第105話 公開キス
教室の入口手前に辿り着いたところで栞は足を止めた。
「どうしたの、栞?」
「な、なんかね。休んだ後って、ちょっと教室入りにくくない……?」
この心理の原因は不明だが、わからないでもない。謎の不安感というかなんというか。でも、そんなのを気にしていたら一向に教室に入れないわけで。
「大丈夫だよ」
繋いだ手に少しだけ力を込めて、安心させるように。俺が一緒だからって。
「……そうだね」
栞も俺の手をしっかり握り返してくれた。
「「おはよう」」
声を揃えて教室へと足を踏み入れる。
と、次の瞬間──
「しっおりーーーん!!」
「きゃっ……!」
飼い主と数日間離れ離れにさせられた大型犬よろしく、楓さんが栞へと飛び付ついた。
「心配したんだからねー! しおりんが元気になってよかったよぉ……!」
「ちょっと彩香……。く、苦しいよ……」
楓さんのスキンシップは、なかなか激しいらしい。
「彩ちゃんだけずるいっ……! わ、私も……!」
楓さんに続いて寄ってきた橘さんが、栞と楓さんをまとめてそっと抱きしめた。
なんとなく邪魔するのが悪いような気がして、俺は少し引いたところでそれを眺めている。
「もうっ、二人とも大袈裟だよ。でも、ありがとね。彩香も紗月も心配かけてごめんね」
「んーん! いいよっ! 今日のしおりんは元気そうだしね!」
「そう、だね。なんか涼にお見舞いに来てもらったら、すぐ良くなっちゃったよ」
実際はお見舞いという名の話し合いであったわけだが、今はそこまで話す必要はないだろう。
「まぁ、なんにせよ良かったよな。涼も黒羽さんがいなくて元気なかったし」
いつの間にか左後ろに遥が立っていて、ポンと肩を叩かれた。反対側の右後ろには漣もいて頷いている。
「そりゃ、ね。栞は大事な彼女だし、いなかったら寂し──」
「私、もう涼の彼女じゃないよ?」
俺の言葉を遮り、とんでもないことを言う栞に一同ギョッとした顔をする。
その中で俺だけが内心でこれはまずいと思っていた。なんとなく栞がこれから言おうとしていることがわかってしまって。
「えっ? なに? しおりん達、もしかして別れ、て……?」
「で、でも、さっきは手繋いで教室入ってきたよね……?」
「おい、涼っ! どういうことだよ?!」
「まじか高原……」
「いやっ、別れてはっ……!」
その場にいた遥と楓さん、漣と橘さん以外のクラスメイトまでもがざわつき始めて。だんだんと騒ぎが大きくなっていって俺の声は掻き消されてしまう。
──なになに? まさかあの二人、破局なの?!
──ありえねぇって。来る途中、二人で腕組んで歩いてるの見たし。
──でも、黒羽さんはもう彼女じゃないって。
──じゃあ結局どういうことなの……?
栞はそれを満足そうに眺めて、教室にいる全員の意識が向いたところで満を持して口を開く。
遥と漣に詰め寄られている俺にはそれを止めることはできない。
「私ね、涼の婚約者なの。もちろん別れてないし、彼女っていうのも間違いじゃないけどね」
水を打ったように静まり返る教室内。そして、この次に起こることは予測がつく。
俺は、観念してそれに備えることになるのだった。
案の定、
──きゃあぁぁぁーーーーー!!
女子の歓声が響き渡り、
──うおぉぉぉぉーーーーー!!
男子の雄叫びが空気を震わせた。
「おい、涼! なんだよそれ?! 聞いてねぇぞ!」
遥がガシッと俺の左肩を掴み、
「婚約って、まじかよ……!」
漣も遥同様に右肩を。そして、早く事情を話せと俺を揺する。
いや、遥も漣もちょっと落ち着こ……?
というか、こんなに揺さぶられたら、何も言えないからっ……!
「ちょっとしおりん! それ本当なのっ?!」
「栞ちゃん。婚約ってあの婚約、だよね……?」
他にどんな婚約があるというのだろうか。コンニャクの聞き間違え、というのも無理がある。
というのはさておき、栞はなぜかとても落ち着いていて、得意気にさらにもう一押し、
「本当だよ。ちゃんとね、お父さんにもお母さんにも許してもらってるんだから。もちろん、涼のご両親にも。ね、涼?」
そう言って俺に向けてニッコリと微笑んだ。
「いや、本当だけど……」
栞の笑顔に負けて肯定してしまったわけだが。これが、俺にさらなる試練をもたらすなんて思いもしなかった。
──やっぱり本当なんだぁ……!
──でもまだ高一だぞ? 普通親が許すか?
──でも二人ともこう言ってるし!
──じゃあ、証明してもらったらいいんじゃない?
──証明って、どうするんだ?
──前にハグは見せてもらったしー、やっぱりここはキス、とか……?
誰が言ったのかはわからない。わからないが俺と栞へ全ての視線が突き刺さる。
「おっ、いいじゃねぇか。いってこい、涼!」
トンっと遥に背中を押されて、そのままよろめきながら栞の前へ。
「ほーら、しおりんもっ!」
向かい合って立たされた俺達。そこで始まったのがキスコール。
──キース! キース! キース!
たぶん、もう理由なんてどうでもよくなってそうな雰囲気がする。こんなのただの悪ノリでしかない。キスくらいで証明なんてできないのだし。
「いやっ、さすがにそれは!」
栞だって人前でそんな事は──
「ねぇ、涼。えっと、する……?」
栞がポツリと呟いた。
またしても俺は栞のことを舐めていたのかもしれない。栞は頬を染め瞳を潤ませて、俺の目を見つめてきて。
「涼は、いや……?」
「いや、じゃないけど……」
いやなわけがない。それどころかむしろ。でも、こんなところで……。
「なら、いいよね? 私ね、今したいの。ねぇ、見せつけちゃお?」
栞がそんなことを言うから、俺ももう栞から目が離せなくなって。
抗えない。
立ち尽くしていると栞の腕が俺の首に回される。栞はスッと背伸びをし、キスしやすいように首を少しだけ傾けて、もう一度俺の目を見つめてから。
──ちゅっ
俺達の唇が重なった。それだけで頭の奥がジンっと幸福感に痺れる。栞の瞳に俺が映って、もう愛おしくて仕方がない。
止められない、抑えられない。
皆が見てるはずなのに、むしろもっと見せつけたくなる。
だから、今度は俺から栞の唇を奪う。栞がしてくれたのよりも更に強く、長く。
「んんっ……!」
栞も嬉しそうに喉を鳴らしながら受け止めてくれていた。
どれくらいそうしていただろうか、唇が離れた時、栞の顔はトロンと蕩けていた。
「えへへ、しちゃった。ちょっと、恥ずかしいね?」
栞にそう耳元で囁かれて、我に返って気付いた。
さっきまでうるさい程に囃し立てていたはずのクラスメイトが静まり返っていることに。
ヤバい、引かれた……?
自分でやっておいてなんだが、やりすぎた気がする。というか、それ以前に俺達は何をやってるんだって話だが……。
そんな俺の心配から一拍置いて──
大歓声。絶叫。拍手。指笛。クラス全員がありとあらゆる手段で盛り上がり、それが飽和しビリビリと教室の空気を震わせた。
「あなた達……。仲が良いのは結構だけど、朝っぱらからなにやってるのよ……」
いつの間にか教壇に立っていた連城先生は呆れた顔をしていて、
「まぁ、いいけどね。とにかく今日は黒羽さんもいるみたいだし、これで始められるわね」
意味ありげにそう呟いたのだった。
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