第142話 小さな思い

 ◇連城茜◇


 私は連城茜、32歳。既婚、子供はなし。職業は高校教師、担当は現代文。


 そんな私は今、おかしな状況に置かれている。


 高原君と黒羽さんと一緒に、文化祭で私のクラスがお世話になっている方に挨拶に伺っただけのはずなのに。


 …………。


 ねぇ、なんでこんなことになってるの?!

 お願いだから誰か説明してちょうだい!


 おっと、ダメダメ、取り乱しちゃ。ちょっと一旦冷静になって、順を追って思い出してみましょうか。


 *


 教室で文化祭の準備を見守っていた私に声をかけてきたのは、私が担任をつとめるクラスで随一のバカップル──もとい仲良しカップルの高原君と黒羽さん。


 この二人は本当にすごく変わったと思う。


 他人というものを完全に拒絶していた黒羽さん。

 いつも自信なさげに背中を丸めていた高原君。


 二人共、いつも一人でポツンとしていたのが嘘のように、今ではクラスの中心に近いところで幸せ全開の笑顔を振りまいている。当然、クラス全体にいい影響も与えていたりするけれど、とりあえずそれは今は置いておこう。


 二人の馴れ初めは既にクラスの全員が知っている。夏休みの登校日に誰かわからないほど変わっていた二人から、私が無理矢理に聞き出したから。


 お互いに寄り添い、共にあることでそれぞれが自分の弱さを乗り越えたという話には思わず胸を打たれた。


 なるほど、それならこの仲の良さも頷ける。お互いがお互いを必要とし、信頼し合い、支え合っている。その姿はとても美しいものだと思う。


 それにしてもイチャイチャしすぎな気はするけれど。


 ここへ来る途中だって──


「先生、すいません。お待たせしちゃいましたか?」


「ううん、私も今さっき来たところだから。って、またあなた達はそんなにくっついて……」


 待ち合わせ場所にしていた正門で待っていた私の前に現れたのは、仲良く身を寄せ合い一つの傘におさまる二人だった。


「私、今日傘を忘れてしまって……。涼に一緒に入れてもらってるんです」


 言い訳のように言う黒羽さんだけど、どう見てもその顔はデレデレに緩んでいる。私はついつい、またやってるわって目で見てしまう。


 しかも黒羽さんはサイズが大きくブカブカのジャケットを羽織っている。雨に濡れないようにと、高原君が貸してあげたんだと思う。だって、高原君はさっきまで着ていたはずのジャケットを着ていないから。


「ま、まぁ、いいわ。とりあえず行きましょうか?」


「はい、案内するんでついてきてくださいね」


 私の前に立って歩く二人、高原君は黒羽さんが濡れないように歩くペースを常に気にしているように見える。


 自分が冷えるのも厭わずジャケットを貸して、歩くペースにまで気を使って。高原君が黒羽さんのことをすごく大事にしてるんだって、これだけでわかってしまう。だから黒羽さんも嬉しくなって、そこまでしなくても傘からはみ出さないのにってくらい高原君にくっついて。


 きっと、この二人にはこれが当たり前のことなんだろうな。


 私だって結婚して5年、夫婦仲は今でも良好、休みの日には旦那である真守まもる、まーくんと二人で出かけることもある。でも、さすがにここまでベタベタはできない。


 教師という職業柄、外ではそういう姿はなるべく見せないようにしているのだ。生徒とかその保護者に見られるのはあまりよろしくないから。どんなことがクレームに繋がるかわからないこのご時世、色々と気を使う。


 だから、正直に言うと私はこの二人が羨ましいって思う。羨ましい反面、この二人にはずっとこのままでいてほしいと願う気持ちもある。


 だって、この二人はもうすぐ疑似とはいえ結婚式まで挙げるのだ。柊木君の提案ではあるけれど、最近ではこの二人も楽しみにしているのが伝わってくる。それはこの歳で一生を共にしたいと思うほど、お互いを想い合っているってことだから。


 私だって結婚はしているけど結婚式を挙げていないのにと、また羨ましくなったりして。


 でも、それに関してはもう仕方がなかったことだと納得している、つもりだ。結婚した直後に旦那が転職して多忙になってしまった。最初の頃はいつかしようねと言っていたのに、そのうち私も担任を持つようになって、それどころではなくなって。今ではすっかり諦めてしまった。


