第108話 仲直りの証明

 教室の入口手前に着いたところで栞は足を止めた。どうしたのかと視線を向ければ、不安そうな栞と目が合う。


 この理由はなんとなくわかる。体調を崩すまで一人で思い悩んで、楓さんや橘さんに心配をかけたせいだ。俺が楓さんに怒られる、なんて言ったからかもしれない。


 そうでなくても数日休んだ後の教室というのは、なんとなく入りにくいものだし。


「大丈夫だよ」


 俺は栞の手をぎゅっと握り直した。俺が一緒だから安心してって、きっとそれは言葉にしなくても伝わる。


「……うん」


 栞も俺の手をしっかり握ってくれて。


「「おはよう」」


 夏休みの登校日と同じように声を揃えて、教室の中へと足を踏み入れた。手を繋いだままの俺達にクラスメイトの視線が向いて、ちょっぴり恥ずかしくなって。


 その視線を避けながら、ひとまず自分たちの席へ向かおうとしたその時──。


「しっおりーんっ!!」


「きゃっ──」


 久しぶりに飼い主に会った大型犬のような勢いで、楓さんが栞に飛びかかり抱きしめた。


「もうっ、しおりんのバカっ!」


「あ、彩香……?」


 栞がパチパチと目を瞬かせる。急に抱きしめられたことと、いきなり「バカ」と言われたことに戸惑い、驚いているらしい。


 そんな栞を楓さんはより一層強く抱きしめる。


「バカっ! バカだよ、しおりんはっ! 高原君から事情は聞いたけどさ。なんで私に何も言ってくれなかったの?! おまけに学校まで休んでさっ!」


「ごめんなさい……、迷惑、かけたくなかったの……」


「迷惑くらいいくらでもかけていいんだよ! だって私達友達でしょ? 何も言ってくれない方がよっぽど……。友達だと思ってたの、私だけなの……?」


 楓さんの瞳からポロリと涙がこぼれた。これは楓さんが栞のことをそれほど大事だと思ってくれている証。


 楓さんの涙を見た栞は、少しだけ苦しそうに表情を歪めて、でも柔らかく楓さんを抱きしめ返した。そしてその背中をさすって、


「ううん、ごめんね。私が間違ってた。彩香は私の大事な友達、だよ。だからね、今度からはちゃんと相談させてもらうから」


「うん……、絶対だからね?」


「うん、わかってる」


「私だっているんだからね、栞ちゃん?」


 楓さんの後に続いて近付いてきた橘さんが、栞と楓さんを二人まとめてそっと抱きしめた。


「紗月も、ごめんね。それと、心配してくれてありがとう」


「うん、すっごく心配した。でも、ちゃんと解決できたみたいで本当に良かったよ」


「うん……」


 それからしばらく三人で抱き合って、三人とも少しだけ泣いて、笑って。


 これで無事に栞も許してもらえたようでなにより、と俺もホッと胸を撫で下ろした。



「いやぁ、なかなか悪くない光景だな。そう思うだろ、涼?」


 知らないうちに俺の隣に遥が立っていた。そこで事の成り行きを見守っていたらしい。ちなみに反対の隣には漣がいて、なにやらしきりに頷いていた。


「うん、そうだね。でもちょっとだけ疎外感あるかも」


 もちろん友達は大事だ。それなのに栞を取られた気がしてしまうのは、きっと俺の器が小さいからだろう。


「いいじゃねぇか、たまにはさ。なんにせよ、やっと一件落着ってことだな。これでようやく始められるってもんだぜ」


 突然遥がよくわからないことを言い出した。


「ん? 始められるって、なにを?」


「そりゃあれだ。二学期最大のお楽しみってやつさ」


「いや、さすがにそれだけじゃわかんないんだけど……」


「まぁ、すぐにわかるって」


 遥はそれだけ言うと、ヒラヒラと手を振りながら自分の席へと戻っていった。


 気にはなるけど、いまだに抱きしめ合っている三人を見ていると、今はいいかという気分になってくる。俺は遥の言った通り、一件落着できたことにただただ安堵していた。



 と、ここまでならいい話だったんだろうけど、そこは我がクラス。登校日の時点でわかっていたことだが、ノリが良すぎるというか、悪ノリが過ぎるというか。これで終わらせてくれるはずがなかった。


