第77話 オムライスはハートを描くキャンバス

 ◆黒羽栞◆


 今日のお昼ご飯のメニューはオムライス。男の子が好きそうな食べ物の定番かなって思ってね。それともう一つオムライスにした理由があるんだけど、それは食べる直前のお楽しみってことで。


 炊飯器の蓋を開けると、ケチャップ色に染まったご飯が炊きあがっている。セットしたタイマーのタイミングは完璧だ。


 実は涼が二人をお迎えに行っている間に、急いで準備をしておいたの。


 まずはお米を研いで、ケチャップとコンソメ、塩コショウをお水と一緒に炊飯器に入れる。タマネギと人参を刻んで、鶏肉も小さめにカットしたのをお米の上にのっけたら準備は終わり。あとは炊飯器がやってくれる。


 本当はね、普通に白いご飯を炊いてチキンライスを作る予定だったんだけど……。おバカな彩香のせいで手抜きをすることになっちゃった。


 ちゃんとした作り方をした方が美味しいのは重々承知なんだけどね。それでも楽しみって言ってくれた涼に免じて、この件で彩香を責めるのはやめておこうかな。


「うーん、ちょっと水っぽい……?」


 しゃもじでかき混ぜると、水が多かったのか少々ベチャッとしている。一口味見をすると、味は問題なし。でもやっぱり水っぽい。普通のご飯を炊くのと違って具材からも水分が出るから加減が難しいんだよね。


 少し蓋を開けておいて、水分を飛ばすことにする。


 さて、しばらくやることがなくなっちゃった。涼のところに戻ってもいいけど、真面目な顔で柊木君と話をしてるから邪魔したら悪いし……。


 そういえば彩香の姿が見えない。さっきまで死んだみたいになってテーブルに突っ伏してたのに。どこに行ったのかと思ったら、


「しっおりーん! 手伝いに来たよ!」


 いつの間にか復活してこっちに来ていて、私の後ろに立っていた。


「もうほとんどできてるから、今はやれることないよ?」


 私も今しがた手持ち無沙汰になってしまったところだし。


「ありゃ、それは残念。じゃあ、昨夜の話でも聞かせてもらおっかなー?」


「昨夜って……?」


 あれ……? なんで彩香が昨夜のことを……?


「だって泊まっていったんでしょー? しかも二人きり!」


「なんで彩香が泊まったの知ってるの?!」


「いや、さっき自分で言ってたじゃん……!!」


 呆れ顔の彩香を放置して、私は記憶を辿る。


 ──私が今泊まり込みで涼のご飯係をしてるからだよ。


 ……言ってたー!! お昼ご飯の準備のことばかり考えてて、なんにも意識せずにポロッと言っちゃったんだ。なんというポンコツ! 自らネタを提供しちゃうなんて!


「でさ、高原君とシタんでしょ?」


 何をとははっきりと言わない彩香だけど、ニンマリした顔が言わんとすることを物語っている。顔がポンっと熱くなる。おまけに昨夜のことまで思い出しちゃって……。


「しおりん、わっかりやす〜い! 初々しくてかわゆいのぉ〜!!」


 彩香は後ろから抱きついてきた。そのまま頭を撫でられてしまう。私は恥ずかしくてしょうがないのに、この子は遠慮というものを知らないんだから。


 ただ、イヤな感じが全くしないのが彩香の不思議なところなんだよね。私、あんまり他人にベタベタされるのは好きじゃないんだけど、彩香はあっさりとその距離を越えてくる。


 あっ、もちろん涼とはいくらでもくっついていたいよ? 涼は私の特別なんだもん。


 どこか水希さんと似てる気もする彩香だけど、もっと距離感が近い。気付いたらここまで入りこまれてる。抱きしめるのも頭を撫でるのも、涼にしか許さないつもりだったのに。


 って、今はそんなことはどうでもよくって。


「な、なんでわかるの……?」


 お泊りをバラしたのは私だけど、だからってそこまでわかるものなの?


 彩香は『ふふん』と得意気に笑う。


「だーって、二人の雰囲気見たらわかっちゃうよ。前より一層あま〜い空気だしさ、しおりんもなんとなく高原君に対して余裕ができた気がするしね」


「そう、なの……?」


 そりゃあ涼への愛情は更に強まった自覚はあるけど、それでもいつも通りにしているつもりなのに。


「こないだまでのしおりんってさ、なんか必死だったんだよね。高原君にもっと自分を見てほしいーって感じでさ」


 彩香の言葉にドキッとする。確かに私はそう思っていたから。涼には余所見をしないでほしい、もっと私だけを見てほしい、もっと私を好きになってほしいって。当然必死だった。


「でも今はね、どっか安心してるって気がするんだよね」


 そうだ。彩香は本当に良く見てる。


 私は涼と結ばれたことで、涼の愛情を直に感じられた。涼が『一つになる』って言葉を選んでくれたのも良かったんだと思う。私の心は完全に涼に溶かされてしまったの。必死で追い求めなくても、私と涼は二人で一つなんだと思ったらすごく安心感があって。


 でも──。


「うー……、恥ずかしい……」


 全部見透かされて、涼としたことまでバレちゃうなんて恥ずかしすぎるよ……。


「別にそんなに照れなくてもいいじゃん? それくらい私達だってするよー?」


「そうなのっ?!」


 あっけらかんと言う彩香に驚く。私はこんなにも恥ずかしいのに!


