第71話 一つになる
──ねぇ、涼。……しよ?
俺は最初、栞が何を言っているのか理解できなかった。いや、もちろん言葉の意味はわかるんだ。でも、さっきまで怖がって震えていた栞からこんなセリフが出てくるなんて思ってもみなかった。当然焦りもする。
「えっと、栞……? 何言ってるかわかってる?」
「もちろん、わかって言ってるよ」
栞は相変わらず俺をベッドに押し付けた状態で答える。戸惑う、強張った顔と泣いていた顔が思い出されて。あんなのを見せられた後にこんな……。
「でも……」
「……そうだよね。自分でもおかしいって思うよ。だけどね、やっぱり私、涼と一緒に前に進みたいなって思っちゃったの。ダメ、かな?」
栞の心境の変化が早すぎて、ついていけていない。ここで迷わずに進める人もいるのだろが、ここぞという時の自分のヘタレ具合が恨めしい。
考えなしでというのは、それはそれで俺の主義に反するところではあるが。
「ダメじゃないけど、いいの?」
ついこんなふうに確認してしまう。
「うん。涼が嬉しいこと言うから、私の方が我慢できなくなっちゃったよ……。おかげで怖かったのもどっか行っちゃったしね。だから、あのね、一回しか言わないからちゃんと聞いててね」
「う、うん」
しっかりと俺を見据えた栞が口を開く。
「私を全部、涼のものにしてください」
消え入りそうな声で、懇願するような言葉が俺の理性を溶かしていく。ここまで栞に言わせてしまっては、応えないわけにはいかない。栞はこんなにも嬉しいことを言ってくれるのだ、俺も負けてられない。
でもその前に一つだけ、栞の言葉を訂正しておきたかった。
「わかったよ。でもね栞」
「なに……?」
「俺は栞を俺のものにしたいわけじゃないんだ」
「えっ、じゃあ……」
俺の言葉を勘違いした栞が不安そうな顔になる。でもまだだ。この顔の曇を晴らす言葉はすでに用意してある。
「栞をね、俺の所有物みたいに言うのが嫌なんだよ。栞は俺の大事な彼女だけど、物みたいに扱いたくはないから」
栞が大事だからこそ、栞には栞の自由な意思で俺の隣りにいてほしい。俺のものとして扱ってしまえば栞を縛り付けてしまいそうな気がして。
そんな関係はきっと長続きしないと思う。征服した気になれば態度にも出るだろうし、栞に向き合うことをおろそかにしてしまうだろう。
そんな自分を想像すると、とてもじゃないが許せそうにない。
「じゃあ、なんて言ったらいいの?」
栞の顔から不安が消え、今度は難しそうに首を傾げる。
「うーん……、なんだろうね。……一つになる、かな?」
「……ぷっ」
俺が無理矢理ひねり出した言葉を聞いた途端、栞は吹き出した。人が真剣に考えているというのに、これはちょっとひどいんじゃないかって思う。
「なんかその言い方、えっち!」
おまけにそう言って栞はクスクスと笑う。まったく栞は、と呆れそうになる。でもその顔にはもう迷いも恐怖もない。笑いながらも柔らかく俺を見つめていた。
「笑ってごめんね。大丈夫だよ、涼の言いたいことちゃんと伝わったから。すごく嬉しかったよ、ありがと、涼」
言葉が不器用でも、こうして汲み取ってくれる栞には本当に頭が上がらない。
栞はまた俺に覆いかぶさると、優しくキスをしてくれる。俺もそれに応えると、だんだんと熱を帯びてくる。軽いものだったのが、激しさを増し、夢中で舌を絡ませた。
キスをやめ、俺の上から降りた栞が鍵を取り出して俺に手渡した。それを受け取り鍵を開けたらもう止まることなどできないだろう。
だから最後の確認。
「たぶん途中で止めれないと思うけど、本当にいいんだね? 後悔しない?」
こんなことを聞くのは情けないのかもしれない。でもそれ以上に栞が心配だったんだ。もちろん栞の覚悟を問うためなので、途中でも栞がイヤがったり耐えられなさそうなら止めるつもりだ。
「後悔なんて絶対しないよ。だって私、涼のこと大好きだもん。涼じゃなきゃイヤなの」
栞は真っ直ぐに俺の目を見つめて答えた。その瞳には強い意思が宿っていた。
「わかった。俺も栞が大好きだよ」
「うんっ」
