第127話 懐かしいやり取り
しばらく時間はかかったが、ようやく栞と新崎さんの涙が止まったようだ。それでもこれまでの時間を埋めるかのように固く抱き合ったまま。夕日に照らされた二人はなかなか絵になっていた。
これ、もしかして俺ってお邪魔なんじゃ?
その姿を見て、そう思ってしまったのはおかしなことじゃないと思う。栞から少しだけ話を聞いてはいるが、俺は親友同士だった頃の二人をあまりよく知らないわけだし。
栞に対しての独占欲はもちろん自覚している俺だけど、さすがにここで二人の間に割って入るほど野暮でもない。
積もる話もあるだろうし二人きりにさせてあげようか、そう思って俺は静かにその場を離れようとした。
栞達の方を向いたまま足音を立てないよう気を付けて一歩、二歩と下がって──
「ちょっと涼、どこ行くの?!」
背を向けようとしたところで栞に見つかった。
栞は新崎さんのハグから抜け出して、こちらに駆け寄ると今度は俺の腕に抱きついてきた。絶対にどこにも行かせない、という意思を感じるほどしっかりと。
「えっ、いやぁ……。俺、いない方が、いいかなぁって……」
「もうっ、涼がいて悪いことなんて何もないでしょ? それに急にいなくなったらびっくりするじゃない」
「そうですよっ。私まだ高原さんにお礼言ってないんですから!」
栞とは反対側、空いていた腕に新崎さんまでもが抱きついてくる。
「えぇっ……?!」
栞はいつものこととして、なんで新崎さんまで?!
こんなことしたら──
「ちょ、ちょっと美紀?! なんで美紀まで涼に抱きついてるの?! 涼にこうしていいのは私だけなんだけどっ?!」
ほら、栞が怒っちゃったじゃん。
「いいじゃん、減るもんじゃなし。栞との仲を取り持ってくれたのは高原さんなんだし? 感謝の気持ちは伝えなきゃ。ねぇ、高原さん?」
えぇー……、そこで俺に振る?
「いやぁ、えっと……」
なんかもう言葉が出てこない。強引に振り払うのも乱暴な気がしてできなくて。俺が言葉に詰まっている間に栞はより一層身体を押し付けてくるし、新崎さんも負けじと応戦して引っ付いてくる。
「ほらぁ、涼も困ってるでしょ!」
「えー? そんなことないですよね? 女の子二人に挟まれてイヤな男の子なんていないですよねぇ?」
「涼はそんなことないのっ! 私だけで十分なんだからっ! もうなんでもいいから涼から離れてっ!」
「え〜、どうしよっかなぁ」
新崎さんは栞を煽るようにニヤリと笑った。
端から見たら羨ましがられそうな状況なのに、全然嬉しくない。というか、俺を挟んで言い合いをしないでほしい。両側から引っ張るのもやめてもらいたい。
そんなにしたら、肩外れちゃうから!
引っ張られて揺すられて、だんだん頭がクラクラしてきて、俺は考えることを放棄した。仲直りした途端こんなに元気になった二人に合わせていたら、きっと身が保たない。
「もーっ、涼は私のなのっ!」
だんだんと栞の語気が強くなってきた。
俺のことに関しての栞の沸点はとても低いのだ。せっかく仲直りしたのに、このままだとまた喧嘩になってしまうんじゃないか。心配になってきたところで、ようやく新崎さんは俺の腕を開放してくれた。
「はいはい、わかったよぉ。まったく、栞は昔から冗談が通じないんだから」
栞が完全なるお怒りモードに入る寸前だったと思う。どうやら引き際はわきまえているらしい。栞のギリギリを攻めるとは、さすが長い付き合いなだけはある。
「冗談でもダメなものはダメっ! 美紀はすぐそうやって調子に乗るんだから」
頬を膨らませてジトッとした目の栞とムッとした顔の新崎さん。二人の視線が交差して、まさに一触即発な雰囲気。
「ちょっ──」
「「……ぷっ」」
「──と、二人、とも……?」
さすがに止めようと俺が口を開いたところで、二人が揃って吹き出した。
「あっはは、栞ってば全然変わってないね」
「そういう美紀だって」
クスクスと笑い合う栞と新崎さん。俺は意味がわからず、すっかり置いてけぼりだ。
「えっと、どういうこと? 喧嘩しかけてたんじゃないの?」
「まぁ、そうなんだけど、なんか懐かしくって。あのね、涼。昔も美紀とはよくこんな感じで喧嘩したりしたんだよ。あの頃はすぐ仲直りしてたし、さすがに男の子の取り合いみたいなことはしてないけどね」
「そうそう。すぐむきになる栞が可愛くって私もついついやりすぎちゃったりしてねぇ」
「そ、そうなんだ……」
すでにすっかり以前の調子を取り戻しているらしい。でもそれを知らない俺からすれば、心臓に悪いのでやめていただきたいところだ。仲直りしてまだ間もないうちに再び絶縁になるんじゃないかってヒヤヒヤしたんだから。
せっかく色々考えたのに、また元に戻ってしまったら目も当てられない。
「でも美紀? 涼は本当にダメだからね?」
「そんなに心配しなくてもわかってるよ。ごめんね、意地悪して」
