第122話 誕生日会2

 リビングへ続くドアの前で栞は足を止めて少しだけ脇にズレた。


「ここは涼が開けてくれる?」


「うん、わかった」


 また栞が何か仕掛けをしているに違いない。キラキラと期待に満ちた目を見ればわかる。俺はもう本日何度目かわからないドキドキを胸にドアを開ける。


「うわっ、すっご……!!」


 思わずそんな声が漏れた。


 そこは我が家の中でありながら、俺の知っている風景ではなかった。一続きのリビングダイニング、まず一番に目に飛び込んできたのは、


『涼、お誕生日おめでとう♡』


 と、丸っこい栞の字でデカデカと書かれた張り紙だった。他にも、壁の天井付近には色とりどりの紙テープで装飾が施されていたり、天井には風船がたくさん浮かんでいたり。中には手作りに見えるような飾り物もある。


「あっ、待ってたよ、涼君。すごいでしょ〜? この飾り、全部栞が用意したのよ?」


「もうっ、お母さん。そういうことは言わなくていいの。涼の驚いた顔が見れただけで満足なんだから──って、わっ……!」


 そんなことを聞かされたら、栞が俺に知られないように一人で準備をしている姿を想像したら、もう我慢なんてできなかった。これを一人で用意するなんて、大変に決まってる。


 聡さんや文乃さんが見ていたって構わない。栞を強く抱きしめて、髪を撫でて、おでこにキスをした。本当は唇にしたかったけど、さすがにそこまではできなかった。


「ありがと、栞。ここまでしてくれるなんて思ってなくて、もう、俺……」


 嬉しくて、また涙がボロボロとこぼれ出す。皆の前で泣くなんて恥ずかしいけど、止められない。栞が言ったように、このままだと干からびてしまうんじゃないかってくらい、とめどなく溢れてくる。


「今日の涼は泣き虫さんだねぇ」


 栞が笑って、俺の頭を撫でてくれる。


「だって……、こんなに、してもらったこと、今までなかったから……。栞がここまで……」


「私だけじゃないよ。確かに用意したのは私だけどね、飾り付けしてくれたのは私以外の皆なんだから」


 それもそうだ。朝はまだいつも通りだった。栞は一緒に学校へ行っていたのだし、帰ってからの10分程度ではここまでにするのは無理がある。


「ありがとう、ございます……」


 泣きながらお礼を伝えれば、全員から微笑みと頷きが返ってくる。


「それにね、お料理もだよ」


 栞の視線の先、テーブルの上には豪華な料理が所狭しと並べられていた。


「本当は私が作ってあげたかったんだけど、学校があったからね。お母さん達にお任せしちゃったの。ごめんね?」


「ううん、ここまで色々考えてくれただけで、嬉しいから……」


 もちろん欲を言えば栞の手料理があれば更に嬉しいとは思うけれど。顔には出ていなかったはずだが、そんな考えは栞にはあっさりと見抜かれてしまう。


「ふふっ、私のはまた今度作ってあげるからね」


「うん、楽しみにしてる」


 改めて、しっかりと栞を胸に抱く。今の気持ちをこれ以上言葉で表すのはもう無理だった。俺の語彙力が全然足りていない、追いつかない。だから、行動で伝えるしかなかった。


「はいはい! イチャイチャは後で思う存分させてあげるから、とりあえず始めるわよ! はい、涼はこれ持って。栞ちゃんもね」


「え、あ、うん……」


「水希さん、ありがとうございます」


 母さんに横から飲み物の入ったグラスを手渡された。それを受け取ると、栞は俺の横にぴったりと寄り添って立つ。


「それじゃ、栞ちゃんよろしくね!」


「はーいっ! では……、皆様お集まりいただきありがとうございます。今日は私達の大事な涼の誕生日──」


「ふふっ。私達って、一番涼君を大事にしてるのは栞じゃない?」


「ちょっと、お母さん! 余計な茶々入れないでよ! 私が一番なのは当たり前なのっ! それは誰にも譲らないんだからっ」


「だーってさ、涼?」


「母さん、うるさい……。俺だって栞が一番だからいいんだよ」


「あらあら、涼も言うようになったじゃない」


 と、余計な横槍はあったものの、栞は気を取り直してグラスを掲げる。


「それじゃ、えっと……、涼の誕生日を祝して、かんぱ〜い!」


「「「「「かんぱ〜い!!」」」」」


 栞がグラスを差し出してきたので、俺の持っているグラスを軽く触れ合わせると、キンッと涼やかな音が響いた。


「改めておめでとう、涼。16歳になった気分はどう?」


「もう死んでもいいくらいだよ……」


「えぇっ?! だめだよ?! 涼がいなくなったら私が死んじゃうよぉ……!」


「た、たとえだから! 本気じゃないからね?!」


「もうっ、冗談でもそんなこと言ったらダメだよ? めっ!」


 鼻の先を突かれて怒られてしまった。


 でも、それくらい満たされてしまったんだ。実際には今死んでしまうなんて、そんなもったいないことできるわけがない。栞との未来が楽しみで仕方がないのだから。


 この先に文化祭も待ってるし、栞の誕生日もまだ祝ってあげたことがない。一緒に色んな場所へ行ったりしてみたいとも思う。でもなにより、もっと栞の声を聞きたい、もっと笑った顔を見たい、もっと触れ合って、それから……。


