十七章 文化祭デート

第152話 文化祭デート1

 栞が早めに満足してくれたおかげで、いつもより一本早い電車に乗り学校へと向かった。


 校門には学校祭用にアーチが設置されていて、栞と身を寄せ合いながらそれをくぐる。今日は文化祭で一番盛り上がるであろう一般公開日ということで、その準備のためにたくさんの生徒が忙しなく動き回っていた。


「ねぇ、涼。今日は文化祭見て回れるかな?」


「さすがに今日は大丈夫だと思うよ。遥も昨日だけでいいって言ってたし」


 昨日の校内公開日、実は俺達は遥に仕事を申し付けられて、ずっとそれにかかり切りだったのだ。


 陽滝さん以下スタッフの方々とうちの男子達が協力して図書室にセットを設置してみたら、思っていた以上に参列者用のスペースが取れてしまったらしい。そこで急遽、見学者を募るチラシを作成して配ることにした、という経緯のようだ。


 そのための人員として当日までほぼ仕事のなかった俺と栞があてがわれた。俺達だけだと不安だということで楓さんも助っ人につけてくれて、三人がかりでどうにか用意されたチラシを配りきった。


 楓さんは上級生相手でも物怖じせずに突撃していったのはさすがとしか言いようがない。俺と栞だけだったら、きっといつまでたっても配りきれなかっただろう。


 いや、栞も男子生徒を中心にそれなりに受け取ってもらえていたっけ。その理由を思うとやや複雑な気分にはなるが、一々そんなことで気を揉んでいたらきりが無い。そんな魅力的な栞は俺を選んでくれているのだし、それに俺達の関係を広く見せつける機会はすぐそこまで来ているのだ。


「じゃあ今日は私達の出番までは一緒に回ろうね?」


「もちろん。ところで栞は見たいところってあるの?」


 俺達の出番は一番最後、連城先生へのサプライズがあるので厳密には最後から二番目だが、身支度のことを考えても時間はたくさんある。


 中学時代は一人ぼんやりと時間を潰していた俺は、こうして誰かと、それも何よりも特別な存在である栞との文化祭デートというイベントに心を躍らせていた。


「見たいところっていうか一つだけ約束があってね、紗月のところには行く予定だよ」


「橘さんのところ?」


「うん。ほら、こないだ茶道部で野点やるって話したでしょ? それにね、涼と一緒に遊びに来てねって言われてるんだよ」


「野点って俺あんまりよく知らないんだけどさ、茶道ってことは作法とかあるんだよね……?」


 橘さんは俺達の友人なわけで、何も知らない俺なんかがノコノコと出ていって恥をかかせたりしたらと想像すると、ちょっぴり心配になる。


「うーんとね、紗月は気軽にお茶を楽しんでもらえればいいからって言ってたよ」


「そっか。それなら一安心、かな?」


 ホッと息を吐くと、それを見た栞が笑った。


「ふふっ、涼は真面目だねぇ。そういうのが涼のいいところなんだけどねっ」


 たぶん俺の心配してたことなんて栞には丸っとお見通しなのだろう。照れくさいやら恥ずかしいやら。それを栞はいいところと言ってくれるのだから、きっと俺はこのままでいいのだろう。


 そんなわけで連城先生からの連絡事項を聞いた後、自由時間となった俺達は校内をのんびりと歩き回りつつ、栞が橘さんから聞いていた時間になると、野点の会場になっているという中庭へと足を向けた。


 そこはいつもの中庭とは随分と雰囲気が変わっていた。緋色の野点傘が立てられ、椅子にも緋毛氈(やっぱり不安になって途中で色々と調べていて知った)が掛けられて、茶道部員は着物に身を包んでいて、なんとも華やかだ。


 なのだが──


 その手前、向こう側からは死角になっているであろう場所にひっそりと一人の男子生徒が立っていた。


「ねぇ、あれって漣君じゃない?」


「だね。あんなところで何してるんだろ……」


 何をしてるも何も橘さんに視線を送ってるのだろうけど、その姿はあまりにも挙動不審というか、はっきり言ってしまうとストーカーっぽい。


「漣」


 俺が声をかけつつ肩に手を置くと、漣は飛び上がって驚いた。


「うわっ!! ……って高原か。と、当然黒羽さんもいるよね」


 言葉にはしないが、俺たちを見る漣の視線が羨ましそうだ。


「もちろん。今日はずっと涼と一緒に回るつもりだからね。で、漣君は紗月のところには行かないの?」


「いや、そうしたいけどさ。さっちゃん忙しそうだしさ、邪魔しちゃうかなって……」


「それなら俺達と一緒に行く? 栞が橘さんと約束してるみたいだしちょうど良くない?」


「うっ……。い、いや、いい。さっちゃんの当番は昼までらしいから、それまで適当に時間潰してるから。悪いけど、自由になったら連絡してって伝えといてくれる?」


「別にいいけど、それくらい自分で言えばいいのに」


「いいから、頼んだぞ!」


 漣はそう言い残してその場を去っていった。と思ったけど、また少し離れたところに身を潜めたのを俺は見逃さなかった。


 なんというか、面倒くさいやつだ。俺のことを羨ましがるくせに奥手というか。


「なんか紗月も大変だねぇ。漣君も彼氏なんだから普通に顔を出せばいいのにね」


「まったくだよ……」


 まぁ、とりあえずは漣のことは置いておくことにする。それよりも橘さんとの約束を果たさなければ。


「あっ! 二人共来てくれたんだね」


 俺達が近付いていくと橘さんはすぐに気がついてくれた。橘さんも他の部員同様に着物姿だ。控え目でお淑やかな雰囲気の橘さんには着物が良く似合っていた。もちろん栞の前なので口には出さないけども。


