第121話 誕生日会1

 帰りの電車を降り駅を出て、弾むような足取りの栞と共に家路を歩く。さっきから視界の隅で栞の髪が楽しげにふわふわと揺れている。ここからが本番と言っていたし、きっと浮かれているのだろう。


 祝われる側である俺よりも栞のほうが幸せそうな顔をしていて、それほどまでに愛されてるんだなって思うと、俺も自然と頬が緩んでしまう。


 栞は俺の家の前まで来ると、繋いでいた手を離して、数歩駆けてからクルリと向きを変え、俺の正面に立つ。そして、わずかに腰を折り、にっこり上目遣いで見上げてくる。


「ねぇ、涼。ちょっとだけ準備があるから、悪いんだけど呼ぶまで玄関の前で待っててもらってもいいかな?」


「うん、大丈夫。待ってるよ」


 栞がなにか考えてくれているのは聞いているので、素直に指示に従うことに。


 俺が頷いたのを確認した栞は、鞄から母さんが渡したという合鍵を取り出して、自分で鍵を開けて家の中へと入っていった。


 俺の家のはずなのに、まるで栞の家のような振る舞いが少しだけ面白い。それだけ栞が我が家から受け入れられているってことなんだろうけど。


 待つ間、手持ち無沙汰になってしまったが、栞が何をしてくれるのかとワクワクが止まらない。まだかまだかと待ち続けて、10分程が経った頃俺のスマホが栞からの着信を告げた。


『涼、準備できたから、もう入ってきてもいいよ。あっ、でも電話切った後で10数えてからでお願いね!』


「わかった、じゃあとりあえず切るね」


 それだけの短い会話で電話を切り、スマホをポケットにしまって、頭の中で10まで数えてからドアノブに手をかける。栞が入っていった後は鍵の閉まる音がしなかったので開いているはず。ドキドキしながらゆっくりとドアを開けると──



 パァーーンッ!!



