第69話 例の鍵

 ◆黒羽栞◆


 わ、私、すごいことしちゃったよね……?!


 食事中、涼が私のことをチラチラ見てきて、スプーンのこと気にしてそうだったから……。


 本当に平気なことを証明しなきゃって思ったら、つい……。


 勢い余ったというか、それしか思いつかなかったというか……。ちょっとしてみたいなーっていう興味があったのも事実なんだけど。


 私が無理矢理した一回目はまだ、ね。おっかなびっくり涼の舌先に触れてみただけだったからギリギリ耐えられた、と思う。それでも顔から火が出そうだったけど。


 涼から言われてした二回目は本当にどうにかなっちゃいそうだった。涼をその気にさせた私が悪いんだけど。だけどー!!


 あんな、あんなに……。


 だって何も考えられなくなっちゃったんだもん。頭が真っ白になって、触れたところが痺れるみたいで、ほんのりカレー味だったのに甘くて、気持ちよくてフワフワして。あんなに必死で涼を求めて、涼から求められて、舌を絡ませて……って。


 なんかあれ、すっごくえっちじゃなかった……?!


 思い出すだけで悶えそうになる。今夜は一緒に寝るって約束してるし、このままだとどうなっちゃうんだろ……? 本当に、しちゃうのかな……?


「えっとさ、栞は風呂どうする……? 女の子だし、時間かかるだろうから先に入る?」


 そうだよね、お風呂にも……。ん? お風呂?


 そういえばお泊りなんだから、お風呂もここで入るってことで、つまり涼の家で裸になるというわけで……。


 それはそれでなんか恥ずかしい! 私、ちょっとまだ覚悟できてないのかも……?


「えっとね、涼が先でいいよ。私、色々準備あるし、その間に行ってきて……?」


「そう? それじゃ先に行ってくるよ?」


「う、うん。いってらっしゃい」


 実際には準備なんてそんなにないわけだけど、今はひとまず心を落ち着けたくて、都合の良い言い訳で涼を追い出した。


 リビングを出ていく涼を見送ってホッと息を吐く。深呼吸を何度かすると少し気持ちも落ち着いてきた。


 今のうちに着替えくらいは用意しておこうとバッグを手に取ったところで、涼から預かった鍵の存在を思い出した。


 バッグの外側のポケットを漁ればそれはすぐ見つかった。手の平に乗せてじっと見つめてみる。


 いったいこれはなんの鍵なんだろう?


 簡素な作りで家とか金庫とか、そういう大事な鍵には見えない。そもそもそんな大事なもの、あんな気軽に預けないよね。というか、この鍵に似たようなものを私も持っている気がする。


 使うことはめったにないけど、学習机の引き出しに付いてる鍵とそっくりだ。涼の部屋を思い出せば確か机に引き出しがついてたはずで、きっとそれのものなんじゃないかなと思い至る。


 涼はなんで私にこの鍵を預けたんだろ?


 何かを隠すため? 


 自分の手が届かなくするため?


 一度気になり始めると、好奇心を止めることができない。しかも涼は今お風呂に行っていてここにいない。チャンスと思ってしまった私を誰が責められようか。


 私はソファから立ち上がるとリビングを出る。お風呂場の前を通る時に、念の為シャワーの音で涼がまだ出てこなさそうなことを確認する。そのまま足音を殺して階段をあがり、涼の部屋へ。


 ずっと通い詰めだったので勝手知ったる涼の部屋だ。ドアを開けるとリビングとはまた違う、大好きな涼の匂いに出迎えられる。そういえば今日ここに入るのは初めてだっけ。


 思わず深呼吸したくなるけどソコソコにして、机に向う。思った通り一番上の引き出しには鍵がついていた。


 そのまま開けようとしてみるも鍵がかかっていて開けられない。預かっている鍵を差し込むと、抵抗なくぴったりとはまって、私の予想が正しかったとわかる。


 勝手に開けることに少しだけ罪悪感はある。それを紛らわせるために、


『涼、ごめんね』


 心の中でそう呟いて鍵を回すとカチャリと音がした。ゆっくりと引き出すと、手前の方には筆記用具が雑然と入れられている。


 更に引き出していくと、一番奥に『それ』はあった。小さな箱が一つ。


 『それ』が視界に入った瞬間、ビクリと身体が跳ねた。


 さすがの私も『それ』が何かはわかる。高校生ともなれば皆それくらいの知識は持ち合わせているだろう。そして、きっとこれが涼の隠していたものだってわかった。


 ただ、それが今目の前にあることに動揺した。


 震えそうになる手で引き出しを閉めて、鍵をかけて元に戻した。あまりここでモタモタしていると涼がお風呂から出てきてしまう。そしたら言い訳のしようもない。


 私はまた足音を殺してリビングへと戻った。ソファに身を沈めると涼がお風呂へ行く前よりも心臓がバクバクしていた。


 落ち着くために一人になったというのに、これでは逆効果だ。見なきゃよかったとも思う。


 確かに私はそういうことを期待していないと言えば嘘になる。もっと涼に触れてほしいって思っているのは本心で、涼にももっと我儘になれと言ったのは私だ。それはできれば涼から言い出してほしいという思いもあるからで。


 でも、現実の形あるものとして、触れることができるものとして目の前に現れると、急に腰が引けてしまった。


 覚悟してきたはずなのに。私自身それを望んでいたはずなのに。無性に怖くなってしまった。前に感じた涼への恐怖とは全然別のもの。たぶんこれは未知への恐怖なんだと思う。恥ずかしさもあるし、最初は勇気もいる。


 それに加えて、涼がどういう意味で鍵を私に預けたのかがわからない。


 使わないようにするため?


 使うつもりならわざわざ私に預けたりしないだろうし。でも、それはそれでなんか複雑だ。


 涼は私としたくないのかな?


 もしかして私、そういう魅力ない?


 なんて、ビビってるくせにこんなこと思うなんて矛盾してるかな……?


 それか、私に判断を委ねてる、とか?


 いやいや、それならなんの鍵かくらいは教えてくれるはずだし。


 う〜……、頭が回らなくてよくわからないよ……。


 そうこうしているとお風呂場のドアが開く音が聞こえてきて、またしてもビクッと身体が跳ねた。


「栞、おまたせ」


 涼がバスタオルで頭を拭きながらリビングに戻ってきた。湯上がりの涼が無性に色っぽく見えて直視できない。動揺している私には刺激が強すぎる。


 だって……、格好良さ三割増なんだもん……。


「お、おかえり」


「ん? 栞、顔赤いけど、大丈夫……?」


「だ、大丈夫だよっ? えっと、そのっ、私もお風呂、行ってくる、ね?」


「えっ、あ、うん。いってらっしゃい?」


 湯上がりの涼の姿、引き出しの中身、この後のことで頭がパンク寸前で、私はバッグを抱えてリビングから逃げ出した。

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