第159話 結婚式3

 顔を離すと幸せそうに蕩けた表情の栞と目が合う。


 なのだけど、それだけではないというか。頬はゆるゆるに緩んでいるし、瞳もウルウルと潤んでいるのにどこか不満そうで。


 何かやらかしてしまったのかと不安になってしまったが、その表情の理由はすぐにわかることになる。


「ねぇ、涼……。もう、終わり……? 私、こんなんじゃ全然足りない……」


 栞が俺の胸に擦り寄って、小さな声でそう零したから。


 俺としては結構長めにキスをしたつもりでいたのだけど、栞にとっては短かったらしい。


 本当に栞のキス好きには困ったものだ。そりゃあ俺だって栞が満足するまでいくらでもしてあげたいけどさ。


 いや、栞のせいにするのはやめよう。正直なところ、俺だって全然足りないって思っている。


 でも、ここでこれ以上できるわけもなく。人前という理由で恥ずかしがったりしないとは思ったけども、それとこれとは話が別。さすがにいきなり無限キスシーンに突入したら、見ている人達もドン引きすること間違いなしだ。


 だから、


「また後でね? 俺も物足りないと思ってるからさ」


 本音を添えて伝えれば、栞もわかってくれるはず。


「絶対、だよ?」


「うん、絶対。俺が栞との約束を破ったことなんてないでしょ?」


「うん、ない……。なら、今は我慢するっ」


「偉いね、栞。いい子だよ」


 コクリと頷いた栞が可愛くて、柔らかな頬に手を伸ばしてそっと撫でた。


「あー、子供扱いしたっ! そんなこと言うと、涼が後悔するくらい甘えちゃうんだからね?」


「そんなの望むところだよ?」


 こんな可愛いお嫁さんになら、むしろいくらでも甘えられたいところだし。


 参列者に聞こえないように小声で話していた俺達だけれど、すぐ側にいる遥にはバッチリ届いていたりする。でも、遥は何も言わない。もう抗議をするのを諦めたようだ。ただ、やれやれと首を振っている。


 目が合うと「もういいか?」と視線で訴えてきたので頷いておいた。


 遥は小さく息を吐くと両腕を大きく広げる。


「ここに二人の婚姻が成立したことを宣言します。皆様、今一度盛大な拍手を!」


 遥の声高な宣言に、会場からは割れんばかりの拍手が起こる。こんなに大勢に祝福されているんだと思うと胸にグッとくるものがある。


 俺達は手を繋いだまま参列者に向きなおり、揃って頭を下げた。この拍手の中では言葉は届かない、でも感謝を伝えたかったんだ。


 そして聞いていた流れ通りなら、ここからは連城先生を舞台に上げるための演出が──


「それではここで、この幸せな二人を祝福して、ささやかながらクラスメイトからの贈り物を用意していまーす!」


 進行役が楓さんに戻ったと思ったら、そんな言葉が聞こえてきた。


 えっ、そんなの俺達知らされてないんだけど……?

 何か仕掛けてくるとは思っていたけど、まさかここで……?


 遥が片手をスッと上げると、それを合図に親族席の後ろに座っていたクラスメイト達が立ち上がる。ザッと見た感じ、どうやら全員が揃い踏みのようだ。


 その表情は様々で、涙ぐんでる人、俺達のキスを見たせいか顔を赤らめている人(橘さんがそのうちの一人)、少し羨ましそうにしている人(漣はいつも俺達を見る時そんな顔をしてるよね)、なぜかわずかに赤く染まったティッシュで鼻を押さえている人。


 って、なんであの人は毎回鼻血吹いてるんだろ……?

 大丈夫なのかな……?


 と、そんなことを考えていると、どこかで聞いたことのある気がするメロディーが流れ始めた。


 そしてイントロが終わるとクラスメイト達が歌い出す。声を揃えて、乱れることなく、重なった声は美しいハーモニーを奏でる。


 これを、俺と栞のために……?


「ね、ねぇ、遥……。これって……」


 震える声で尋ねると、遥は歌うのを止めて照れくさそうに笑った。


「あー、なんだ……。準備の間、除け者にしたみたいで悪かったよ。実はさ、ずっと今日までこの練習をしてたんだよ」


「ずっと、って……」


 どれだけ練習したらここまでの完成度になるのかなんて俺には想像もつかない。


「この話が決まってからさ、お前らのために何かしてやりてぇなって思ってて、彩と一緒に考えたんだよ。それで皆に相談したら快く協力してくれてさ」


「でも、俺達は……」


 一学期の間は皆を避けるようにしていて、ようやく受け入れてもらえるようになったばかりで。ここに今、その全員が参加してくれているだけでありがたいって思うのに。


「俺がお前らのことを気に入ってるのと同じでさ、皆もお前らのことを認めてんだよ。それはお前らの行動の結果なんだぜ?」


「遥……」


 もうなんて言葉にしていいのかわからない。気付けば涙がつーっと頬を伝って落ちていった。


「おっ、泣いてくれるのか? そいつは嬉しいねぇ。ちなみに、知ってるかもしれんがこの曲は『you raise me up』っていうんだ。直訳すると『あなたは私を持ち上げる』、要は『あなたが力付けてくれる』とかそんな意味になるな。どうだ、お前らにピッタリの曲だろ?」


