第162話 先生へのサプライズ結婚式2
◇連城茜◇
ずっと諦めていた。
ずっと無理だって思っていた。
だって、そんな我儘言えないじゃない。
確かに、いつか結婚式をしようねとは言っていたけれど。
私と結婚してくれたまーくんが、転職を決めて、毎日忙しそうにしているのは私の、私達のためだもの。
将来のため、子供ができた時のため。いつだってちゃんと現実を見て、考えてくれている。
仕事で忙しいのに家事も分担制にしてくれて、私の当番の日でも、私が疲れているのを見ると何も言わずに手を貸してくれたり。
大事にされてるってわかってる。甘やかされてるのも理解してる。だからこれ以上を望んだらダメだって思ってた。
でも、最近の高原君と黒羽さんを見ていたら、ずっと我慢していたものがふつふつと湧き上がってくるのを止められなくて。
無理矢理にウェディングドレスを着させられた日にはなぜか少し泣きそうになった。嬉しいような、悔しいような、そんな感情がごちゃまぜで。ひとまずはこの姿を自分で見られただけで満足することにした。
なのに──
今、私はヴァージンロードを歩いている。
本物の結婚式場ではないけれど、私にとっては最高の舞台。私の可愛い生徒達が用意してくれた。きっと、どこの式場に、どんな優秀なプランナーに相談してもこれより素晴らしいものなんてできやしない。
サプライズだったせいで取り乱してしまったけれど、内心では泣きそうなくらい嬉しかったんだから。
私の教え子は本当にいい子たちばかりだ。
*
元々そんなに悪くないクラスだった。ムードメーカーの楓さんと柊木君を中心に、全体的に良くまとまっていて、明るい雰囲気だった。
ただ二人を除いて。
最初の自己紹介で他人を拒絶した黒羽さん。関わるなと言い切られて、私も尻込みしてしまって、つい最近まで話しかけることすらできなかった。
それから高原君。いつも自信なさげで、一人ぼっちで、つまらなさそうな顔をしていたことは私も知っていた。
黒羽さんの件もあって、どう対処していいのかわからなくなって、問題の解決を先延ばしにしてしまった私は教師失格なのかもしれない。
それなのに、彼らは自分達の力でそれを乗り越えてしまった。二人が結びつくことで、お互いを補い合って、驚くほどの成長を遂げた。
こういうのを運命的だって普通は言うんだろう。でも運命なんて言葉を使うのは相応しくないと思う。あれは二人の努力の結果なのだから、そんな安易な言葉で済ませてしまうのは高原君にも黒羽さんにも失礼というものだ。
途中ゴタゴタはあったけれど、そこから私のクラスは更に良い方向へと変わっていった気がする。他の皆があの二人に触発されたからなんだろう。
多少の妬みはあるのかもしれないけれど、大きな問題が起こらないのは皆が二人を認めてしまったからに他ならない。
もちろん私もそのうちの一人。あんなの見せられて、認めないわけにはいかないじゃない。人が自分を変えるのって、すごく大変なんだから。
そんな高原君と黒羽さんは今日、皆に祝福されながら将来を誓い合った。高校一年生という歳で、この先の人生をともにすることになんの疑いも持っていないように見えた。
それってとてもすごいことだと思う。元の二人を知っているからこそ、よりそう思う。
高原君の、黒羽さんを生涯をかけて幸せにするという覚悟。それは彼の自信の表れだ。自分にはそれができると、ちゃんとわかっているのだ。あるいは、そうありたいという願いが彼を強くした。
他人を拒絶していた黒羽さんは、その心を大きく開いて高原君を受け入れた。一度閉ざした心を開くのはとても勇気がいること。
彼女の高原君への愛情は重く深い。揺るぎない信頼を持って、高原君を愛している。弱い心ではそこへ至ることはできなかっただろう。だから、これは彼女の強さの表れ。
そして、今は二人ともお互い以外にも友人ができて、毎日楽しそうに過ごしてる。
今日はそんな二人の成長を目の当たりにして、私も思わず涙ぐんでしまったりして。
でもね──
あんな素敵な式の後に、次はあなたの番ですよって言われた私の気持ち、わかってるのかしらね?
戸惑って、動揺して、ちょっとパニックになっちゃったけど……。情けないところなんて見せられるわけないじゃない。
しかも、その二人は今、私の後ろについて一緒に歩いてくれている。私は先生なのに、生徒に背中を押してもらっている。そう思うだけで、背筋が伸びる。
黒羽さんから受け取ったブーケをしっかりと持って。このブーケには、紛れもなく私の幸福を願う彼女の、クラス全員の気持ちが詰まってる。
まーくんのもとに辿り着いた私は振り返り、ここまで付き添ってくれた二人に向き直る。
「ありがとう、二人とも」
ついさっき、お礼は全員にと言われたばかりだけど、これは高原君と黒羽さん、二人だけに向けて。
高原君と黒羽さんがいなければ、二人が手を取り合わなければ、こうして私の願いが叶うことはなかったのだから。
高原君は優しげな表情で、
「先生、前を向いて」
その顔、黒羽さん以外に向けちゃダメよ?
勘違いする子が出てきても知らないからね?
