第120話 誕生日会3

 栞がせっせとあ〜んをしてくるものだから、ついつい食べすぎてしまって、だいぶ満腹になってきた。ちなみに栞はというと、少し前にストップを宣言していた。


 そして、また。


「はい、あ〜ん」


「いや、栞、ちょっと待って」


 なおも食べさせてくれようとするのを止めると、栞はコテンと小首を傾げた。


「あ、もしかしてお腹いっぱいになっちゃった?」


「うん、少し苦しくなってきたかな」


 無理をすれば入らないこともないけれど、すでにもういつもの夕飯で食べる量ははるかにこえている。


 俺達の会話が聞こえたのだろう、母さんがリビングからこちらにやってきた。


「ご飯がもういいなら、そろそろケーキ出しちゃおうか?」


「まじで? ケーキまであるの?」


「何言ってるのよ。毎年用意してあげてるじゃない」


「それはそうだけど」


 忘れていたわけではないけれど、夕飯が豪勢すぎたのだ。こんなことなら食べる量をもう少しセーブしておくんだった。用意してくれたというのなら、もちろん食べるのだけど。


「とにかく、テーブルの上を片付けましょうか。このままじゃ出す場所ないし」


 テーブルの上にはまだまだ料理が残っている。文乃さんも参加して、栞と母さんの三人でタッパーに詰めたり洗い物をしたり。どうやら余った分はうちと黒羽家で分けるらしい。普通にもう一回夕飯にできそうなくらいある。張り切ってくれたのは嬉しいけど、どう見ても作りすぎだ。


 俺も手伝おうとしたが「涼は座ってていいよ」と栞にやんわりと止められてしまった。何もしないのは心苦しいが、今日の主役だからと言われては甘える他ない。


 すっかりテーブルの上が片付くと、冷蔵庫を開けながら母さんがニヤリと笑った。


「今年のケーキはちょっと特別よ?」


 そうして取り出されたのは、やたらと大きな箱。


「……でかくない?」


「そりゃね。今回は六人分だもの」


「あ、そっか」


 と、納得しそうになったけど、それにしてもでかいと思う。


 箱から出てきたケーキを見れば、特別と言うのも頷ける。ふんだんにフルーツがデコレーションされていて、明らかに例年よりもランクが高い。


「じゃあ栞ちゃん。ロウソク刺してあげてね」


「はーいっ」


 栞の手によって16本のロウソクが刺され、火が灯される。いつの間にか、父さんと聡さんも集まってきていた。二人共、飲み過ぎ(飲まされ過ぎ?)のせいでフラフラしてるけど、大丈夫かな。