「……うん、そう、だね」


 俺が震える声で絞り出すと、遥は歌うのに戻っていく。


 栞のおかげで俺は自信が持てて、俺もあまり意識していなかったとはいえ栞の背中を押していた。遥の言う通り、まさに俺達にピッタリの曲だった。


 栞がいれば、俺はなんだってできる気がする。栞にもそうであってほしい。そうやってずっと二人で支え合って生きていく、それが俺の望みなんだ。


「涼……、私っ……」


 栞がギュッと俺の手を握る。栞の瞳からも涙が零れ落ちていた。


「嬉しいね、栞……。皆、こんなにも俺達のことをさ……」


「うんっ……、うんっ……!」


 また一つ、栞を大切にしないといけない理由ができてしまった。これがなくても大切にするつもりではあるけれど、皆の想いを裏切りたくないから。


 栞の腕を引き、抱き寄せる。


「栞、絶対に離さない」


「私もっ」


 俺達は固く抱き合って、曲が終わるまでそうしていた。


「さーて! いい感じに場も温まってきたところで次に参りましょーう!」


 余韻に浸る空気を楓さんの朗らかな声が切り裂いた。それが『涙は嬉しいけど、今は笑って』と言っているようで。


「ほら、これ使っとけ」


「あ、ありがと、遥」


 こうなることが予めわかって用意していたのか、遥がティッシュを差し出してくれたので、それで涙を拭う。栞の涙も、メイクが崩れないようにそっと拭き取ってあげた。


「次は新婦たっての希望で結婚式の定番、幸せのおすそ分け、ブーケトスを行いまーす! でもですね、新婦には今回どうしても受け取ってほしい人がいるみたいですよ?」


 楓さんは司会をしながら、先程預けておいたブーケを持ってきて栞へ手渡した。


 本来であれば後ろ向きで投げるのが一般的。でも、今回は違う。栞は前を向いて、狙いを定めて投げるのだ。


「さてさて、その人とはいったい誰なのでしょうかー? しおりん、お願いしまーす!」


「はーいっ!」


 栞は涙の残滓を残しながらも笑顔で答えて、ブーケを宙へと放った。


「連城せーんせっ!」


 そう叫びながら。


 栞のコントロールは完璧だった。狙いは継実さんのすぐ後ろ。距離が近かったというのもあるけれど、ブーケは綺麗な放物線を描き、ぽすんと連城先生の手の中に着地した。


「……は? えっ?! 私、結婚してるけど?!」


 受け取った連城先生が戸惑いの声を上げる。そこですかさず継実さんが席を立った。


「はーい、先生! 準備、しましょうね?」


「森住、さん……? えっと、準備って……?」


「次は先生の番ってことですよ。ほーら、行きますよー」


「私の番ってどういうこと?! ちょ、ちょっとー……?!」


 先生は継実さんに引きずられるようにして会場を出ていった。


「それではここでお知らせです! この後、準備が出来次第、れんれ──連城先生夫婦の結婚式を執り行いまーす! 是非ご参加くださいね! というわけで、これで式も終了! と言いたいところなんですが! おやおや〜? 新婦の手にはまだブーケがあるようですね〜? これはどういうことなんでしょうか?!」


 楓さんの告知と、わざとらしいセリフ。この辺りは打ち合わせ済みだ。


 栞がブーケを渡す相手は二人いる。栞が持っていたブーケは一つに見えて、実は二つに分かれるようになっていたのだ。


「もう一人、受け取って欲しい人がいるんです」


 栞が胸の前でギュッとブーケを抱きしめる。そのブーケを受け取る相手が栞にとってとても大事な人だというのを示すように。


「さて、その相手というのは新婦の幼馴染であり親友とのことです。私も新婦の親友を自負しているんですけど、思わぬライバルの登場に動揺が隠せません! あっ、ついでにそこの牧師役は新郎の親友を自負してるらしいですよ?」


