第158話 結婚式2
栞を視界に捉えた俺は、たぶん間抜けな顔をしていたことだろう。栞と約束した、堂々とはおよそかけ離れていたはずだ。栞の姿はそんなことをすっかり忘れさせてしまうほどだった。
栞には今まで何度も見惚れてきたが、今回のは格が違う。純白のドレスは栞の清楚さをこれでもかと引き出し、そこにいつも以上にしっとり艶々な黒髪が映えている。
便宜上美しいという言葉を使ったが、とてもそれだけでは足りない。それ以上を持ち合わせていない俺の貧弱な語彙力を恨みたいところだ。
幸いだったのは、参列者の誰もが栞に目を奪われていて俺のことを見ていなかったことだろうか。皆、拍手をするのも忘れて、栞を目で追っていたからね。
栞は左手にブーケを持ち、右手で聡さんの腕を取りゆっくりと歩み寄ってくる。ヴェール越しでも、真っ直ぐに俺のことだけを見てくれているのがわかる。ようやく表情がわかるようになると、栞は俺にふわりと微笑みかけてくれた。
それがまたとんでもない破壊力を持って俺の心臓を暴れさせようとするが、どうにかぐっと堪える。緩みそうになる顔を引き締めておく。
だって、栞についてきた視線は、今は俺と栞両方に向けられているのだ。
俺の正面まで辿り着いた栞は、まだ口を開かない。代わりに声を発したのは聡さんだった。
「涼君」
聡さんは涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で耐えているようだった。
「栞を涼君に託す前にね、約束してほしいことがあるんだけど、聞いてくれるかな?」
「はい、なんでも言ってください」
聡さんにとっても大切な一人娘である栞を任されるのだから、約束でもなんでもどんとこいだ。
「私も文乃もね、栞を幸せにしてくれるのは涼君しかいないって思ってるんだ。だから、ここで栞の手を取ったら決して離さないって約束してほしい」
「もちろんです。絶対に離しませんよ」
即答だ。これは今朝、栞にも誓ったばかりだし、これからも揺らぐことはないって断言する。
「よかった。なら涼君、栞の手を」
差し出された栞の手を取ると、聡さんは満足気に頷いて文乃さんの隣の席へと下がっていった。
改めて栞と手を繋ぎなおすと、スルリと指が絡められる。栞はそっと俺に身を寄せ、少しだけ背伸びをして囁いた。
「涼、すっごく私のこと見てたね。口が半開きになってたよ? そんなに見惚れてくれたのかな?」
「そりゃ見惚れるよ。しょうがないじゃん、栞のその姿を見るのは初めてなんだしさ。正直、綺麗すぎてどこぞのお姫様かと思ったくらいだよ」
「お姫様なんて大袈裟だよぉ……。でも、涼にそう言ってもらえるのはすごく嬉しいっ。私もね、実はさっき涼のこと王子様みたいだなって思ってたんだよ?」
「それこそ大袈裟──」
「ごほんっ!」
俺達のコソコソ話を遥の小さな咳払いが遮った。
「あー。仲が良くて結構だけどな、そろそろ進めてもいいかな?」
俺と栞は目を見合わせてクスリと笑い、揃って遥の方を向く。空いてる方の手で「ごめん」とジェスチャーを送っておいた。
「では、まずはこの二人に誓約を問いたいと思います。新郎新婦は向かい合ってください」
本来であれば、ここで賛美歌を歌い、聖書の一節を朗読したりするらしいが、今回は省略すると聞かされている。
俺と栞は、遥の言葉に従って向かい合い、手を取り合った。
「新郎、涼。あなたは、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
何度だって誰にだって誓ってやるさ。栞の笑顔は俺が守るんだって決めているんだから。
「はい、誓います」
俺が迷いなく答えると、栞は嬉しそうに目を細めてくれた。
そして次は栞の番。
「新婦、栞。あなたは、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
その声には不安はない。俺のことを支えられないんじゃないかと悩んでいた栞はもうどこにもいなかった。