「ふふー、知りたい? なんなら男の子の喜ばせ方、教えてあげよっかー?」


「彩香先生! お願いします!」


 気付いたら彩香の手をガッシリと掴んでいた。さっきまで私が先生をしていたはずなのに、立場逆転。だって、涼に喜んでもらいたいじゃない。優しくされてばっかりじゃ満足できないもん。


 彩香はニヤリと笑うと、私の耳に口を寄せた。彩香がポショポショと話し始めると、私の頭は一瞬で茹で上がった。


 こ、こんなの私の口からはとても説明できないよっ……。


「それでね──」


 ちょっと待って! この二人、そんなことしてるの?!

 キャー! 私にはちょっと刺激が、刺激が強いっ!


 でもでもっ、これも後学のため。いつか役に立つ日がくるかもしれないもんね。


 なかなか過激な彩香の話だったけど、今の私にもどうにかできそうなことも中にはあって。


 今夜、試してみようかな……?


 そう思わずにはいられなかった。だってね、涼は奥手っぽいし、私が積極的にならないと自分からはなかなか手を出してこなさそうだから。


 遮るものをなくして、触れた肌から直接伝わる涼の体温はとても心地良くて、夢中になるなというのが無理な話なんだよ。より一層愛されてるって実感できた気がしたんだもん。


 もしかしたら私は自分が思っているよりもえっちなのかもしれない。朝だってシャワーに逃げ込まなかったら涼のこと押し倒してたかも。


 背中を触られたらね、ゾクゾクッてして、でもなんだか気持ちよくって、もっともっとってなりそうだったの。明るくて恥ずかしかったからどうにか抑え込んだけど。


 どんどん涼の手で自分が変えられていく気がする。こういうのを染められてるって言うのかな?


 ふと涼の様子が気になってリビングに目を向けると、涼と柊木君がこちらを見ていた。二人とも慈愛に満ちたような優しい目で。


 もちろん柊木君が見てたのは彩香なんだろうけど。あんな目で見られながら私達はなんて話をしてるんだろって思ったらまた恥ずかしくなってきた。


 それにそろそろご飯の準備に戻らないと待たせすぎちゃう、よね。というのは言い訳で、もういっぱいいっぱいなだけ。


「あ、彩香。そろそろご飯に、しよっか……?」


「あれ? もういいの?」


「う、うん」


 これ以上聞いてもね、どうせ今の私にはほとんど実践できっこないもん。私にはまだ早かった。うん、私達は私達のペースでゆっくりやろう。


「じゃあこれくらいで許してあげよっかな! それで、何作るの? って聞くまでもないか」


「うん。オムライスだよ」


 ボールを用意して卵を割り入れて溶いていく。フライパンを熱して流し込む。ここからは時間との勝負。薄く伸ばして、その上にチキンライスをのせて。


「よっと!」


 フライパンから転がすようにお皿に移した。


「おー! しおりん上手ー!」


「まぁ、これくらいはね」


 なんて言いながら、ちょっぴり得意気になっちゃうのは仕方ないよね。だって自分でもうまくいったと思うもん。破れてもいないし、余計な焼色もついてない。玉子は少しだけ半熟なはず。


 お皿には綺麗な形と色のオムライスが完成している。これで失敗したら自分の分にするつもりだったから、最初から満足して涼に出せるものができてよかったよ。


「ねぇねぇ、しおりん! 私達の分、私がやってもいい?」


「ん、いいよ。じゃあ先に私の分やっちゃうね」


 続いて二つ目に取りかかる。こっちはちょびっとだけ色がついちゃったけど及第点かな。食べるのは私だし問題はなし。


 彩香に材料を渡して交代する。


 その間に涼の分にケチャップで大きくハートを描いた。その真ん中に『りょう』って書いたら完成。これがやりたかったんだよねぇ。ハートの大きさは私の気持ちの大きさで、ってね?


 それで私の分は涼に描いてもらうんだぁ。大きく描いてくれるかな?


 彩香が奮闘している間にリビングへと運ぶ。なんかすごいかき混ぜてるけど、見ないことにした。やりたいって言ったのは彩香だしね。


「ごめんね、涼。遅くなっちゃった」


「ううん、全然だよ。栞が楽しそうにしてるの見てたらすぐだったよ」


 涼はいつだって優しいの。けど、その実あんな話をしてたなんてとてもじゃないけど言えるわけがない。


「それでね、私の分に涼がハート描いてほしいの。涼の気持ちを大きさで表してくれたら嬉しいな?」


「そんなことしたら皿からはみ出しちゃうよ?」


 もうっ、もうっ、涼ったら。私の喜ばせ方を良く知ってるんだから。でもダメだよ。テーブル汚しちゃうもん。


「オムライスにおさまる大きさでお願いね」


「しょうがないなぁ」


 なんて言いながら、オムライスいっぱいの大きさで描いてくれた。もちろんちゃんと名前も『しおり』って入れてくれた。


 へへ、嬉しいっ。


「はい、これ。遥の分!」


 彩香も作り終えて運んできたんだけど、なんだろうこれ。炒り玉子のせチキンライス?


 柊木君も私が作ったのと見比べて絶句してる。


「な、なぁ、彩……。これはオムライスなのか?」


「せっかく頑張ったのに! 文句があるなら食べなくてもいいよ!」


「いや、食べるけど! でも……」


「ぶー! 遥のバカっ!」


 あらら、彩香拗ねちゃった。この見た目だから柊木君の言いたいこともわかるけどさ。


 こんなでも、あんな話をするくらいだからうまくやってるんだよね?


 ……まぁ大丈夫でしょ。今は嬉しそうな顔をしてくれてる涼のことだけ考えよっと。彩香に勉強教えるので疲れちゃったから、ご飯の間に涼に癒やしてもらうんだぁ。

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