お泊り二日目

第72話 栞と迎える朝

 冷房を効かせすぎたのか少々肌寒さを感じて、眠りの底から意識が浮上する。腕の中に温もりがあることに気が付いて、まどろみの中で身を寄せた。柔らかくて、肌に吸い付くように滑らかで、さらにいい匂いまでする。その大好きな匂いを胸いっぱいに吸い込むと幸せな気持ちに包まれる。


 夢中でそれを求めて、ギュッと抱きしめた。それは俺の腕の中でもそりと動くと、俺にすり寄り、脚を絡めてくる。絡め取られた片足にも程よい温もりが与えられた。


 この温もりに身を任せてもう一度深い眠りにつきたいという誘惑に駆られる。ただ、瞼越しに感じる明るさはすでに朝であることを告げていた。


 ゆっくりと目を開けるとぼやけた視界いっぱいに栞の顔があった。近すぎて焦点が合わないものの、幸せそうな寝顔をしているのはわかる。すぅすぅと規則的な寝息を立て、頬はだらしなく緩んでいる。


 ──可愛い。


 俺の腕の中でこんなにも安心しきった顔でぐっすり眠る栞にそう思ってしまう。目覚めて最初に目にしたのが栞であることがたまらなく嬉しくて、半ば無意識にサラサラな髪を撫でて、おでこにキスをした。


 ふと、昨夜の出来事が思い出された。あまりにも幸せだったので夢なのではないだろうかと思ってしまう。でもタオルケットの下の栞を見れば一糸纏わぬ姿で、あれが夢ではないことを教えてくれる。


 栞と結ばれた後、ベッドに横たわり話をしていたのを最後に記憶は途切れている。昨夜はあの後、二人して寝落ちしてしまったらしい。


 幸福感に満たされながら頭を撫で続けていると、栞は身じろぎをしてゆっくりと目を開いた。ぼんやりとした目が俺を見つめる。


「んん〜……。涼……?」


「ん、おはよ、栞」


「へへ、おはよぉ……」


 栞はふにゃふにゃな声でそう言うとキュッと俺に抱きついてくる。押し付けられた栞の柔らかな胸が俺との間でふにょりと形を変える。朝から大変刺激的だが、今は興奮よりも栞への愛しさが勝る。


 抱きしめようと、髪を撫でていた手を栞の背に回すと──


「ひゃんっ!」


 ──栞の口から可愛い鳴き声が漏れた。


「りょ、涼……?」


 栞はクリっとした目をパチクリさせて戸惑いの色を見せる。自分の反応に驚いているのだろう。俺はその原因を探るべく、無言で栞の背中を上から下へスーッと撫でてみた。


「ひゃう……。んんっ、あっ……」


 うん。どうやら栞は背中が弱いらしい。


 栞は艶かしい声をあげながらピクピクと身体を震わせる。昨夜の栞はずっと仰向けだったので背中には触れていない。それに、俺も余裕がなくて栞の反応を楽しむことはできなかった。


 正直、俺の手でこんな反応をしてくれるのがとても嬉しい。もっと見てみたいと思う。大好きな人の新たな面を見せられたら、そう思ってしまうのもしょうがない話なのだ、と心の中で言い訳をして。


「栞、可愛い……」


 栞の耳元で囁き、栞のお尻の手前までおろした手で、今度は下から上へ背中をなぞってみる。


「あぅ、ん……。だっ、だめっ……。涼、それっ……」


 やっぱりいい反応をしてくれる。あまりにも可愛いのでキスをしようとしたら、ニュッと栞の手が伸びてきて、両頬をつままれた。そのままムニッと横に引き伸ばされる。


「し、しふぉり?」


 顔が引っ張られているせいで、うまく喋れない。栞の手によって変顔を晒す俺は栞に軽く睨まれた。


「りょ〜う〜?」


ふぁい……」


「寝起きにあんなことしたらダメなんだよっ?! 恥ずかしいでしょっ?!」


 真っ赤な顔で唇を尖らせた栞に怒られた。栞の反応に気を良くして、調子にのった俺が完全に悪い。謝ろうと口を開きかけたところで、今度は頬が押し潰された。これでは口を開くこともできない。


 それどころか押し潰されているせいで口がタコみたいになって、さっき以上の変顔を披露するはめに。


 拗ねた表情で俺をじっと見つめる栞は、しばらくすると我慢の限界みたいに吹き出した。


「……ぷっ。変な顔っ!」


 クスクスと笑いながら、ようやく俺の頬を解放してくれた。これでようやく喋ることができる。


「栞がさせたんでしょ?!」


 まったく、自分でしておいて笑うなんて、ひどいじゃないか。


「涼が私で遊ぶから、そのお返しだもーんっ」


「うっ……。ごめん……」


 返す言葉もない。俺も寝起きで、理性とかもろもろ緩んでいて止められなかったんだ。


「ん、いいよ。涼の可愛い変顔も見れたことだしね。でもね、涼」


 栞は恥ずかしそうに目を伏せた。


「う、うん」


「さっきみたいなのはね、朝にしちゃ、ダメ……。私、その気になっちゃうから……」


 昨夜の出来事のせいか、栞の色気がぐっと増した気がする。これだけでクラリとしてしまう。 見惚れて、息を呑む。


「それに涼も……」


 栞がもそりと手を動かして──。


「んにゃっ!」


 今度は俺の口から変な声が漏れた。突然すぎてびっくりした。


 ただの寝起きの生理現象か、はたまた栞の反応に興奮したのか。知らないうちに主張していたそれを栞が指の先でつついたのだ。


「……ね?」


 いや、なにが『ね?』なんだ……。


「とにかく朝はダーメっ!」


 栞はガバッと起き上がると、脱ぎ散らかされた衣服をかき集め身に付けていく。そしてピョンと立ち上がる。


「汗かいたし、ちょっとシャワーかりるね?」


「う、うん」

 

 俺が返事をすると栞はパタパタと部屋を出ていった。かと思ったら、すぐに恥ずかしそうに戻ってきた。


「えっとね……、忘れ物しちゃった」


「??」


 栞の荷物ならリビングに置きっぱなしなはずだが。着替えもその中にあると思う。


 栞はまだベッドで寝転がる俺の横まで来ると身をかがめて、俺の唇にチュッとキスをした。


 さっきのもろもろのせいで、こんな軽いキスだけで心臓が暴れ出す。そんな俺を他所に栞はニッコリと微笑んで、


「えへへ。おはようの分、まだだったから。じゃあ行ってくるね」


 栞は手を振りながら、今度こそ部屋を出ていった。


 ……。


 朝から栞が可愛くて困る。同棲とか結婚とかだいぶ気の早いことを考えていたわけだけど、実際にそうなったら身が持たないんじゃないだろうか。


 でもまぁ、それは当分先のことだ。その頃にはもう少し慣れると思うし。


 俺もベッドを抜け出し服を着ながら、今日一日栞とどう過ごすか、ワクワクしながら考えを巡らせるのだった。

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