 本当に結婚してさ、子供なんてできたらきっと可愛くて仕方がないんだろうな。一緒に歳を重ねて、今と違う栞の魅力に気付いて、また好きになったりしてさ……。


 あぁ、ダメだ。あげだしたらきりがない。こんなに満たされているというのに、俺はなんて欲張りなんだろう。


「涼……?」


 そんなことを考えていたら、いつの間にか栞が不安そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「あっ、ごめんね。なんか幸せだなぁって思って。大丈夫だよ、栞を残していなくなったりしないからね」


「うんっ」


「は〜い! ラブラブなところ、ちょーっと失礼するわね?」


 栞と見つめ合っていると、文乃さんがずいっと割り込んできた。料理がこんもりと盛られた取り皿を片手に持って。


「な、なに、お母さん?」


「んふふ〜。たくさんお料理作ったから、涼君に食べてもらおうと思って。はい、涼君、あ〜ん」


 文乃さんはフォークに指した唐揚げを差し出してくる。反射的に口を開けそうになったけど、どうにか直前で踏みとどまる。


 これを口にしたらきっと──


「あっ。お母さん、ダメっ! そういうのは私がするんだから!」


 ほらね。たぶん食べていたら栞はへそを曲げてしまっていただろう。


 危ないところだった。栞とそっくりの文乃さんだから、つい栞にされているような感覚になって身体が反応してしまう。


「えー……。栞のケチー……。私だって涼君のお世話したいのにぃ」


「お母さんにはお父さんがいるでしょ! 涼は私のっ……、じゃなかった……。とにかく涼には私がするの!」


「うちは娘だけだし、私も男の子のお世話ってちょっと憧れてたのよ? 栞ったら、ちょっと独占欲強すぎじゃない?」


「そんなことないし、これくらい普通だもん。それに涼だって私からの方がいいよね?」


「うん、まぁ、そうだね……」


 文乃さんには少し申し訳ないけど、栞の言う通りなのだ。


「ほらねっ!」


 栞は文乃さんから皿とフォークをひったくると、フォークに刺さったままの唐揚げを俺の口元へと運ぶ。


「はい、涼。あ〜ん」


「うん。あ〜ん」


 うん、やっぱり栞がいいな。


 でもこれ、たぶん作ってからそんなに時間が経ってない。外側はカリッとしてるし、中はジューシーで温かい肉汁が溢れてくる。


 それはきっと帰る時間を考えて用意してくれていたということだ。


「あらら、フラレちゃった」


「ごめんなさい、文乃さん。でも、すごく美味しいですよ」


「そっか。なら作ったかいがあったわね。それが我が家の味よ。栞も好きなのよ、これ」


「そうなんですか? なら……」


 俺はそっと栞の手からフォークを奪い取ると、皿から唐揚げを一つ刺して栞へ。


「はい、栞もあ〜ん」


「えぇっ?! 私はいいよぉ! 今日は涼の──」


「ほら、いいから。あ〜んして?」


「うぅ……。あ〜ん……」


 栞の口には少し大きかったらしく、めいっぱい口を開いてパクリ。口の中をいっぱいにしてモキュモキュしてる栞はなんだか小動物っぽくて可愛い。


 なんだかんだ言いながらも美味しかったらしく、頬が緩んでいた。それを見るのが楽しくて、続けてもう一個。


「りょ、涼?! もういいから! あんまり揚げ物ばっかり食べたら太っちゃう……」


「そんなこと気にしなくていいのに。むしろ栞は細すぎるくらいだよ?」


 お姫様抱っこをした時だって、貧弱な俺の腕でも簡単に持ち上がったくらいだ。


「うー……。じゃあもう一個だけね。じゃないとすぐぷよぷよな身体になっちゃうんだからね。涼だってそんな私イヤでしょ?」


「別にそんなことで嫌いになったりしないのに」


「もう……」


 まったく、栞はバカだなぁ。ハゲても好きだよって言ってくれたのと同じで、俺だって栞が多少太ったくらい気にはしない。さすがに健康を害するほどになったら心配はするけど。


 栞を好きになったのは外見だけじゃないのだ。そりゃ見た目だって大好きなことに違いはないけれど、俺が栞に惹かれているのは中身の方が大きいのだから。


「ほ〜ら、あ〜ん」


「あ〜ん……」


「ふふっ、二人共ご馳走様。幸せそうな二人が見れて私も嬉しいわ。これ以上はお邪魔だろうから向こうに行ってるね。予定通り、お父さんはしっかり酔い潰しておくから」


 俺達のやり取りをずっとニコニコしながら見ていた文乃さんは、そう言い残してリビングの方へ行ってしまった。


 リビングのローテーブルにも料理が並んでいて、そこでは母さんが父さんと聡さんにせっせとお酌をしている。父さんも準備の時にだいぶ打ち解けたのか、聡さんと笑いながら話をしていた。


「ねぇ、栞? 予定通りって、なに?」


 明日は週末で仕事は休みだろうから、多少飲みすぎても問題はないのかもしれない。けど、酔い潰す必要とは……?


 視線を戻すと、なぜか栞は真っ赤になっていた。


「えっとね……、まだ、内緒……」


 どうやら栞には、さらに何やら計画があるらしい。栞の考えてくれることだ、きっと俺にとって嬉しいことに違いない。


 それはひとまず後の楽しみに取っておくとして、今は食事を堪能することに。


 俺と栞は二人でダイニングの椅子に座る。お互いに食べさせ合ったり、それを時々母さんや文乃さんにからかわれて恥ずかしくなったり。だんだんと酔っ払っていく聡さんから何回もおめでとうと言われたりして。


 こうして、過去一番に楽しく賑やかな食事の時間が過ぎていった。

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