第150話 やる気にさせる方法

 ふわふわと楽しげに髪を揺らす栞に腕を引かれ、駅へと向かう。アラームが鳴っても栞からのキスの要求が止まらず、かなりギリギリの時間になって俺達は家を飛び出してきた。


 改札を抜けホームへ辿り着いて約30秒後、俺達が乗るべき電車がやってくる。あれだけ夢中でキスをしていたというのに栞の時間配分は完璧だった。一分単位以下まで計算され尽くされていて、さすがとしか言いようがない。


 ちなみにこれは今日に限った話ではなく毎日のことだ。おかげで俺の遅刻は皆無となっている。


「だって、遅刻は絶対ダメだけど、それでも時間いっぱいまで涼成分を補給しておきたいんだもん。一日を乗り切るためにはね、エネルギーがたくさんいるんだよ?」


 とは栞の言葉である。


 俺はガソリンか何かかな?


 なんて思ったりもするが、俺も栞から同じようにエネルギーをもらっているのでお互い様だったりする。


 そんなわけで、慌ただしくも幸せな朝は終わり、学校に到着すれば日常が始まる。


「おっはよー、諸君! 今日はいい天気だね!」


 昨日のことで連城先生が勘付いてないか心配だったが、この通りいつものテンションだったので多分大丈夫だろう。


「今日の3・4限目は通常授業じゃなくて体育祭の合同練習になってるから、着替えてグラウンド集合よ! 遅れちゃダメだからね!」


 連絡事項の最後に先生はそう言って、教室を後にした。日常が始まるとは言ったが、こういうところでも学校祭が近付いていることを感じる。この時期、日常と非日常が混じり合う、なんともいえない空気感がある。去年までは憂鬱で仕方がなかったのに、環境が変わった今ではワクワクしてしまう。


 これももちろん栞がいてくれるおかげだ。あの日、栞が声をかけてくれたことで俺の鬱屈した生活が変わり始めた。色々あったし、振り回されることも多いけれど、本当に栞は最高の彼女だと思う。


 *


「それじゃ涼。私達は更衣室だから、また後でね」


「うん、グラウンドでね」


 2限目が終わると女子達は着替えのために教室を出ていく。去り際に俺の手を軽く握っていくのが栞の可愛いところだ。ついつい頬が緩むのを止められない。


 残された俺を含む男子達が着替える場所は教室。本来、男子更衣室もあるのだが、全校一斉に着替えをするので今日は女子用の更衣室と化している。おかけで男子は使うことができない。若干の理不尽さを感じるが、女子達に教室で着替えをさせるわけにもいかないので、これは仕方のない処置なのだろう。


「おい、涼。いつまでもニヤけてないで俺達もさっさと着替えて行こうぜ」


「あ、うん。ごめん」


 遥の言葉で俺達も手早くジャージに着替えてグラウンドへ出る。すでに半分くらいの生徒が準備を済ませているようで、なんとなくクラス毎っぽく分かれてガヤガヤとしていた。


 これから始まる全校での練習は、これが最初で最後だったはずだ。個別に練習がしたければ各自でお好きにどうぞ、というのが我が校のスタイルらしい。


 実は二人三脚に参加を決めている俺と栞は、まだ一度も練習をしていなかったりする。体育祭のことを忘れているわけではないが、どうしても文化祭の方ばかりに目が行きがちで疎かになっていた。


「涼、お待たせっ!」


「うわっ……、って栞かぁ」


 遥と漣と三人で話をしていると(さっきニヤけてたのをイジられていた)、後ろから栞に抱きつかれた。


「はーるかっ!! とりゃっ!」


「ぐぇっ……。彩、お前勢いつけす──んぐっ! く、首っ。首っ、締まってるっ……!」



「か〜づくんっ?」


「さ、さっちゃん……! 急にくっついてきたらビックリするでしょ?!」


 横を見れば遥には楓さんが栞以上の勢いで、漣には橘さんが控えめに同じようなことをしていた。揃いも揃って彼氏に奇襲をしかけるのがお好きな彼女達だこと。


 この女子三人組、最近よく一緒にいるせいで行動が似てきている、というより、栞に感化されているのかも?


「栞かぁって、私じゃご不満?」


「違う違う。ちょっと驚いただけだから。待ってたよ、栞」


「えへへ〜」


 振り向くと俺と同様にジャージに着替え、満面の笑みを浮かべる栞がいた。今更だが、栞のジャージ姿を見るのは貴重なことだったりする。体育の授業は選択制。付き合い始める前にそれぞれ別のを選択してしまっていたので、必然的に体育の時間は栞と離れ離れになってしまうのだ。


