと言われたらコクコクと頷くことしかできない。


「よーしっ! なら準備して行こっか?」


「う、うん」


 膝から降りた栞に手を引かれて立ち上がると、栞は俺の制服へと手をかけた。


「それじゃ旦那様、お着替え手伝うね♡」


「いや、着替えくらい自分でっ──」


「いーやっ! 私がしたいのっ。えいっ!」


 すっかり奥さん気分の栞に容赦なく脱がされて。まずは上半身を裸にされた後、栞がチェストの中から選んできた服を着せられた。


 次に栞は俺の前にしゃがみ込んでズボンのベルトへと手を伸ばす。


「ちょ、ちょっ! 下はさすがにっ──」


「いいからいいから、私に任せて!」


「本当に待って! 今はダメだから!」


 止める暇もなくベルトが、そして流れるようにホックが外され、続いてチャックが下げられて。重力に従ってズボンがストンと床へと落ちた。


「わっ♪ ふふっ、涼ったらぁ」


「も、もうやめてーーーっ!!」


 俺の情けない叫びが部屋に響き渡ったのだった。



 *



 栞の手によって全身を着替えさせられた俺は、恥ずかしさで枕に顔を埋めていた。


「うぅ、もうお婿に行けない……」


 もちろん本気で言っているわけではないけれど、そのくらい恥ずかしかったってことだ。


「何言ってるの? 涼は私がちゃんともらってあげるよ? というか、もう既にもらっちゃってるよ?」


「ありがと、栞……。でも、こうなってるのは栞のせいなんだよ……?」


「今更着替えくらいで大袈裟だなぁ。涼の裸なんてもう何回も見てるでしょ?」


「そうなんだけどね。そうなんだけど……」


 俺から栞に我慢してねなんて言ったくせに、その俺がさ……。下着まで替える必要はなかったので直には見られていないけれど、それが逆に恥ずかしいというか……。


 それもこれも栞があんなこと囁くからっ!


「ふふっ、涼のえっち♪」


「うぅっ……」


 からかっているだけなのはわかっているのに、栞の言葉が容赦なく俺の心を抉ってくる。


「りょーうっ。よしよ〜し」


 俺の頭の横に腰を降ろした栞が頭を撫でてくれる。その手つきはとても優しい。さすが栞のアフターケア、少しずつ傷が癒えていく。


「私は嬉しかったよ? 期待してくれてるってことだもん。だからね、私がどうにか時間を作ってみせるから、それまで辛抱してね」


「うん……。我慢する……」


 甘やかしてもらったことで、どうにか気持ちを立て直して起き上がり、栞を抱きしめる。


「あらら、涼がすっかり可愛くなっちゃった」


「もうっ、からかうの禁止!」


「はーいっ」


 栞がクスクス笑って、それがこそばゆい。


 もう少しくらいなら、甘えても許してくれるかな?


「ねぇ、栞。最後にもう一回だけ、キスしたい」


「そんなの断らなくても、涼ならいつでも好きな時に好きなだけしていいんだよ? ほら、私は涼専用なんだから、いくらでもどーぞ?」


「うん。栞、好き……」


 あぁ、なんで栞の前だとこんなふうになっちゃうんだろ。自分がこうなるなんて、昔は全く想像もしていなかったのに。


 キスを優しく受け止めてもらうとますます甘えたくなるところだけど、グッと堪える。


 短いキスで気持ちを切り替えて。


「んっ、これでたぶん大丈夫! じゃあ行こうか」


「もういいの?」


「よくはないけどキリがないから。それに楽しみは後に取っておくよ」


「そっか、それもそうだね」


 ピョンと立ち上がった栞は鞄を手に取る。


 栞は自分の家で着替えるので制服のまま。俺の部屋に栞のお泊りセットが置きっぱなしにされていて、その中にも私服は入っているけれど、どうせ帰るのだからわざわざストックを減らすこともない。


 いつも通り手を繋ぎ腕を組み家を出た。二人きりの時間を惜しむように、寄り添ってゆっくりと歩いたはずなのに。それでもあっという間に黒羽家の前に着いてしまった。


 栞がインターホンのボタンを押すと、勢いよく玄関のドアが開かれて文乃さんが顔を出した。


「もー! 二人とも何してたのよー。遅かったじゃなーいっ」


 文乃さんは普段割と落ち着きのある雰囲気なのに、今はやや興奮している様子。それによく見ればほんのりと顔が赤いような気も。


「別にいいでしょ。ただいま、お母さん」


「まったく、この子は……。ほら、早くあがりなさい。涼君もね」


「はぁい」


「はい、お邪魔します」


 文乃さんの横を通り過ぎる時、栞が顔をしかめた。


「お母さん、もしかしてお酒飲んでる?」


「飲んでるわよ〜。だって今日はお祝いだもの〜。ねー?」


 文乃さんがリビングへ呼びかけると、追加で現れたのは三人の酔っ払い、俺の父さん母さん、それから聡さん。


「それじゃ、せーのっ」


 文乃さんが掛け声をかけて、


「「「「二人ともおめでとー!!」」」」


 俺達は計四人の酔っ払いに出迎えられたのだった。

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