第140話 自慢の彼女のすごいところ

「栞、そろそろ行こっか?」


「うん。それじゃ皆、ちょっと行ってくるね」


 昼休み、ゆっくりと昼食を食べ終えた俺達は藤堂のいる3組の教室へ向かうことに。栞の手にはしっかりクッキーの入った包みが握られている。


「おう、行ってこい」


「栞ちゃんの思ってること、伝わるといいね」


「もししおりんの優しさが伝わらなかったら、私がガツンと言ってあげるからね!」


「あんな美味いクッキーもらったら勘違いされそうだけど……、まぁ高原がいるなら大丈夫か」


 朝は反対されていたわけだけど、今ではこんな感じだ。完全に理解されているわけではないが、栞の意思は尊重してくれている。ありがたいことだ。


 皆の声に背中を押されて、教室を後にした。


 3組の教室は別の校舎にある。自分のクラス以外に知り合いのいない俺達には何気に初めて足を踏み入れる場所だったりする。


 緊張しつつも入口から中を覗けば、目当ての人物はすぐに見つかった。昼休みで騒がしい教室の中で、一人ポツンと机に突っ伏していた。


 俺達が入っていくと、視線が集まってざわめき始める。見慣れぬ人物だからなのか、結構有名だという栞が現れたからなのか、それはわからないが居心地はあまり良くない。


 藤堂がうちのクラスに来た時もこんな感じだったはずなのに、よくもまぁあそこまで堂々としていられたものだ。今はすっかり見る影もないが。いや、もしかするとこれが普段通りの藤堂なのかも。


 と、そんなことを気にしていても用事は済まないので、真っ直ぐ藤堂の元へと向かう。


「藤堂君」


 栞が穏やかな声で呼びかけると、藤堂はビクリと肩を震わせた。本当に寝ていたわけではないのだろう。


 俺にも経験があるからわかる。クラスに居場所がないから寝たフリをしてみたり、一人でも平気なふうを装って教科書を開いてみたり。その実、しっかりと周りの声には耳を傾けていたりするのだ。


 ゆっくりと起き上がった藤堂は栞を見ると、どこか怯えてたような表情になる。


「き、君達か……。俺に、なんの用だ……? まさか、こないだの話を取り消しに……?」


「そんなわけないでしょ。今更そんなこと言わないよ。今日はね、藤堂君に渡す物があって来たの。でも、ここだと目立ちすぎるかな……。場所変えよっか。涼、藤堂君連れてきてくれる?」


