第106話 新たな日常
連城先生の謎の呟き、いったい何が始まるのかと気にはなるけど、それよりも今は周囲の状況だ。先生は既に教室に来ているというのに、ほとんど誰も席につこうとはしない。
まず男子達(たぶん彼女なし)は自分達で俺と栞を焚き付けたくせに、床に崩れ落ちて血涙を流す勢いで悔しがっている。
──俺にも彼女がいれば……!
──あんなふうにイチャイチャしてみてぇよ……!
──当てつけみたいにマジでやりやがって……
そんな声がちらほら聞こえてくる。見せつけられてそう思うのなら、キスしろなんて言わなければよかったのに。ノセられて実際にやってしまう俺達も俺達なのだけど。
やたら盛り上がって囃し立てているやつらは余裕が見えるし、まぁきっとそういうことなんだろう。
その反面女子達はというと、いい例が楓さんの反応だ。
「きゃーーーっ! しおりんってば、だっいたーん!!」
なんて叫んで栞に抱きついてもみくちゃにしていた。もちろん橘さんも一緒になって。
──すっごい情熱的で、見ててドキドキしちゃったよっ!
──ねー! 黒羽さん、めっちゃ幸せそうな顔してたしー!
──あっ、私……、鼻血出てきちゃった……
他の女子はそれを取り囲むようにして、皆揃ってキャイキャイと、そりゃもう楽しそうでなによりなことで。一人だけ心配になる人がいたけど。
どんだけ興奮してるんだか……。
「高原、羨ましいぞ……!」
さっきから俺の肩をギリギリと痛いくらいに掴んでいるのは漣だった。
「漣、痛いって。やめてほしいんだけど……?」
「いいや、やめないね。全男子を代表してさっきの幸せ分をプラマイゼロにしてやる!」
そう言いながら、俺の両肩を掴んでガクガクと前後に揺さぶってくる。
「ちょっ……! や、やめっ……!」
いや、お前には橘さんがいるだろうが!
とは思ったけれど、
「ね、ねぇ、栞ちゃん? 栞ちゃん達ってさ、その……、初めてのキスはどっちからしたの?」
と、橘さんが熱心に栞に質問しているので、もしかするとこの二人はまだそこまでいっていないのかもしれない。
この二人が付き合ったのは登校日からだから、もうすぐ一ヶ月になるのかな?
人には人のペースがあるので、余計な口を挟むつもりはないが、漣も羨ましがるくらいならさっさとすればいいのに。
俺達はというと、初めてのキスは付き合った数日後にしていたりする。
それ以降はもう会うたびに、一緒にいる間にはちょくちょく、いや結構、かなり頻繁に……? すでに栞と何回キスしたのか数えるのも難しくなっている。そもそも最初から回数なんて数えてないんだけど。
やっぱり俺と栞の関係って進むの早すぎるのかな?
だってまだ栞と付き合い始めて一ヶ月半も経っていないわけで。それなのに、まだ口約束みたいなものとはいえ婚約までしてしまった俺達はきっと異常なんだろう。
ゆっくりと進む関係、というのもそれはそれで楽しかったのかもしれないけど、一気に深まった今の俺達の関係を悪いとは思ってはいない。
だって、それもこれも俺達がお互いに向ける想いが強すぎるせいだから。
だから今の俺達の関係は必然なんだって思う。それにお互いが満足してのことなら、速度なんてきっとどうだっていいんだ。
それに……、栞はすごく積極的というか。俺としては嬉しいんだけど、時々タジタジになってしまうほど。初めて栞と、その……、した時なんて、俺の方が押し倒されて……。
思い出すだけで自分のヘタレさが身にしみるが、栞はそんな俺がいいと言ってくれる。俺に甘い甘いと言う栞も、大概俺には甘すぎると思う。
「えっとねぇ、初めてしたのはほっぺだったんだけど、それは私からだよ。それでこっちの初めてはね、へへ、涼からなんだ〜……」
チラッと栞を見れば、唇に指を当てて嬉しそうに説明中。その時のことを思い出しているのか、頬が少しだけ赤い。橘さんは興味津々、瞳を輝かせて聞き入っていた。
「高原君からなんだっ! 栞ちゃん、いいなー!」
「でもね、状況を作ったのは私って言うか……。いい感じの雰囲気になった時にね、キスしてほしいな〜って思いながら目を閉じたらしてくれたのっ!」
「ひゃーっ! 遥なんて素直じゃないからいっつも私から強引にするんだよっ。それにひきかえ、やっぱり高原君はさすがだよね!」
すっかりキス談義に花が咲いていた。引き合いに出されて流れ弾を食らっている遥も大変そうだが、俺だっていたたまれない。
さすがって何がだろう……?
「うんっ、涼はいつでもしてほしい時にしてくれるんだよ。たまには私からしてって言う時もあるけどね、だいたいは察してしてくれてね。私のことちゃんと見ててくれて、わかってくれるところがね、本当に大好きなのっ」
栞は頬に手を当てて、照れながらも話をするのをやめない。栞の口からは次々に俺の好きなところが飛び出してくる。
ちょっと栞っ……?! もうそのあたりでやめてもらえると……!
って皆の前でキスの実演までしてみせたわけで、思い返せばとんでもないことしたんじゃないかと、今更ながら恥ずかしくなってきた。
栞は嬉しそうだし、幸せそうだし、そんな顔はめちゃくちゃ可愛いんだけど……。だからキスしたくなるし、色々と許しちゃうんだけど……。
おかげですぐ抑えが効かなくなってしまって。でも、やっぱり人前でしたのは恥ずかしい。思い出すだけで顔から火が出そうだ。
「ほーらっ! 気持ちはわかるけど、皆いい加減席につきなさーい!」
パンパンっと手を叩いて着席を促す先生に助けられた気がする。あのままだったら恥ずかしさが限界突破して教室を飛び出していたことだろう。
皆まだ興奮冷めやらぬ様子で渋々席へと戻っていき、俺もそれに続くことに。
途中で栞が俺の手にちょこんと触れてきて、はにかむように「えへへっ」と笑った顔に癒やされた。恥ずかしさの大半の原因は栞なのだけど、アフターケアは万全らしい。
この顔が見られるのならなんでもいっかと思ってしまう俺が、栞に対してチョロすぎるだけという可能性も否定できないけども。
そこからは連城先生から朝の連絡事項が告げられて、授業が始まって。いつも通りの教室の風景へと戻っていった。
ただ、数日前までと明らかに違うことがある。それは休み時間になると俺の隣に笑顔の栞がいてくれること。悩み事によって調子の悪かった栞はもういない。おかげで俺の心配事もなくなった。
そしてその周りには遥を初めとした友人達がいて。
賑やかで楽しい時間。
ずっと俺には手が届かないと思っていた時間。
夏休みの前までは羨ましく思いながらも、ただただ眺めていることしかできなかったその光景の中に、確かに俺が、俺と栞が存在していた。
そしてそれはきっと、これから日常へと変わっていくことだろう。
俺の朝の謎が解けたのはその日の帰りのHRでのこと。
「さーて! 全員がそろったところで、ようやく始めるわよ! 文化祭の出し物決めをね!」
連城先生が高らかに宣言した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます