第124話 真剣な顔
俺は今、栞ではない女の子に電話をかけているところである。じっと栞に見つめられながら。それはもうものすごい見てくる。穴が空くほど、という表現があるが、まさにそれ。
どこか責めるような視線なのは俺の気のせいだろうか。やましいことは一つもないはずなのになぜかそう感じてしまう。
呼び出しのコール音を聞きながら、俺はゴクリと喉を鳴らした。
まるで修羅場数分前のような空気。彼女の前で浮気相手に電話をさせられているダメ男の気分。
当然、俺は浮気なんてしていないし、しようともしたいとも思っていない。栞がこんなにも愛してくれているのに、他に目を向けるなんて愚かなことをするはずがない。
とまぁ、そんな冗談はさておき。きっと栞のことだから、俺が新崎さんの連絡先を消さずにいたことが気になっているのだと思う。
現在、俺のスマホに登録されている女性の連絡先は四人分。『栞』『文乃さん』『母さん』そして『新崎さん』。最近友人となり、学校でもよく絡むようになった楓さんや橘さんの連絡先は知らない。
たとえ彼氏持ちであっても、俺が栞以外の女の子と連絡先を交換することを栞が嫌がったからだ。もし用事がある場合は栞を通すことになっている。
昨日文乃さんからも言われたが、相変わらずの独占欲だ。そこに関しては俺も嬉しいのでいいのだけれど。
なぜそれがわかっていて新崎さんの連絡先を残していたのかと聞かれれば、こういうことがあるかもしれないと思っていたからに過ぎない。今回はそれが役に立つのだから大目に見てもらいたいところだ。
そんなことを考えていると、ようやく電話が繋がって、その相手である新崎さんの声が聞こえてくる。
『はい?』
「あっ、高原です。お久しぶり……、でもないですかね?」
『そう、ですね。それで、高原さんが私に電話なんて、なにかあったんですか?』
「えっと、こないだの件で少しだけお話が……」
俺が話を切り出すと、向こう側で息を呑む気配がして、
『こないだ……。あっ、栞は元気になりました……?』
新崎さんも栞のことを心配してくれていたのだろう。報告が遅くなってしまったことは申し訳なく思う。
「えぇ、あの時の栞は教えてもらった通りでしたけど、今は元気すぎるくらいですよ」
俺がそう言って笑うと、栞に頬をつつかれた。その顔は構ってと言っているように見える。ほったらかしにされて拗ねているようにも。俺が新崎さん相手に笑ったから、ヤキモチなのかもしれない。
栞のために電話しているはずなんだけど……。
まったく栞は困ったものだ。電話中なので栞には話しかけられないが、代わりに頭を撫でてあげることに。
わしゃわしゃと栞の髪を弄ぶと、あっという間にふにゃふにゃに蕩けた顔になり、ぽふんと胸に飛び込んできた。さっきの責めるような顔もどこかへいってしまって、スリスリと頬ずりまでしてくる。
チョロすぎる、でも可愛い。いつまでも見ていられる。
『……よかったぁ』
新崎さんの心の底から安堵する声がして、慌てて意識をそちらに戻す。危うく栞に全部もっていかれるところだった。
ここからが本題で一番大事なところ、とても真面目な話だ。栞のためにも失敗は許されない。俺は呼吸を整えて、気を引き締めた。
と、そこで俺の顔をじっと見つめていた栞がなぜか顔を赤らめて、ポーッとしていた。
どうしたんだろ……?
『高原、さん……?』
そんな疑問からも新崎さんの声で引き戻される。いかんいかん、集中していないとボロが出てしまう。ただでさえ慣れない相手に緊張しているんだから。
「あっ、すいません……。それで、何かお礼をしたいなって思ってて。いつでもいいんですけど、会うことってできないですか?」
『そんな、お礼なんていいですよ。私特になにもしてませんから』
「いやいや、そういうわけにはいきませんよ。あのままだったら俺、栞が悩んでることにも気付けなかったんで、本当に感謝してるんです。あと、一つ渡したいものもあって」
まず俺が新崎さんに会うところがこの計画の第一歩なのだ。ここで食い下がったら何も始まらない。渡すものがあるのは本当だけれど、むしろ会う約束を取り付けるためというのが大きい。
『渡したいもの、ってなんですか?』
「それはその時のお楽しみです。でも、きっと喜んでもらえると思いますよ」
『そこまで言うなら、わかりました。ちなみにこのことは栞には……?』
「もちろん内緒です」
俺はドキドキしながら、まず一つ嘘をついた。栞の目の前でこんな電話をしておいて内緒も何もないだろう。もちろんこれも計画のうちだ。
『はぁ……。もし黙って私に会っていたのが栞にバレて喧嘩になったりしても知りませんよ?』
「はは……、大丈夫ですよ。うまく誤魔化すので」
誤魔化すと言ったが、新崎さんとコソコソ会っているところを不審に思った栞に見つかる、というのが俺の考えたシナリオだ。そうすればパッと見は栞の意思で会うわけではなくなる。
俺の言った偶然っぽくする、とはこういうことなのだ。
変なことをしてるなって自覚はある。本心では、許してあげるなら堂々と会いに行けばいいと思っている。
とは言え、俺もその約束の場面には立ち会っているし、栞の気持ちもわからなくはない。偶然会えたらって言ったのに、正面からのこのこ会いに行くのは気が引けるのだろう。それを見越して俺も考えたわけで。
変なことと思っても、栞が望んだことだ。それが間違ったことでなければ俺も全力で手を貸す、いつでも変わらない俺のスタンスだ。
「それでいつにしましょうか? そちらの都合に合わせますけど」
『それじゃあ、明後日の月曜日、そうですね……、17時くらいにこないだ会った場所、でどうですか?』
「わかりました、それで大丈夫です。わざわざ時間を作ってもらってすいません」
『いえ、大丈夫です。私も前に二人のデート、邪魔してしまったので……』
「あー……、それはもうあまり気にしないでもらえると……」
事情を知らない新崎さんからすれば、あの時はただ邪魔をしただけに感じるかもしれない。でも、俺達からすればあの出来事が結果的に良い方向に働いたことになる。感謝こそすれ、今は恨み言を言う気なんてさらさらない。
『と、とにかく、明後日ですね』
「はい、よろしくお願いします」
約束を取り付けて電話を切ると、栞は俺の視界にいなかった。電話中、俺の顔をチラチラ見ながら周りをウロチョロした後、背後に回って背中に抱きついていた。
「栞、電話終わったよ。会ってくれるって」
「うん、ありがと……」
「で、さっきから何してるの?」
俺がそう言うと、栞は抱きつく力を強めた。
「……真剣な涼の顔が直視できなくって」
「なにそれ……?」
強引に栞の方を向くと、そこにはふやけた顔があった。目が合うと、それは残念そうなものに変わる。俺の顔を見てそんな表情をされるとちょっぴり複雑な気分になる。
「あぁっ……! いつもの顔に戻っちゃった……」
「ずっとこんな顔じゃなかった……?」
「全然違うよっ! さっきはキリッとして格好良かったんだよ。今はいつもの優しい顔だもん! あっ、もちろんいつも格好良いけどね?」
「そう、なの……?」
栞はよく俺に格好良いと言うけれど、未だにそのツボがいまいちわからない。
「そうなの! ねっ。もう一回さっきの顔、してみて?」
「って言われてもねぇ。それに直視できないって言ってなかった?」
話すことに集中していて表情なんて全く意識していなかったから、もう一回と言われても困ってしまう。
「いいから!」
「う〜ん……。まぁ、やってみるけど……」
それから栞に催促されて、何度もダメ出しされながら、キリッとした顔とやらをさせられるはめに。栞が満足してくれるまでには、それなりの時間を要した。俺の顔の筋肉も引きつる寸前だ。
……俺はいったい何をしているんだろう。完成した俺の顔を見て、栞がうっとりしていたから満更ではないけどさ。
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