「さて涼、出番よ。写真撮ってあげるから、栞ちゃんは涼の隣にいてあげてね」


 ぴったりと栞が寄り添ってくる。腕を抱かれて、柔らかく微笑んでくれる。


「なんかね、願い事をしながら一息で火を吹き消すと叶うらしいよ?」


「そうなの?」


「海外でそういう風習があるんだって。せっかくだから、涼もやってみてね」


「わかった。じゃあ、いくよ?」


「うんっ」


 俺の願い事、そんなの考えるまでもない。栞とずっと楽しく幸せでいること。もちろん栞だけじゃなくて、お互いの家族や友人達も。


 大きく息を吸い込んで。


 俺と栞、そして大事な人達の幸福を願う。


 細く強く息を吐き、全てのロウソクを火を消した。


 その瞬間を逃すことなくシャッターが切られ、そして拍手が起こる。


「ねぇ、涼は何を願ったの?」


「……内緒」


 真剣に願い事をしたけれど、それを口にするのは恥ずかしい。それに──


「えー! 私が教えてあげたのにー!」


「そうだね、ありがとう」


 こういうのは言わないほうが叶いそうな気がするから。栞は抱きついてる腕をガクガクと揺すってくるけど、笑って誤魔化した。


 俺の一番の願いなんて栞の事に決まってるのにね。


「それじゃ、さっそく切り分けてもらいましょうか。涼君と栞の二人で、ね?」


 文乃さんがそう言うと、栞はピタッと停止した。


「え、二人でするの?」


「そうよ〜? だってあなた達、文化祭で結婚式するんでしょ?」


「「えっ……」」


 今度は俺も固まる。なんで文乃さんが知って……。


「なんでって顔してるけど、継実に話したのなら私が知っててもおかしくないでしょ?」


「確かに……」


 親友同士で普段から頻繁にやり取りをしている文乃さんと継実さん。むしろ話が伝わっていないほうがおかしい。


「というわけでね、初めての共同作業よ。学校ではさすがにこんなことできないでしょ? それに栞のプレゼントだって──むぐっ〜……」


「わ、わー! お母さん、ダメー! まだ内緒なのにー!」


 栞が慌てて文乃さんの口を手で塞いだ。でもばっちりプレゼントと言うワードは聞こえてしまったわけで。


「プレゼントまで用意してくれてるの……?」


「うぅ……、一番最後に渡そうと思ってたのにぃ……。でもね、そりゃそうだよ。私が涼の誕生日に何も用意してないわけがないでしょ?」


「いやぁ、そう言われても……」


 そんな当たり前みたいに言われても、ねぇ……。絶対にもらえる、なんて自惚れてはいなかったのだ。


 まぁ、俺だって栞の誕生日プレゼントのことは考えているわけで、きっとお互い様なのだろう。


「とにかくっ! プレゼントは最後まで秘密だから!」


「わ、わかった……」


 今日はやたらと内緒と秘密の多い日だこと。栞のはもう少し先でわかるんだろうけどさ。


「二人共、そろそろいい?」


「あっ、はい」


 栞が母さんから包丁を受け取る。


「ほら、涼も」


「う、うん……」


 母さんに促されて、包丁を持つ栞の手に自分の手を重ねる。


 自然と栞と目が合って、揃って照れ笑いを浮かべた。


「共同作業って、別に初めてじゃないよね」


 すでに栞とは一緒に夕飯を作ったことがある。


「まぁ、こういうのは雰囲気だからね。あっ、涼、ちょっと右にずれてない?」


「あれ? なら、これくらいでいいかな?」


「うん、いいと思う」


「じゃあ、いくよ」


 位置を調整して、フルーツの隙間を縫うように慎重に包丁を入れていく。まだ包丁を扱うのが不慣れな俺を栞はしっかりとサポートしてくれる。


 なんとなく、結婚式でケーキカットをする意味がわかったような気がする。俺が栞に言ったことだけど、支え合うってことを実際に体現するというか。こうして栞と生きていきたいと、改めて強く思った。


 ケーキは綺麗に半分にカットされた。それを後二回程繰り返して、


「上手に切れたね?」


「うん、そうだね」


 見事にケーキは六等分されていた。


「二人共お疲れ様。おかげでいい絵が撮れたわ」


 母さんはスマホを手にフリフリ。


「また撮ってたの?」


「そりゃ撮るでしょ。今度はちゃんと動画よ! 大丈夫、心配しなくても後でちゃんと送ってあげるから」


「そんな心配はしてないけど」


「そう? まぁ、まだこの後も撮るんだけどね」


「え、まだ何かするの?」


「ここまでしたんだから、もちろんアレもやっとかなきゃ。ねぇ、文乃さん?」


「そうよ、涼君。ケーキカットの後はお互いに食べさせ合うのよ」


「そうなんですか」


 食べさせ合うのなんてさっきまで散々していたというのに。やれと言われればやるけどさ。


 そうこうしている間に、ケーキは取り皿に分けられていた。


「まずは涼から栞ちゃんにね」


 順番まで決まっているのか。クラスの出し物としてやるはずなのに、どうやら俺は色々と不勉強らしい。さすがに披露宴みたいなことはしないのでここまですることはないはずだけど。