 と、大きな音が鳴り響く。


「わっ……!」


 続いて、頭上から色とりどりの紙テープが降り注いできた。そして──



「「「「「涼(君)、お誕生日おめでとー!!」」」」」



 五人分の声が重なり、俺を出迎えてくれた。


 栞を先頭に、その左には聡さんと文乃さん、右には父さんと母さんの姿がある。全員、驚いた俺の顔を見て、してやったりという笑顔を浮かべていた。


「ほら、涼。こっちだよ」


 栞が一歩前に出て、固まっていた俺の手をふわりと包みこんで家の中へと招き入れてくれる。


「どう? 驚いてくれた?」


「いろんな意味で驚いた! それに、栞のその服って……!」


 栞は初デートで俺が選んだ服を着てくれていたのだ。実はこの姿を見るのはあの日以来初めてのことだったりする。


「うん、涼が選んでくれたのだよ。大事にしすぎてあんまり着れてなかったんだけど、今日くらいは着ようかなぁって思って。えっと、どうかな?」


 あまりにも着てくれなかったので、もしかしたら気に入らなかったのかな、なんて思っていたのだがどうやらそうじゃなかったらしい。


「前に見た時も言ったけど、すごく似合ってる。何回見ても可愛いし綺麗だよ、栞」


 俺があの時、栞に一番似合うと思って選んだ服なのだ、可愛くないわけがない。


「へへ、よかったぁ」


 あの日よりも栞は更に明るくなって、それが服装ともマッチしていて、より一層魅力的に見える。俺があの頃以上に栞に惚れ込んでいるからかもしれないが。


 俺を出迎えるためにわざわざこの服に着替えてくれたのかと思うと、もうどうにかなってしまいそうで、思い切り栞を抱きしめた。


「栞、嬉しいよ……!」


「わわっ……。もう、涼ったら。私も嬉しいけど皆見てるよ?」


「あっ……、そうだった……」


 本当はそんなの構わないと言いたいところだけど、そういうわけにはいかない。うちの両親だけなら放っておくところだが、今日はなぜか聡さんと文乃さんもいるのだ。


「ふふ、相変わらずラブラブねぇ、二人共」


「私は涼君に会うのは久しぶりだからね。一時はどうなるかと思っていたけど、この様子なら……、うん、もう本当に平気そうだね」


 さすがに少しだけ気まずくなって、栞を腕から開放した。感極まって勢いで抱きしめてしまったけど、まだ栞のご両親の前でというのは気を遣う。


「えっと、聡さんと文乃さんはどうしてうちに……?」


「そりゃあ涼君のお祝いをするために決まってるじゃない? 栞から涼君の誕生日だって聞いちゃったからね」


 文乃さんはパチリとウインクをする。


「私も今日は半休が取れたから、せっかくならと思って参加させてもらうことにしたんだよ」


 聡さんは俺の顔を見て微笑んでくれた。


 まさかそこまでしてくれるとは思ってなくて、嬉しいやら申し訳ないやら。


「なんかすいません……。俺なんかのために……」


 そう言った俺に二人は少しだけ困ったような顔をした。


「涼君、また悪い癖が出てるよ。君はもう私達にとっても息子みたいなものなんだから、そう卑下しないでほしいな」


「そうよ。長い付き合いになるんだし、もっと仲良くなりたいじゃない? これはその一環ってことで、ね?」


 二人の温かい言葉に胸が熱くなる。栞以外にもこんなに俺を認めてくれる人がいる、それがたまらなく嬉しかった。


「すいません……、じゃなかった……。ありがとうございます!」


「うんうん、それでいいんだよ」


 聡さんが満足そうに頷いてくれたところで、今まで黙って見ていた母さんが口を開いた。


「涼? ちょーっと影が薄いかもしれないけど、うちのお父さんもいるわよ?」


「あっ、そうだ。父さんもいつもこんな時間に帰ってくることないのにどうしたの?」


「そりゃ、黒羽さんのところが二人とも来てくださるのに俺がいないわけにいかないだろ……。今日は休みを取ったんだよ。栞さんから話を聞いてたから、バレないように朝は少し外に出てたがな」


「そうだったんだ。でも仕事は大丈夫なの?」


「なに、一日くらいなら問題ないさ。大事な一人息子の誕生日だ。たまにはこういうのもいいだろ。おめでとう、涼」


「うん、ありがと、父さん」


 普段は口数の少ない父さんだが、大事にされてるんだと改めて実感した。それに母さんも。朝のあっさりさもなんとなく納得がいった。皆、俺のために栞の計画に協力してくれていたんだ。


「ってことで、今日は栞ちゃん主催の涼の誕生日会よ! の前に、まず涼は着替えてこないとね。ほら、早くいってらっしゃい」


「う、うん」


 母さんに背中を叩かれて自室へと追いやられた。


 制服を脱ぎ、何を着るかとしばらく考えて、栞が選んでくれた服を手に取った。夏用だけど、室内だし問題はないだろう。


 栞がそうしてくれたんだから、ここは俺も合わせるべきだって思ったんだ。


 そういえば俺も大事にしすぎていて、あまり袖を通していなかったっけ。こんなところでも俺と栞はよく似てるんだな、そう思うと勝手に笑いが漏れる。


「涼? どうしたの、一人で笑ったりなんかして」


 待ちきれなくなって迎えに来てくれたのだろうか、ドアが開いて栞が隙間からひょっこり顔を出した。


「ちょっと、栞?! ノックくらい……! まだ着替えてる途中なんだけど?!」


 ズボンを履きかけているところだったので、慌てて引き上げた。見られたかもしれないが、とりあえず着替えはこれで終わりだ。


「んー? 別に涼の裸なんて何回も見てるし今更でしょ?」


「そうだけど……!」


 栞は平気なのか……? 逆にもし俺が栞の着替えを覗いてしまったりしたら、申し訳なさでいっぱいになるんだけど……。何回見たってドキドキするんだから。


「あっ! それより、涼もその服着てくれたんだね?! 涼ならそうしてくれると思ってたよ」


 弾むような栞の声。どうやら俺の選択は間違っていなかったらしい。


「あ、うん。栞に合わせようと思ってさ。……変じゃない?」


「私が涼のために選んだんだもん、変なわけないでしょ? とっても似合ってるよ」


「そ、そっか、ありがとう」


「でもね──」


 栞の手が俺の頭に伸びてくる。俺は栞の意図を察してわずかに身を屈める。栞の目がありがと、と言うように柔らかく細められて。


 髪が梳かれ、撫でられ、整えられていく。朝もよくこうしてくれる。髪に触れる栞の手の感触が心地よくて、だらしない顔になりそう。


「これでよしっ。世界一格好良いよっ」


「いや、それは言い過ぎ……」


 相変わらず栞の俺への過大評価がすごすぎる。


「いいのっ。私にとってはそうなんだから。ほーらっ、皆待ってるから行こっ? 主役の涼がいないと始まらないんだからね」


 栞に手を引かれて自室を後にする。


 そうして、これまでの人生で最も盛大なものになる誕生日会へと向かうのだった。

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