第157話 結婚式1

 栞の着替えのために、司書室から図書室側へと追い出された俺はカウンターの内側で待機させられていた。


 カウンター内も控えスペースになるようにパーテションで区切られていて、ここからでは外の様子はわからない。本当に式が始まるまで会場がどうなっているのかすら見せてもらえないらしい。


 こうして一人ポツンと待っていると、栞との今までの思い出が次々と頭に浮かんでくる。


 今になって思えば、あっという間にここまで来た気がする。でも、本当に色んなことがあったんだ。


 栞とこの場所で初めて言葉を交わしたのが6月の上旬のこと。少しだけ口論になった後から栞と話をするのが放課後の日課になった。


 この頃から俺は栞に惹かれ始めていた。初めてできた気兼ねなく会話ができる相手だったってこともあるけれど、栞の言葉が俺を少しずつ変えてくれたから。


 一学期の期末試験の勉強を一緒にして、その途中で友達になったのが7月。試験の結果で賭けをして、お互いに名前で呼び合うようになって、最初はすごくドキドキした。


 友達になった直後に栞への好意を自覚して、まだ友達になったばかりなのにって自分に言い訳していたっけ。


 夏休みに入って、髪をバッサリ切ってきた栞がすごく可愛くて、驚いて見惚れた。花火大会では栞の悩みに触れて、その後一緒にその原因である新崎さんと向き合った。あの時の栞の姿は一生忘れることはないと思う。あの出来事が俺に一番影響を与えてくれたと言っても過言じゃないから。


 まさかその日の内に告白されるとは予想していなかったけど。恥ずかしくなった栞が逃げ出して、翌日にどうにか繋ぎ止めて、お互いの想いを伝え合って恋人同士になって。それが8月の頭のことだ。


 初めて好きになった人と恋人同士になれて、そこからはますます栞が好きになっていった。俺のような人間でも栞の心を救えたということが自信につながり、それが栞への好きを加速させたんだ。


 そして恋人としての初デート。そこで遥と楓さんに出会っていなかったら、今はどうなっていたんだろう。もしかしたらまだ二人でコソコソとしていたのかな。あの二人にはすごく助けらてるって思う。


 クラスの皆に受け入れてもらえたのも二人の助力があってこそだから。


 その次はお盆の期間。うちに泊まりにきた栞と二人きりで過ごした。一日目の夜に初めて身体を重ねて、栞が俺の大事な一部になった気がした。


 二日目に俺達が課題の手伝いをするために遥と楓さんがうちに来て、その時にあっさりと見抜かれたのは恥ずかしかったなぁ。それなのにその夜にもまた……。


 栞を迎えに来た文乃さんにもすぐにバレて、聡さんの勘違いで婚約者にまでなってしまったりして。


 その後、俺と栞と遥と楓さんの四人でプールへ遊びに行って、帰ってきてからの出来事は少しだけ苦い思い出になっている。


 でも、あのおかげで俺達はお互いを本当に必要としているんだって再認識できて、栞への想いも一段上のものに変わった。大好きなんて言葉じゃ足りなくて、栞を愛してるんだって。


 栞もそれは同じなようで、ここを境に栞からのスキンシップがより積極的になっていった。甘えるのも、キスも、えっちなことも、本当に遠慮がなくなった。俺の方も、真っ直ぐに求めてくれるのが嬉しくて、ついつい度が過ぎてしまうことも。


 そこからはもう、つい最近の記憶へと繋がっている。


 俺の誕生日を盛大に祝ってくれて泣かされて。

 新崎さんと完全に仲直りした栞は更に明るくなった。

 終いには藤堂なんて面倒くさい男を更生させてしまったほどだ。


 思い出せば思い出すほど、ただただ栞が愛おしくて、そんな栞とこんな日を迎えられたことがたまらなく幸せに思う。


 まだ本当に結婚するわけではないけれど、それでも生涯を共にすることをこれから誓い合う。皆が見ている、その前で。だから、栞の隣に立つに相応しい振る舞いをしなければ。


 俺が一人で決意を固めていると、パーテションの外から遥に声をかけられた。


「おーい、涼。涼の両親が来てっけど、通していいかー?」


「あ、うん。大丈夫」


 俺が返事をすると、「どうぞー」という遥の声がして、父さんと母さんが入ってきた。


「あら、涼。なかなかいい感じになってるじゃない。せっかく馬子にも衣装ねって言葉を用意してきたのに、無駄になっちゃったわね」


「おい……!」


 我が親ながら、息子の扱いが酷すぎるんじゃないか?


