十三章 涼の誕生日
第114話 『おやすみ』の前の『おめでとう』
クラスの企画が正式に『結婚式』ということで決定してからも何度か話し合いが行われて、少しずつ細かな部分が詰められていった。
参加者を募るポスターが絵の得意なクラスメイトによって用意されて、校内のあちこちに張り出されたりもした。これによってちらほら希望者が出てきてはいるが、まだまだクラスで決めた定員には達していない。
そんな中で俺と栞、遥と楓さんは一つのサプライズ企画を思い付いた。誰に何をするのかは今のところ俺達四人だけの秘密にしている。
そもそも実行可能かどうかはまだわからない。けれど上手くいけばきっと大きな感動を呼ぶことは間違いない、というのが四人揃っての見解だ。これに関しては遥と楓さんが内密に進めてくれることになっている。実現可能なところまで漕ぎ着けた段階で他の皆にも伝えるつもりだ。
合わせて、文化祭の翌日に控える体育祭の種目決めなんかも行われた。
一人最低一種目の参加が必須となっていたので、俺と栞は男女混合の二人三脚に名前を書いておいた。クラスメイト達からは「だろうな」という目で見られたが、運動があまり得意ではない俺には他に活躍できそうなところがなかったのだ。
体育祭については、今後の体育の授業時間が練習に割り当てられるらしい。
もちろん勉強についても手を抜いてはいない。学校祭の前には中間試験があるので、それに向けての対策も必要になる。放課後は俺の部屋で栞と一緒に予習復習をきっちりこなすようになった。
二人きりになるとついイチャイチャしたくなるけど、その時間を長く確保するのを目標に、勉強中は集中しようと二人で決めた。
これがうまくはまって、俺の集中力が以前より増したように思う。わからないところは栞が優しく丁寧に教えてくれるし、頑張ったらその後で栞が癒やしてくれる。当然、俺も頑張った栞を全力で甘やかすようにしている。
***
そんな忙しくも充実した日々を送っていたある日の夜、俺は寝る前の日課となっている電話で栞と話をしていた。
「ねぇ、栞? 今日はまだ寝ないの? 声がだいぶ眠そうだけど」
ここのところ毎朝俺を起こしに来てくれることもあって、栞が寝るのはどれだけ遅くても23時半をこえることはなかった。だと言うのに今日はやけに粘っていて、もうすぐ日付が変わろうとしている。
『ん〜……眠いのは眠いんだけどねぇ。でも、えへへ、今日はもうちょっと涼の声を聞いていたい気分なのっ』
返ってきたのは眠気でふにゃふにゃになった栞の声だった。これはこれで可愛いし、俺だってずっと栞の声を聞いていたいとは思うのだけど、栞が睡眠不足になってしまわないか心配になる。
「そんなに無理しなくても明日の朝には会えるんだよ?」
『わかってるけど、や〜な〜のっ! もうちょっとだけだから。ねぇ、お願い?』
「もう、しょうがないんだから。後ちょっとだけだよ?」
『うんっ、ありがと。涼、大好きっ』
本当に栞の我儘には困ったものだ、といっても全然困ってはいないのだけど。というよりか、むしろ逆。こうやって甘えられるのが嬉しくてしょうがないのだ。
「ん、俺も大好きだよ」
『あぅ……、涼に大好きって言われるとキスしたくなっちゃうよぉ。ね、明日も起こしに行くから、いっぱいしてね?』
「はいはい、わかってるよ」
朝の儀式をちゃんとしないと拗ねる栞は、最近その要求がエスカレートしてきて、一回しただけじゃ満足してくれなくなってしまっていた。おかげで時間がなくなって、俺は朝食を急いで詰め込むことになる日がしょっちゅうになった。
それなのに玄関を出る前にも、これから同じ場所へ向かうというのにいってきますのキスを要求される。俺も栞とのキスは好きなので全部応えてしまうのがよくないのだろうけど、やめる気はさらさらなかったりする。
遅刻しなければ、いいよね?
