第67話 夕飯作り

 栞は持ってきたバッグの中からエプロンを取り出し身に付けると、俺の前でクルリと一回転。手を後ろに腰を少し折り上目遣いをする。あざとい、でも可愛い。


「どう? 似合う?」


 シンプルながら女性らしいエプロンを身にまとった栞に、思わず色々と想像というか妄想してしまう。栞から溢れる良妻賢母感というかなんというか。まだ妻でもないし、ましてや子供なんていないわけだが。


 栞は頭もいいし面倒見も良い。おまけにこの歳で料理だって作れる家庭的な面もある。将来きっといい奥さんになるだろう。バリバリ仕事に励む栞も、それはそれで素敵だろうけど。


 じっと見つめてくる栞の瞳に俺が映って。


 やっぱりこの先も栞の隣りにいるのは俺でありたいと強く願う。願うだけではきっと届かないだろう。そこには努力も必要なはずだ。いつまでも俺と一緒にいたいと思ってもらうために。だから一歩ずつ。料理の手伝いを申し出たのはその一環なのだ、気合を入れて臨まなければ。


 とその前に、まずは栞の期待に応えるとしよう。


「うん、似合ってるよ」


 俺が褒めればはにかみ、年相応にあどけない笑顔になる。


「へへ、ありがと。涼はエプロンなんて持ってないよね?」


「さすがにないかなぁ」


 今日急に言い出した話なので、もちろんそんな用意などしているはずがない。そもそも俺のに限らずエプロンなんてもの自体が我が家にはないはずだ。母さんだって普段料理をする時につけているのを見たことがないのだから。


「じゃあ、多少汚れてもいい服に変えたほうがいいかも。カレーだしね、跳ねたりしたら取れなくなっちゃうから」


「あっ、そっか。じゃあ着替えてこようかな」


 栞と買い物に行くために俺の持っている中でも割とまともな服装をしていたことを思い出す。ズボンなんて栞が初めて俺のために選んでくれたものだ。これはいきなり汚してしまいたくない。可能な限り大事にするつもりなのだ。


