十五章 試験週間

第129話 学生の本分

 栞に盛大に誕生日をお祝いしてもらって幸せな気分に浸ろうと、栞と新崎さんの問題が完全に解決して安心しようと、そのお礼と称して栞からとことん甘やかされて溶かされようと、学生としてやらなければならないことというのは意外と多い。


 さしあたってで言えば二つのことがある。


 まず一つ目は文化祭の準備。


 ポスターを掲示して希望者を募っているのは継続中。俺と栞のを含めて8組の定員を設けて、今のところ4組が名乗りを上げてくれている。募集の締め切りは文化祭当日の一週間前まで、そこまでに埋まらなければうちのクラスから生贄が選出される予定だ。


 なんでかわからないけれど(わかっているけどあまり思い出したくない)、我がクラスにはカップルが多いので定員割れを起こしたとしても困ることはないだろう。


 そして、参加を表明してくれたカップルにはそれぞれ担当者が割り当てられて、演出なんかを考えていくことになる。衣装選びに連れて行くのも担当者の仕事だ。


 俺と栞は式を挙げる側なので、この仕事は免除されることになった。ちなみに俺達の担当は遥と楓さん。といっても、衣装選びは俺達が好き勝手にやってしまっているので、演出について軽く打ち合わせをする程度だ。


 遥と楓さんが一緒になにやらコソコソやっているみたいなので、俺達の希望以外にも何か仕掛けてきそうな気はするが、それは当日までの楽しみにとっておこうと栞と話している。この二人なら、俺達の嫌がることだけは絶対にしないという信頼があるので、放っておいても大丈夫だろう。


 そんな俺達だが、準備において何も役割がないというわけではない。俺と栞に与えられた仕事は各担当者を陽滝さんと継実さんに繋ぐことだった。だった、と過去形なのはもうすでに終わらせているから。先週のうちに数回に分けて顔合わせをさせてきた。


 残っているのは連城先生を挨拶という名目で陽滝さんのスタジオに連れて行くことだ。これは遥と楓さんと一緒に進めている秘密の計画に必要になってくる。あまり早い段階で行動を起こすと計画がバレる恐れがあるので、文化祭の一週間前、準備が本格的に始まる直前を予定している。


 文化祭については今はざっとこんなところだろう。



 そして二つ目。



「私の可愛い生徒諸君、おっはよー!」


 朝のSHRが始まる合図。皆の眠気を吹き飛ばすほどのハイテンションな声が教室に響き渡った。我らが担任の連城先生、朝から元気だ。


 俺は昨日の余韻と、朝起こしに来てくれた栞からのキス攻めのせいでかなりぼんやりしていた。先生の大声でびっくりして身体が跳ねたくらいだ。


 連城先生は出席を取り終わった後、教室内をグルリと見渡してからニヤリと笑った。


「いきなりだけど、今日は皆に嬉しいお知らせを持ってきたよー!」


「れんれん、そういうのいいよぉ〜……。皆もうわかってるんだからさぁ……」


 わかりやすくげんなりした声をあげたのは楓さん。俺も楓さんの気持ちはわからなくもない。あそこまでの絶望感はないけれど。


「なによぉ。せっかく気分を盛り上げてあげようと思ったのに。っていうか、れんれん言うな!」


「だってぇ、どうせテストなんでしょ? どうされたってそんなの盛り上がれるわけないじゃーん……」


 そう、楓さんが言ったように、今日から試験週間に入る。普段、部活動に勤しむ人もこの間は勉強に集中することになる。どこの部にも所属していない俺や栞にとっては関係のない話だが。


 というわけで、これがやるべきことの二つ目だ。学生である俺達の本分、すなわち勉学である。


「はいはい、常日頃からコツコツやっておかないからそういうことになるのよ」


「くぅっ……、ママと同じこと言われたぁ……」


「まぁまぁ、彩ちゃん。テストが終わったら文化祭まですぐだし、頑張ろう?」


 机に突っ伏してしまった楓さんを橘さんが慰めていた。他のクラスメイトからもぼやくような声が聞こえてくる。


「というわけで皆、文化祭で浮かれるのもいいけど、勉強もしっかりやるようにねー!」


 それだけ言うと、連城先生は教室を出ていき、代わりに一限目の担当教師が入ってくる。そして一限目の授業が始まった。


 *


「お願い、しおりん! 勉強教えてっ!」


 昼休み、一緒に昼食をとるために集まってきた面々の前で、楓さんが手を合わせて栞に頭を下げた。


 最近昼休みを共にするのは、俺と栞、遥と楓さん、漣と橘さんの三カップル、計六人。割と大所帯になって、いつも賑やかだ。女の子三人がメインで話をしているのを男三人が相槌を打ちながら聞いたり、たまに口を挟んだりするのがお決まりのスタイルになりつつある。


「えぇ……、またぁ? たまには自分でやったらどうなの?」


 呆れたような口ぶりの栞だが、本気で教えるのを嫌がっているわけではない。その証拠に、栞は薄っすらと笑っている。手助けは構わないけれど、今後のため、ということだろう。


「それができたらお願いしてないよぉ……。実行委員の仕事で忙しくてそれどころじゃなかったんだよぉ……」


 いつも元気が取り柄で、このグループにおいてもムードメーカーな楓さんだが、試験直前とあってはそれもすっかり鳴りを潜めてしまっている。


「うーん、それならしょうがないのかなぁ。色々頑張ってくれてるみたいだしね」


 実行委員の仕事が忙しいのは、側で見ていて知っていることだ。俺達も昼休みなんかにちょくちょくやれる手伝いをしている。


「本当っ?!」


 かなり気を許しているおかげで、楓さんに対しては割と容赦のない栞だけれど、今回は理由が理由なので対応が甘めだ。


「いや、黒羽さんもこいつをあんまり甘やかしちゃダメだぞ。一回許すと毎回泣きついてくるようになるからな?」


「なによぉ、遥! せっかくしおりんがオッケーしてくれそうなのに! そういう遥だって今回はやばいかもって言ってたじゃん!」


「まぁ、そうなんだけどな……。というわけで涼、わりぃけど俺のことも助けてくれ!」


「はいはい、わかってるよ」


 遥には恩もあることだし、こうして頭を下げられたら断ることなんてできるわけがないのだ。というよりも、こうなることはすでに予想済みだったりする。


 朝、栞と一緒に登校してくる間、試験の話題になって、困ってるようなら助けてあげようと話していたのだ。


「あの……、栞ちゃん。その話、私も一緒に参加していい、かなぁ?」


 おずおずと口を開いたのは橘さん。


「あれ、紗月は割と成績いいんじゃなかった?」


「えっと……、そうなんだけど……、え、えへへ、ちょっとね。ね、かづくん?」


「えっ、いや、うん……。高原ごめん、俺もお願いしたい……」


 漣もどうやらやばめのようだ。元々の実力はわからないけれど、二人の様子から推測するに付き合い始めたことに浮かれて、勉強が疎かになってしまったのだろう。


 その気持ちは痛いほどよく分かる。俺だって勉強なんてほっぽりだして、栞に構っている方がよっぽど楽しいって思うから。


 それでも手を抜かないのは、将来を見据えてのことだ。栞と幸せな未来を手にするために、それなりの職につきたいと思う。やりたいことはまだ見つからないけれど、可能性を広げておいて損はないはずだ。


「まぁ、一人に教えるのも二人に教えるのもそんなに変わらないし。ね、栞?」


「そうだね。まったく皆してしょうがないんだから」


「本当にありがとー! しおりんが教えてくれるなら心強いよっ! でもさ──」


 楓さんは不思議そうな顔で、俺と栞を交互に見つめてきた。


「ん、なに?」


「しおりん達ってさ、普段あんだけイチャイチャしてるくせにちゃんと勉強もしてるって、いったいどうなってるの? 二人きりになったらそれどころじゃなくなるもんじゃない?」


「それはなんというか、そっちに関しては栞は厳しめっていうか……」


「あーっ、涼ってばひっどーい! いつもあんなに優しく教えてあげてるのにー!」


 うっかり言葉選びを間違えて、栞を怒らせてしまった。もちろん本気で怒っているわけではないが、拗ねているのを示すようにぷっくり頬を膨らませていた。


「も、もちろんそれはわかってるって。そうじゃなくてね、やることはきっちりやるっていうかさ。すっごく集中するじゃない?」


 勉強をしている時の栞は必要以上には俺に構ってくれないのだ。普段ベッタリなのが嘘のように集中する。もちろん俺が躓いた時は喜々として教えてくれるけども。


「だってぇ……、早く終わらせないと涼との時間が減っちゃうんだもん……。涼と付き合って成績落ちた、なんて言われたくないし……」


 ポソポソと恥ずかしそうに呟いた栞に一同呆れたような、それでいてどこか安心するような目をしていた。どこまでも栞は栞だった。


 と栞が言っている通り、その間は俺も集中するしかないのだ。ノルマが終わった後のイチャイチャタイムを期待しながら。おかげさまで、俺の方も勉強が捗っている、というわけだ。


「あーもうっ、私達のことはいいのっ! とにかく、放課後に一時間だけねっ! 基本は自分でやること。わからないところは各自まとめておいて、その時間に教えてあげるから!」


 視線に耐えかねた栞は強引に話にキリをつけた。皆からニヤニヤされて、照れながら弁当を頬張る栞はそれはそれは可愛かった。


 *


 放課後、鞄を手にした栞は真っ直ぐ俺のもとへやってきた。


「涼、かーえろっ?」


「あれ、勉強会するんじゃ?」


 そのつもりでいたので、教科書なんかはまだ鞄にしまっていない。


「明日からにしてもらったよ」


「いつの間に……」


 俺、聞いてないんだけど?


「えっと……、さっきの休み時間にね。皆に時間割くなら自分達の分、少しは進めとかないとって……。それに皆もわからないところまとめなきゃ、だしね?」


 どこか本心ではないような、そんな気配を感じる。チラッと他の面々の顔を見れば、頷きが返ってくる。言葉はないけれど、大丈夫、わかってるよって言われているような気が。


「あー、うん。それもそっか」


 勉強会をしないのならば、いつまでも教室に残っている必要はない。手早く帰り支度と挨拶を済ませて教室を後にした。


 校門を出ると、栞は甘えるようにくっついてくる。普段以上にぴったりと。


「ねぇ、栞。さっきの話だけど、本音は……?」


「えぇっ?! あれが建前って、バレてたの……?」


「なんとなく、だけどね」


 びっくりしている栞だが、割りと顔に出る方だ。あの感じだと、たぶん皆にもそう思われてるんじゃないかなぁ。これでよく新崎さんの前でボロが出なかったものだ。


「そっかぁ……。えっとね、どうせ涼にはすぐわかっちゃうから言うけどね……」


「うん、なに?」


「帰るの遅くなるし、時間取れなくなっちゃうからね、その分充電させてほしいなぁって……」


「昨日のじゃ足りなかったの?」


 俺が甘やかされるという名目だったが、最後にはただイチャついているだけになっていた。栞もかなり蕩けていたし、昨日の今日で充電が必要になるとは思えないのだが。


「だってぇ……、涼が我慢だよって言うからぁ……」


「あー……、そっちかぁ……」


 栞がどんどん積極的になって嬉しい反面、試験に関してはちょっと不安になってきた俺だった。

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