第154話 文化祭デート3
体育館から校舎へと戻ってきた俺達は、三年生のクラスがやっていた喫茶店で早めの昼食を済ませた。
栞が、いつも通りに食べるとこの後に着るドレスがきつくなるかもと言うので、俺もそれに合わせて軽めにしておいた。この辺りの感覚は男の俺にはよくわからないが、色々と気を使わなければならない女性は大変なのだろう。
昼食の後はクラス展示をのんびりと回る。
準備期間中は文化祭らしいことがほとんどできなかったので、ここぞとばかりに思い出を記憶に刻み付けていく。栞と過ごす初めての文化祭を絶対に忘れたくないから。
結婚式の記憶だけは絶対に忘れなさそうだけれど、やっぱりそれだけじゃ物足りなくて。
将来こんなこともあったよねって話ができたらなぁなんて、そんなことを考えてしまうのもきっと結婚式を挙げることになったせいだと思う。
謎解き脱出ゲームを瞬殺した時の得意気な笑顔。
バルーンアートを教わりながらキリンを作り上げた時の子供っぽい笑顔。
射的で最後の一発でどうにか景品が取れてはしゃぐ笑顔。
思い出、なんて言いながら俺の心のアルバムに保存されていくのは栞の笑顔ばかりだった。たぶん俺のことは栞が覚えていてくれるので、きっとこれでいいのだ。
*
「後もうちょっとしか時間ないねぇ」
そう呟く栞は先程自分で作った風船のキリンを大事そうに抱えている。
「そうだね。いけてもう一箇所くらいかな?」
この後は自分達の出番のために身支度をしなくてはならない。男の俺はともかく、栞はメイクとヘアメイク、そしてドレスの着付けと時間がかかる。準備開始に指定された時間までは後30分ちょっとといったところだ。
俺達の式の後は先生へのサプライズが待っているし、それが終わればもう片付けが始まる時間になってしまうだろう。
というわけで、俺達の文化祭デートを締めくくるに相応しそうなものを探して歩いていると、
「そこの仲睦まじいお二人さん、ちょっと寄っていかないかい?」
そんな声がした。
「……俺達のことかな?」
「……さぁ」
周りを見てみても該当しそうなのは俺達だけ。一瞬無視したくなってしまったが、どうやら無理なようだ。それにこないだ、また声をかけてもいいかと言われて了承した手前、無視するのも可哀想な気がして渋々足を止めた。
「君達しかいないだろうが……」
そう呆れた声を漏らしたのは藤堂だった。
「ごめんね、藤堂君。なんか悪い客引きかと思っちゃったよ」
「で、藤堂は何してるのさ? もしかして締め出された?」
藤堂との一件はちゃんと片が付いたとはいえ、どうしても雑な扱いになってしまうのは仕方がないことだと思う。やったことを許しはしたが、まだ仲良くなったとは言えないのだし。
「君達は揃いも揃って……」
俺達の言葉に藤堂は苦い顔をするが、以前よりはどこかすっきりとしている気がする。
「今までのことを考えれば仕方がないからいいけどさ。で、俺が何をしてるのかって言うと、黒羽さんが正解だ」
藤堂が栞の呼び方を変えてきたことに驚いた。堅苦しさと面倒くささが抜けたかもしれない。
「……悪い客引き?」
「いや、悪いは余計だ……。普通にクラスの当番で客引きと受付をやってるんだよ。まぁ、なんだ。あれから言われたことを自分なりに考えて実践してみた結果、ってわけだな」
そう言って、藤堂は照れくさそうに笑った。
どの程度なのかはわからないが、仕事を任せてもらえるくらいには受け入れてもらえていると思ってよさそうだ。
そこには藤堂の頑張りもあるのだろうけれど、そのきっかけを与えたのは栞の言葉。やっぱり俺の彼女はすごい人だよ。
「だから言ったでしょ? やればできるじゃない」
その栞も藤堂の現状を知って嬉しそうだ。自分のお節介が実を結んだのだから当然だろう。