「わかった。ほら、藤堂、立って」


「えっ……? ちょっ……?」


 戸惑う藤堂の腕を掴み、無理矢理に立たせて連れていく。更に注目が集まっている気がするが、この状況で栞にクッキーを渡させるほうが色々と面倒なことになりそうだ。


 わずかに抵抗する藤堂を引っ張って廊下の端へと移動した。3組の教室から何人かが顔を出してこちらを見ているが、距離があるのでさすがに話す内容までは聞こえないだろう。


「そ、それで渡したいものって……?」


「はい、これだよ」


 栞は藤堂の前に、友人達に渡した物同様の綺麗にラッピングされた包みを突き出した。


「こ、これは……?」


 強引に渡されて、受け取ってしまった藤堂は包みを見ながら怪訝そうな顔をする。


「私が作ったクッキー。良かったら食べて」


「手作りの、クッキー……? なんで、俺に……?」


「ほら……、こないだは少し言い過ぎたかなって思って。そのお詫びにね」


「お詫びって……、君達は何も悪くないだろ……? 悪かったのは全面的に俺の方で……」


 栞にコテンパンにされて、自分の非を認めてしまった藤堂からすれば栞の行動は意味のわからないものなのだろう。


「まぁ、そうかもしれないけどさ、負けた代償としてってことで受け取ってよ。言っとくけど、変なもの入れたりしてないから、そこは安心して」


「そんな心配はしていないが……、いいのか?」


 態々こうして持ってきたのにダメなわけがないだろうに。


「俺からも言っとくけど、めちゃくちゃ美味しいから覚悟して食べなよ。もしいらないって言うなら俺がもら──」


「ダメだよ、涼。っていうか、涼って意外と食いしん坊? 人の分まで欲しがるのはさすがに感心しないなぁ」


 ──おうと思ったのに、途中で栞に苦言を呈されてしまった。


 今朝も朝食の後に少し食べてきたので、まだ残りがあることは栞には知られている。それはそれとして、もし藤堂がこのクッキーを捨ててしまうと言うのなら、そんなもったいないことさせるわけにはいかないだろう。


「いやだって、本当に美味しかったから……」


「涼にはまた作ってあげるって言ったでしょ? それにまだあげた分が残ってるじゃない。どんだけ気に入ったの?」


「毎日食べたいくらい、かなぁ……」


「もう、涼ってば……。嬉しいけど、さすがに毎日は無理だからね?」


 栞は頬を染めて、俺を軽く睨んでくる。褒めてるだけなのに。


「くっ……、はは……」


 俺と栞のやり取りを呆然と眺めていた藤堂が突然笑い出した。絞り出すように、苦しげに。


「な、なに……?」


「いや、君達は本当に眩しいな……。それに引き換え俺は……、羨むばかりで──」


「だからさ、そこでそうやって考えるのがダメなんじゃないの? こないだ私が言ったこと、もう忘れちゃった? また言ったほうがいい?」


 藤堂の言葉を遮った栞の口調は強い。


「え、いや……」


「本当はね、ちょーっとだけ元気付けてあげようかなって思ってこれを持ってきたの」


「元気、付けて……?」


「そうだよ。藤堂君はさ、本当はどうしたいの? さっきみたいにずっと一人でいたいなら、余計なお世話だって言ってくれたらいいよ。でも、そうじゃないなら自分が変わるしかないんだよ」


「自分が、変わる……?」


 すっかり栞の言葉を繰り返すだけになってしまった藤堂。まだ栞の思いは伝わっていないのだろうか。


 俺には栞の気持ちが痛いほどわかるというのに。


 これは栞だから言える言葉だ。ずっと心に大きな傷を負っていて、痛みに耐えながらもそこから目を背けずに向き合って、ようやく今の自分を手に入れた栞だからこそ。


「うん。私も涼に引っ張ってもらってどうにかなってるだけだから偉そうなことは言えないけどね。でも、そのせいで藤堂君のことが見てられなくなっちゃって。だから、これはちょっとしたお節介なの。あのさ、藤堂君」


「な、なんだ……?」


「それ、受け取ってくれるのかな?」


 栞は藤堂の手にある包みを指差す。


「えっ、あ、あぁ……」


 栞の圧に負けたのかもしれないが、藤堂は確かに頷いた。


「ならさ、私に何か言うことあるんじゃない?」


「……っ! すまな──、いや、ありが、とう……」


 その返事を聞いて、栞は満足そうにニッコリと微笑んだ。


「うん、それでいいんだよ。って、なんか恩着せがましくなっちゃって悪いんだけどね」


「そんな、ことはないが……」


「ほら、これから学校祭の準備も本格的になるし。なら、チャンスだと思うんだよねぇ。今の藤堂君がクラスでどんな扱いをされてるのかわからないけどさ、そこで上手く立ち回ればもしかしたら皆認めてくれるかもしれないじゃない?」


