第74話 夏休みの定番のアレ

 こんな朝から遥がなんの用なんだろう。しかも同じタイミングで栞には楓さんから。


 初めての遥からの電話だ、放置するのは良くない。俺と同じく首を傾げる栞と同時に電話に出た。


「おはよう、遥」


『おう……(しおりーん!!)』


 電話越しに聞こえる遥の声はどこか元気がない。げんなりしているといった方が正しいだろうか。


 そしてその後ろから楓さんの声が聞こえたような……。同時に電話をかけてきたことを考慮すれば、向こうも一緒にいるというのも不思議なことではない。


 チラと栞を見れば、楓さんの第一声が余程大きかったのかスマホを耳から遠ざけて顔をしかめていた。さすがは楓さん、朝からパワフルなようだ。


「で、どうしたの?」


 とにかく今は本題だ。こうして電話をしてきたということは何か用事があるということだろうし。


『それがだな……』


 遥は言いにくそうに一度言葉を区切る。


『悪いんだけどさ、ちょっと黒羽さん貸してくれねぇか?』


「は? イヤだけど?」


 栞を貸せとはいったいどういうことなのか。それに大事な栞をそんな物みたいに扱うとは失礼なやつだ。


 いきなり何を言うのかと、とっさに断ってしまった。


『頼むから最後まで聞いてくれって。貸してくれって言っても俺にじゃねぇからな? 彩にだからな。っとにこのバカは……』


「楓さんがどうかしたの?」


 自分の彼女をバカ呼ばわりするのはどうかと思うけど、そこはこの二人の問題なので黙っておく。


『昨日の夜さ、彩が言ったんだよ。登校日に宿題回収されなくてよかったねーって。いや、俺もまさかとは思ったんだけどさ、今日確認したらこのバカ、全く手を付けてやがらねぇ……』


 あぁ、なるほど。ありがちな話だ。遊ぶのに夢中で宿題を放置して、夏休みの終りが近付いてから慌てるという定番なアレだ。


 うちの高校は割と真面目な進学校なので、夏休みの宿題もかなりの量が出た。俺と栞は出されたその日から放課後の図書室で二人で取りかかって、サボり期間があったものの、つい先日全てを片付けたばかり。


 のんびり進めたとは言っても、俺達ですら全部で三週間くらいかかっている。夏休みも残り二週間ちょっととなった今、全くの手付かずの楓さんはピンチというわけだ。


 俺達もまぁまぁ苦労したのだ、楓さんの学力がどの程度のものか俺は知らないのでなんとも言えないが、今から普通にやったとしてもきっと間に合わないだろう。


 気付くのが最終日じゃなかったのが不幸中の幸い、と言えるのか言えないのか。


「遥が手伝ってあげたらいいじゃん」


『俺だってまだ終わってねぇよ……。それに、それで済むならこうやって頼んでないっての。俺の方は少しずつやってたから間に合うとは思うけどさ』


 遥は楓さんよりは真面目に取り組んでいたらしい。なんでそこで一緒にやらなかったのかね?


 まぁ、ここまで聞けばさすがに遥の言いたいことはわかる。手伝ってくれということだ。栞の方もきっと楓さんに泣き付かれてるんだろう。


「ん〜、ちょっと待ってよ。栞と相談するから」


 さすがにこれに俺だけで返事をすることはできない。二人で過ごす時間の多い俺達だし、楓さんの相手をするのは栞なのだ。


『わかった、わりぃな……。決まったら電話してくれ』


「あ、ちょっと待って。栞なら隣にいるから、このままにしといて」


 電話を切ろうとした遥を慌てて止めた。


『ん? なんだ一緒にいるのか?』


 言ってからしまったと思ったが、俺達がべったりなのは先日の学校で披露したばかり。栞がうちに泊まっていることはバレていないのでこのまま乗り切ることにした。


「うん、まぁね」


『ふ〜ん……。まぁいいや。終わったら声かけてくれ。ちょっと彩に説教してるからさ』


「わかったよ」


 遥はなにか言いたげにしていたけど、深く追求してこなくて助かった。別にバレてしまってもいいのだけど、昨夜のことがあるのでなんだか気恥ずかしい。


 いったんスマホを置いて栞を見ると眉間にシワを寄せて頭を抱えていた。


「あんなにいっぱいあるのに今まで放置してたなんて、本当にバカなんだから……」


 栞にさえバカと言われる楓さん。栞も楓さんに対してだいぶ遠慮がなくなっているらしい。言っていることは俺も概ね同意だけども。


「確かにねぇ。で、どうする?」


「う〜ん、そうだねぇ。断ろうかとも思ったんだけど、あそこまでお願いされた後に見捨てるのも後味悪いし……」


 栞がこう言うということは、栞が楓さんをそれなりに受け入れているということだ。つまりトラウマも改善されているということで安心する。


 登校日の様子を見て大丈夫そうだとは思っていたけれど、それが再確認できた。この調子なら二学期が始まっても問題はないだろう。二学期は学校行事が多いので、栞と一緒に楽しむことができそうだと思うと今からワクワクしてくる。


 その前にこのまま二学期が始まると困ってしまう人をどうにかしなくてはならないが。提出しないと何が待っているのか、終わるまで居残りかはたまた補習か、なんにせよ可哀想なことになるのは目に見えている。