「本当にそうだった。ありがとう。それでなんだが、うちのクラスの展示、見ていってくれないか? 微力ながら俺も頑張ったから、その成果ってやつをさ。自慢じゃないが、完成度には自信があるんだ」
「って言ってるけど、どうする、涼?」
「俺は構わないよ。でも藤堂のクラスってなにを──」
俺が言いかけたところで、教室のドアがガラッと音を立てて開き、一人の男子生徒が出てきて藤堂へと声をかけた。
「おい、藤堂。そろそろ次の客来ないのか? もう皆待ちくたびれてるんだけど」
「おっと、すまない。今ちょうど捕まえたところだ。俺の大事な客人だから、丁重にもてなしてやってくれ」
「客人ってこの二人のことでいいのか?」
「あぁ、頼んだぞ」
「オッケー、任せとけ。それじゃ、二名様ごあんなーい!」
俺達が口を挟む余裕もなく、藤堂に背中を押されて教室の中へと押し込まれてしまった。
ドアが閉まると途端に光が失われた。きっと暗幕かなにかで窓を完全に塞いでいるのだろう。
「暗いので、足元にお気をつけてお進みください!」
俺達を案内した男子生徒はそれだけ言うとどこかへ姿を消してしまった。
「ね、ねぇ、涼? もしかしてこれって……」
「んー。さっき聞きそびれちゃったけど、たぶんお化け屋敷、なんじゃないかなぁ」
うちのクラスでボツになった企画だ。もしこっちが採用されていたら思いっきり被ってしまうところだった。
「お化け屋敷……」
栞がゴクリと喉を鳴らしたのが聞こえた。それに、俺の腕を掴む栞の身体が心なしか震えているような気が。
「もしかして、栞ってこういうの苦手だったりする?」
「……お化け、怖い」
栞が小声でポソリと呟いた。
まさか、こんなところで栞の苦手なものが判明するとは。
「どうする? 今なら戻れるかもしれないけど」
俺が尋ねると、弱々しいながら栞は首を横に振った。
「ううん。藤堂君があそこまで言うんだから、ちゃんと見ないと。本当はすごく嫌だけど……」
なんだかんだで藤堂のことを気にかけていた栞。きっとその結果を見届けたいと思っているのだろう。
「わかった。じゃあ行こうか。もしダメそうなら目を瞑っててもいいからね」
目を瞑ったら見れないわけだけど、途中で耐えられなくなるよりはマシだ。
それに俺は割とこういうのは平気だったりする。もちろん、突然何かが飛び出して来れば驚きはするけれど、特に怖いとは思わない。
それなら栞が苦手な部分を補うのが俺のすべきことだ。
そろそろ暗闇にも目が慣れてきたし、よく見れば所々ぼんやりと淡い光を放つ照明も設置されているようなので安全面も問題はないだろう。
「う、うん。ごめんね、涼」
「いいって。ほら、進むよ?」
いきなりキュッと目を瞑ってしまった栞に配慮してゆっくりと歩き出す。順路に沿って少し進むと、墓石を模した物が置いてあったりして、墓地をイメージして作られているのだとわかる。どこからか、ぴちゃんと不気味な水音までしていて雰囲気作りはバッチリのようだ。
これは藤堂が完成度が高いと言っていたのも頷ける。今回はそれが栞にとって仇となっているわけだが。
雰囲気を味わわせるためか、迷路のように作られたコースの最初の直線では、特に何も起こらなかった。
だが、一つ角を曲がったところで入場者を怖がらせるための第一の仕掛けが動いた。不意に頭上から俺達の目の前、というよりちょうど栞の顔の前に何かが降ってきたのだ。
「ひゃっ!」
短く悲鳴を上げた栞は、それで目を開いてしまったのだろう。
「っっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
降ってきた物を正面からしっかりと見てしまった栞は、更に声にならない悲鳴を上げて俺にしがみついた。
温かくて柔らかい栞の身体にこれ以上ないほどに密着されて、これも役得──なんて思ってる場合じゃない!
