第163話 贈ったブーケの行方

 先生夫婦が退場した後も、拍手が鳴り止むことはなかった。それもしばらくすれば静かになっていく。


「本日は私達1年5組の催しにご参加いただきありがとうございましたー! これをもって終了とさせていただきまーす!」


 楓さんがアナウンスを流すと、次々に参列者達は席を立ち図書室を退出していく。


 間もなく三日間にわたった文化祭が終了する。


 やがて、図書室にはうちのクラスの関係者を残すのみとなった。俺達はこの後片付けが待っているのでそのまま待機することになっている。


 皆、思い思いに先生や俺達の式の感想を言い合ったりして。


 そんな中で、栞が俺にピッタリと身を寄せて肩に頭を預けてくる。先生の式の間は空気を読んで我慢していたのもそろそろ解禁ということだろう。と言っても、見えないところでこっそり手だけはずっと繋いでいたりしたけど、まぁそれくらいならきっと許されるだろう。


「ねぇ、涼。先生、嬉しそうだったね?」


「だね。上手くいってよかったよ」


 ほとんどの準備や根回しは遥や楓さんに任せっきりだったので大きなことは言えないけれど、先生の様子を見るに成功と言っていいと思う。


「先生、可愛かったなぁ。抱っこされて照れちゃってたもんね」


 真守さんに抱えられて去っていく先生の姿を思い出したのか、栞はクスリと笑う。


 去り際の先生はいつものハイテンションが鳴りを潜めて、すっかりしおらしくなっていた。あの先生も、好きな人の前だとあんなふうになるのかと俺も驚いた。


「その点栞は全然だったよね」


 むしろ、俺の方が恥ずかしかったくらいだ。半ばヤケクソだったのと、栞が幸せそうにしてくれていたからどうにか耐えられたけど。


「私も急にだったからびっくりはしたよ? でも、照れたり恥ずかしかったりはなかったかなぁ。あの時は涼しか見てなかったし」


「直前にやらかしてるのに、切り替え早かったもんねぇ……」


 ブーケトスの失敗でしまったって顔をしていたはずなのに、遥の一言で……。


「だって見せつけていいって言われちゃったんだもん。涼だって私が我慢してたの知ってるでしょ? ……っていうか、やらかしって言わないでよぉ。私も反省してるんだからね……?」


「ごめんごめん」


 謝りつつポンポンと頭を撫でると、尖りかけていた栞の唇はすぐに引っ込んでいった。


 俺のお嫁さん、チョロくて可愛い。


「あっ、そういえばそのやらかしなんだけどね──」


 栞だって自分でやらかしって言っちゃってるじゃん……!


 栞はポケットからスマホを取り出すと、チャットアプリを立ち上げて俺へと画面を向けた。


「美紀からね、こんなのきてたの……」


「……なに、これ」


 それを見て、俺は言葉を失った。


 そこには一枚の写真が。栞から贈られたブーケを手にした新崎さんの自撮り写真。そこまでは何もおかしな点はない。


 問題なのは新崎さんの隣に写っている人物、新崎さんと一緒にブーケをキャッチした藤堂だった。新崎さんは笑顔で、藤堂はガチガチに緊張した顔で、狭い画面におさまるように身を寄せ合っていた。


「なんかね、お友達から始めることにしたみたい、だよ……? ほら、これ見て」


 栞が画面をスクロールして、写真の直前に送られてきたメッセージを表示させた。


(美紀)『栞、今日はお招きありがとう。何するのか知らないで来ちゃったから、栞の結婚式だって聞かされた時はびっくりしたよ。でも、栞も高原さんもとっても素敵だったね。栞が本当に幸せそうで、少し泣いちゃったんだから。


 それとね、栞からの贈り物、すごく嬉しかった。栞に許してもらってからも、やっぱりどこかで自分を責める気持ちが残ってて。栞を傷付けた私が幸せになんてなっちゃダメだって思ってたんだけど、そうじゃなかったんだね。


 栞の気持ち、ちゃんと受け取ったから。ありがとう、私を許してくれて。それから、素敵な縁をくれて。


 彼、平治君っていうんだね。あの後で少しだけ話をしたんだけど、なんか真面目そうな人だね。それで、えっとね……、私達、お友達から始めることにしたの。また今度二人で会う約束もしちゃった。


 なんか栞にこんな話するの初めてだから恥ずかしいね。でも、せっかく栞がくれたんだから大事にするつもり。私も栞と同じくらい幸せになれるように頑張るから。


 今日はまだ忙しいだろうから、返信はいらないよ。また今度、ゆっくりお話しようね』


「これはまた……」


 思ってもみなかった展開だ。栞も何とも言えない微妙な顔をしているし。


 いや、前半部分だけならいいんだけどね。栞の気持ちがしっかり伝わったってことだから。でも後半部分はどこか浮かれているようで。栞の失敗も演出の一部だと思われていそうな気がする。