 幸いなことに仕事は楽しいし、生徒達は可愛い。現状に不満はない。なら結婚式くらいと、私は自分の小さな思いを再び胸の奥へとしまい込むのだった。


「先生、着きましたよ」


 二人の姿を眺めて物思いに耽っているうちに目的地に到着していたようだ。少し余計なことを考えてしまっていたけれど、ここからは大人としてきちんとした対応を──


「あっ、あなたがこの子達の先生ですか?」


 入店して早々に一人の女性が駆け寄ってきて、いつの間にか私は両手をがっちり握られていた。


「え、あ、はい。高原君、黒羽さん達のクラスの担任をしている連城茜といいます。すいません、なんか随分とご無理を聞いてもらっているみたいで。お仕事もお忙しいでしょうに……」


 動揺しながらも、どうにか用意していた言葉を絞り出した。


「いえいえ、いいんですよ。私達も楽しんでますから。私は森住もりずみ継実、そっちが主人の陽滝です。先生、お会いできて嬉しいです!」


 私の手を掴んでブンブンと上下に振る森住さん。カラカラと笑う顔を見て、学校を出てくる前の黒羽さんの言葉を思い出した。挨拶が遅れたことを心配していた私に『そんな堅いこと気にする人じゃないですよ』と言っていた。


 この様子を見るに、確かにその言葉は本当だったらしい。それどころか大歓迎を受けているような気さえする。


「それで、先生?」


「は、はい。なんでしょう?」


「この子達に聞いたんですけど、先生は結婚式挙げてらっしゃらないんですよね?」


「えぇ、色々とタイミングが悪かったもので、残念ながら」


 胸にチクリと小さな痛みを感じながら答えると、森住さんはニカッと笑う。


「じゃあ、せっかくお越しいただいたんで先生もドレスの試着でもしてみませんか?」


「いやいや、そんな。今日はご挨拶に伺っただけですので……」


 興味がないわけではないけど、協力してもらっているだけでありがたいのに、そんな申し訳ないことをしてもらうわけには──


「いいじゃないですか! ほらほら、こんな機会滅多にないですよ!」


「先生、継実さんもこう言ってくれてることだし、着てみましょうよ!」


 いつの間にか背後に回っていた黒羽さんにグイグイと背中を押される。


 この子、こんなに強引だったっけ……?


 正面からは森住さんに手を引かれて、あれよあれよとなすすべもなく奥へと連れて行かれてしまった。


 そして現在──


「先生、すっごく綺麗!」


「とってもお似合いですよ!」


 強制的にウェディングドレスへと着替えさせられた私は、黒羽さんと森住さんにベタ褒めされていた。


 ここに至るまでの経緯を思い返してみたけれど、どうしてこうなっているのかまるで意味がわからない。


「先生、こっちのはどうですか?」


 黒羽さんは次のドレスを持って勧めてくるし、


「せっかくだから、髪もセットしちゃいましょうね」


 美容師だという森住さんは髪までいじり始めて。戸惑う私を他所に二人はどんどんと盛り上がっていく。


 何着も試着をさせられて、髪型も何回も変えられて、ようやく満足のいくできになったようで、


「ふわぁ……。先生、可愛いです……!」


「うんうん、我ながら完璧な仕上がりだわ」


 鏡に映った自分を見て驚く。


「これが、私……?」


 かつて望みながらも、ついぞ見ることが叶わなかった私の姿がそこにあった。少しだけ、心が満たされたような気がした。


 ……もしかして、黒羽さんはこのために私をここに連れてきたんじゃ?


 目が合うと、黒羽さんはニッコリ微笑んでくれる。私よりあなたの方が可愛いわよ、と言いたくなるほどの笑顔。全く邪気のないその顔を見ていると、私の予想が間違っていないように思える。


 私は良い生徒に恵まれている。こればかりは運の要素が強い。私は本当に幸運だ。


 でも、どうせならまーくんにも見てもらいたかったなぁ……。


 じんわりとこみ上げてくる嬉しさの中で、その一つだけが心残りだった。

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