「おいっ、彩っ! 余計なことは言わなくていいんだよ! 恥ずいだろうが!」


 楓さんと遥のやり取りに笑いが起きる。


「遥ってさ、本当に素直じゃないよね。俺はとっくに遥のこと親友だって思ってるけど?」


「うるせぇ! 涼まで彩の悪ノリにのっからなくていいんだよ! ったく……」


 なんて悪態をつきながら、満更でもなさそうな遥。たぶん本当にそう思ってくれてるのは俺の勘違いじゃない。


「それじゃ、しおりん! お願いね!」


「うん……!」


 栞が頷き、その相手──もちろん新崎さんなのだが──をしっかりと見据える。クラスメイトの真後ろ、そこが新崎さんのために用意されていた席だ。


「美紀っ! 私達、色々あったけどね、私は見ての通り今とっても幸せなの。だから、過去のことはもう忘れよ? 私ね、美紀にも幸せになってほしいの。それでね、この先も親友として仲良くしてほしいっ」


「しお、り……?」


 かすれた新崎さんの声が聞こえた気がした。


 栞は新崎さんと仲直りしてから、顔を合わせるのは今日が初めて。連絡は取り合っているようだが、お互いの試験やらで会う暇がなかったのだ。


 そしてこのブーケは栞から新崎さんの背を押すもの。俺と栞を見て彼氏がほしくなっちゃうなんて溢していた新崎さんの後押し。そして栞が今、トラウマを完全に克服して元気にやっていることの証明だ。


「いくよ、美紀! ちゃんと受け取ってね!」


 栞が二つ目のブーケを投げた。今度も狙いはほぼ正確。だが、距離の近かった先生の時とは違い、その『ほぼ』が思わぬ結果をもたらすことになる。


 ふわりと舞ったブーケがわずかに横に逸れたのだ。


「あっ……」


 栞がしまったという顔をした。


「……栞、狙ってやったわけじゃない、よね?」


「うん……」


 栞が放ったブーケは一応新崎さんの手には収まった。ただもう一人、一緒にブーケを掴んだ人物がいる。


「誰だ……。藤堂と新崎さんを隣の席にしたの……」


「うー…、私が狙いを外したから……」


 まさかこんな展開は予想していなかった。


 横に逸れたブーケは藤堂の前に飛んでいき、藤堂と新崎さんが二人で掴むという結果になった。そして、その二人の手が重なっているようにも見える。


 まるでそれが運命のように見つめ合う新崎さんと藤堂。


「まぁ、一応新崎さんの手に渡ったわけだし……?」


「そ、そうだね。後のことは……、私しーらないっと……!」


 やり直しを要求するのも無粋だし、やってしまったことを取り消すこともできない。なら受け入れるしかない。


「えーっと、思わぬハプニングがあったみたいですが……。ねぇ、これで終わりで、いいのかな?」


 楓さんも動揺しているらしく、言葉にキレがない。


「あー……、うん。いいんじゃ、ないか……? でもちょっと締まらねぇな。おい、お前ら。最後にもう一回くらい見せつけてけ!」


「いや、遥。見せつけてけって……」


「……いいの?」


 遥の言葉に栞の目が光った気がした。栞はコクリと頷き、じっと俺を見つめる。


 そして──


「涼っ、大好きっ!」


「ちょ、しお──んんっ……?」


 栞が俺の首に飛び付き、唇を奪っていった。


 ほら、言わんこっちゃない!

 せっかくいい子にしてたのに!


 いや、もちろん嬉しいけど!


「おーおー、熱いねぇ! で、涼からは何もなしか?」


「まったくもう……。わかったよ!」


 栞から一方的にキスされて、こんなことを言われて何もしないわけにもいかないだろうに。


 俺は首に抱きついたままの栞を抱き上げた。お姫様抱っこ、見せつけるのには最適だろ?


「わっ……! ちょっと涼?!」


「暴れないでよ、栞。落ちちゃうでしょ? ほら、俺もやられっぱなしじゃ悔しいからさ」


「えっと、その……、あぅ……」


 さすがの栞もいきなりの抱っこは恥ずかしいのか大人しくなった。


「おっ、さすが涼! わかってるじゃねぇか! それじゃそのまま退場だ。皆様、新郎新婦の退場です! 幸せなこの二人に今一度盛大な拍手を!」


 俺は栞を抱いたまま、栞は俺の首に抱きついたまま、会場を後にする。途中、新崎さんと藤堂のことが気になったが、今は栞だけを見つめて。


 これからも余所見なんて絶対にしないから、そう伝えるように。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 はい、というわけで涼君と栞さんの式はここまでです!


 途中のクラスメイトからの贈り物。歌のプレゼントだったわけですが、有名な曲なので知っている方も多いかと思います。


『you raise me up』

 作曲 R.Loveland

 作詞  B.Graham


(なんか間違っていたら、どなたかご指摘くださいませ……)


 一応歌詞を載せるのは控えましたが、この二人にお似合いかなって思って選びました。

 と思って色々と調べてみたら、結構結婚式で使われることが多いようですね!

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