お泊り三日目
第81話 幸せな夢と願望
◆黒羽栞◆
朝、私は涼よりも少しだけ早く目を覚ます。ぼんやりとした視界に涼の顔がある。
──起きてる時は格好いいのに、寝てる時はこんなに可愛いんだよなぁ……。
毎日見ているくせにそう思っちゃうのは、私がずっと涼のことが好きなままだから。
ううん、『好き』なんて言葉じゃ全然足りないよね。この気持ちを正しく表現するなら『愛してる』になると思う。
可愛い顔で気持ちよさそうに眠る涼は優しく私を抱きしめてくれている。振りほどけないほど強くもなく、かといって弱くもない、涼らしい力加減。いつも寝る時はこうしてくれるの。大事にされてるって実感できる至福の時間。
そんな愛しい涼のおでこにキスを落とす。涼はいつもこの時まだぐっすりだから気付いていないと思うけど、これは毎日の習慣なんだ。
本当はね、唇にしたいんだけど、起こしちゃうかもしれないからここでは我慢。疲れてるだろうし、時間まではしっかり寝かせてあげたい。
私が涼の睡眠時間を削ってる気もするけど、それは仕方ないんだよ。私をその気にさせることばっかり言う涼が悪いんだからね?
涼の体温が気持ちよくて、このままもう少しぬくぬくしていたい誘惑をどうにか振りほどき、涼を起こさないようにそっとその腕から抜け出す。
朝はあまり時間がないの。あんまりゆっくりしてたら遅刻させちゃうから。
ベッドから立ち上がり、そこらに脱ぎ散らかされていた服を身に着けて、寝室を後にしてキッチンへと向かう。
パジャマの上にエプロンを身に着けて、朝ご飯と涼のお弁当の準備を始める。涼は『毎日お弁当作るの大変じゃない?』って心配してくれるけど、涼のためなら全然苦にならないんだ。
逆にね、涼がお昼ご飯を適当に済ませちゃう方が私にとっては心配なんだよ。ずっと元気でいてもらいたいもん。だから、私が栄養のバランスを考えて作るんだ。
もう少しで完成っていうところで、寝癖をいっぱいつけた涼が起きてくる。
「おはよ、涼」
「ん〜、おはよう、栞」
朝の挨拶をした後、涼は顔を洗って髪を整えに行くのが毎日のルーティン。私はそれを見届けてから、朝ご飯の仕上げに取りかかる。
朝のメニューは大体毎日同じでトーストにハムエッグ、サラダ、それからコーヒーとヨーグルト。涼が戻ってくる前にテーブルに並べる。
涼が戻ってきたら一緒に食事をとる。どうしても他に予定がある時以外は朝と夜は二人で食べようねっていうのが、一緒に暮らし始めた時からの約束なの。
「今日も美味しいよ。ありがと、栞」
簡単なメニューでも必ず涼はこう言ってくれるんだ。これだけで早起きしたかいがあるってもんだよね。
ご飯を食べたら涼はスーツに着替える。涼のスーツ姿って格好いいんだよ。なんかできる男って感じがする。
って私は思うんだけどねー、前に彩香に写真を見せて自慢したら『別に普通じゃない?』って言われたことがある。なんでだろうね? こんなに格好いいのに。
でもね、直しきれてない寝癖がピョコって立ってるよ。う〜ん、残念っ。
「涼、寝癖なおってないよ。ほら、なおしてあげるからこっちきて?」
「あっれー? おかしいなぁ……。今日は完璧だと思ったのに……」
涼は照れくさそうにそう言う。ほぼ毎日私がなおしてあげてるのにね。ついでに少し曲ってるネクタイも直してあげたら完璧。
「はい、できた。もう、だらしないんだから」
「ありがと、毎日助かるよ」
しっかりしてよって思うこともあるけど、こうやって涼のお世話をするのが私は好きだったりする。涼のダメなところは私が補えばいっかって。逆に私のダメなところは涼がフォローしてくれるしね。
身支度を全部済ませたら、出かける時間までリビングのソファでくっついて過ごす。これは私達にとって大切な儀式なの。