「調子がいいんだから……。でも、もうしないって約束するなら許してあげる」
「するする。さすがにまた栞に嫌われたくないし。でも──」
新崎さんは未だに俺にしがみついている栞を見て小さくため息をついた。
「ん? どうしたの?」
「んーん、あの栞にも彼氏ができたんだなぁって思って。昔は男の子なんて興味ありませんって顔してたくせにさ。ラブレターとかもらってもすぐにポイしてたじゃない?」
「それは……、涼は特別だから……。ね、涼?」
「むしろ俺にとって栞が特別なんだけどね?」
熱い視線を送ってくる栞に微笑み返すと、ふにゃりと頬を緩めた。この笑顔をずっと見ていたいと思うと、俺も頑張れるんだ。栞は俺にとって特別で唯一の存在だから。
「いいなぁ、栞。高原さんも優しそうだし、羨ましいなぁ……。私も彼氏欲しくなっちゃう」
「それなら美紀も作ればいいじゃない」
「そんな簡単じゃないって」
「そうかな? 美紀なら──あっ」
栞は何か言いかけて止めて、その視線をずっと新崎さんが手に握りしめていたものに落とす。俺にも目配せしてくるが、その意図はわからない。
「ねぇ、美紀。それってさ」
「あっ、これ? えっと……、さっき高原さんからもらって……」
ずっと握りしめていたせいで少しだけクシャクシャになった紙、文化祭の招待状。俺が無理に渡したのだけど、受け取ってしまったことが後ろめたいのか背中に隠してしまった。
「別に責める気はないし、来ていいんだよ。美紀のために、一つやりたいことも思いついたからさ」
「高原さんからも来いって言われたけど……、栞達は文化祭で何をやるつもりなの?」
「それはまだ内緒っ。でも、絶対に来てよね?」
「結局内緒なのね……。栞がそこまで言うなら行くのはいいけど……」
「うんっ。場所と時間はまた連絡するから。って、そうだ。連絡先教えてよ。私、美紀の連絡先消しちゃってたからさ」
「あ、うん」
二人してスマホを取り出して、連絡先を交換し始めた。それを見ながら、俺は逆に自分のスマホから新崎さんの連絡先を削除した。いつまでも残しておいて栞からいらぬ疑いをかけられたら困ってしまう。今回のは栞も承知の上での特例なのだ。それに、今後は直接やり取りをするだろうから俺の方はもう不要になるはず。
「さて、それじゃ私はそろそろ帰ろうかな」
無事に連絡先を交換し終わると新崎さんがそう呟いた。
「え、もう? もう少しくらい──」
「ううん、今日は栞に許してもらえただけで満足しちゃったから、それを一人で噛み締めたいなって。それにね、ずっと二人が熱々なの見せられたら胸焼けしちゃうしね」
俺と栞を交互に見てニヤリと笑う新崎さん。
「熱々って……、別にこれくらい普通、だよね?」
「最近は、そうだよね?」
俺と栞は顔を見合わせて首を傾げた。
栞は相変わらず俺にくっついたまま、すっかり定着した二人で登下校する時のお決まりのスタイルだ。俺達としては特別イチャついているつもりはないんだけど。
「ふ、普通なんだ……。うん、なんにせよ栞が幸せそうで安心したよ。今日は帰るけどさ、また会える、よね?」
「それは、もちろん。たぶんまた涼も一緒だけどね」
まだどこか不安そうな新崎さんに、栞は明るく返事を返す。
せっかく仲直りできたのだから二人で会えばいいのにと俺は思うが、そこはもう栞にお任せだ。ついてきて欲しいと言われればついていくし、一人で行くと言うのなら、行っておいでと快く送り出してあげるつもりだ。
「あー、やっぱりそうなんだ……。まぁ、いいや。それじゃ、また連絡するね、栞」
「んっ、じゃあね、美紀」
「高原さんもありがとうございました!」
新崎さんは笑顔で俺達に手を振り駆け出す。足取りは軽く、跳ねるように。その背中は一度も振り返ることなく、すぐに俺達から見えなくなった。
「うまくいって良かったね」
俺は新崎さんの消えていった先をじっと見つめていた栞に声をかける。その顔は俺に向けてくれるものとはまた違う、でもとても優しい笑顔だった。
「そうだね、これも涼のおかげだよ」
「そんなことない……、こともないか。でも栞もお疲れ様」
「うん、ありがと。無事に文化祭にも呼べたし、考えてたことは全部クリアできたね」
「そうそう、その文化祭のことなんだけどさ。栞は何を思いついたの?」
「ふふ〜ん、それはねぇ──」
栞は俺達の疑似結婚式で追加でやりたい演出を語ってくれた。彼氏が欲しいと溢していた新崎さんを後押しするためのもの。それで恋人ができるわけではないけれど、そこは気持ちの問題だ。栞が新崎さんのことをちゃんと想っている、そのことが伝わればいいのだから。
そうして、再び繋がった友情を大事にしていってほしいと思う。できれば、大人になっても続いている文乃さんと継実さんの関係のように。
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