『あーっ! はい、は一回なんだよっ。そんな適当な返事してるとね、私からいっぱいキスしちゃうんだからね?』
「そんなの嬉しいだけじゃん」
そうしてくれると言うのなら、いくらでも適当な返事をしようと思う。でも、実際にやると『ちゃんと話聞いてる?』と怒られてしまうので加減が難しいところではある。
『あれぇ〜?』
まぁ、今の栞は半分寝ているようなものなので、自分が何をいってるのかわかってなくて、たぶん電話の向こうで小首を傾げていることだろう。
とまぁ、バカップル全開な会話をしているわけだけど、これはもういつも通りといってもいい。寝る前の眠気に襲われている栞は甘えん坊に拍車がかかるので、話の内容なんてあってないようなものになる。
どっちの方がより好きかなんて不毛にも競い合ったり、お互いに『大好き』やら『愛してる』やらを言い合ったり、そんな愚にもつかない会話をするのが常だ。
今日も今日とてそんな話をし続けて、ついには日付をまたいでしまった。俺もそろそろ眠気が限界に近付いてきた。
『あっ、0時過ぎたっ!』
栞の方もそれに気付いたようでわずかに声が大きくなる。
「あー……。ほら。そろそろ──」
──寝ようよ、という俺の言葉は最後まで言い切ることができなかった。
なぜなら、
『涼っ! お誕生日おめでとうっ!』
栞が俺の言葉を遮るようにそう言ったから。
「えっ?」
『えへへ、これが言いたかったんだよ。私がね、最初に涼におめでとうを言いたかったの』
栞が相変わらず眠そうな声で笑う。
「あれ、えっと、今日って何日だっけ……?」
『日付が変わって25日になったよ。涼のお誕生日でしょ? もしかして忘れてたの?』
「いやっ、そんなことは……」
ないとは言えなかった。正直忘れていた。文化祭のあれこれで忙しかったというのもある。それに、今まで誕生日を両親以外に祝ってもらうことがなかったので、こういうことがあると予想もしていなかった。
『ふふ、やっぱり忘れてたんでしょー? もう、しょうがないなぁ、涼は。今年からは毎年私が一番にお祝いしてあげるね? 涼が忘れてても、私がちゃんと思い出させてあげるから』
「うん、ありがと、栞……」
もう栞からの『おめでとう』の一言だけで胸がいっぱいになってしまった。家族以外の誰かに、いや違う、大好きな、愛する栞から祝ってもらえるのがこんなに嬉しいなんて。嬉しくて嬉しくて、涙まで浮かんできて。不覚にもグスッと鼻が鳴った。
『あ、あれ……? 涼、泣いてるの……?』
不安そうな栞の声がする。
「うん、嬉しくて……。あり、がと、栞……」
涙が溢れて、うまく言葉が出てこない。
そんな俺の耳に栞がホッと息をつく音が聞こえてきた。
『もう……、大袈裟だよぉ。まだおめでとうしか言ってないんだからね?』
「だって……」
こんな気持ち初めてなんだ。栞とはこれまでにもたくさん嬉しくて幸せなことをしてきたけれど、そのどれもと違っていた。二人で、じゃないんだ。栞が俺のためだけに。
栞だって眠たいはずなのにそれを我慢して、俺の誕生日を祝うためだけにここまでしてくれたことが幸せすぎた。
『まだちゃんとお祝いしてあげてないのに。そんなんじゃ今日が終わる頃には泣きすぎて干からびちゃうよ? 私、今日のために色々考えてきたんだからね』
優しい優しい栞の声。その声が心に染み渡って、じんわりと温かい気持ちになる。
これは本格的に覚悟を決めておかなければいけないかもしれない。栞の言葉からすると、これだけじゃないということになるのだから。何をしてくれるつもりかは知る由もないけど『おめでとう』の言葉だけじゃないというのはわかる。
「ありがとう、栞。楽しみに、してるね」
『んっ。なら、もうそろそろ寝よっか? さすがに寝坊して遅刻はまずいもんね』
「うん、そうしよっか」
少しずつ落ち着いて涙はおさまってきたけど、心は幸福感で満たされている。きっと横になったらとても気持ちよく眠れることだろう。
『じゃあ、えっとね……』
少し恥ずかしそうに栞が言葉を区切る。
「ん?」
『あのね……』
「うん、なに?」
『私ね、涼のこと、この世で一番……、ううん、唯一かな? 愛してる、よ』
恥ずかしそうで、消え入りそうな声。
止まっていたはずの涙がまた溢れそうになる。でもぐっと堪えた。泣いてしまったらちゃんと言葉にできない気がして。
「俺もだよ。こんな気持ちも、言葉も、全部栞だけだから。愛してる、栞」
『えへ、えへへ。涼の誕生日なのに私まで言ってもらっちゃった。なんか恥ずかしいね……?』
「そう、だね……」
顔が熱い。たぶん栞もそれは同じだろう。きっと真っ赤な顔をしてると思う。
しばらくの沈黙の後、栞が口を開いた。
『……おやすみ、涼』
「おやすみ、栞」
俺が答えると、電話は静かに途切れた。もう栞の声は聞こえてこない。でも、すぐ側に栞が居るような、そんな錯覚がした。
栞の声を届けてくれていたスマホを枕元にそっと置いて、ベッドに横になる。そして、きっと今も照れているであろう栞の顔を思い浮かべながら眠りについた。
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