第110話 ミイラ取りがミイラになる
週末の朝、ベッドに横たわり未だ眠りのうちにいる俺は違和感を感じた。目覚めに向けて眠りが浅いところへと戻ってきたから気付けたんだと思う。
ベッドの中に俺のものとは違う温もりがあることに。
夜はいつも通り一人でベッドに入ったはずなのに、今は俺以外にも誰かがいる。というか、俺の腕の中に勝手にもぐりこまれている。
胸板にふにょんと押し付けられた柔らかい感触、心地よい体温、鼻先にあると思われる髪から甘い匂いがして。
……。
「って、栞?!」
俺はその犯人の名前を叫びながら飛び起きた。
こんなことをするのは栞以外にいない。抱きしめ慣れたその感触からも間違いない。
そうじゃなきゃ残るは母さんくらいしかいないわけで……。想像しただけで背筋がゾワッとして、慌ててその想像を頭の外に蹴り出した。
横を見れば思った通り、いたのが栞で安心する。
……って、安心するところなのか?
栞は下はジーンズ、上はTシャツに秋っぽくベージュのカーディガンという、ラフではあるけど寝るにはあまり相応しくない格好ですぅすぅと寝息を立てていた。
栞は前に俺の耳に息を吹きかけて起こしてくれた時の反応に味をしめたのか、それから毎朝俺を起こしにきてくれるようになった。普段は揺すって起こしてくれるだけだけど、アラームは鳴った瞬間に栞の手によって止められる。どうしても栞自身が起こすことにこだわりを持っているらしい。
母さんからうちの合鍵をもらい、いつでも来ていいと言われているせいか、栞からどんどん遠慮がなくなってるような気がする。
今日なんて、なぜか俺のベッドに潜り込んで一緒になって寝ているわけで。
「って、なんで栞が寝てるんだ……?」
起こしに来たのならまだわかるんだけど。
「んん〜……? 涼……」
俺が名前を呼んだのに反応したのか栞は身じろぎをするが、目覚める様子はない。頬を緩めてむにゃむにゃ言いながら、可愛らしい寝顔を披露してくれている。
今日は午後から継実さんのところに例の件を相談しに行く予定になっていたので、俺は勝手に昼過ぎくらいから会うものだと思っていた。明確に決めていなかったのがいけないんだろうけど、栞のすることにはたまに、いや、しばしば驚かされる。
「まったくもう……」
そう呟く俺だけど、顔は笑っていたと思う。
こんな幸せそうな寝顔を見せられたら、細かいことなんてどうでもよくなってしまうのだ。
サラリと栞の前髪に触れると、くすぐったそうにピクリと反応が返ってくる。頭を撫でれば更に顔が緩んでいく。頬を突くとちょっとだけ顔をしかめて、頬を撫でると自分から顔を擦り付けてくる。
あぁ、もう……、可愛すぎる……。
驚かされた対価として、俺は栞が起きるまでたっぷりと寝顔を鑑賞させてもらうことにした。もちろんちょくちょくちょっかいをかけて反応を楽しみながらだ。
眠っているくせに色んな顔を見せてくれて、それはそれは充実した時間だった。
*
「えへへ、ごめんね。起こしに来たはずなのに、私まで寝ちゃってたよ」
目覚めた栞は照れながら笑って言う。
「なんで起こしに来たのに寝てたの?」
起こしに来たというところまでは俺の予想通り。でもそれがなぜ、という疑問を栞に投げかけてみる。起こしに来たのに一緒に寝てたらダメだろうに。
「だって今日は学校お休みでしょ? ちょっと早く来すぎちゃったから、もう少し寝かせてあげよっかなって思ってさ」
「寝てた理由になってないんだけど……」
「それは、ほら。涼の寝顔をよく見ようと思ってね、隣に横になったら寝惚けた涼にぎゅってされて捕まっちゃったんだよ」
……。
勝手に腕の中に潜り込まれたんじゃなくて、俺が無意識に抱きしめていたらしい。寝ていても、俺の身体はそこにいるのが栞だと判断して勝手に動いていたということになる。
「あ、そうだったんだ……」
「それでね、涼の寝息を聞きながら、涼の匂いに包まれてたら眠くなっちゃってね」