「ねぇ、涼。美紀に藤堂君のこと、話したほうがいいかなぁ? ブーケもコントロールが狂っただけだよって」


「うーん……」


 じっと考え込む俺の顔を栞が覗き込む。


「……涼?」


「あー、ごめん。……えっとさ、栞は新崎さんに幸せになってほしいんだよね?」


「そりゃもちろんだよ。だからわざわざあんなことしたんだもん」


 これは聞くまでもないことだったか。


「だよね。じゃあ、藤堂のことはどう思ってる? まだ、嫌い?」


「んー……」


 今度はすぐには答えが返ってこなかった。栞は少しだけ考えて、口を開いた。


「嫌い、ではないかなぁ。最初はあんなことがあったから嫌いだったけど、今はそれほどじゃないかも。藤堂君も頑張ってるみたいだしね」


「そうだね」


 俺も栞と同じ考えだ。前を向いて変わろうとしている人間を嫌うほど俺も冷徹じゃない。今日、その姿はしっかりと見させてもらったところなわけだし。


 そもそも俺達だって人のことをとやかく言える立場じゃない。今こうしていられるのも、クラスの皆が俺達を受け入れてくれたからなのだ。


 なら、俺達も同じようにするのはおかしなことではないと思う。


「でも涼、それがどうかしたの?」


「一応栞の気持ちを確認しておこうと思って」


「私の、気持ち……?」


 栞は目をクリンとさせて、小首を傾げた。


「うん。まずは結論から言うけどね、藤堂とのことは新崎さんには言わなくていいと思うよ。もちろんブーケのこともね」


「それは、なんで?」


 たぶんだけど、栞の中では結論が出ているんじゃないかって思う。それでも俺に確認してきたってことは、栞が欲しているのはおそらくその後押しと理由付けだ。


「一つはね、新崎さんがもうその気になってるみたいだから。この文面を見たら、栞もなんとなくわかるでしょ?」


「うん。こんな美紀、見たことないから」


 栞に頷きを返して続ける。


「それと、俺としてはこっちのほうが大事なんだけど、栞が藤堂のことを嫌ってないから、かな。栞も大切な親友が嫌いな人間とくっつくのは複雑だよね?」


 栞が嫌な思いをするのなら、新崎さんに多少恨まれようとも俺は栞を優先するつもりだった。


「それは、そうだね。今の、これからの藤堂君なら美紀と一緒にいてもそんなにイヤじゃないと思う」


 栞がここまで納得してくれたのなら、あとはまとめだ。


「ならさ、俺達は余計な口出しをしない方がいいと思うんだよね。藤堂のことはこれから新崎さんが自分で見極めればいいんだし」


「そっか……。うん、そうする。さすがだね、涼っ!」


 栞がキラキラした目を向けてくる。俺の言うことならなんでも聞いてしまいそうなそんな目で。


「いや、でもね。最終的には栞がしたいようにしたらいいと思うよ? これはあくまで俺の考えってだけ──あてっ! 何するの栞……?!」


 途中でおでこをコツンとされて、遮られてしまった。


「せっかくいいこと言ってくれたのに、今のは減点だよー?」


 キラキラした目が一転して、ジトッとしたものに変わる。


「えっ、なんで……?」


「私、涼が真剣に考えてくれたってわかってるよ? それに、私もちゃんと納得してるの。いくら涼の言葉でもね、おかしいと思ったらそう言うよ?」


「あっ……」


「だから、あんな顔しないでね?」


「うん、わかったよ」


 昔からの癖というのはなかなか抜けないらしい。でも、栞がこうやって言ってくれるから、少しずつ俺も変わっていける。


「じゃあ、叩いちゃったお詫びと、相談に乗ってくれたお礼ねっ!」


 すっと栞の顔が近付いて、


 ──ちゅっ


 そんな音がして、頬に温かく柔らかいものが触れた。


「し、栞?!」


皆に見られるかもしれないのに……。


「へへ、だって我慢できなかったんだもんっ。ありがと、私の頼りになる旦那様♡」


 甘く蕩けるような声と笑顔。そんなものを向けられたらドキドキしてしまうのに。


「さーて、お前ら! 片付けの時間だぞー!」


 遥の声がして。いつの間にか、文化祭終了を告げる校内放送が流れていた。


「さーてっ、私達も頑張ろっか。準備を免除してもらった分もね」


「……わかったよ」


 まったく……、本当に栞には敵わないなぁ。


 作業中は栞と別々になってしまったけれど、クラス全員で片付けをして、見慣れた図書室が本来の姿を取り戻していく。


「終わっちゃったねぇ」


 すっかり元通りになった図書室を見渡して、栞が寂しそうに呟いた。


「うん……。でもさ、まだ来年も再来年もあるしさ。それに、その後も栞とはずっと一緒なんだから」


「へへ、そうだね。それじゃ、私達も教室戻ろっか?」


 栞が俺の手を取って、俺はしっかりと指を絡ませて。また一つ大切な場所となった図書室を後にする。


 こうして、俺が栞と過ごした最初の文化祭が幕を下ろした。










 はずだったんだけど、どうやらまだ終わりにはならないらしい。もちろん文化祭自体は終わったのだけど、俺達の結婚式の余韻というか、余波というか。


 それを知ることになるのは、栞と一緒に家に帰ってからだった。

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