 せっかく栞が格好いいって褒めてくれたっていうのに。


「冗談よ、冗談。涼もいい顔をするようになったじゃない。ちょっと前からは考えられないくらいにね。ね、お父さん?」


「あぁ、そうだな。今の涼は父さんに似てなかなか男前だぞ」


 そう言った父さんは少し赤くなっていた。


「え……? あ、うん」


 父さんもこういう冗談を言うのか。普段必要なことしか言わないから知らなかった。


 というか、恥ずかしそうにするなら言わなきゃいいのに。


「それも全部栞ちゃんのおかげよねぇ。だからね、涼?」


 母さんが珍しく真面目な顔をした。


「ん?」


「栞ちゃんに幻滅されないようにちゃんとすること。それと、あんないい子滅多にいないんだから、しっかり捕まえておくのよ」


「そんなの言われなくてもわかってるよ。一番そう思ってるのは俺なんだから」


「そ。ならいいわ。それじゃ、もう少しで始まるみたいだし、私達は席に着いてるからね」


「ん、わかった」


 出ていく間際、母さんがグスッと鼻を鳴らした気がする。きっと栞と出会うまで、父さんにも母さんにも心配を掛けていたと思う。


 だから、今日は栞のおかげで変われた俺の姿もしっかり見せなきゃいけないんだ。


 先程固めた決意にそれを付け加えて、静かに目を閉じて心を落ち着ける。


 参列者を受け入れ始めたのか、ザワザワした空気か伝わってくるのを意識の外に追い出して。


 そして数分後。


「間もなく高原涼、黒羽栞の結婚式が始まります。参列される方は席次に従ってご着席ください。飛び入りの方は後方の空いている席をご利用ください」


 よく通る、楓さんの声でアナウンスが流れた。


 参加者が着席していく音がして、次第にざわめきが消えていく。


 完全に静まり返ったタイミングを見計らって、


「牧師(役)が入場されます。皆様ご起立ください」


 結婚式を執り行うのは神父か牧師か、なんていうことを語りだすと宗教的な話になってしまうので、この辺りは雰囲気だそうだ。


 参加者の中に敬虔なキリスト教徒がいないことを祈ろう。今日の本題はそこじゃないのだから。


 ちなみに俺達の式での牧師役は遥が務めてくれることになっている。ついでにざっくりとした流れはあらかじめ教えてもらっていて、俺の出番まではもう少しというところだ。


 ここからは進行役が遥へと移る。


「これより高原涼、黒羽栞の結婚式を執り行います。それでは新郎、ご入場ください」


 いよいよ始まった。


 俺は深呼吸を一つして目を開け立ち上がる。背筋を伸ばして、でも力まずに自然体で。


 たくさんの人に見られていることを思うと緊張してしまいそうなので、栞のことだけを頭に思い浮かべることにする。


 パーテションを出ると、通い慣れた図書室とは全くの別空間だった。


 足元には赤い絨毯で道ができていて、図書室の中央を通っている。その両側には参列者用の長椅子が設置されていて、その全ての席が埋まっていた。チラシを配った効果か、席が不足して後方で立ち見状態の人までいる。


 赤い絨毯の先には聖壇が置かれ、その前には遥が立っている。


 その向こう側、本来なら本棚が並んでいるのだが、それを隠すようにパネルが設置されていた。そのパネルも教会風のデザインになっていたりして、その大掛かりさには驚かされる。


 たぶんこれは陽滝さんの仕事なのだろう。高校生の文化祭に気合が入りすぎじゃないだろうか。でも、ここまでしてくれるとはありがたい話だ。


 その陽滝さんはカメラを構えて、あちこち移動ながら撮影をしてくれているらしい。


 俺の姿を確認した参列者から拍手が起こり、それに迎えられて歩を進めていく。俺はゆっくりと歩いて遥の前まで来ると後ろを振り返った。


 一番手前の席は親族用。俺のいる側には俺の両親、反対側には文乃さん、その横には継実さんもいる。


 母さんはなぜかすでに号泣していてギョッとした。まだ俺が入場しただけなのに。これじゃ先が思いやられるよ。


 文乃さんは笑顔で俺に手を振っていて、継実さんからは謎のサムズアップ。


 俺はひとまず文乃さんにだけ軽く頭を下げて挨拶をして、次に栞が入場してくるであろう方に目を向けた。


「続いて、新婦の入場。大切に育ててくれたお父様に手を引かれての入場です」


 遥の言葉とともに登場した栞に、初めて目にした栞のウェディングドレス姿に俺は全ての意識を奪われてしまうことになる。


 こんな感じかななんて予想はまるで役に立たなかった。そんな予想なんて栞はあっさりと超えてしまうんだ。


 ヴェールで顔を覆っているので、俺のいる場所からでは表情まではよくわからないが、純白のドレスに身を包んだ栞は並ぶもののないほどに美しかった。

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