第76話 好きの形の違い
昼食の準備をしようと栞が腰を浮かせかけた時、遥が思い出したように口を開いた。
「そういえば、涼の親はいねーの?」
世間はお盆休み真っ只中。遥の疑問ももっともだろう。業種によってはお盆なんて関係なく仕事という人もいるだろうが、うちの父さんに関して言えば普通にお盆休みを取っている。
「今は父さんの実家に泊りがけで帰省してるよ。俺は留守番だけど」
「なら黒羽さんを連れ込み放題ってことか」
「言い方っ! いや、栞は親がいても関係なくほぼ毎日来てるけどさ」
連れ込むという表現は外聞が悪い。訂正を要求したい。せいぜい栞が入り浸ってると言ってもらいたいところだが……。
まぁ、それはとりあえずおこう。俺達が欠かさず毎日会っているのは事実なのだし。確か、これは前にも遥達に話したことがあったはずだ。
「そういえば言ってたな。でもあんな朝早くからとは、相変わらずなのな」
「あっ、それはね、私が今泊まり込みで涼のご飯係をしてるからだよ。いつもは午後から来るようにしてるんだけどね」
栞は今度こそ立ち上がりながらそう言うと、そのままキッチンへ行ってしまった。
「ちょっと、栞……?」
俺の小さすぎる呼びかけは栞には届かない。タイミング良く鳴った炊きあがりを告げる炊飯器のメロディにかき消された。
うん、さっきからいい匂いがしてるせいでお腹が空いてたんだよね。栞の手料理、楽しみ。
──って違う! 今はそうじゃない!
さらっと事もなげに、とんでもないことを言い残していってくれたものだ。
打ち合わせをしなかったのが悪かったんだろうけど、そんなことを言ったら……。
視線を栞から遥へと戻すと案の定ニヤニヤした顔が二つ。いつの間にか楓さんも復活していた。さっきまで突っ伏して『あ"ー』とか『ゔー』とか言っていたくせに。
「へ〜え……」「ふ〜ん……」
「えっと、なにか……?」
二人からこんな顔を向けられるとさすがにたじろぐ。何を聞かれるかとヒヤヒヤして。俺と栞が抱き合っていたのを見られたあの時もそうだったが、俺は誤魔化すのが下手らしいから。
「いやぁ、べっつに〜? ただ色々納得しただけだよ」
「色々って……?」
「朝っぱらから新婚感醸し出してたこととか」
「二人共、視線だけでイチャついたりもしてたよね!」
「だな。今までも大概だったけど、今日は一段とだったから、これは何かあったなとは思ってたんだよ」
いや、もう誤魔化す以前にバレてんじゃん……。
「私、しおりんの手伝いしてこよーっと! そっちの方が面白い話聞けそうだし!」
そう言うと、楓さんも立ち上がりキッチンへと行ってしまった。程々にしてほしいと思うけど、あの様子だと栞に根掘り葉掘り聞いてきそうだ。栞が余計なことを言わなければいいが。
取り残された俺はため息を吐く。今更否定しても無駄そうなので観念することに。
でも、遥はニヤケ顔を引っ込めて真面目な顔になる。もうなんでも聞いてくれと覚悟を決めた直後のことなので少し拍子抜けする。
「まぁ、上手くいってるみたいで良かったな」
「……おかげさまで」
「さっきはあんなこと言ったけどさ、別に茶化したりはしねぇよ。ちょっと小っ恥ずかしいこと言うけどさ……」
一度言葉を区切ると、遥は本当に恥ずかしそうに頭を掻いた。小っ恥ずかしいと聞いて俺も少し身構える。
「う、うん」
「お前ら見てるとさ、なんかいいなぁって思うんだよな。お互いすっごい大事にしてるのわかるしさ、本当に幸せそうだし」
「そうかな?」
栞のことは大事にしてるつもりだし、栞がそばにいてくれて俺が幸せなのは事実だ。栞もきっと同じように思ってくれていることだろう。でも他人からでもそう見えるのだろうか。
普段からだだ漏れになってると思うとそれはそれで恥ずかしいのだけど。
「学校でもあんだけ色々振りまいてたくせに自覚なしかよ。お前の黒羽さんを見てる目、写真にでも撮ってやろうか?」
「いや、いいよ。なんとなくわかった」
それなら俺も知っている。デートの最後に撮ってもらった写真にも写っていた。そこに写る自分の顔を見て泣きそうになったから。自分でも物驚くほど優しい目をしていたんだ。その写真はスマホの中に大事に保存されている。
「なんだよ、自覚あんじゃん。ま、そんなわけでさ、お前らが仲良くやってると俺としても嬉しいわけよ。こうして友達にもなったしな」
「そっか。うん、ありがと、でいいのかな……?」
「おう」