 ダサいことに定評のある1年生の学年カラーである緑色のジャージ。それも栞が着れば可憐に見えてしまうのだから、俺がどれだけ栞を好きなのかがわかるというものだ。


「ねぇ、涼?」


 そんなことを考えながらじっと栞を見つめていると、柔らかく声をかけられた。


「ん、なに?」


「二人三脚の練習、頑張ろうねっ!」


「……もしかして栞、結構ガチで勝ちにいくつもりだったりする?」


「そりゃもちろんだよ! 涼と一緒に出るんだもん。それなら絶対トップでゴールしたいじゃない?」


「……そっか」


 俺としては栞と一緒に楽しめればそれでいいかなと思っていたのだけど、どうやら栞は違うらしい。可愛らしく握り拳まで作って気合十分といった様子だった。


 思い返せば、栞は負けず嫌いな一面をちょくちょく出していた気が。意外と勝負事には燃えるタイプなのかもしれない。


「あれ? もしかして涼はそんなにやる気なかった? やる気出るようにした方がいい?」


「やる気が出るようにって、どうするの?」


 俺が尋ねると、栞はちょっと意地悪な顔でニンマリと笑った。


「ふふ、それはひとまず置いておこっか。ところで涼は今日ちゃんとお弁当持ってきたのかな?」


「そりゃいつも通りに……、って、あれ……?」


「いつも通りに、どうしたの?」


 急な話題転換に戸惑いつつも、朝起きてから家を出るまでの記憶を精査してみる。


 笑顔の栞に起こしてもらってキスをして、身支度と朝食を済ませた後は唇のケアと称してキスをして。家を出るギリギリまで栞を膝に乗せて抱きしめてキスをしていた。


 ……ほぼ栞とキスしてる記憶で埋め尽くされていた。


 つまりは──


「鞄に入れた記憶が、ない……? 忘れてきた……?」


 せっかく栞が早起きして用意してくれたはずなのに、俺はなんということをしてしまったのか。いっそ今からこっそり取りに帰るか……?


 俺が一人動揺していると、栞は呆れた声を漏らした。


「もうっ。本当にしょうがない人なんだから、涼は。ちゃんと私が一緒に持ってきてあげたよ」


「本当っ? ごめん、栞。ありがとう」


 こういう時、栞がしっかり者で本当に助か──


「なーんてね。そもそも今日はお昼まで涼に渡すつもりなかったから、私がこっそり二人分持ってきただけなんだけどね」


「へっ? ってことは、意図的に俺に忘れたと思わせようとしてたってこと?」


「それはたまたまっていうかね……。涼ってば、私が言うまで全然気が付かないんだもん、少し意地悪したくなっただけだよ」


「あー……、なんかごめんね?」


 そりゃあれだけ頭の中を栞一色にされたら忘れるのもしょうがないというか。もちろん栞の用意してくれた弁当も大事だけど、栞本人があそこまでグイグイくるんだもの。


「とにかくね、涼の分のお弁当は今私の手の中にあるの。この意味がわかるかな?」


 ……なるほど?


「つまり、弁当はご褒美代わりってこと? むしろ頑張らないと昼飯抜き……?」


 恐る恐る確認すると、栞の頬はみるみる膨らみ、俺の頬は栞の手でびよーんと引き伸ばされた。


「私が涼にそんな酷いことするわけないでしょ。心外だよ?」


れ……? てっきりしょうひそういう流れかと……」


 だって栞の顔が弁当を人質に取っているようにしか見えな──


「涼のバカ……。涼のために早起きして用意したんだもん、ちゃんと食べてくれなきゃ、ヤっ……」


 くっ……、可愛いっ……。

 なんでこう、栞は一々俺のツボを刺激してくるんだ……!

 可愛すぎて、すぐに謝らずにはいられない。


「ごめんごめん。本気で栞がそんなことするなんて思ってないから、ね?」


「本当……?」


「もちろん。栞はいつも優しいからそんなことしないもんね」


「へへ、わかってるならいいんだよ」


 ひとまずお許しを得ることに成功した。栞が優しいのは本当だし、しっかり反省して謝ればすぐ許してくれるのだ。


「うん、ありがとう。でもさ、弁当がご褒美じゃないなら、どういうことなの?」


 結局俺は最後まで栞の意図を汲み取ることができなかった。


「それはね。お弁当を『はい、ど〜ぞっ』って渡されるのと、『もう、しょうがないなぁ』って渋々渡されるの、涼はどっちがいい?」


 そんなの考えるまでもなく俺の答えは決まっていた。


「それはもちろん──一緒に頑張ろうね、栞」


「うんっ! それでこそ私の好きな涼だよ」


 こんな感じでうまく話がまとまったわけだが、実際のところは栞がやる気を見せた段階で、俺も頑張る覚悟を決めていたりする。ただ栞がどうやって俺のやる気を引き出してくれるのか気になっていただけなのだ。


「おーい、二人共! バカやってないで早く来いよ。集合だってよー!」


 再び栞が抱きついてきたところで、少し離れたところから遥が俺達を呼ぶ。話をしているうちに時間がきていたようだ。


「栞、俺達も行こっか」


「そうだねっ」


 俺達は脚を結んでいるわけでもないのに、まるで二人三脚のスタートのように揃って足を踏み出した。

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