「それは、そうかも……?」


「ってことで、私にできるのはここまでだよ。後は藤堂君しだい。こないだ自分でどうにかしてねって言ったけど、それは変わらないよ。でも、応援だけはしてるから」


「あ、あぁ……」


 藤堂の目から雫が零れ落ちた。たぶん、これでようやく届いたのだろう。なかなかに難儀な男だ。でも、きっとこれから変わっていくのだろう。


 というか、栞にここまでしてもらって変化なしなら俺が説教してやる。


「じゃあ、私達はもう行くね。行こっ、涼?」


「うん」


「あっ! ちょっと、待ってくれないか」


 俺と栞が踵を返そうとしたところで、藤堂に引き止められた。


「ん? まだなにかある?の」


「あぁ。このクッキー、今食べてもいい、か?」


「もちろん。それはもうあげたものだからね、好きにしていいよ」


「じゃあ、そうさせてもらうよ」


 藤堂は慎重な手付きでラッピングのリボンを解き、中身のクッキーを取り出すと、それを口へと放り込んだ。


 サクサクとした小気味良い音を聞いていると、俺まで食べたくなってくる。さすがにそれを口にすると、また食いしん坊と言われそうなので我慢するが、家に帰ったら俺も食べようと心に決めた。なんならまた栞に食べさせてもらうのも有りだ。お願いすれば喜んでしてくれるだろう。


「あぁ……、美味いな……。こんな美味いクッキー初めてだ……」


 一つを食べ終えた藤堂の口からポツリと呟きが漏れた。


「そっか、よかった」


 その言葉を栞も素直に受け取った。


「素敵な、彼女だな」


 藤堂は今度は俺の方を向いて言う。


「うん、俺の自慢だよ」


 俺にはもったいないくらい、と言おうとしてやめた。栞にふさわしい男であり続けるのが俺のするべきことだから。もったいないなんて誰にも言われたくない。それがたとえ自分自身であったとしても。


「君が羨ましい──いや、これがダメなんだったか……?」


「別にそれくらいいいと思うけど……。でも栞は俺の彼女だからちょっかいはかけるなよ?」


 俺がきつめにそう言うと、なぜか栞が「涼……」と呟いて俺の腕にくっついてきた。それを見た藤堂はふっと表情を緩める。


「そんなことはしないさ。でも、もう一度だけ謝らせてくれ。あんなことして、すまなかった。それと、君達の結婚式、俺なりに精一杯祝わせてもらうよ」


「ん? なんでそれを知って……?」


 頭を下げる藤堂の謝罪を受け入れる前に気になる言葉が。栞はこないだ呼び出しに応えろとしか言わなかったはずなのに。


「いや、学校中に貼ってあるじゃないか。ほら、そこにも」


 藤堂の指差す先を見ると、廊下の壁にはうちのクラスの出し物のタイムスケジュールが。そこには参加を表明してくれたカップルの名前に混じって、俺達の名前も書かれていた。いつの間にか募集のポスターから切り替わっていたらしい。


「呼び出しってそれのことだと思ってたんだが、違うのか?」


「いや、違わないよ。えっと、席は用意しておくけど、くれぐれも邪魔だけは──」


「だからしないって言ってるだろ……。さすがにあそこまで言われて、今も目の前で見せつけられたらそんな気も起きないって」


 そんなのと言われて栞を見れば、未だに俺にくっついてうっとりしていた。どうやらさっきのセリフがいたく気に入ったらしい。


 いつも通りと言えばいつも通りだけど、人から指摘されると恥ずかしくなるのも相変わらずだったりする。


「ま、まぁそれならいいや。そろそろ昼休みも終わるから、俺達は戻るよ」


「そうだな、引き止めてすまなかった」


「いいって。ほら、栞、行くよ」


「ん〜……」


 まだ夢見心地な栞を引きずるように藤堂に背を向けた。その背中に藤堂の声が届く。


「なぁっ! また、話しかけても、いいか?」


 俺はそれに無言で片腕を上げて応えた。


 ちょっと上から目線だが、今の藤堂なら受け入れてやってもいいだろう。現時点でもそう思えるくらいにはなった気がする。栞の言葉が藤堂に変化を与えたんだ。それはとてもすごいことだって思う。

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