第130話 目標を持って

 栞とともに帰宅したところで、折よく母さんが買い物へと出かけていった。最近の母さんはこの時間に買い物へ出かけることが多い。


 俺達に気を遣ってくれているのか、コソコソとしていることがバレているのかはわからないが、なんにせよチャンスはチャンス。


 栞への充電、とやらをするのにこれ以上のタイミングはない。それをしなければ栞は勉強どころではなさそうだし。


 当然俺もそれに引っ張られている。熱っぽい目でずっと見られていたんじゃ、気になって何も手につかなくなってしまう。


「涼……」


 栞もそれがわかっているのか、頬を染めて俺の手をきゅっと握った。どんどん押しが強くなってきている栞だが、こういういじらしいところも見せてくれる。俺はこれにまんまと籠絡されてしまう。なんだかすっかり栞の手の平で転がされている気がするが、幸せなのだから不満は一切ない。


 ただ、試験週間にも関わらずこんなことばかりしているのはさすがに問題なので、一応念を押しておくことに。


「えっと、栞。試験が終わるまでは今回ので我慢できる?」


「うん、頑張る……。私だって、ちゃんと勉強しなきゃいけないのはわかってるから。ただね、昨日のでちょーっと火がついちゃったというか。あそこまで涼とイチャイチャするとね、我慢できなくなっちゃって……。このままじゃ集中できそうにないの。だからね、一緒にすっきり、しよ?」


 切なそうに俺に上目遣いを送ってくる姿に、俺はたまらず栞を押し倒していた。栞に我慢と言った俺も当然我慢していたのだから。


「きゃっ!」


 短く悲鳴をあげた栞だが、その顔は嬉しそうだ。


「えへへ、やっぱり涼だって我慢できなくなってるんじゃない。涼のえっち」


「もうさすがにそこは否定はしないけどさ、栞には言われたくはないなぁ」


「ふふっ、私、えっちだも〜んっ。もちろん涼限定で、だけどね? ねぇねぇ、押し倒すだけでいいの〜?」


「まったくもうっ! んっ」


「ん〜っ♡」


 煽るような事を言う栞をキスで黙らせるつもりが、嬉しそうな声をあげさせてしまった。


 そして──



 ***



「はぁ〜っ! それじゃ、試験勉強、しよっかぁ!」


「ん。そっちもしっかりやらないとだもんね」


 無事に母さんが帰ってくる前にしっかりと充電し終わった俺達は、乱れた服装を整えてから教科書を開くことになった。


 体力を消耗したはずなのに栞は元気だ。俺はといえば、逆にややぐったりしている。


 本当ならゆっくり余韻に浸りたいところではあるが、それはまた今度、試験が終わってからだ。栞の言う建前の方も進めておかなくてはならない。


 教科書に視線を落とし、すぐに集中し始めた栞を見て、俺も気合を入れ直した。


 日頃の成果なのだろう、教科書を見直してみるがすでにほとんど頭に入っていることばかり。一学期の試験週間とはまるで違う、今回はただの確認作業といったところだ。


 栞に質問しなければならないところも見つからないので、二人して黙ってペンを走らせる。途中、チラっと隣を見れば、栞は俺の視線にも気付かない。


 その横顔を見ながら、ふと思う。


 本当に栞には感謝しかないよなぁ。


 こんなにも余裕のある試験前は初めてなのだ。栞はいつも勉強を教えてくれるし、なにより心を穏やかにしてくれる。この調子ならまた少し順位も上げられるかもしれない。栞よりも上にいくことはできそうにないけれど、いつか二人で学年1位2位を独占してみたいとも思ってみたり。


 そのためにはまだまだ努力が必要だ。集中する栞の姿にやる気を分けてもらった俺は再び教科書に向き合うのだった。



 きっちり1時間集中した俺達はそこでキリをつけることにした。もちろん、夜も一人でやるのだが二人での勉強タイムはこれで終わり。もうすぐ栞は帰らないといけないので、それまではのんびり過ごす予定だ。


