第73話 ブラックコーヒーでも甘くなる

 服を着た俺はベッドに腰掛けて悩んでいた。


 勢い込んで今日どう過ごすか考え始めたものの、どうしたらいいのかさっぱり思いつかない。出かけるにしても、ずっとボッチだった俺には家の外でどう遊べばいいのかという知識がないことに気が付いたんだ。


 それに──。


「俺一人で考えても意味ないか……」


 ポツリと独り言が漏れる。


 せっかく栞と一緒に過ごすわけだし、どうせなら考えるところから二人で相談してと思ってしまう。なんとなくその結果、いつも通り家でのんびりすることになりそうな気もするが、栞と一緒ならそれも悪くない。というか、むしろその方が人目を気にしなくていい分、心置きなくイチャつけるというものだ。


 ひとまずそう結論付けて、考えるのをやめた。栞と付き合い始めて色々と変化していると言っても、インドア派なのは相変わらずらしい。根っこの部分はそうそう変わらないということだろう。


 俺は苦笑を浮かべながら立ち上がる。

 

 栞が戻ってきたら俺もシャワーを浴びるつもりなので、着替えを用意してキッチンへと向かう。寝起きで乾いた喉を潤したくなったのだ。


 ヤカンに水を入れ火にかけて、お湯が湧くまでの間にマグカップを二つ用意し、インスタントコーヒーの粉末を入れる。昨日まで料理をしたことのなかった俺でも、さすがにコーヒーくらいは淹れられる。もちろんインスタントなら、という注釈がつくけども。


 寝起きにコーヒーというのは水分補給という面ではよろしくないのかもしれないが、今は眠気覚ましも兼ねている。


 カップにお湯を注ぐと、ふわりとコーヒーの香りが立ち上り、部屋に満ちていく。インスタントとは言え、いい香りだ。たいした労力をかけていないくせに満足気に頷いてみたりして。


 そのうちドリップにも挑戦してみようか、なんて柄にもなく思う。栞が朝食を用意してくれている横で俺がコーヒーを淹れる、それはなかなか悪くない光景なんじゃないだろうか。


 そんなことを考えていると、シャワーを終えた栞が戻ってきた。バスタオルで髪の水気を取りながら。濡れた髪の栞を見るのも新鮮だ。栞の髪は濡れていてもしっかり手入れされているのがわかるほど綺麗で、目を奪われる。


 昨夜は戻って来る前に髪を乾かしていたので、この姿を見るのは初めてだ。それだけでドキドキさせられる。きっとこういう姿を見れるのもお泊りの醍醐味なのだろう。


 栞は香りに誘われるようにトコトコと俺のそばまでやってきた。


「いい匂い! コーヒー?」


「うん、栞の分もあるよ」


「本当? 嬉しいっ! 喉乾いてたんだぁ」


 栞が喜びを全身で表すようにピッタリと身を寄せてくる。ふわりと甘い香りがコーヒーの香りに混ざる。やっぱり俺にとってはコーヒーよりも栞の匂い方が好きだ。まぁ、そんなの比べられるわけもないのだが。


「栞はホットとアイスどっちがいい?」


「暑いからアイスかなぁ」


「了解っ」


 スプーンで粉を溶かした後、氷を入れて冷ます。溶け切ってしまったので、さらに氷を追加して、しっかり冷えたのを確認してから栞に手渡した。


 じっとカップに視線を落とす栞を尻目にコーヒーを口にすると、程よい苦みが眠気の残滓を消してくれる気がする。


 栞は俺が飲むのを少し眺めた後で、自分もカップに口をつけると顔をしかめた。


「うぅ……、やっぱり苦い……」


 栞の言葉を聞いて、俺は自分の気の利かなさに気が付いた。俺は普段ブラックで飲んでいるので、いつものように栞の分もそのまま渡してしまっていた。


「あっ、ごめん……。砂糖とミルク用意してなかったよ」


「ううん、いいの」


 栞は小さく首を振り、そして恥ずかしそうに言う。


「あのね、涼と一緒の、飲んでみたかったから……」


 あまりに可愛いことを言うものだからつい頭を撫でてしまう。栞の髪は濡れていてもつやつやで触り心地がいい。


「へへ……」


 栞は心地よさそうに目を細めてくれる。そんな栞にたまらず、頬を撫でキスをした。


「おはようの、俺からはしてなかったから……」


 今更ながら言い訳のように理由付けをして。


 実は栞から不意打ち気味にされたのだけでは足りなかったんだ。栞が愛おしすぎて、いくらしても足りない気がする。


 そして、それは栞も同様らしい。


「理由がないとしてくれないの?」


 甘えるような視線で見つめられては正直にならざるを得ない。


「ううん、いくらでもしたい」


「私もっ」


 栞からのキスを受け止め、俺からも心ゆくまで栞の唇を味わう。コーヒーの苦みも栞とのキスで甘く溶けていくようだった。砂糖も入れていないのに不思議なものだ。


 とは言え、あまり夢中になりすぎても俺はシャワーに行けないし、栞も髪を乾かせない。こうしているといくらでも時間が過ぎていくのは身をもって体験しているので、名残惜しさを感じつつも程々のところで切り上げた。


 今日もこれからいくらでも時間はあるので慌てることはない。まだまだ朝だし、今日も栞はうちに泊まることになっているのだから。


 *


 俺はシャワーで汗を流し、栞は髪を乾かして軽くメイクなんかしたりして。二人共身支度を整えたら朝食の時間となった。


 栞はささっとハムエッグを作ってくれて、俺はトーストを焼いた。労力的には栞の方が上だが何もしないよりはマシだろう。


 さっき飲みかけだったコーヒーと共に食べることに。栞はやっぱり苦いということで、途中からは砂糖とミルクをたっぷり加えて甘々にしたものを美味しそうに飲んでいた。


「それでさ、今日はどうしようか? 栞は何かしたいことある?」


 朝食をしっかりお腹におさめてから今日の予定を相談することにした。


「うーん、そうだねぇ……。私、こうやって涼と過ごしてるだけで満足しちゃってるからなぁ」


「栞も?」


「ってことは涼もなんだ?」


「うん。栞と一緒ならそれだけで楽しいっていうかさ」


 楽しいというか、幸せというか、満たされているというか。栞と一緒に色んな所に行ってみたいとかやってみたいとも思うけれど、現状に満足しすぎて具体的な案が何も出てこない。


「私達、そろいもそろって困ったもんだねぇ」


 そう言う栞だが全く困った顔はしておらず、俺と同じで満ち足りた顔をしている。


「じゃあいつも通り、俺の部屋でのんびりしようか?」


「そうだね。ちょっともったいない気もするけど……」


 やはり俺の予想通りで決まりそうだ。昼食は栞が一人で作りたいと言っていたので、とりあえずそれまではということで俺の部屋に場所をうつそうとした、その時。


 俺と栞、二人のスマホがほぼ同時に着信を告げる。


 二人揃って首を傾げる。母さんかとも思ったけど、まさか文乃さんも同じタイミングで電話をかけてるくとは考えにくい。


 一度栞と目を見合わせてから、それぞれのスマホに手を伸ばす。そこに表示されていた名前を見て、俺と栞の声が重なる。


「遥?」「彩香?」

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