「なら早いほうが良いよね。今日の予定まだ決まってなかったし、このままあの二人をうちに呼ぼうか?」


「しょうがないなぁ。こないだ学校でお世話になったしね。そうしよっか」


 栞は渋々だが同意してくれた。


 栞の言う通り、あの日は遥と楓さんにはだいぶ世話になった。あの二人のおかげで俺達はクラスの皆に受け入れてもらえたといってもいい。なら今度は俺達が助ける番だ。ここで借りを返しておいた方が気持ち的にも楽になるだろうし。


「ん、じゃあそう伝えるね。栞も楓さんに……」


「私の方はもう電話切っちゃってるよ。涼と一緒にいるって言ったらね、涼から柊木君に伝えてーって切られちゃった。なんか最後に悲鳴みたいなのが聞こえたけど……」


「あー……。遥が説教するって言ってたから、それかも」


「ふふっ、なんか私達と全然違うね。ちょっと面白いかも」


 栞がクスリと笑う。付き合い方というのは人それぞれ違いがあるので、それが見えるのは確かに面白いかもしれない。


 なら手伝う対価として、こっそり違いを見させてもらって楽しむことにしよう。


 再びスマホを手に取り遥を呼ぼうと耳に当てたら、向こう側からワチャワチャした声が聞こえくる。


『っとに、毎年毎年! いい加減反省しろ!』


『あーん! ごめんなさーい!』


 絶賛お説教中らしい。楓さんにはしっかりと反省してもらいたいところだが、説教で宿題が片付くわけでもない。とりあえず楓さんに助け舟を出すことにする。と言っても、ただ遥を呼ぶだけなんだけど。


「遥ー?」


『お、涼か。どうだった?』


 俺が呼ぶと遥は説教を止めて応えてくれた。


「うん、栞も手伝ってくれるって。ついでだし遥のも手伝うよ。俺達はもう終わってるからさ。それで、やるなら早い方がいいだろうってことで、これからうちに呼ぼうって話してたんだけど、どう?」


『俺達は助かるけど……。いいのか、邪魔して?』


 そう思うなら最初から手綱をしっかり握ってサボらせないようにしてほしかったよ。それにどのみち基本的に俺達は毎日会っているので、いつになろうが大して変わらない。むしろ今は両親がいない分、気を遣わなくていい。


「そう言うならやめてもいいけど、それじゃ困るんでしょ?」


『それもそうだな。すまん、じゃあ今から支度して向かうわ』


「ん、了解」


 うちの最寄り駅を教えて、後で到着時間を連絡してもらうことにして電話を切った。


 さて、あの二人が来るということは今日はなかなか賑やかになりそうだ。目的が勉強というのが難だけど、大人数で勉強会というのもこれが初めての経験となる。そう思うと少しだけ楽しみだったり。


 でも栞はちょっぴり不満気だ。


「あーあ、せっかく涼と二人きりだったのになぁ……」


「まぁ、教えるのも良い復習になるしさ、今日は我慢しよ?」


 実は二学期が始まってすぐに実力テストなるものも控えている。そのための勉強もしないととは思っていたので、今回の話は都合が良い部分もあるのだ。


「むー……」


 それでも尚駄々をこねるように頬を膨らます栞が可愛くて、つい笑ってしまう。


「あー、ひどーい! なんで笑うのー?!」


「いや、栞が可愛いから」


「うー……、涼の意地悪っ! もう二人から連絡くるまで甘えさせてくれないと許してあげないっ!」


 我儘な栞もそれはそれで可愛いもんだ。甘やかしたくもなる。


「具体的にはどうしてほしいの?」


「だっこ!」


 栞はそう言うと両手を広げて待機姿勢を取る。


「子供かっ!」


 思わず突っ込んでしまった。まるで親に抱っこをせがむ子供みたいだったんだもの。


 いきなり幼児退行した栞にまたしても笑いそうになるが、今笑うと今度こそ怒られてしまいそうだから、ここはグッと我慢だ。


「まぁ、いいけど。ほら、おいで」


 先にソファに腰掛けて、自分の脚の間をポンポンと叩いて栞を呼ぶ。それだけで栞はさっきまで不貞腐れていたのが嘘のように表情を崩して飛び込んできた。


「へへ。ねぇ、涼。キスもー!」


 すっかり機嫌はなおっているはずなのに、やはり栞の甘えん坊は相変わらず。


 それどころかおねだりが上手になっている気がする。特にこの拗ねてから甘えるコンボの破壊力といったら。


 拗ねている栞は放っておけなくて甘やかしたくなるし、それで甘やかしてふにゃふにゃになる栞をもっと見たくて追加で甘やかしてしまう。


 これは俺の理性が危うい──って、そういえば理性さんは昨日で退職しちゃったんだっけ?


 どのみち栞に求められたら大抵のことは応えてしまう俺なんだけど。


「はーやーくー!」


「はいはい」


 目を閉じて催促する栞と唇を重ねると、栞は嬉しそうに俺の胸に頬を擦り付けてくる。


 今日の栞は楓さん相手にかなり頑張らないといけないと思う。だから遥から連絡が来るまでの間、その分を充電という名目で目一杯甘やかしてあげた。

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