第111話 ハゲても好きだから
昼食(また栞が腕を振るってくれた)を終えてから、俺達は家を出た。もちろん継実さんのところに相談に行くために。散々にからかってくる母さんから逃げるためというのもないでもない。
継実さんには栞がすでに連絡をしてくれていて、時間を作ってもらっているそうだ。
俺の家からだと歩きで40分程度かかる距離だが、そんな時間も栞と話をしながらだとあっという間に過ぎてしまう。
そして今、俺達は小洒落た外観の建物の前に立っている。それは経営者であり美容師の継実さんの名を冠した美容室だ。
一度訪れて、顔を合わせたことがあるので緊張しないかと思っていたのに、相談する内容が内容なので胃の辺りがきゅっとなる。そんな俺を余所に、栞は躊躇なくそのドアを開けた。
カランとドアに付けられたベルが鳴り、さっさと栞は中へと入っていく。俺としては心の準備をしたいところではあったが、こうしていても取り残されるだけなので慌てて栞を追いかける。そもそも俺の手はいつも通り栞の手に繋がれているので、そうする他はない。
「おっ、来たね二人共。いらっしゃい、待ってたよ」
すぐに継実さんが出迎えてくれた。継実さんはカウンターの前に座って事務仕事をしていたようだ。
「こんにちは、継実さん」
にこやかに挨拶する栞に俺も続く。
「こんにちは。今日は時間を作ってもらってありがとうございます」
「いいよいいよ、他でもない栞ちゃんの頼みだしさ。にしても二人共、文乃から色々聞いてるよー? なにやら大喧嘩したとか?」
チラリと俺を見た継実さんの目が光ったような気がする。
「いえ、大喧嘩はしてないですよ……?」
栞に大声を出させてしまったけど、大喧嘩ってわけじゃない。あれは俺が栞の心の淀みを発散させようとして、煽るようなことを言ったからだ。
「あれ、そうなの? 文乃からは、解決したみたいだけど、栞ちゃんの怒鳴り声がして焦ったって聞いたよ?」
「えっと、ごめんなさい……。あれは私が勝手に一人で悩んでたせいと言いますか……。結局涼がどうにかしてくれたんですけど。だから、喧嘩、じゃないんです」
「ふ〜ん? まぁそういうことにしておきましょうか。よかったねぇ、高原君?」
「えっと、何が、でしょう?」
「そりゃあ、ハゲにならなくて、じゃない?」
継実さんは俺を見てニヤリと笑った。
「うっ……」
正直、俺はこの話が出た時からヒヤヒヤしていたんだ。結果的に栞を泣かせてしまったのは事実なわけだし。
「ねぇ、涼? ハゲって、何の話?」
栞が俺の頭を見ながらコテンと小首を傾げる。そういえばあの時の栞は眠っていたからこの話は知らないんだったっけ。
「えっと、それは……」
「私が言ってやったのよ。栞ちゃんを泣かせたら、一生髪が生えないようにしてやるってね」
言い淀む俺の代わりに継実さんが答えた。そりゃもうドヤ顔で。
「ええっ?! だ、だめですよ、そんなことしちゃ?! せっかく今の涼、とっても格好いいのに!」
栞はまるで継実さんの手から守るように、慌てて俺をその背中に隠した。なんとも情けない姿だ。守ってくれようとするのは嬉しいは嬉しいけどさ。
「あらあら、残念、ダメだってさ。栞ちゃんに言われたら諦めるしかないよねぇ。って、別に本気じゃなかったけど、ね?」
いや、この人本気だ。目がそう言ってる。今回は見逃してくれるようだけど、本当に何かあったら……。
いやいや、俺に栞を泣かせるつもりなんて一切ないわけで。あの件についても栞はしっかり納得してくれて。なら、うん。きっと大丈夫、なはず。
って、残念ってどういうこと?!
「まぁ、歳取ったら自然とハゲることもあるかもだしねぇ」
継実さんはちょっと意地悪な表情で俺の顔を見る。もしかして、ハゲるの期待されてる……?
可愛がってた栞についた悪い虫、みたいに思われてないよね……?
ちょっと不安になってきた。
「それはそれでしょうがないというか……。あのね涼。もし涼が将来ハゲても、そんなことで嫌いになったりしないからね? 安心してね? ハゲても涼のこと、ずっと好きなままだからね?」
栞はクルリと俺の方を向き、ぎゅっと抱きついてくる。不安になってたところに、栞の好きが染み渡るようだ。
「あぁ、うん。ありがとう、でいいのかな……?」
「うんっ、えへへ」
栞の笑った顔はとっても可愛いし、そう言ってくれるのはありがたいけど、ハゲる前提で話が進んでいることだけが少しだけ複雑だった。できることならハゲたくないと思うのは、ほとんどの男が同じ気持ちなのではないだろうか。
「ま、この様子なら私が手を下すこともないかもね。ま、仲良くやりなさいよ……」
「「はい……」」
俺と栞は揃って頭を縦に振った。
それにしても、継実さんに俺達の話が漏れ過ぎなんじゃと思う。そこは文乃さんとの関係を考えれば仕方ないかと飲み込んでおいたけど。
きっと継実さんはこれだけじゃなくて色々聞いてるんだろうな……。
「っと、話が逸れちゃったけどさ、栞ちゃん。相談したいことってなんなの? 二人揃ってカットしたいって言うなら予約受けるけど? あれ? それなら電話で済むよね?」
ついに来てしまったようだ。本題を話す時が。
俺と栞は顔を見合わせて頷き合う。そして、栞が口を開いて、
「あ、あの、継実さん」
「うん?」
真剣な様子の栞に継実さんも居住まいを正す。
そして──。
「私達の結婚式、継実さんに手伝ってもらいたいんです!」
半ば叫ぶように放たれた栞の言葉に俺は崩れ落ちそうになった。いくらなんでも端折りすぎだよ! って。
「結婚式……? なに、もうそんな先の相談? そりゃ栞ちゃんが結婚式する時は私がヘアメイクしてあげたいけどさ。あれ、そういえば文乃が婚約がどうとか言ってたっけ? さすがに早いだろって冗談半分に聞いてたけど」
ほら、全然伝わってないうえに呆れた顔までされてしまった。どうやら継実さんはまともな感性の持ち主のようだ。やっぱり早すぎるって思うよね、普通は。
「あのっ、えっと……、そうじゃなくてっ……。それは違わないんだけど、う〜んと……」
まぁしてしまったのは冗談でもなんでもないのだが。俺もそのつもりでプロポーズ、したわけだし?
今はそういう話をしに来たわけじゃないけど。
「えーっと、継実さん。実はですね……」
とにかく、栞がちょっとパニックになっていそうなので、しょうがなく代わりに俺が経緯を説明することになった。
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