「顔出すって約束したからね。それにちゃんと涼も連れてきたよ」


「俺は栞のおまけみたいなものだけど、誘ってくれてありがとう」


 俺がそう言うと、橘さんは小さく首を横に振った。


「ううん、高原君もおまけなんかじゃないよ。今日はね、改めて二人にお礼がしたくって誘ったの」


「……お礼って?」


「お礼はお礼だよ。日頃の感謝っていうかね、私がかづくんと付き合えたのも二人のおかげだし、試験の前も勉強も教えてもらったりね。そういうの全部ひっくるめて、だよ」


「紗月も律儀だよね。私達そんな大したことしてないのに」


「いいのっ。私が勝手に感謝してるだけなんだから。というわけで、今日はこの私が精一杯おもてなしをさせて頂きます」


 橘さんは畏まって、恭しく頭を下げた。着物姿でそんなことをされると、ついこちらも雰囲気にのまれてしまう。気が付けば俺も栞と揃って頭を下げていた。


「そういうことなら、あんまり無下にしても悪いし。ね、涼?」


「そうだね。ここはありがたく受け取っておこうか」


 自分では大したことをしていないつもりでも、相手にとってはそうではないこともあるというのは栞との関係を深めていく間に知ったことだ。もちろん、感謝されているのなら、素直にお礼を受け取ったほうが双方気分良くいられるということも。


「そうしてくれると私も助かるよ。それじゃ準備するから少しだけ待っててね」


 それから橘さんは俺達の目の前でお茶を点ててくれた。真剣な眼差しでお茶を点てる姿はなかなか様になっていて、つい栞と二人で食い入るように見つめてしまう。


「お待たせしました」


 やがてそんな言葉と共に俺達の前に差し出されたのは、ふんわりと点てられた抹茶とお茶菓子。


「「おぉ……!」」


 お茶のことなんてさっぱりわからないくせに、俺と栞は感嘆の声を漏らしていた。


「お口に合えば良いんだけど……。えっとね、堅苦しいことは考えなくてもいいから、お茶と雰囲気を楽しんでもらえたら嬉しい、かな」


 一応一つだけと説明されたのは、お茶菓子を食べてからお茶を飲んでみてほしいということだけ。俺と栞は一度目を見合わせてから言われた通りにしてみると、


「あっ、美味い……」


 思わずそんな言葉が溢れた。


「本当だね。んー、何て言ったらいいんだろ。お菓子の甘さをお茶が洗い流していって、最後に香りが鼻に抜けてくっていうか」


 さすがは栞。俺が美味いで片付けてしまった感想を的確に表現してくれていた。


 苦みの中にも甘みを感じたりして、その複雑な味わいはとても美味しい。これまで抹茶を飲む機会がなかったのが悔やまれるほどだ。


 俺達の言葉で、緊張した面持ちだった橘さんが安堵に表情を緩めた。


「よかったぁ。私まだ先輩とか先生みたいに上手にできないから、ちょっと心配だったんだよね」


「これで? よくわかんないけど、私には十分に思えるけど……」


「ううん、私なんてまだまだ全然だから。でも二人にそう言ってもらえたからね、これからもっと頑張れそうだよ」


「ほぇ〜……。お茶って奥が深いんだねぇ……」


 実際そのために茶道というものが存在しているわけで、作法もだけど技術に関してもきっと一朝一夕で身につくものではないのだろう。


「そうなの。だから面白いんだけどね。私もっと上手にできるようになっておくから、来年もまた誘ってもいい?」


「そりゃもちろん。ね、栞?」


「うん。というか紗月、私達友達なんだからさ、そこは誘うね、でいいんだよ?」


 栞もなかなか言うようになった。もう過去に囚われていた栞は見る影もない。すっかり学校生活を楽しむ一人の普通の女の子だ。


 とっくに大丈夫なのは知っているけれど、こういう姿を見るたびに俺は嬉しくなる。


「あっ、そっか、そうだね。それじゃ改めて、来年も誘うから二人共一緒に来てね」


 俺達はそれに笑顔で頷いた。


 来年の約束をしてくれるということは、そこまで友達としての関係が続くということだ。もちろん来年までなんかじゃなく、ずっと続けばと思うけれど。



 お茶をご馳走になった後、一般のお客さんも増えてきたのでそろそろお暇することに。


「紗月、私達そろそろ行くね?」


「うん、二人共ありがとね」


「いや、今日お礼を言うのは俺達な気が……」


「だね。じゃあ私達からのお礼ってことで、紗月に一ついいこと教えてあげるね」


「いいこと?」


 そこで栞がニヤっと笑った。


「さっきね、向こうの方の陰から漣君が紗月のこと見てたよ」


「えっ……、かづくんが?!」


「うん。なんか紗月の邪魔しちゃいけないからって言ってたよ。多分だけど、まだいるんじゃないかなぁ」


「もうっ、栞ちゃん。それなら連れてきてくれたらよかったのに!」


 橘さんは他の部員に少しだけ離れることを告げると慌てて小走りで飛び出していってしまった。


「ってことで、私達は行こっか?」


 栞が俺の腕を取り立ち上がる。


「そうだね」


 漣と顔を合わせると余計なことを言われそうなので、俺達は来た方とは逆方向に向かうことに。最後に振り返ると、橘さんに捕まった漣の姿が見えた。


 漣も栞に感謝してもらいたいところだ。お節介かもしれないけど、これで漣も橘さんと過ごす時間が増えただろうから。


「さて、次はどこ行こっか?」


「俺は栞と一緒ならどこでもいいよ。まだまだ時間はあるしさ、ゆっくり回ろうよ」


「うんっ!」

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