日中の離れてる時間の分を充電するための。これをしないと、お昼すぎくらいから私は寂しくて仕方なくなってしまう。しても寂しいのは寂しいんだけど、するのとしないのじゃ全然違うんだよ。
家を出る時間にセットされたアラームが鳴ると、名残惜しいけど涼は仕事に行かないといけない。さすがにね、子供じゃないんだから我儘は言わないよ。私達はもう大人なんだから。
「はい、これ。今日のお弁当」
「いつもありがとね。おかげで一日頑張れるよ」
もう、お弁当一つで大袈裟なんだから。でも、こうやって言ってくれると明日も頑張って作ろうって思えるんだ。
「いってらっしゃい。今日も頑張ってね」
「ん、いってくるね」
最後にもう一回ぎゅっと抱きしめあって、いってらっしゃいのキスをして、涼を見送る。パタンと玄関のドアが閉まると急に家の中がシンと静まり返る。
……やっぱりちょっと寂しいなぁ。
いつもなら私もここから支度をして仕事に行くんだけど、今日はお休みなんだ。基本的にお休みは同じ日なんだけど、今日は急に仕事が入っちゃったんだって。
私だけ休みだと、涼がいない時間がより長く感じる。私は寂しさを埋めるために寝室に向かうことにした。ベッドの中にまだ涼の温もりが残ってかもしれないって思って。
涼の枕に顔を埋めると涼の匂いに包まれる。私の心を穏やかにしてくれる大好きな匂い。涼がいない間に家事を済ませちゃおうと思っていたけど、ここから離れられなくなっちゃった。
どうせ今日は休みだし、家事は起きてからでもいいよね?
そう自分に言い訳をして目を閉じる。それに、寝ちゃえば涼のいない時間が短くなる。もしかしたら夢に涼が出てきてくれるかも。
そんなことを思いながら、私はもう一度眠りについた。
***
ふわふわと意識が浮上してくると、気持ちの良い温もりに包まれていることに気付く。そしてその正体を私はもう知っている。
目を開けると、すぐそこに涼の顔があって、優しげに私を見つめていた。
「あ、起きた?」
「あれ……? 涼、いつ帰ってきたの……?」
私、そんなにぐっすり寝ちゃってたのかな?
疑問いっぱいの私を見て、涼はクスッと笑う。
「俺はどこにも行ってないよ。一昨日からずっと一緒にいたでしょ」
涼は笑いながらそう言う。その顔はさっきまでよりあどけなくて、まだ大人になりきれていない。
あれ? 夢……?
……。
あ、そっか……。昨夜はまた涼と……。
しだいに本来の記憶が輪郭を取り戻してくる。
なぁんだ……、夢かぁ……。
この二日間、涼と二人で生活して、涼のことを更に知って、もっと好きになった。
だからあんな夢を見ちゃったのかな?
普段なら夢なんて見てもすぐにその内容を忘れてしまうのに、今日ははっきりと覚えていて。
なんていうことのない日常の一コマだったけど、私の隣には当たり前のように涼がいて、幸せな夢だった。
……ううん、夢では終わらせないよ。だって、夢に見るほどの私の願望、こんなの初めてだもん。
「栞?」
「へへ、寝ぼけてたみたい。ごめんね?」
「ううん。なんか幸せそうな顔してたけど、夢でも見てたの?」
「うん、幸せな夢だったよ」
「どんな夢?」
「へへ、なーいしょっ」
教えなくてもいずれそれが当たり前になるんだから。ううん、二人でこれから当たり前にしてみせる。だからね、そのうち実際に見せてあげるから、それまで待っててね。
「えー、教えてよ」
「だーめっ」
「栞のケチー」
ケチだケチだと言う涼の口を私の口で塞ぐ。そしたら黙らざるを得ないもんねー。そのままぎゅっと抱きつくと、涼も抱きしめてくれる。
今日の夕方には私は家に帰らなきゃいけない。次にこんな目覚めができる日がいつになるのかわからないんだから、今のうちにいっぱい堪能しとかなきゃね。
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