第150話 栞の猛攻と旅の宿

 この日から俺達に放課後即時帰宅命令が出された。更に図書室には接近禁止だそうだ。


 どうやら、本当に本番まで会場も準備風景も見せてもらえないらしい。


 遥に少しくらい手伝いをと申し出ても『ダメだ』の一点張り。それどころか俺達は遥と楓さんに捕まって昇降口まで連れて行かれて、『当日まで楽しみにしておけよ』という言葉とともにそのまま外に放り出されてしまった。


 まぁ、元々そういう話だったわけだし、俺も一度それで了承していたのでこれ以上ゴネることもできず、大人しく帰路につくことになった。


 そして、帰宅すれば栞からの猛攻を受けることになる。


 学校でも割とグイグイくる栞だが、さすがに一定のラインを越えてくることはない。せいぜい抱きついてきたり、たまに膝に乗ってきたりするくらいなものだ。皆にノセられて一度だけキスしてしまったという特例はあるが。つまり栞は学校ではあれでも抑えているというか、我慢している。


 そしてここからは俺の予想になるが、その我慢していた分は消滅したりはせず、しっかりと栞の中に蓄積されていると思う。


 栞はそれを二人きりになったところで解放させる。俺が意図してか意図せずかに関わらず栞を喜ばせた分だけ、ストレートな愛情表現として俺に返ってくるのだ。


 さてさて、今日の栞は何を仕掛けてくるのやら。



 家へと辿り着き、母さんに一声かけて自室に戻ると、


「あっ、涼。ちょっとドアの外で待っててくれる?」


「ん? いいけど……」


 栞は俺を部屋の前に残し、一人で入っていった。


 あぁ、着替えかな?