必要なものはとりあえず枕元に置いておいて、今度は俺が栞をそっと押し倒す。何よりも誰よりも大切な女の子だ、これでもかというくらい慎重に扱う。そんな俺にされるがままの栞は嬉しそうに微笑みを浮かべて。
「いいよ、涼」
その言葉でかすかに残っていた理性は消えてしまい、残ったのは栞への愛おしさと大事にしたいという気持ちだけだった。
髪を撫で、頬に触れ、キスをして。服を脱がせ、直接その肌に触れるとピクリと反応が返ってくる。
俺のすることをただただ受け入れる栞はずっと俺の背中に腕を回していた。
触れているのは身体なのに、栞の心にまで手が届いたような錯覚を受ける。触れた肌からは栞の俺への想いが伝わってくるようで。
俺のことをこんなにも受け入れてくれることが嬉しい。心も身体も一つに溶けて、混ざり合っていくような気がした。自分に欠けていたものを栞が埋めてくれて……、うまく言葉にできないけど、綺麗な球体になるようななんとも不思議な感覚だった。
◆黒羽栞◆
涼を受け入れると私の身体は苦痛を訴える。
きっとこれは私と涼を隔てる最後の壁が壊される痛みなんだって気がした。私が今まで無意識に作り出していた心の壁が今完全になくなったんだって思えた。
私が涼の全てを受け入れて、涼が私の全てを受け入れてくれた。そう思えば苦痛も和らいだ。
それに、なんとなく似たようなものを感じたことがある気がする。あれはたぶん、初めて涼と衝突した時のこと。涼の言葉が私の心に突き刺さった時によく似てる。
だから安心して身を委ねることができた。だって、あれは涼が私の心をこじ開けた痛みだったの。そのおかげで今の私があって、心穏やかでいられる。この痛みの先にきっと同じような、いやそれ以上の幸せが待ってると思うとそれだけで私は喜びに包まれる。
それにね、涼はとっても優しくしてくれるの。まるで壊れやすい宝物を扱うように。涼だって初めてで余裕なんてないはずなのにね。
だから私はこう言ってみた。
「私は平気だから、涼の好きにしていいんだよ」
ってね。
そしたら涼ってば、本当に優しすぎるんだから。
「俺は十分好きにしてるよ。栞を大事にするのが俺のしたいことだから」
もっと乱暴にしたって、涼のためなら我慢するのにね。こんなこと言われたらますます好きになっちゃうよ。
もっと涼の気持ちをぶつけてほしいなんて思ってしまったけど、私も初めてでいっぱいいっぱいだから素直に甘えることにした。
でも欲張りな私は、いつかもっとちゃんと涼を受け止めるんだと心に決めた。だってもっと涼を知りたい、私に涼を刻んでほしいって思うから。
全てが終わって、私の上で荒い呼吸をする涼を見ていたらどうしようもなく愛おしくなって、私から何度もキスをした。最中はとっても格好良かったのに、今はなんだか可愛い。呼吸が苦しくないように、チョンと触れるだけのキスをして、それだけで心がフワフワしてたまらなく気持ちが良かった。
なんというか、涼が私の一部になったような気がしたんだ。涼がいてくれて初めて私という個が確立されるんだって。涼が隣りにいてくれるから私らしくいられる、怖いことだって全部消し去ってくれる。自分の外側にそんな大切なものがあるなんて不安になりそうなのに、全然そんなことなくて、むしろそれがとてもしっくりきた。
二人でベッドにぐったりと横たわると、涼が心配そうな顔で私を覗き込んだ。
「栞、大丈夫だった?」
「平気だよ。涼は最後まで優しいね」
正直に言えば痛みはまだある。でもこれも今は喜びに変換されてしまう。涼のものに──いや違う、涼と一つになれた証なんだもん。
「だって顔歪めてたじゃん。心配くらいさせてよ」
「うん、ありがと。でもね、本当に平気。今は嬉しいだけだもん」
私はそう言って涼の胸に顔を埋めた。涼はそんな私をギュッと抱きしめて頭を撫でてくれる。温かい涼の腕に包まれていると、とめどなく幸福感がわいてくる。
そんな幸せな気持ちの中、私達はそのまま眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます