第152話 ハート模様の愛妻弁当

 練習時間が終わると、俺と栞は校舎へと向かう人の波にこっそりと何食わぬ顔で合流した。その後も栞がなかなか解放してくれなくて、危うく更衣室まで連れて行かれるところだった。


 さすがに俺はそこまでついてはいけないからね……?


 栞は昨日から完全にブレーキを踏むことをやめてしまったらしい。そもそもブレーキなんて搭載しているのか疑問ではあるが。所構わずその大きすぎる俺への想いを真っ直ぐにぶつけてくれる。それ自体はとても嬉しいのだけれど、ここは学校なわけで、人目もある。


 教室で、クラスメイト全員の前でキスまで披露している俺達なので今更ではあるが、それでも照れくさい思いをすることもしばしば。


 何が言いたいかというと、つまりこういうことだ──


「はい、どーぞっ♡ 涼の分のお弁当だよっ」


 着替えを済ませた後は昼休み。いつもの面々との昼夜タイムだ。そこで先程話をしていた通り、栞は俺へと満面の笑みで弁当を差し出した。


 語尾にハートマークが付いている気がするくらいに栞の声が甘々になっている。しかも、肩が触れるどころかぐいっと押される勢いでくっついてくるし。


 余程さっきのが嬉しかったと見える。ご機嫌なのを隠す気はさらさらないらしい。俺はそんな栞にドギマギしながら弁当を受け取った。


「う、うん。ありがと、栞」


 この段階で既に言いたいことがありますという視線が四つも俺に突き刺さっていた。こういう時、まず先陣を切ってくるのはだいたい楓さんだ。


「ねぇねぇ、しおりん。もしかして、高原君のお弁当ってしおりんが作ったの?」


「そうだよ。皆が気分を盛り上げておけって言うからね、こういうのもいいかなーって」


「ほほぉ……? 黒羽さんが作ったってことは愛妻弁当か。相変わらず愛されてるなぁ、涼は」


 俺の左隣にぴったりと身を寄せて座る栞の反対側、右から遥が肘でつついてくる。


「……そう言われると思ったよ」


「ま、さすがにもうこの程度じゃ俺達もいつものことくらいにしか思わないけどな」


「ならなんでわざわざ口にしたのさ?!」


「その方が面白いからに決まってるだろ?」


「……左様で」


 まったく、意地の悪いことだ。こんなのも恒例になってはいるけれど、やっぱり照れくささが消えることはない。


「まぁまぁ。着替えたりしてたからいつもより時間が短くなっちゃったし、早く食べちゃおうよ。高原君も栞ちゃんの作ったお弁当、待ちきれないだろうし、ね?」


 橘さんのからかいともフォローともとれる言葉で、各々弁当の包みを開いていく。


 もちろん俺もそれに倣う。おかずについては昨日俺も栞と一緒に作ったので知っているが、栞が早起きまでして用意してくれたので、当然楽しみだ。


 そんな中でただ一人、栞だけはじっと動かずに期待に満ちた眼差しで俺を見ていた。気にはなったけれど、目の前の弁当の誘惑には抗えない。それに半分くらい栞とサボっていたとはいえ、少なからず身体を動かしたのでお腹も減っている。


 包みを丁寧に解いて、蓋をわずかに開けて中身が視界に入った瞬間、俺は慌てて再び蓋を元に戻した。


 いやいや、栞さん?

 もうすでに愛妻弁当なんて言われてるけどさ、これはちょっと……。


「あれっ? なんで閉めちゃうの?」


 栞はわかっていてこういうこと聞くんだから。


「ねぇ、栞? 朝に母さんとなにやらやってたのってさ、これのこと、だよね……?」


「えへへ、そうだよ。どうかな? 私の気持ち、伝わった?」


「それは十分すぎるほどなんだけどさ……。これってここで見せても、いいやつ?」


「ん? ダメな理由なんてある?」


「だって、母さんにいじられて照れてたんじゃ?」


 あの時の栞は真っ赤な顔をしていたし、てっきりどうせまた母さんにいじられて恥ずかしがっていたのだと思っていたのだが。


「あー、あれね。あの時はただ水希さんが涼にバラしちゃわないかって焦って必死だっただけだよ。涼にはね、自分の目で最初に見て欲しかったの」


「そ、そっか……」


 ということは、恥ずかしがっているのは俺だけのようだ。


「それにね、皆にもちゃんと示しとかなきゃでしょ? 涼は私の大好きで大切な人なんだよって」


「皆もう十分すぎるくらいわかってると思うけど……。まぁ、栞がそう言うなら」


 ここまで言われたのなら、しっかり受け止めてあげないといけないと思う。俺は覚悟を決めて弁当箱の蓋を取り去った。


「「「「おぉー!!」」」」


 俺と栞を除くその場の全員から歓声を受けながら現れたのは、彩り鮮やかな三色丼。肉そぼろの茶色、玉子そぼろの黄色、ほうれん草の緑が丁寧に盛り付けられている。


 ただ、センターを彩る卵そぼろは可愛らしくハート型になっていた。栞は俺への愛情をどストレートに表現してきたわけだ。


 これが俺が慌てて蓋を閉めた理由だった。


「さすが栞ちゃん、大胆だなぁ。私なら、恥ずかしくてここまでできないよ」


「別に恥ずかしいことなんて何もないよ。だって私、胸を張って涼のこと好きって言えるもん」


 そういえば栞はある時点から、いじられてもあまり照れなくなっていたっけ。あれはたぶん公開キスの後くらいからだろうか。照れなくなった代わりに、すごく幸せそうな顔をするんだ。


「だーってさ、高原。すっごく羨ましいけど文化祭までは許してやる。ほれ、こんな弁当を作ってくれた彼女に言うことがあるだろ?」


「なんで漣にそんなこと言われなきゃいけないのかわからないけど……。でも、ありがとう、栞。嬉しい、よ」


「えへへ、よかったぁ」


 ほらね、こんな状況なのに蕩けそうな顔しちゃってさ。俺は結構いっぱいいっぱいなのに。


 それでもこれだけで許してくれないのが俺の友人達。


「なんだよ涼、それだけか? もっと他にも言うことがあるだろ?」


 遥がニヤニヤしながら言う。


「そうだよ! しおりんもちゃんと聞きたいよねー?」


 楓さんも遥に便乗してくる。


「うん、聞きたい。お弁当頑張って作ったご褒美、ちょうだい?」


 遥と楓さんにのせられて、栞の瞳が期待に揺れた。


「あぁもう、わかったよ! 栞、俺も、その……、大好き、だよ?」


 照れくささが限界突破して、疑問形になってしまった。でも、気持ちだけは精一杯のせられたと思う。それはきっと栞にはちゃんと伝わっているはず。


 だって──


「うんっ、私も大好きっ!」


 他の人には見せたくないって思ってしまうくらい、幸せ全開の笑顔になってくれているから。


「さて、いいものが見れたところで飯食おうぜ。さすがにずっとこんなことしてたら昼休み終わっちまうからな」


「いや、皆がやらせたんだからね?!」


「どうせ涼だってまんざらでもないだろ? それより、こっちはいいから黒羽さんを見てやれよ」


「ん? 栞?」


 遥かに言われて振り返ると、俺へ向けて箸を構える栞がいた。


「お話はもういい? そろそろ食べてくれる?」


「あ、うん、ごめん」


「んーん、いいの。それじゃ、涼。あ〜ん、して?」


 ここまでくると予想通りというか、そろそろもう全部いいかなって思い始めてきた。どうせ数日後の結婚式ではまたキスを披露することになるわけで、こんなことで照れてなんていられないのだし。


 それに、栞は俺だけを真っ直ぐに見てくれている。


「ん、あ〜ん」


 口を開くと、玉子焼が放り込まれた。食べ慣れた母さんの作ったものとは違うけれど、ほんのり甘くて優しい味。栞が作ってくれたものの方が好みかもしれない。


「美味しいよ、栞」


 栞だけを視界におさめていれば、こんなことも素直に言える。


「口にあってよかったぁ。それじゃたくさん食べてね」


 それからも栞は甲斐甲斐しく食べさせてくれたのだが、生暖かい視線を感じる程度で冷やかしが飛んでくることはなかった。


 お返しにと俺からも食べさせてあげれば更に幸せそうな栞の顔が見れて。そっちの方が俺には重要なんだって気付かされる。


 栞のおかげで恥ずかしさや照れくささを乗り越えた、というより栞の前だとそんなことどうでもよくなってしまう。


 そうしてほぼ二人の世界に入り込んでいたのだが、


「こりゃ、ますます文化祭が楽しみになってきたな」


 そんな遥の呟きだけはしっかり耳に届いていた。


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