「う、うん、だいたいわかったよ……。もうそれくらいで……」
つまり栞が俺のベッドで寝ていた理由の半分くらいは俺のせい。つまり何も言えないわけで。
それに寝息だの匂いだの言われるとなんか恥ずかしいし。
「涼ってば寝てるくせに強引だったんだよ? 抜け出そうとしてもがっちり掴まれて動けなかったんだから」
「それはなんか、ごめん」
それだけ俺が栞のことを求めてるってことなのかなぁと思ったりして。
「そんなことよりさ、涼?」
「うん?」
「大事なこと忘れてない?」
栞の目が僅かに細くなる。責めるような、そんな目。
「あっ、ごめん」
栞の寝起きドッキリ(?)のせいですっかり忘れていた。先日栞は察してしてくれる、と言っていたが実際はこんなもんだ。栞がわかりやすくしてほしそうにするからできることなのだ。
「栞、おはよ」
そう言って頬を膨らませかけていた栞に口付けをする。朝の挨拶なので軽めに、でも栞の唇の感触が気持ち良くて短く何度もしてしまった。
「えへへ。おはよ、涼」
ちゃんと朝の儀式を済ませればこの通り、すっかりご機嫌な栞の出来上がりだ。そもそも一緒にいて機嫌が悪くなることのほうが珍しいのだ。あっても可愛く拗ねる程度だから。
俺も身支度を整えてから、母さんと父さん(なぜか栞が来ても隠れなくなった)に生温かい目で見られながら栞が用意してくれた朝食を食べることに。
「なんか栞ちゃんすっかり奥さんみたいねぇ。通い妻ってやつ?」
と母さんに言われて、ドキッとした。文化祭のことは言っていないので知らないはずだけど、ちょっとタイムリーすぎる。
「奥さん……、妻……。ね、ねぇ、涼。奥さんだって、どうしよう!」
栞は赤くなった頬に両手を添えてモジモジしながらも口元が緩んでいるので内心喜んでいそうだ。
前に遥達にも言われた気がするけど……。
「なんなら高校卒業したら結婚しちゃう? 学生結婚でも、うちは全然構わないわよ?」
母さんがニヤッと笑いながら言う。俺達をからかって冗談を言っているのが丸わかりだ。
「えっ! いいんですか?!」
栞は栞で冗談を真に受けてるし……。
「聡さんと文乃さんが許してくれないでしょ……」
うちはなんというか、母さんのノリは軽いし、栞ならウェルカムって雰囲気だからいいとして。真面目そうな聡さんと文乃さんが首を縦に振らなそうな気がする。俺の勝手な予感だけど。
「お父さん達も別に何も言わないと思うけどなぁ。ねぇ、もし許してもらえたらしてくれる?」
「いやぁ、さすがに早いんじゃないかなぁ……」
そりゃそのつもりで色々考えてるわけなんだけど、どうしても自立もできていないうちから、というのはどうかと思う。
「ふ〜ん……? 涼はイヤ、なんだ……?」
栞はそう言うと、目を手で覆って、グスンと鼻を鳴らした。
えー、泣いてる……?!
そんなつもりのなかったので、俺は焦ってしまう。
「いやっ、イヤじゃ──」
「あーあ、涼が栞ちゃん泣かせちゃった」
「いや、だからっ!」
母さんまで口出ししてきて、どう収拾をつけたらいいのかわからなくてオロオロするばかりだ。
そんな俺を見て、栞がぷっと吹き出した。
「ふふっ、涼焦りすぎだよ。冗談に決まってるでしょ?」
……。
あんなに焦らされたのに、栞ときたら。俺は強引に栞を抱き寄せた。
「わっ……! 涼……?」
「あぁもう、栞のバカ」
なぜか今度は俺が泣きそうになっていた。栞に俺の気持ちが伝わってなかったのかって不安になってたんだ。
「ごめんね?」
「俺だって色々考えてるんだから」
「うん、知ってる」
「ならもうあんなこと言わないで」
「うん、ごめんなさい」
わかってくれたならもうこれ以上言うことはない。栞も申し訳なさそうな顔をしてるし。
それはそれとしてしばらく栞を抱きしめておいた。母さんの冷やかしも飛んできたけど、聞かないふりして。
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