十六章 学校祭準備期間

第141話 初めての相合傘

 放課後になると学校全体が賑やかになる。今週末に文化祭と体育祭合わせての学校祭が行われるので、その準備が本格化してきている。


 当然、我らが1年5組も例外ではない。とは言ったものの、会場となる図書室にセットを設営するのは、陽滝さんと継実さん、さらにその従業員の皆さんが前日に現地入りして俺達と一緒に行うことになっているので、他のクラスに比べたらどこかのんびりムード。


 今教室内では、飾りつけに使う小物の作成が行われている。何をどれだけ作るのかは俺には知らされていないが。


 あとは参加してくれるカップルの担当達がSHRが終わるとともに教室を出ていったので、おそらく段取りの打ち合わせなんかをしに行ったのだろう。


 皆が各々の役目を果たしている間、俺と栞もサボっているわけではない。俺達には俺達の仕事があるのだ。たった一つだけだけど。


 その仕事を済ませたら、後は当日まで二人でイチャイチャして気分を盛り上げておけ、という命を遥と楓さんから受けていたりする。


 俺達だけ楽をしすぎな気もするが、俺達のためにというのがそもそもの企画の目的だからと言われたら素直に従う他なかったのだ。


 というわけで、その一つだけの仕事、さっさと片付けてしまおうか。


 俺と栞は連れ立って、教室の隅で椅子に座って作業を見守っている連城先生を呼びに行く。


「先生、ちょっといいですか?」


「ん? どうかしたの?」


「俺達、これから陽滝さんのスタジオに行くんですけど、先生も一緒に行きませんか?」


 俺達が陽滝さんに会いに行く表向きの目的は、陽滝さん達が学校に入るための入校証を届けることだ。入校証は先程遥から受け取って、今は栞の鞄の中に入っている。


 表向きとは言ったが、この目的も重要だ。入校証がなければ学校関係者ではない陽滝さん達は門前払いを受けてしまう。


 でも、一番大事な目的は別にある。それが先生を一緒に連れて行くこと。これは俺達と遥、楓さんが密かに進めている計画を実行に移すためには絶対に必要になる。


「陽滝さんって、うちのクラスに協力してくれてる黒羽さんの知り合いの方、だったわよね?」


「そうです」


「それで私達、一度先生にも挨拶をしたいから連れてきてほしいって言われてて」


 栞が予め用意していた口実を口にすると、連城先生はハッとした顔になる。


「あっ、それもそうね。私としたことがうっかりしていたわ……。だいぶ無理を聞いてもらってるらしいものね。むしろこちらからご挨拶に伺わなきゃいけないところだったのに……。今からでも失礼じゃないかしら……?」


 ノリと勢いだけで生きていそうな先生だが、さすがは大人といったところだろうか。ちゃんとするところはちゃんとしているらしい。おかげで思惑通りに事が進みそうだ。


「大丈夫ですよ。そんな堅いことを気にする人達じゃないですから」


「黒羽さんは自分の知り合いだからそう言えるのよ。ちょっと待ってて、すぐに支度をしてくるから。そうね……、15分後くらいに正門集合でいいかしら?」


「はい、先に行って待ってますね」


「急がなくてもいいわよ。雨も降ってるし、冷えるといけないからゆっくり来なさい」


 先生はそれだけ言うとパタパタと教室を出ていった。


「えっ、雨……?」


 栞はそう呟いて、窓の外へ視線を向けた。俺もそれに倣うと、割りと激しめに雨が降っていた。


「あー、そういえば午後から降るって言ってたっけ?」


「そうなの?!」 


「うん。昨日の夜に見た天気予報でだけどね」


「うー……、そっかぁ……。私全然気にしてなくて、傘忘れてきちゃったよぉ……」


「大丈夫だよ。俺、いつも鞄に折り畳みのを入れてるから一緒に使お。でも、栞がそんなうっかりをやらかすなんて珍しいね」


 栞のきちんとした性格は今更言うまでもない。身嗜みは整っているし、授業態度も真面目、絶対に遅刻はしないし、忘れ物なんてしたことがない。


 そんな栞が傘を忘れてくるなんて、余程のことがなければ……。


 ……!


