第126話 もう一回友達に
電車を降りると、同じ駅で降りる人の波の先頭に立って改札を抜けた。そのために電車に乗る際に改札に一番近くなる場所を陣取っていた。
栞は俺を見失わない程度に後ろからついてくることになっている。
今一度シナリオを思い出す。
俺が新崎さんと会う。栞に内緒でコソコソと。俺の様子を怪しいと思った栞が俺を尾行して、俺と新崎さんが接触したところで声を掛ける。あとは俺がその理由を話して、そこからは栞がなんとかする。
大丈夫、やることはちゃんと頭に入ってる。
改札を抜けた先、駅から外に出る手前、そこが新崎さんと落ち合う予定の場所。
電車も遅れることなく、俺がそこへ辿り着いたのは約束した17時の10分弱前。視線の先にはすでにお目当ての人物の姿があった。
俺はスマホのメッセージアプリで栞にスタンプを送る。念の為、会えたことを伝えるためにあらかじめ決めておいたことだ。既読がついたことを確認して、スマホをポケットにしまった。
「すいません、お待たせしちゃいましたか?」
声を掛けると、新崎さんはゆっくりと俺の方を向いた。
「あ、高原さん。私もついさっき着いたところです」
待ち合わせでよくあるやり取り。まるでこれからデートでも始まるかのような、そんなセリフ。でも、俺がそんな甘酸っぱいことをする相手は栞以外には存在しない。
「無理に予定を空けてもらっちゃってすいません」
「いえいえ、どうせいつも放課後は暇ですから、気にしないでください。それで……」
「そうですね、あまりお時間とらせたら申し訳ないですからね……」
色々と策を巡らせて、栞と合流した後は茶番を演じる予定の俺だけど、一つだけ確かな本心で新崎さんに伝えておきたいことがあった。
「えっと、こないだはありがとうございました。あの後、栞の悩んでいたことが聞けて、無事に解決することができました。俺だけだったらたぶん気付くこともできなかったんで、本当に感謝してます」
電話でも話したけれど、改めてお礼が言いたかったのだ。やっぱり大事なことは面と向かって伝えた方がいいと思っている。たとえまた栞に『涼は律儀だね』と笑われることになったとしても。
「いえ、一昨日も言いましたけど、私、大したことはしてないですよ?」
「それでもです。栞のこと、大切に思ってくれてるのがわかって嬉しかったですしね。それで、渡したいもののことなんですけど」
俺は鞄から一枚の紙を取り出した。
「これは……?」
「うちの学校の文化祭の招待状です」
それは一般公開日に校内に入るのに必要になるものだ。
一口に一般公開と言っても、誰でも無制限に入れるわけじゃない。なるべく問題が起きないようにするため、治安維持のための措置。
招待状にはそれぞれ番号が振られていて、誰が誰を招待するのかを申請して学校側が把握する形になっている。招待された人が問題をおこせば招待した人にも責任が行く。下手な人は招待できない、というわけだ。
混雑緩和のために一人当たりの招待できる上限人数も四人までと決まっているが、俺が他に渡す相手なんて両親くらいなものなので、一枠ならここで使ってしまっても何も問題はない。
「これを受け取ったら、栞に怒られるんじゃ……?」
「あー……、そうかもしれないですね。でも、俺は今の栞を一度その目で見てほしいって思ってるんですよ。面と向かわなくても、遠目からでもいいので」
中学時代、新崎さんとの問題が起きる前、栞には新崎さんの他には友人がいなかったと聞いている。それが今は──。
「何をやるのか、まではまだ内緒ですけど、うちのクラスの出し物を見てほしいんです」
俺と栞の疑似結婚式を。もちろん照れくささはあるけれど、俺の隣で、クラスの皆に囲まれて、幸せそうにする栞を見てほしい。
トラウマを乗り越えて、心の底からの笑顔を浮かべる栞を。
その姿を見れば、新崎さんの罪の意識も軽くしてあげられるのでは、と思ったのだ。せっかく仲直りをしても、新崎さんが栞に負い目を感じ続けていては良くないから。
栞もこれには賛成してくれている。
「でも……」
なおも受け取るのを躊躇する新崎さんの手に俺は無理矢理招待状を押し付けた。
これは栞が舞台に上がる合図でもある。
「……りょ、涼?」
示し合わせた通り、疑うような栞の声が後ろから聞こえた。
今までのは前座、そしてここからが本番だ。栞が新崎さんを許すための劇が幕を開ける。
「し、栞?!」
振り返った俺は、なるべく不自然にならないように目一杯うろたえてみせる。
「涼……? 何、してるの……? それに、なんで美紀が……? もしかして……」
迫真の演技なのか、本当にそうなった時のことを想像しているのか、栞の目には涙が浮かんでいた。とんだ役者がいたものだ。さすがにここまでになるとは思っていなかったので、俺もその空気に呑まれてしまう。
「い、いや、違うんだよ……!」
意識しなくても、勝手に言い訳をするような口振りになっていた。
「なにが、違うの……? 用事があるから一人で帰るって言ってたのは、美紀に会うためだったってこと? 私に隠れて……」
涙目の栞に詰め寄られると、演技だとわかっているのに罪悪感が押し寄せてくる。栞にこんな顔をさせたくなくて、胸がズキズキと痛む。
新崎さんも突然始まった俺と栞のやり取りに、目を丸くして黙り込んで。完全にこの場の空気は栞が掌握していた。
「……」
やばい。うろたえすぎて、次のセリフが思い出せない。
そんな俺を見た栞は、新崎さんから見えないように俺の背で視線を遮ると、ふっと表情を緩めてその手に握っていたらしい目薬を見せて、ペロリと舌を出した。
……このいたずらっ子は。ここまでやるなんて聞いてないんだけど。
でも、お茶目な栞の顔を見たら、平常心が戻ってきた。
俺は「……はぁ」とため息を一つつき、口を開く。
「バレちゃったらしょうがないか。黙っててごめん、栞」
「それは、浮気を認める、ってこと?」
「まさか。俺がそんなことするわけないでしょ?」
「私だって涼のこと信じたいけど、今こうして……」
「あのね、栞」
栞を抱き寄せて、頭を撫でる。脱力した栞は俺にされるがまま、無気力感までしっかり演じていた。
「ちょっと前に栞が学校を休んだ日、俺、栞に会いに行ったでしょ?」
「うん……」
「あの日、その前にここで偶然新崎さんに会ってね。そこで栞が体調を崩す時はなにか悩んでる時だって教えてもらってさ。ずっと栞を見てきたくせに気付いてあげられなかった自分が情けなくて、今まで言えなかったんだ……。ごめんね」
実際には、栞にこの話をするのは二度目になる。
わざわざわかっていることを話すのは、新崎さんになんで許されるのかをわかりやすく理解してもらうため。
「そんなことがあったの……? じゃあ、もし涼が美紀に会わなかったら……」
「仮定の話はわからないけどね……、栞に会いに行っても、ただのお見舞いで終わってたかもしれない。だからね、今日はそのお礼を言うために会ってたんだ」
「……本当に? 美紀も、本当にそれであってる? 信じていいの?」
俺と栞のやり取りを、やや青ざめて見ていた新崎さんは黙ったままコクコクと首を激しく縦にふった。
いきなりこんな修羅場のようなものを見せられた新崎さんの心中を察すると、さすがに少しだけ心苦しいものがある。
「そっか、そうなんだ……」
フラリと俺から離れた栞は新崎さんに歩み寄っていく。
そして──。
「美紀、ありがとう……!」
ギュッと抱きしめた。
「えっ、えっ? し、栞?!」
まだ状況が読み込めていないらしい新崎さんは動揺を隠せない。栞に抱きしめられたまま、目を白黒させていた。
「あの時ね、私、一人で悩んでて。体調も崩して、わけわかんなくなってたの。あの日、涼が来てくれなかったら、私を問いただしてくれなかったら、たぶん私、おかしくなっちゃってた……。だからね、ありがとう」
また栞の瞳から涙が溢れる。たぶん今度は目薬なんか使っていない、本物の涙が。
「栞……」
栞を抱きしめ返そうとした新崎さんの腕が宙で止まる。本当にそうしていいのか、という迷いが見てとれる。
「ねぇ、美紀?」
「な、なに……?」
「私達、偶然また会えたら、一から友達をやり直そうって約束、したよね?」
「うん……」
「今日のこれ、私は偶然って言っていいと思うんだけど、美紀はどう思う?」
栞のその言葉に、新崎さんの目が大きく開かれた。
「……栞は、もう私を許してくれるの? あんなに酷いことした私を、こんな短い期間で許しても、いいの?」
新崎さんの声が震える。
「うん、許すよ。美紀のしたこと、全部」
「本当に、本当……?」
「うん、本当だよ。あのね、美紀。今の私ってね、涼がほぼ全てなんだ。涼がいてくれるから笑えるし、涼がいてくれるから幸せでいられるの」
これから仲直りをしようというのに、俺が全て、なんて言ってもいいものか心配にはなるが、そこも含めて栞はちゃんと考えていることだろう。
そもそも栞にバトンを渡した後のことは打ち合わせていないので、俺はただ見守ることしかできない。
その間にも、栞は言葉を続けていく。
「だからね、美紀を許すんだよ。私が今も涼の隣にいられるのは、たぶん美紀のおかげだから」
「……やっぱり、栞は高原さんが一番なんだね」
「うん、ごめんね。それだけは譲れないんだ。でも美紀のことも忘れてない、ううん、忘れられなかった。あの約束をしてから、心のどこかでずっと美紀のこと許したいって思ってたの」
「うん……」
「昔みたいに美紀を一番にはしてあげられない。その席はもう涼のものだから。でも、もし美紀がそれでもいいよって言ってくれるなら、私、もう一回美紀と友達になりたい。我儘なのはわかってるけど……、ダメ、かな?」
新崎さんの瞳からポロリと涙が流れた。一粒、二粒と溢れ落ちていき、しだいに勢いを増していく。ボロボロと涙を溢しながら、震える唇が言葉を紡ぐ。
「ダメ、なわけ、ないよぉ……! 私が、お願い、したんだもん……。ごめっ、ごめんねぇ……。もう二度と、あんなこと、しない、からぁ……!」
宙を彷徨っていた腕は今度こそしっかりと栞を抱き締めていた。栞の肩に顔を押し付けて嗚咽を漏らす新崎さんの背中を優しく栞が撫でる。
「うん、わかってるから。もう謝らなくていいんだよ。全部許したんだから、ね?」
「うんっ、うんっ……。ありがとぉ……、しおりぃ……」
泣きながら抱きしめ合う二人を、近くを通る人がぎょっとした顔で見ていく。さもありなん。俺だってこんな光景、同じ顔をして見る自信がある。
でも今は誰にも邪魔をしてほしくない。この二人の涙は、何も知らない人がジロジロ見ていいほど軽いものじゃないんだ。だから、俺は二人を隠すように静かに側に立ち続けた。
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