「それじゃ、栞。あ〜ん」


 栞の小さな口に入りそうなくらいの大きさにフォークで掬う。


「あ〜ん」


 可愛らしく開かれた栞の口にケーキを運ぶと、その顔は蕩けるような笑みに変わる。


「ん〜、美味しいっ!」


 甘いものが好きな栞、どうやら味に満足したようだ。


「次は交代してね」


 そう言った文乃さんは栞の耳元で何かを囁やき、栞もそれに頷いた。


「じゃあ涼、いくよ?」


 栞が手にしているのは、なぜかとても大きなスプーン。そこに載せられたのは一口でギリギリ入るかという量のケーキ。


「待って待って! でかいって!」


「ふふ〜、大丈夫! 涼の口ならこれくらい入るよ! ほーら、あ〜ん!」


「あ、あ〜ん……」


 無理矢理、という感じで口を開かされて、なんとか口の中へ。甘みと、フルーツの甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。確かに美味しい。でもやっぱり大きくて、口の周りがクリームまみれになってしまっていた。


「もうっ、そんなに汚して。涼はしょうがないなぁ」


 俺が喋れないのをいいことに、栞が口の周りについたクリームを指で拭ってペロリと舐める。その間にどうにかこうにか飲み込んだ。


「栞があんなに入れるから」


「だ〜って、この一口の大きさが愛の大きさよ、ってお母さんが言うから」


 俺達の様子を熱心に撮影していた母さんと文乃さんを見ると、案の定ニヤニヤしていた。


「よかったわね、涼。そんなに愛されて」


「……」


 さっき耳打ちしていたのはこれだったのか。栞に愛されてるのを実感して嬉しいやら、それをネタにされて恥ずかしいやら。


「でも栞、そんな量で良かったの? 栞のことだから全部いっちゃうのかと思ってたのに」


「これ以上したらこぼしちゃうじゃん。そんなこと言い出したらホール全部でも足りなくなっちゃうもん」


「それもそうね。栞は涼君大好きだもんね?」


「お母さんはいちいちそんなわかりきってること言わなくていいのっ」


 さすがにホール全部でこられたら、顔面全体で受け止めることになるだろう。それはさすがにケーキに申し訳ない。


 それに、栞の想いはちゃんと伝わってる。こうして形にしなくても、この身に余るほどの愛情を受け取っているのだ。


「ありがと、栞」


 だから、俺も自分の気持ちを栞に伝える。皿をテーブルに置いて、栞を抱き寄せた。苦しくない程度に強く抱きしめると、栞もぎゅっと抱きついてくる。


 今は皆が見ているのでこんなことしかできないけど、それでも伝わるはずだ。その証拠に、栞の顔はケーキを食べた時以上に蕩けている。


「えへへ、涼、大好きっ」


「うん。俺も大好きだよ」


 なんとなく『愛してる』と言うのは二人きりの時だけ、というのが暗黙の了解になっている。だから、それはまた後に取っておくのだ。


「うぅ、涼君……。栞を、幸せにしてやってくれよぉ……!」


 突然、聡さんが抱きついてきた。俺と栞、二人まとめて。


 やっぱり相当酔っているらしく、いつもの落ち着いた雰囲気の聡さんはどこかへ行ってしまっていた。その目からはボロボロと涙がこぼれ落ちている。


「ちょっと、邪魔しないでよ、お父さん。せっかく涼が……。って、お酒臭っ……!」


 酔い潰す計画を立てていたのは栞のはずなのに、哀れ聡さん。酒臭いのは同感だけども。


「たまにはいいじゃないかぁ……。栞が涼君に嫁いだらこんなことなかなか……」


「はいはい、まだしばらくはどこにも行かないからね。ほら、お父さんは向こうでお母さんにケーキ食べさせてもらっておいで」


「うん……」


 お酒の力、こわっ!! 


 あの聡さんがまるで子供のようだ。泣きべそかきながら文乃さんに頭を撫でられて、ケーキを口に運んでもらっている。


 ついでに、うちの父さんはすでにリビングのソファに戻って船を漕いでいた。


 ……お酒は程々に、ね? 俺は飲んだことないけど。


「さっ、私達もケーキ食べちゃお?」


「う、うん……」


 なんだか聡さんのことが気になりすぎて、だんだんケーキの味がわからなくなってきた。最後まで栞が手ずから食べさせてくれたから、たぶんとっても甘かったんだと思う。

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