 もしかして、藤堂にクッキーを渡すのに緊張してたから、とか……?


 そうだったらなんかイヤだなぁなんて思っていると、栞は俺の顔を見て唇を尖らせた。


「涼のせいだよ? 涼に旅行の話をされてから興奮して、夜なかなか眠れないんだもん。それで起きるのがちょーっと遅くなって、天気も確認せずに急いで飛び出してきたんだから……」


 ……どうやら俺が原因だったらしい。


 なら安心、というかすごく嬉しい。


「そんなに楽しみにしてくれてるんだ?」


「当たり前でしょっ。涼と初めての旅行だし、そのうえ二人きりでなんだよ? そんなの楽しみ以外にないよ」


「そっか。そう言ってくれると俺も悩んだ甲斐があるってもんだよ」


「うんっ。ありがとね、涼」


 尖っていた唇はあっさりと引っ込み、栞はふわりと微笑むと俺の肩にコテンと頭を預けてくる。自然と俺も栞の肩を抱き寄せて──


「お〜いっ、お前らっ! 仕事が終わったらイチャイチャしてろとは言ったけど、ここでしろとは言ってねーぞ!」


 二人で話をしていると、ついつい周りが見えなくなるのが俺達の悪い癖というか……。


 遥に怒られて、他の皆からもニヤついた視線を向けられるのだった。


「あはは……、ごめん。つい……」


「いーじゃない、遥。二人が仲良ししてると私は嬉しいよ! なんなら私達も……、えいっ!」


「ちょっ、彩っ! やめろって! 学校で抱きつくな!」


「いーやっ! うるさい遥なんてこうしてやるんだから!」


「やめっ──、むぐぅっ……!」


 と、こんな感じで俺達につられてワチャワチャし始めるのも最近ではよくあることになりつつある。カップルの多いうちのクラスならではの光景だ。


 独り身の人には申し訳ない気持ちでいっぱいだけど……。


 ほら、そこにも悔しそうにうずくまる男子が一人──


「って、漣……? なにしてるの……?」


 俺達から一番近い場所で悔しそうにしていたのは、なぜか漣だった。漣は恨めしそうな目で俺を見ると、ポツリと呟く。


「……いつも高原達ばっかりイチャイチャしててずるい」


「いや、漣には橘さんが……、って橘さんは?」


 最近では基本的に二人セットでいることの多い漣と橘さんだが、今は橘さんの姿が見えない。


「さっちんなら部活に行ったよー!」


 漣の代わりに返事をしてくれたのは、遥の頭を胸に抱きしめて黙らせて、ご満悦の表情の楓さんだった。


 遥、ちょっとぐったりしてきてるけど、生きてるかな……?


「部活? 橘さんって何部だっけ?」


 よく会話をするようになった相手なはずなのに、まだまだ知らないことはあるらしい。帰宅部の俺は授業が終わったら栞と一緒に早々に帰宅してしまうので、部活のことなんて気にしてもいなかった。


「紗月は茶道部だよ。文化祭で野点をやるって言ってたからその準備なんじゃないかな?」


「そうなんだよ……。だから最近はあんまり一緒に帰れなくて……」


「そ、そうなんだ……」


 なんて言っている漣だけど、朝は橘さんと二人で仲良く手を繋いで登校しているのを俺は知っている。というか、クラス全員が知ってるんじゃないかな。教室までそれで来るんだから当たり前なんだけど。


