第136話 欲張りな私

 ◆黒羽栞◆


 試験の本番の日はあっという間にやってきた。


 変な人に絡まれて、おかしな勝負をすることになったけれど、特段私のやることは変わらなかった。


 元々涼と一緒に立てた目標は1位を取ることだったし、それを達成して涼からご褒美をもらわなきゃいけないしね。あんな意味のわからない勝負の結果よりも私にはそっちのほうが重要なの。


 だからといって必要以上に気負ったりはしていない。自然体であるがまま。いつも通り涼との時間は大切にしてきたし、もちろん勉強会だってちゃんと継続した。


 絶対彩香に赤点を取らせたりはしない、これは決定事項だからね。最初は彩香にお願いされたからだけど、一度自分で決めたことだからね、きっちりやるよ。


 だって、中間試験で赤点を取ると課題がどっさり出されるって、こないだ紗月から聞いちゃったからね。さらに中間、期末の合計で基準に達しないと、長期休暇に補習の参加が義務になるとか。


 実行委員で頑張ってくれているのに課題まみれになるなんて、そんな可哀想なことにはなってほしくないじゃない。彩香は私の大切な友達だからね。少し厳しくしてるけど、それも彩香本人のためなんだよ。


 私は欲張りだから、恋も、友達も、全部大事にしたい。


 だって、そのほとんどは涼がくれたものだから。


 大好きな涼が隣りにいて、賑やかな友人達に囲まれて過ごす時間は今ではすっかり私の宝物なんだ。


 一学期の途中までは自分のことが大嫌いだった私だけど、今では自分のことがだいぶ好きになってきたの。たまーにウジウジしてしまうところは要改善だって思ってるけどね。


 だからこそ、恋愛なんぞ、なんていう藤堂君には負けられない。だって許せなかったんだもん。涼を好きになったことで変わった今の私を否定された気がして。もちろん勉強が学生にとって重要なのは間違いないけれど、それだけじゃないことをわからせたい。


 彼との勝負に勝って、彩香も赤点を回避させて、他の皆の点数も上げる。できれば涼も藤堂君より上にいけたら最高の結果だ。


 その全部を手に入れて、彼の前で笑ってやるの。きっとすごく悔しがるだろうね。また崩れ落ちちゃうかも。


 でも、その状態なら人の話を全然聞かなそうなあの人も私の言葉を聞き入れるでしょ。そこで素直に謝ってもらえれば、この件は手打ちにするつもりでいる。


 本当に退学させちゃったら、それこそ罪悪感で私がおかしくなっちゃうからね。まぁ、意固地になって本当にやめちゃったら、その時はその時だけど……。



「栞、大丈夫そう?」


 学校に着いたところで涼が心配そうな顔で聞いてきた。


 勝手に賭け金にしてしまったのは申し訳ないけど、本当に涼は心配性だよね。涼との関係がかかってるんだから私が負けるはずないのに。


「もちろん、それよりも涼は自分の心配をしてね。涼が目標達成してくれないと、ご褒美あげられないんだからね?」


 私の方は自分で言うのも変だけど、かつてないほどに仕上がってると思う。これなら全教科満点もいけるんじゃないかなってくらい。悩むことのなくなった私には余裕がある。その余裕が、勉強の能率も上げてくれた。


 心も、朝からいっぱい涼にキスをしてもらったおかげで元気いっぱい、満たされてる。もう今の私は無敵といってもいいんじゃないかな。誰にも、何にも負ける気がしない。


「それはわかってるんだけどね……」


 それに引き換え涼ときたら。昨日二人で最後の確認をした時だって完璧だったのにね。私の心配をしてくれているのはわかるんだけど、こんなんじゃ涼が力を発揮できないじゃない。


「もう、困った人なんだから。ちょっとついて来て」


「えっ、もうすぐ予鈴が鳴るけど?!」


「いいからいいから、すぐ済むから」


 時計を確認すれば予鈴が鳴るまであと10分、それだけあれば事足りる。


 私は涼の手を引いて教室を出た。


 試験前ということで皆教室で見直しなんかをしているんだろう、廊下にはほとんど人気はない。でも、あまり見られたくないことをするつもりだから、少しだけ場所を移すことに。


 屋上へと続く階段を上りきった先は廊下からは完全な死角になる。人が来れば足音でわかるし、その場所を選択した。屋上はいつも閉ざされているので、めったに人が来ることはない、と思う。


 涼を階段の一段下に立たせて、


「ほら、おいで」


 涼の頭を自分の胸に埋めさせて、抱きしめた。


「えぇっ?! ちょっと栞?!」


 突然抱きしめたからか、涼はびっくりして離れようとするけど、それを許すつもりはない。


「涼、暴れちゃダメだよ? ゆっくり息をして、私の心臓の音を聞いてね」


 私がそう言うと、涼が大人しくなる。くっつけた身体から涼の胸がゆっくりと上下するのを感じる。言うことを聞いて偉いね、と頭を撫でれば涼の身体から力が抜けていく。


 自分で聞けと言っておいて恥ずかしくなっちゃうのは、涼とくっついたせいで鼓動が少し早くなってるから。でも、心音を聞くと落ち着くっていうしね。


 涼も私の背中に腕を回してくれた。優しい手付きで撫でられるとキュンとなる。


 ちょっぴりドキドキしていて、それでいて穏やかなリズムを刻む私の心臓。涼を落ち着かせるためにしているはずなのに、もっともっと聞いて欲しくなる。


 私の心を丸裸にして、全部涼に晒しているようなそんな気分。言葉では伝えきれない涼への気持ちを、もっと見て、聞いてほしいって、本来の目的を忘れてしまいそう。


 数分そうしていると、涼がそっと私の背中を叩いた。きっともう大丈夫なんだろう。涼の頭を抱きしめていた腕の力を緩めると、涼は顔を上げた。


「栞、ありがと。落ち着いたよ」


 いつもの柔らかい表情になった涼、でも少し赤くなってる。


「へへ、よかった」


「うん。でもね、ちょっとやりすぎ……。こんなことされたら、覚えたことまで抜けちゃいそうだったよ」


「ふふっ、それでダメダメな結果だったらご褒美じゃなくてお仕置きしちゃうからね?」


「えー……。それはやだなぁ」


「ならしっかりね。私のことは心配しなくてもいいから、涼は自分のことだけ考えて。私が見てあげてたんだもん、涼なら大丈夫だよ」


 涼のポテンシャルは元々高い。つまずいたところだって、私が一回噛み砕いて説明すればすぐに理解してしまう。


 だから、あとはコンディションの問題。平常心で臨めば、抜けちゃいそうなんて言っていても、問題を見たらすぐに思い出せるはず。ここ最近、ずっと一番近くで見てきた私が言うんだから間違いないよ。


「うん、頑張るね。でも、またすっかり栞に甘えちゃったなぁ……。本当なら俺が栞を励まさなきゃいけないのに」


 しょんぼりと言う涼に苦笑が漏れる。


「そんなこと気にしないの。私がこうして余裕でいられるのは涼のおかげだからね。私はそれをちょこっと涼に返してあげただけだよ」


 それが涼の言う支え合うってことだって、私は解釈してるからね。


「そっか……」


 そう呟く涼の顔はすっきりしていた。


「さてっ、戻ろっか? そろそろ先生来るだろうしね」


 と、そこでチャイムが鳴り始めた。


「わっ、やばっ! 栞、急ごう!」


 来た時とは逆に涼が私の手を引く。二人で手を繋いでその場を後にする。


 チャイムが鳴り終わる直前、ギリギリで教室に飛び込むことになった。

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