俺の幸せも栞によって支えられているのだと、本当に理解してくれているのだろう。
栞と見つめ合うと、何か言いたげにしていた。それが何かなんて手に取るようにわかる。だって俺も同じ気持ちなのだから。
「「ずっと一緒だよ」」
俺達の小さな声が重なった。タイミングまで完璧だ。あまりにピッタリだったので思わず笑ってしまった。
チラッと横を見ると、遥の呆れた顔があったけど今日くらいは大目に見てほしいと思う。俺達をこんな場所に引っ張り出したのだから、むしろこの程度で済んでいるのを感謝してほしいところだ。
遥は小さくため息をつき、式の進行を続ける。
「次に、指輪の交換を」
脇に控えていた楓さんが出てきて、俺達が預けておいた指輪ののった台座を遥に手渡し、栞からブーケを預かると再び下がっていった。
「まずは新郎から新婦へ」
俺が指輪を受け取ると、栞は左手を差し出す。俺はそれを左手で支えて。
相変わらずスベスベで綺麗な手。少しヒンヤリしていて、小さくて可愛らしい。いつ触れても幸せな気分にさせてくれる大好きな手だ。まぁ、手だけじゃなくて、栞のことは全部大好きなんだけど。
俺は右手に指輪を持ち、栞の左手薬指に指輪を通していく。しっかりと通し終わると、栞はうっとりとした目でそれを眺めてから、はにかむような笑顔を向けてくれる。
「次に新婦から新郎へ」
この指輪は栞からプレゼントされてから今まで指を通したことはない。ちゃんと言葉にして約束をしたわけではないけれど、初めて指を通すのはこの日がいいと思っていたんだ。
それが今、栞の手によってゆっくりとはめられていく。指の根元まで通し終わると、俺の指にピッタリフィットしていた。
前にサイズはどうしたのかと尋ねたら、「涼が寝坊助さんで良かったよ」と言って笑っていたので、俺が寝ている隙にどうにかして測ったのだろう。
この指輪をプレゼントしてもらった時に栞は仮だと言っていたが、もうこれが結婚指輪でもいいなと思ってしまう。
栞が改めて二人で選びたいと言うのならもちろんそれを尊重するつもりではいるけど、それくらいこの指輪は俺にとってとても大切なものなのだ。
大切にしすぎて、もらったその時から肌身離さずずっと首から下げていた。指輪に触れていると、栞と離れている時も栞の存在を近くに感じられるから。
指輪の交換が終わり、お互いの左手薬指におそろいの指輪があるのを見ると、本当に結婚したような気分になる。
実際には年齢的にまだ無理なのだけど、俺も栞も将来的にそうなることを疑っていない。そしてその覚悟を対外的に証明するのがこの後。
もう人前だからなんて理由で恥ずかしがったりはしない。それどころか、一度で抑えられるのかが心配なくらいだ。
「続いて、誓いのキスを。新郎は新婦のヴェールを上げ、永遠の愛を込めてキスを交わしてください」
俺達は再び向き合い、一歩ずつ近付く。顔にひっかけたりしないよう、丁寧にヴェールを取り払うと俺達を遮るものはなくなった。
今までヴェールに覆われていた栞の顔が露わになると、またその美しさに見惚れてしまう。
その中央で栞の大きな瞳が期待で揺れていた。早くと催促しているようにも見える。
「栞」
最愛の人の名前を呼んで、その頬に触れる。
「うん、涼。いつでもいいよ」
それに応えた栞はいつものように背伸びをしてくれる。片手をしっかりと繋ぎ、もう片方の手で栞の腰を抱く。栞の空いていた手は俺の肩にそえられた。
栞が瞼を閉じたら、それが合図。
そっと唇を重ね合わせる。
栞への溢れんばかりの愛を込めて。
長く──想いの分だけ。
しっかりと──見せつけるように。
参列者から歓声や拍手が起こっていたようだけど、そんなものは俺達の耳には届かない。
俺達は数秒の間、重ねた唇から湧き上がる幸福感を二人で分け合っていた。
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