 言うまでもないが、俺と栞もほぼ同じスタイルで登校している。色々やらかしたおかげか、今ではその程度では誰も何も言わなくなってしまった。


「というわけで高原! お前らがいると作業が進まないから、さっさと行ってこい!」


 完全に八つ当たりだけど、言ってることはごもっとも。ここにいても俺達には仕事はないわけで。


「なんか……、ごめん。それじゃ……、えっと、行こっか、栞?」


「そう、だね」


 俺と栞は逃げるように教室を後にした。先生が言っていた時間も迫ってることだし、ゆっくりでいいとは言われたがあまり待たせたら申し訳ない。


 昇降口で靴を履き替えて外を見ると、ますます雨足は強くなっていた。


「うわぁ……、すごいね。傘一本で大丈夫かなぁ……?」


「涼にぴったりくっついてくから平気だよ。これだけ降ってると少しは濡れちゃうかもしれないけどね」


「うーん……」


 少しだけ考えて、自分の着ていた制服のジャケットを脱いで栞の肩にかけた。


 栞が体調を崩した時のことを思い出してしまったんだ。10月ももう下旬、気温も低くなり雨に濡れれば体が冷える。せっかく旅行を楽しみにしてくれているのに、風邪なんか引いたら台無しになってしまう。


 そんな俺を栞はキョトンとした顔で見上げてくる。


「……涼?」


「栞が濡れたらイヤだからさ、それ着ておいて」


「でもこれじゃ涼が冷えちゃうよ……?」


「俺は大丈夫だから、ね?」


 体力とか筋力面では貧弱な俺だけど、滅多に風邪を引くことはないし、帰ってからちゃんと身体を拭いて着替えれば問題はないだろう。


「でも……」


「お願い。栞のこと、大事にさせてよ」


 俺がそう言うと、栞はぽふんと顔を赤らめた。


「ずるいよ、涼は……。そんなこと言われたら断れないじゃん」


「断ってほしくないからね」


 そのために、態々恥ずかしいセリフを口にしたのだ。自分でも歯の浮くようなことを言ったと思うけれど、これも栞のためだ。


「もう、バカ……。でも、そこまで言うなら借りとくね。ありがと、涼」


「うん、どういたしまして」


 嬉しそうに頬を緩ませた栞はジャケットの襟を合わせて、なぜか匂いを嗅いで更に顔を蕩けさせた。


「へへ、涼の匂いがする」


「そりゃずっと着てたし……。もし気になるなら脱いでも……」


「やーだよっ! 涼が着てろって言ったんじゃない。それに、私が涼の匂い好きなの知ってるでしょ?」


「いや、まぁ……、知ってるけどさ……」


 俺の部屋でダラダラしている時、栞はよく俺のベッドに転がって枕に顔を埋めていたりする。匂いを嗅いでいると知った時は恥ずかしかったけど、イヤな気はしないので今は好きにさせることにしている。


「んふふ。ほら、行こっ。涼が傘さしてくれないと、ここから動けないんだからね」


 そんなことを言いながら、栞は俺の腕を掴んで雨の降る外へと引っ張っていく。


 言ってることとやってることが違う……!


「待って待って! そんなにされたら傘させないから!」


「ほーら、早くーっ!」


 どうにかこうにか傘を開くと、栞は傘の範囲に二人がおさまれるようにギュッとくっついてくる。


「ねぇ、涼? そういえば相合傘って、初めてだね?」


「確かに……?」


 今更すぎるけど、改めて言葉にされると少しこそばゆいものがある。そんな俺の心の内なんて、栞にはあっという間に見透かされるわけで──


「あれ〜? もしかして涼、照れてるの?」


 楽しそうな顔でからかわれてしまうのだ。


「……照れてない」


「じゃあ、これから雨の日はずっと相合い傘でいこっか?」


「いや、普通に栞も傘さそうよ……」


「やーだっ! 二人で傘さしてたら手も繋げないんだもん。涼だってそれじゃ寂しいでしょ?」


「それはそうだけど……」


「なら決まりねっ!」


 今日も今日とて栞の押しが強い。そうでなくても栞のお願いを断ることはできないのに。結局いつもこうやって押し切られてしまう。


 でも、ニコニコしている栞を見ると、まぁそれでいいかと思ってしまうチョロい俺なのだった。


 もちろん、正門で落ち合い俺達の姿を見た連城先生からは呆れた顔をされてしまいましたとさ。

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