 様子を見ていたクラスメイト達が一人また一人と寄ってきて。気付けば俺達は取り囲まれていたのだ。そして誰かが、


 ──あれだけ微妙な空気になっていたんだから、ちゃんと仲直りできたのか証拠を見せてもらわないと!


 なんて言い始めた。俺と栞は別に喧嘩をしていたわけではないので、仲直りというのは少し違う気もするが。今はそんな細かいことどうだっていい。


「へ……?」


 これには泣いていた三人も一気に涙が引っ込んで、キョトンとした顔をしている。栞なんて目をまん丸にして、驚きを隠せない様子。


 ──じゃあまずはハグからだよね?


 その声を受けて、俺は一つの間違いを犯す。既に一度やらかしてるわけだし、まぁそれくらいならと軽い気持ちでやってみせたのがいけなかった。


 栞を抱きしめると、歓声が上がり、誰からともなくキスコールが始まった。



 ──キース! キース! キース!



 やがてそれは全体に広がっていき、キョトンとしていたはずの楓さんと橘さんもいつしかそれにのっかっていた。


「いやっ、さすがにそれは!」


 栞だって人前でそんな事でき──。


「ねぇ、涼。えっと、する……?」


 俺の腕の中で栞がポツリと呟いた。


 えっ……! な、なんで……?


 またしても俺は栞のことを舐めていたのかもしれない。栞は頬を染め瞳を潤ませて、俺の目を見つめてきて。


「涼は、いや……?」


「いや、じゃないけど……」


 いやなわけがない。それどころかむしろ。でも、今は……。


「なら、いいよね? 私ね、今したいの。ねぇ、見せつけちゃお?」


 栞がそんなことを言うから、俺ももう栞から目が離せなくなって。


 抗えない。


 立ち尽くしていると栞の腕が俺の首に回される。栞はスッと背伸びをし、キスしやすいように首を少しだけ傾けて、もう一度俺の目を見つめてから。


 ──ちゅっ


 俺達の唇が重なった。それだけで頭の奥がジンっと幸福感に痺れる。栞の瞳に俺が映って、もう愛おしくて仕方がない。


 止められない、抑えられない。


 皆が見てるはずなのに、むしろもっと見せつけたくなる。


 だから、今度は俺から栞の唇を奪う。栞がしてくれたのよりも更に強く、長く。


 それは紛れもない独占欲の暴走。離れていた間の俺達を見て、もしかすると栞にチャンスを感じていた人がいたかもしれないと思うと。


 そんなチャンスは存在しないんだって知らしめたくなったんだ。


「んんっ……!」


 栞も嬉しそうに喉を鳴らしながら受け止めてくれていた。


 どれくらいそうしていただろうか、唇が離れた時、栞の顔はトロトロに蕩けていた。


「えへへ、しちゃった。ちょっと、恥ずかしいね?」


 栞にそう耳元で囁かれて、我に返って気付いた。


 さっきまでうるさい程に囃し立てていたはずのクラスメイトが静まり返っていることに。


 ヤバい、引かれた……?


 自分でやっておいてなんだが、やりすぎた気がする。というか、それ以前に俺達は何をやってるんだって話だが……。


 そんな俺の心配から一拍置いて──。



 大歓声。絶叫。拍手。指笛。



 それが飽和し、ビリビリと教室の空気を震わせた。


 いつの間にか、連城先生も教壇に立ってニヤニヤしながら俺達を見ていて。


「やーっと元通りなのね。まったく人騒がせなんだから。でも、これでようやく始められるわね」


 そう呟いた。


 遥といい連城先生といい、いったい何が始まるっていうんだ……?

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