遥が純粋に祝福してくれているのだということはわかる。初めての男友達が遥で良かったとも思う。でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
それもこれも俺達のことばかりバレているせいだ。ここは遥達の話も聞いておかないとフェアじゃない。
「そういう遥達はどうなのさ。そっちも朝から一緒だったみたいだけど」
「あー……。俺達のことは話してなかったな。ありきたりだけど笑うなよ?」
「うん、もちろん」
遥も最初はともかく真面目な態度だったし、俺も同じようにするつもりだ。さすがにその辺りはわきまえている。
「俺達さ、幼馴染なんだよ」
「ラブコメか?!」
つい反射的に突っ込みを入れていた。けど笑ってないからセーフだ。
「涼にだけは言われたくないわ!」
「いや、だってさ──」
セーフだと思ったけどしっかり反論をもらってしまう。でも幼馴染の男女がそのまま付き合うなんて定番中の定番というか。俺達もなかなか劇的であるのは自覚しているけど、それでもそう思う。
「まぁ、それっぽいことは一通りあったからなぁ……。家が隣同士で親も仲良くて物心付いた頃から一緒にいて……って、自分で話しててそう思うから仕方ないのか?」
「うん、聞いた人の八割くらいはそう思うよ、きっと」
「そうか……。まぁいいや。それで、彩は昔からあんなでさ。最初は手のかかる妹みたいに思ってたのに、気付いたら、な」
やはり遥の世話好きというか気遣い屋な性格は楓さんに振り回されているうちに形成されたもののようだ。勢いに任せて色んな所に突っ込んでいく楓さんをフォローして回る遥の姿を想像したら思わず笑ってしまった。
「笑うなっつったろうに……」
「ごめんごめん。遥も大変だなって思ってさ。楓さんの制御は大変そうだし」
「そうでもねぇよ。あいつ、勢い任せで行動するところはあるけどさ、何も考えてないわけじゃないしな。本気で人の嫌がることだけはしないし、でも物怖じしないから気付いたら相手の懐に入ってんだよ。ほれ、見ろよ」
遥に促されてキッチンへと視線を向けると、栞と楓さんがなにやらワイワイやっている姿が見えた。
「あんだけ気難しそうだった黒羽さんも彩には気を許してるだろ」
「確かに……」
俺へと向ける笑顔とは違うが、それでも楽しそうにしている栞の様子に俺も嬉しくなる。栞の心を開いたのは俺なのはもう疑っていないけど、それでもここまでになっているのは楓さんの人柄のおかげだろう。あれだけ人との関わりを怖がっていた栞が、だ。
「そういうところだよ、俺があいつのことを好きなのは。バカなやつだけどさ、こういうところはすげぇって尊敬してんだよ」
「なるほどね」
ちょっとだけ安心した。俺達とはまるで違う二人の関係性。面と向かってバカと言ったり小突いたり、見ていて心配になることもあるけれど、それはちゃんとした関係の上に成り立っているのがわかったから。でも──。
「なんか遥、お父さんみたいな顔してるよね。楓さんを見てる時」
まるで小さい子供を見守っているかのようだ。
「うるせぇな、せめて兄と言え! それに涼だってかなりのもんだからな?」
「うん、それは知ってるよ」
さっきも言われたばかりだし、それ以前から自覚してるから。でも栞が愛おしくて勝手になってしまうのだから仕方がない。俺は自信をくれて、強くあろうと思わせてくれる栞のことが大好きだから。
初めはからかわれるだけかと思っていたのに、だいぶ真面目な話になっていた。そして、人を好きになる理由は色々あるのだということを知った。人のそれを知るのもなかなかに面白いものだ。
あっという間にここまで関係を深めた俺と栞だけど、これでいいんだとも思えた。色んな形があってもいいんだって。正解はなくとも、壊れないように大事にさえしていれば間違いなんてないのだろう。
「まったく、涼のせいでつい話しすぎちまったじゃねーか。本人にも言ったことねぇのにさ。おい、涼」
「ん?」
「彩には何も言うなよ」
「なんでさ?」
「恥ずいだろうが。それに調子に乗るだろ、あいつ」
俺から視線をそらして恥ずかしそうにする遥を見て、ついまた笑ってしまう。器用に人付き合いをしているように見える遥だけど、不器用なところもあるんだって思って。
「言ってあげたらいいのに。まぁいいけどさ」
それから俺達は黙り込んで、それぞれの恋人の姿を眺めながら昼食ができあがるのを待つことになった。
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