「栞! これ、作り物だから!」
俺達の前に降ってきたのは一つの生首。やけにリアルでおどろおどろしく作られてはいるが、それでも作り物には違いない。
「ほ、本当……? 本物のお化けじゃない……?」
「うん。よくできてるけど、これマネキンの頭だよ」
「そ、そっか。よかったぁ……」
本気で安堵しているところを見るに、本当にホラーが苦手なようだ。いや、別に疑っていたわけじゃないけれど。
今後、栞とテレビとか映画なんかを見る機会があったらホラーだけは絶対に避けようと思う。
「まだ始まったばっかりだけど、大丈夫?」
「う、うん。怖いけど、涼と一緒なら平気。たぶん、だけど……」
頼りない返事ではあるが、ここで立ち止まっていても出口には辿り着けない。俺は片腕に、ドクンドクンといつもより早い栞の心音を感じながら歩を進める。
そこからは最初の生首の仕掛けが、生易しいと感じるほどの仕掛けが俺達を出迎えた。
死角もない場所では、背後からヒタヒタと後をつけてくるような足音がするのに振り返っても何もいなかったり。
またあるところでは通路の両側から突然たくさんの腕が伸びてきて俺達を捕まえようとしてきたり。
更には突然光がフラッシュのように灯ったり。
そのどれもに栞は驚き怯え、俺にしがみついてきた。本気で怖がる栞には申し訳ないけれど、俺は可愛い栞の姿がたくさん見られたので嬉しかったりする。
「あっ、そろそろ出口みたいだよ」
やがて俺達の前にぼんやりと照らされた『出口』の文字が現れた。
「やっと……? もう、何も出ない……?」
「わかんないけど、もうちょっとだから頑張ろうね」
「うん……」
出口が近いことがわかると栞も少し気力を取り戻してくれた。それでもしっかりと俺にしがみついているのは変わらずだが。
そこからは特に何も起こることはなく、すんなりとゴールに辿り着けた。ただ、そこにはこんな文章が。
『お疲れ様でした。怖がってもらえたかな? ここまで辿り着けた勇気ある皆さんにプレゼントがあります。受付で受け取ってくださいね』
それを読んだ栞が首を傾げる。
「プレゼントって、何かな……?」
「なんだろうね」
「怖いものじゃないといいんだけど……」
「もしそうなら俺が受け取っておくよ」
これもきっと思い出の品の一つになるはずなので、捨ててしまうのはしのびない。栞が怖くてダメなら俺が保管しておけばいいだけの話だ。
「うん、ありがと。でも、それより早く外に出よ?」
「だね。それじゃ開けるよ」
ドアを開けると、明るさの差で目がチカチカする。たぶんそれは栞も同じで顔をしかめていた。
そんな俺達を出迎えたのはやはり藤堂だった。
「おっ、ようやく戻ってきたか。なかなか出てこないから途中でリタイアするんじゃないかと心配してたんだぞ」
「べ、別にあれくらい平気、だもん」
散々怖がって悲鳴を上げていた栞だけど、負けず嫌いなところもある。精一杯強がっている姿も可愛らしい。
「ふむ。ならこれはどう説明するのかな?」
藤堂が栞の前に突き出したのは一枚のポラロイド写真だった。そこにはギュッと目を閉じて俺にすがりつく栞が写っていた。ちなみに俺はフラッシュが眩しかったのかしかめ面をしていた。
「えっ……。いつの間にこんなの撮ったの……?」
「途中でフラッシュが光っただろ? その時さ。ついでに言えば、出口に書いてあったプレゼントというのがこれだな」
なるほど、光を演出の一部にしつつ記念品を用意するとは考えたものだ。俺は素直に感心してしまった。
「ちょ、ちょっとそれ渡してっ!」
「言われなくても最初からそのつもりだよ。しかし黒羽さんも可愛いところがあるじゃないか」
藤堂が差し出した写真を引ったくった栞は、それを隠すように胸に抱いた。
「う〜、悔しい……。なんか負けた気がする……」
「栞は苦手なのに頑張ってゴールしたんだから負けてないよ。それと藤堂、一つだけ訂正しておくよ」
「ん? 何をだ?」
「栞は可愛いところがあるんじゃなくて、全部可愛いから」
もちろん笑っている時が最高ではあるけれど、怖がっている時もなかなかのものだ。今は栞が隠してしまったが、写真に写っていた栞がその証明だ。
「もう、涼はまたそういうこと言うんだから──ってもしかして、それってさっきまでのも含めて言ってる、の?」
「そりゃもちろん」
「う〜……。お願いだから忘れてっ!」
「それは無理だよ。栞のことは全部覚えときたいからね」
「涼のばかぁ……。すぐそうやって私の逃げ道塞ぐのずるいよぉ……」
栞が俺の胸をポコポコ叩いてくるが、加減してくれているので全然痛くない。俺はしばらく栞にされるがままになっていた。
「うん、君達の仲が良いのはわかったから、そういうのは他所でやってくれないか? 通る人が全員見てるから、って言っても無駄なんだろうな……。なにせこの後──」
「あっ! 準備の時間!」
藤堂の言葉を遮って栞が叫んだ。
「そうだった。あんまりのんびりしてられないんだった」
慌てて時計を確認すると、約束の時間まで残り5分を切っていた。藤堂が『この後』と言わなければ遅刻していたところだ。
「栞、急ごう!」
「うんっ。藤堂君、私達行くから、約束忘れたらダメだからね!」
「わかってる。ちゃんとその時間は空けてあるって」
その言葉を聞いて俺達は駆け出した。人混みを縫うように、でもしっかり手だけは繋いで。
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