「はふぅ〜。やっぱり集中すると疲れるねぇ」


 鞄に教科書を片付けた栞は、俺の肩にもたれてそう呟いた。


「っていう割りに結構元気そうだよね?」


「だって、涼にくっついてるんだもんっ。涼は私の栄養源だからねー」


「なにそれ、って、俺も似たようなもんかも」


 ふにゃっと笑う栞は可愛いし、くっついている部分に感じる栞の体温は心地よい。


「なら良かったぁ。私だけ癒されてるんじゃ不公平だもんね」


「そんなの、俺だっていつも栞に癒されてるよ」


 栞のサラサラな髪を撫でれば、蕩けるような笑みが返ってくる。この笑顔を見るのが最大の癒やしだ。


「えへへ。ねぇ、涼?」


 ふにゃふにゃになりながら栞が俺の名前を呼ぶ。


「ん〜? なぁに?」


「んふふっ、涼、涼、涼、りょ〜うっ」


 もたれた肩にスリスリと頬擦りしながら、何度も何度も俺の名前を繰り返し呼ぶ栞。そう連呼されるとなんだか少しこそばゆくなる。


「栞、どうしたの?」


「へへ。ねぇ、涼は前回の期末の時のこと、覚えてる?」


「そりゃ、もちろん」


 試験の結果で勝負をすることになって、図書室で一緒に勉強をした。順位を上げることができたものの、栞には全然敵わなくって。勝者の報酬、栞のお願いでお互いに名前で呼び合うようになった。そのおかげでぐっと距離が近付いて──


 あぁ、そういうことか。


「栞」


 俺が名前を呼ぶと、嬉しそうな栞と目が合う。


「うん、涼」


「栞」


「涼」


「栞」


「涼」


 交互に呼び合うごとに距離が近付いて、おでこをくっつけてクスクス笑った。それからゆっくりとキスをした。


「最初はあんなに恥ずかしかったのに、すっかり慣れたもんだね、私達」


「そりゃね。あれからほぼ毎日呼んでるわけだし」


 いきなり呼び捨てにしろって言われた時は恥ずかしくて、最初の頃は『栞』と呼びかけるだけでドキドキしたものだが、繰り返し呼ぶうちにこれが当たり前になっていた。口に、耳に馴染むほど、何度も呼んできた。


 栞が俺を呼ぶ時の『ねぇ、涼』という言い方は、今では大好きなものの一つになっている。俺が栞を呼んでふんわりとした笑みが返ってくるのも。


「涼と仲良くなりたくて私が考えたんだもん、当然だよね」


「うん、ありがとね、栞」


 もし栞があの提案をしていなかったら、俺は今栞をなんて呼んでいたのだろう。まだ黒羽さんのままだろうか。たぶんそれではここまで仲良くはなれなかった気がする。


「ねぇ、涼。また、勝負、する?」


 栞が俺の目を見ながら呟いた。


「それは前回と同じ条件でってこと?」


「うん。せっかくだし、何かあったほうが張り合いが出るかなって」


 俺は反射的にいいよと言いかけて、やめた。


「栞は俺になにかしてほしいことってあるの? 勝負の報酬にしてまで」


「う〜ん……」


 そこまでは考えてなかったのだろう。栞は考え込んでしまった。


「別に勝負するのは構わないんだけどね、まぁどうせ俺が負けるのはわかりきってるんだけど。でもさ、栞がしてほしいことがあるなら普通に言ってくれればなんでもするよ?」


 あの頃からすっかり変わった俺達の関係。今の俺は栞のお願いなら簡単に聞いてしまう。


「確かに……。私も涼のお願いならなんでも聞いちゃうかも」


「でしょ? 賭けるものが何もないのに勝負っていうのもね」


「それもそっかぁ。なら、普通に頑張ろっか」


「うん、それでいいと思う。目標くらいはあった方がいいと思うけどね」


「なら、私はまた一位を取るのを目標にしよっかな。涼はどうする?」


「うーん……、じゃあ俺は前回より順位を上げることにするよ。少しでも栞に追いつきたいしね」


 俺は先程考えていたことを口にした。さすがに二位を目標にするには自信が足りていないが。


 俺達の学校は進学校だし、なにもなければこのまま大学へと進学することになる。できれば栞と同じ大学へいって、家の許しが出れば同棲なんかもしてみたいって思う。


 同じ大学に行きたいからって、俺に合わせて栞がランクを落とすのはイヤだし、それでは自分が情けなくなる。なら、俺が努力するしかないのだ。


「いいねっ。今の涼なら難しくはなさそうだけど」


「そうかな?」


「ん〜? いつも涼は誰に教えてもらってると思ってるのかなぁ?」


「本当に感謝しております」


 俺が戯けて頭を下げると、おかしそうに栞が笑う。


「よろしいっ。それじゃ、目標達成できたらなにかご褒美をあげるってことにしよっ。涼もちゃんと考えておいてね?」


「わかったよ」


 お互いへのご褒美はなんとなく似たようなものになりそうな気がするが、まぁそれはそれ。


 ともかく、俺達は明確な目標を持って試験に臨むことになるのだった。

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