黒羽さんは天使のような笑みを浮かべて、
「ほら、旦那さんだけを見て」
黒羽さんもそんな顔──って、黒羽さんは高原君用の笑顔とその他の人用、器用に使い分けてるみたいだから平気かしら。
二人はそんな言葉を残して、自分達にあてがわれた席へと下がっていった。
去り際に手を繋いでいたのは、今回は見逃してあげるとしよう。
ううん、違う。その手は絶対に離したらダメ。私が言うまでもなく、離すことなんてないんでしょうけど。
二人を見送って、今度こそまーくんへ、と振り向いた時に気付いてしまった。参列者の最前列、本来であれば親族が座る席、そこには校長、教頭を始め、私と同じ学年を受け持つ先生方がずらり。
『なんで?!』
驚きをどうにか心の中で押し殺した。ここで声を上げなかった自分を褒めてあげたい。
情けない姿は見せないって決めたばかりだものね。危ないところだったわ。
「茜」
聞き慣れた穏やかな声が私を呼ぶ。
「うん、まーくん」
差し出された手を取ると、私の、私とまーくんの結婚式が始まった。
柊木君が粛々と式を進めていく。さっきの高原君と黒羽さんの式をなぞるように。でも、今は私達が主役だった。
今更だけど誓いの言葉を交わして、開始前に柊木君に預けた指輪を交換して、それから誓いのキスまで。初めての人前でのキスに心臓がバクバクした。
私達の式では歌の演出はないらしい。その代わりに、
「茜。今日は君に手紙を書いてきたんだ。読ませてもらっても、いいかな?」
やや緊張した様子でまーくんが告げる。
「でも私、何も用意してない……」
「気にしないで。これはね、茜のために生徒さんが用意してくれた式だから、主役は茜だよ」
「そんなこと……。ううん、そうね。わかった、聞かせて?」
その手紙に何が書かれているのかなんてわかるわけないけど、そんなの絶対に泣かされちゃうのに。
でも、聞きたい。
「それじゃ──」
まーくんはジャケットの内ポケットから手紙を取り出して広げて、
「茜へ」
ゆっくりとした口調で手紙を読み始めた。
「いつも僕を支えてくれてありがとう。いつも明るい茜に、毎日元気をもらっているよ」
あっ、これ、ダメなやつだ。
そう思った時には、もうじわりと涙がせり上がってきていた。
「僕らの結婚式、遅くなってしまってごめんね。って言っても、僕が用意したわけではないから、この言い方は変かな。忘れていたわけではないけど、今更と言われるんじゃないかって怖かったんだ。不甲斐ない僕を許してほしい」
申し訳なさそうに頭を下げられた。
許すもなにも、そんなの私だって同じなのに……。
勝手に諦めて、納得したふりをして、本心を伝えられなかった私だって……。
「だから、今回の話をもらった時はこれだと思ったよ。この機会を逃したら、きっとずっとできないままかもしれないって。でも、これも茜のおかげなんだよね。こうして僕らのためにこんな場を用意してもらえたのは、茜が生徒さん達に慕われている証拠なんだから。そんな茜と結婚できたことは僕の誇りだよ」
私の手を取って、ギュッと握ってくれる。涙が止まらなくなった私の目を見つめてくれる。
「情けない男かもしれないけど、これから茜に相応しくなれるように努力するから、これからも僕と一緒にいてほしい」
もうどうにもならなかった。何か返事をした方がいいのはわかってるのに、言葉が出なくて。涙でグチャグチャになった顔で、何度も何度も頷いた。
そんな私をまーくんはそっと抱き寄せて。私はその腕の中でしばらく泣き続けた。
少しずつ落ち着いてくると、途端に今の状況に恥ずかしさが込み上げてくる。
だ、だって、人前でこんなにくっつくことなかったから。
「先生からは何かないっすか? ないなら終わりにしちゃいますよ?」
タイミングを見計らってくれていたのだろう。でも、その柊木君の言葉が私を焦らせる。
「えっと、その……、あぅ……」
まだ終わらせたくない。私もちゃんと返事をしたい。なのに言葉はこんなにも不自由で。
「大丈夫だよ、茜。無理しなくていいからね」
また甘やかされて。
でもダメなの。ここで何も言えなかったら、この先胸を張ってまーくんの隣りにいられなくなりそうで。
「やだっ……、私にも、言わせてっ。私もっ、ずっとまーくんと一緒にいるからっ……!」
震える声で絞り出した。
「うん、ありがとう」
微笑むまーくんに頭を撫でられて、そしたらまた涙が止まらなくなってしまった。
嬉しくて、幸せで。
そんな私の心中を知ってか知らずか、
「柊木君。この後僕らは退場するだけだったよね?」
「それで問題なければ、そうですね」
「なら、僕らも少しだけ見せつけていっていいかな?」
「そりゃもちろん、存分にどうぞー」
そんな会話が聞こえてきた。
ねぇ、まーくん?
見せつけるって、何をするつもりなの?
私、もういっぱいいっぱいなんだけど?
「それじゃ茜、失礼するよ」
返事をする間もなく、ひょいっと抱き上げられていた。
「わわっ……! な、なにっ……?」
「いやぁ。さっき、あの彼がやっているのを見てね、僕もやってみたいと思ってたんだ。イヤだった?」
「イヤなわけない、けどっ……!」
こんなところでお姫様抱っこなんて恥ずかしいじゃない!
というかあの彼って高原君のことよね?
本当に何してるのよ……。
そういうことは私の見ているところでしなさいよね!
って、今はそれどころじゃないのよ。
「それでは、連城先生ご夫婦の退場でーす! 皆様盛大な拍手でお見送りください!」
待って、柊木君?!
私、最後までこのままなの?!
「それじゃ茜。しっかり捕まっていてね」
まーくんが歩き出すと、バランスが崩れて私から抱きつく形になってしまって。顔が一気に熱くなる。
降ろしてもらうこともできない私は、まーくんに顔を埋めて難を逃れることにした。
こんな顔、絶対に生徒達には見せられない。だって、ちょっとニヤけちゃってたんだもの。
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