第82話 お互いの印

「栞、そろそろ起きない?」


「いやっ、もっとこうしてたい」


 朝から栞は甘えん坊全開だった。俺にぎゅっと抱きついて、頭を擦り付けてきたり、キスをせがんだり。


「しょうがないなぁ……。もうちょっとだけだよ?」


「やーだー、離れたくないのっ」


 栞はすっかり幼児退行してわがまま放題になっていた。俺だって本当は離れたくないし、これはこれで栞が可愛いすぎてなんでも言うことを聞いてあげたい気持ちにもなるのだが。


「いや、そろそろお腹も空いてきたし……」


 栞が目を覚ます前から起きて、栞の寝顔を眺めていた俺は空腹感を覚えていた。


「それは私もそうなんだけどー……」


「また栞のお腹が鳴いちゃうよ?」


「もうっ、忘れてって言ったのに! 涼の意地悪っ!」


 栞はそう言うと、俺の鎖骨の辺りにカプリと噛みついた。そのままアムアムと甘噛をして、吸い付いて。


「ちょ、ちょっと栞?! ふっく……、く、くすぐったいよ」


 噛みついたと言っても歯は立てずに、軽く当てる程度。唇で覆われて吸われて、舐められて、初めての刺激にこそばゆさを感じてしまう。


「ぷはっ……。あ、痕付いちゃった」


 栞が口を離すと、その部分は赤くうっ血して跡になっていた。いわゆるキスマークというやつだ。


 そりゃあれだけ吸えば痕くらい付くだろう。栞はそれをうっとりとした目で見つめて指でなぞる。


「へへ……、私の印だね。これ見る度に私のこと思い出すかな?」


「そりゃ……」


 思い出す以前に既に俺の頭の中なんてほぼ栞で占められているわけだが、栞につけられた印だと思うととても大切なもののように感じる。このまま消えなきゃいいのにって思うくらいに。


「ねぇ、涼。私にも付けてよ」


「帰ってからバレるかもしれないよ?」


「大丈夫だよ。どうせお母さんあたりには気付かれてるだろうし」


「いや、それ大丈夫なの……?」


 そりゃ付き合いたての、さらにお互い夢中な状態の俺達が二人きりで二夜を共にすれば、何もないと思うほうがおかしいのかもしれない。でも、遥達にバレるのとはわけが違うのだ。


 下手したら聡さんに殺されるんじゃ……?


 想像するだけで背筋が寒くなる。いや、聡さんはそんな人じゃないとは思うけど……。


「いいから早くっ!」


 俺の不安を他所に栞はそう言うと、ゴロンと横になって腕を広げた。どこでにでも好きにやれと言わんばかりだ。


「どうなっても知らないからね?」


 そう前置きしてから、されたのと同じように栞の白い鎖骨付近の肌に噛み付いた。唇を押し当てて吸い上げ、その肌に舌を這わせるとどことなく甘く感じる気がする。もっと味わいたいとさえ思う。


「んっ……、涼……」


 栞も艶かしい声を上げつつ、それを受け入れてくれる。それが嬉しくて、場所を変えて同じことを繰り返す。


 気付けば栞の身体には俺が付けた痕がいくつも残っていた。


「いっぱい付けられちゃった。へへ、嬉しい……」


 幸せそうに自分の身体を見つめる栞を見ると、背中にゾクリとしたものを感じた。あんなことを言った俺だがしっかりと独占欲はあるらしく、まるで栞が俺のものになったかのようで。


 あまりよくないなぁとは思いつつも、とにかく栞が喜んでくれたようでなによりだ。嬉しそうに身を寄せてきた栞を抱きとめて、頭を撫でると、栞はどんどんふにゃふにゃになっていった。


 結局、栞と一緒にゴロゴロダラダラしているのが心地良くて、俺達がベッドを抜け出したのはもうすぐ昼になろうかという時だった。


 あれからも栞が離れてくれなかったというのもあるけれど、なんだかんだ栞に甘えられるのが好きな俺も楽しんでいた。それに今日の夜からは栞がいないのだと思うと無性に寂しくなって、より一層栞の温もりを求めてしまったのだ。


 二人で朝食と昼食を兼ねた食事をとった後もくっついて過ごすことに。やってることは食事前とそんなに変わらず、ただ俺の部屋のベッドからリビングのソファに場所がうつっただけだ。


「そういえばさ、聡さんって今は仕事お休み?」


「お父さん? お盆休みとってるはずだけど、どうして?」


 実はさっき聡さんに殺されるかも、なんて考えていて思い出したことがあった。まだ聡さんに俺達が付き合い始めたことを報告していないなって。文乃さんには伝えているけど、あの日は聡さんは不在だったし、その後も会う機会がなかった。


 栞からは話をしているだろうけど、背中を押してもらったのに俺から何も報告しないのは不義理なんじゃないかと思う。


 とは、ちょっと恥ずかしくて言えず、


「いや、栞をうちに泊まらせてもらったし、お礼というかさ……」


 少し濁してしまった。


 でもこれはこれで伝えておきたいことでもある。聡さんが栞をとても大事にしてるのを俺は知っているのだ。せっかくの休みの三日間、俺が大事な一人娘を独り占めしてしまったのだからお礼くらいは言っておきたい。


「別にそんなこと気にしなくてもいいのに。でも涼がそうしたいって言うなら、お母さんが迎えに来た時に話してみるね」


「うん、お願いね」


 高校生同士の交際でご両親に報告なんて普通はしないんだろうけど、栞とはずっと一緒にいたいので、こういうことは早いうちにちゃんとしておいたほうがいいだろう。今更付き合いを反対されることはないと思うが、これもけじめだ。


 とは言え、そこまで重く考えていたわけではない。栞との交際をちゃんと聡さんにも認めてもらって、これからもよろしくお願いします、と言うだけのつもりだった。


 それなのに、母さんと文乃さんときたら……。


 勘違いなのか悪ノリなのか、無駄に波長が合ってしまったらしい二人によって、まさかあんな大事にまでなってしまうとは。

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