 と思ったけど、数秒の後に中から栞に呼ばれた。


「涼、入ってきていいよー」


 ドアを開ければ鞄を下ろした栞が目の前にちょこんと立っていた。


「おかえり〜、涼」


「こういうのって玄関でやるもんじゃ……? それに栞も一緒に帰ってきたのに……」


「もー、ノリが悪いよ、涼。細かい事はいいからっ。ほら、おかえりっ!」


 ちょっぴり唇を尖らせて栞は両腕を広げた。こうされるともう反射的に身体が動いてしまう。


「う、うん、ただいま」


 ぎゅっと抱きしめれば幸せな気分になる。それから栞は背伸びをして、俺の首に腕を回してきた。


 キスをして、栞の髪を撫でて。見つめ合って、またキスをして。


 なんだかんだで俺も学校に行ってる間は我慢してたんだなって思い知らされる。栞に負けず劣らず、俺だって栞と触れ合うのは大好きなのだ。


 一度顔を離すと栞はふにゃりと微笑む。


「えへへ。私と一緒に暮らすことになったら、毎日こうやってお出迎えしてあげるからね」


「毎日栞が先に帰ってる前提なの?」


「あっ、そっか……。じゃあ私の方が遅かったら涼が同じようにしてくれる?」


「うん、もちろん」


 いずれ二人で一緒に暮らすことになるのは俺たちの中では決定事項でそこに疑問を抱くことはない。もはや早いか遅いかだけだ。


 栞を抱きしめたまま目を閉じて想像する。


 帰宅して、インターホンを鳴らすと栞が玄関を開けてくれるんだ。栞は今よりも少し大人びてて、それはたぶん俺も同じでさ。


 でも中身は今とそんなに変わってなくて、家に入ると栞は俺に飛びついてきて。それを俺が受け止めて、『おかえり』『ただいま』って今みたいにキスなんてしてさ。


 どれだけ歳をとっても、子供ができたりしてもそれは変わらなくって。お互いにずっと大好きで、大切で……。


 いいなぁ、そういうの。


 なんとなくだけど、栞のしたかったことがわかってきた。きっと、栞と一緒にいればずっとこんなふうに幸せが続いていくんだよって教えてくれてるんだ。


 わかってしまったら、また栞が愛おしくて、もっと触れたくて、またキスをしようと──


「ねぇ、涼?」


「えっ、なにっ?」


 あぁ……、タイミングが悪い。強引に黙らせてもいいんだけど、こうやって呼ばれるのも好きだし、言いたいことがあるならちゃんと聞いてあげたい。


 栞は俺の腕を引くとベッドに座らせる。栞自身も俺の隣に腰を下ろしてぴったりとくっついてくる。


「あのね、もうご飯の準備、しちゃう? それか、早いうちにお風呂済ませる? それとも、最初に私に、する?」


 栞がわざわざ俺の部屋の前であんなことをしたのはこれがやりたかったからかな?


 定番といえば定番すぎるセリフなんだけど。ずるいよね、栞は。俺がもっと栞に触れたいって思ってるタイミングを狙ってさ、しかも期待に満ちた瞳で見つめてくるんだから。


 そんなの答えなんて一つしかないじゃん?

 こんな栞を前にしたら自制なんてできるわけないじゃん?


「……栞にする」


「へへ……、涼のえっち」


「いや、栞のせい──」


「どっちのせいでもいーいのっ。えいっ!」


 もう本当に毎度のことなんだけどさ、今日も今日とて俺が押し倒されることになった。


 *


 というわけで、一息ついた俺達は余韻に浸りつつ、のんびりとしていた。床に座った俺の膝の上には当然のように栞がいる。後ろから抱きしめて、サラサラな髪に顔を埋めると、やっぱり好きだなぁって思う。


 そんな栞はブカブカな長袖のTシャツを着ている。襟ぐりはゆるゆるで無防備だし、袖は手の甲をほぼ覆ってしまっている。俺のだからサイズが大きいのは当然なんだけど。


 部屋着に着替えようとしたら栞に強奪されたんだ。たぶんジャケットを貸したので味を占めたんだと思う。


「昨日も思ったけど、やっぱり涼の服は大っきいねぇ」


「そりゃこれだけ体格差あったらねぇ」


「でもブカブカだけど、楽でいいかも。これからもたまに借りてもいい?」


「いいけど、そんなに気に入ったの?」


「うん。なんかね、涼にすっぽり包まれてるみたいなんだもん」


「……もしかして、俺、お役御免?!」


 今、文字通り栞を抱っこして包みこんでるというのに。服で満足されたら俺の立場が……。


「そんなわけないでしょ? 涼がいてこそなんだから。だからね、もっと強くぎゅってして」


 栞はくるりと向きを変えて、俺に抱きついてくる。栞は欲張りだ。でも、そんなところもやっぱり好きだったりする。


 俺からも抱きしめようとすると、栞のスマホが鳴った。今日は色々とタイミングの悪いことで。


「あっ、お母さんからだ。もう、せっかくの涼との時間を……」


 なんてぶつくさ言いながらもちゃんと電話に出るのが律儀だ。


「どうしたの、お母さん? ────えっ、うん、一緒にいるけど……。うん、わかった」


「文乃さん、なんだって?」


「なんか私達二人に話があるみたい。スピーカーにするね」


 栞がスマホを操作してスピーカーに切り替えると、文乃さんの声が聞こえてきた。


『二人共聞こえてるかしら?』


「はい、聞こえてます。こんにちは、文乃さん」


『はい、こんにちは。涼君、栞が迷惑かけてないかしら? ちゃんとお行儀よくしてる?』


「迷惑は全然ですよ。行儀よくしてるかは……」


 今の栞を見ると、これが行儀よくと言って良いものか悩んでしまう。


「涼、なんでそこで黙るの……?」


「だって、ねぇ?」


「……いじわる。そんなこと言うならもうずっと離れてるんだから」


 栞が腰を上げると、途端に膝の上が寂しくなる。


「あぁ、ごめんって。えっと文乃さん、ちゃんと栞は行儀よくしてますよ!」


 俺が慌てて取り繕うと、再び栞は膝の上に戻ってきてくれた。頬を抓られてしまったけれど、静かに抱き寄せるとすぐにやめてくれた。


『……仲良くはやってるみたいね。なら私から言うことはないわ』


「それでお母さん、何の用事だったの?」


『そうそう。あなた達、次の休みに旅行に行くって言ってたじゃない?』


 旅行の件は栞に話をした後、改めて聡さん文乃さんに行き先も含めて話をしてある。


『それでね、もう泊まるところは決まってるのかしら?』


「それは、まだ、ですね……」


 そう、栞の猛攻を受けて後回しになってしまっていたが、それも決めないといけないことだ。決して忘れていたわけではない。


『そう、よかったわ!』


「よかった、とは……?」


 まだ決まってなくていいことなんてなにもないと思うのだが。もしかして、やっぱりダメって言われるんじゃ、なんて俺の不安をよそに文乃さんは続ける。


『昨日の夜ね、お父さんと相談したのよ。せっかく栞の誕生日だし、私達からもプレゼント用意したいよねって。それでね、こっちで宿、手配しちゃった』


「「えっ?!」」


 むしろ逆の方向でびっくりした。

 手配しようと思う、じゃなくて、手配しちゃったって。


『あっ。もちろん栞へのプレゼントだから、お金のことは心配しなくていいわよ』


「そこは心配してないというか、むしろ申し訳ないというか……」


『いいのよ。涼君にはこないだそんな話をしたし、栞も今年だけの特別だからね?』


「う、うん。ちなみにお母さん……、どんな部屋にしたの……?」


『ふふっ、それは当日のお楽しみ……、って言いたいところだけど、後で栞に送っておくわね。たぶんだけど、二人共喜んでくれると思うわよ』


「なんかすいません。そこまでしていただいちゃって」


 資金援助をしてくれるとは言ってもらっていたが、あまり当てにしていなかったと言うと変だけど、元々は全部俺が出すつもりでいたのに。


『涼君が相手だから私達もここまでするんだからね、素直に受け取ってくれると嬉しいな?』


「……はい、ありがとうございます」


「ありがとう、お母さん」


『はーい、それじゃ話はこれだけよ。もしお部屋の詳細見て不満があったら遠慮なく言ってちょうだいね』


 文乃さんはそう言って電話を切ってしまった。


 その後に送られてきた宿の詳細を見て、俺は再度驚くことになる。俺が考えていたよりもはるかにランクが高い。しかも、部屋には露天風呂までついていた。


「涼っ! これなら二人でお風呂入れるねっ!」


 隣で一緒に見ていた栞は興奮気味だ。


「いいのかなぁ、これ……」


「えっ、ダメなの? 私と一緒じゃ、イヤ?」


「違うって。イヤなわけない、っていうか昨日も一緒に入ったでしょうが」


 もしイヤならその段階でイヤって言ってるよ?


「じゃあ、なんなの?」


「これを聡さんと文乃さんで手配してくれたってことはさ、聡さんも知ってるってことで……」


 聡さんには俺達のそういうところはなるべく伏せてきた。聡さんももう何も言わないかもしれないけど、まだ少し後ろめたい気持ちもあったりする。


「あー……。まぁ、そこはお母さんが上手くやってくれてると思うよ。だからね、私達は私達のしたいように、しよ?」


「そっか、そうだよね」


 別に当日だって監視されてるわけでも、逐一報告するわけでもない。それならあまり気にせず、目一杯楽しんだほうがいい。


「また楽しみなことが増えちゃったなぁ。もうすぐだけど、待ち遠しいね?」


 栞もこう言ってることだし、ね。

 俺は返事の代わりに強く栞を抱きしめた。




 そんなこんなで、文化祭までの間、栞の言うイチャイチャ強化期間は過ぎていった。もちろん、文乃さんからの電話でより一層栞の攻撃力が上がったのは言うまでもない。

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