 急いで自室で適当な部屋着に着替えて戻ると、栞がキッチンに材料を広げていた。


「それじゃ始めよっか」


「よろしくお願いします」


 恭しく頭を下げてみたら栞に笑われた。


「そんなにかしこまらなくていいのに」


「いやだって、教えてもらうわけだし? なんなら先生って呼ぼうか?」


「やーめーてっ! もうっ、いつも通りにしてよ。ふざけてると危ないんだからね?」


 ちょっとだけ怒られてしまった。刃物も使うし危ないのは間違いないので、悪ふざけはここまでにする。


 まずは二人で手を洗って。


「さて、まずはカレーのお野菜切ろっか。ピーラーくらいなら使えるかな?」


「それくらいなら、たぶん」


「なら人参とジャガイモからだね。ピーラーもね、気を付けないと手まで剥いちゃうから慎重にね。動かす先に手を置いたらダメだよ」


「うん、わかった」


 たぶんと言ったものの、ピーラーですら使うのは初めてで、どうしてもぎこちない。それでもなんとか皮を剥ききった。


 ついでにピーラーは使わないけれど玉ねぎの皮も剝いておいく。


「次はいよいよ包丁の出番だね。とりあえず一回持ってみて?」


 その言葉に従って包丁を握ると、栞は難しい顔をした。


「ちょっと力が入りすぎだよ。力を抜いてもう少し軽く握る感じでいいよ」


 俺の右手に手を添えて、握り方を調整してくれる。さんざん手を繋いでおいて今更だけど、少しだけドキッとした。真面目にと言われているから表には出さなかったけど。


「これで大丈夫?」


「そうそう、そんな感じ。じゃあ玉ねぎ切ってみようか。まずは半分にしてみて」


「よ、よし……」


 ちょっと緊張する。まずは半分にと言われたので玉ねぎに包丁を当てて……。なかなか切れない。そんなに固いものじゃないはずなのに。


 少し力を込めると『ズダンッ』と大きな音がして玉ねぎは真っ二つになった。俺はどうにか切れたことに胸を撫で下ろしていたのだけど、栞は目を丸くしていた。


「りょ、涼?! 力任せに切ったら危ないよ!」


「え? ダメだった?」


「えっとね、包丁は真っ直ぐ下ろすんじゃなくて、刃の長さを使って切るの。お手本見せてからのほうがよかったかな……。ちょっと包丁かしてね」


 包丁をまな板の上に置いて栞と交代すると、栞は玉ねぎの上で包丁を滑らせて、ほとんど力を使わずに切っていく。あっという間に半分を切り終えた。


「こんな感じだよ。これがくし切りっていうの」


「おぉー!」


 思わず感心してしまう。俺みたいに大きな音を立てずに、サクッと小さい音がするだけだった。いかに俺が無駄な力を入れていたのかがよくわかる。


「このくらいで大袈裟だなぁ。次は涼の番だからね。私がしたみたいにやってみて?」


「う、うん」


 栞の手本通りに包丁を動かせば、さっきのが嘘のように簡単に切れる。なんか気持ちいいかもしれない。


「そうそう、上手だよ。さすが涼だね、飲み込みが早いよ」


 栞はパチパチと手を叩いて褒めてくれる。栞が見せてくれたからできたのに、俺に甘すぎるんじゃなかろうか。


 ただ、栞に褒められると悪い気はしない。でもまだ初心者には変わりないので調子にはのらないようにしなくては。


「その調子でジャガイモも切っちゃおうか。12等分くらいにしたらいいかな」


「わかった」


 玉ねぎよりも少し固いものの、同じ要領でやれば難なく切れる。勉強もそうだけど、栞は教えるのがうまいと思う。要点をわかりやすく伝えてくれるのだ。


「次は人参だよ。乱切りにするの」


「乱切りってどうするんだっけ?」


 疑問を溢す俺に栞は後ろから寄り添って手を添える。


「こうやってね、左手でクルクル回しながら切るんだよ」


 狙ってやってるのかそうじゃないのか、背中に感じる栞の柔らかい感触と体温にドキドキする。さっきまで膝に乗せて抱き合っていたのが思い出されて、大変よろしくない。どうしても意識がそっちに向いてしまう。


「涼、聞いてる?」


「う、うん。聞いてるよ」


 危うく気付かれそうになりながらも、どうにか平静を装って、人参を切っていく。栞が何個か切ったものに比べるとどこか不格好だけど、まぁ初めてならこんなものだろう。


「できたよ」


「うんうん、上出来だよ。やればできるじゃない」


「栞のおかげだよ。ありがと」


「ううん、涼が真剣に考えてくれるからだよ。じゃなきゃ私一人でやってたもん」


「それでも、だよ。ありがと」


「えへへ、どういたしまして。なんか楽しいね、こういうの」


 栞が笑えば俺もつられて笑顔になる。これだけ笑ってくれるのだ、あの提案はやっぱり間違いじゃなかったんだ。場所を選ばなかったせいで栞が少しだけ暴走してしまったが。


「そうだね、俺も楽しいよ」


 『えへへ』と笑う栞を抱きしめたくて仕方なくなる。さすがに料理中の今はしないけども。そういうのは出来上がった後にとっておこう。


 こうやって栞と一緒だと今まで興味のなかったことでさえ楽しむことができる。


 これはすごいことなんだって思う。こうやって少しずつ物の見え方や考え方が変わっていって、その度にまた一つ栞を好きになる。それをこれからどんどん積み重ねていくんだ。


 きっとそれは栞との幸せな未来に繋がっていくことだろう。こんな気持ちをくれる栞とはもう離れることなんてできそうにない。


 だから栞にも同じように思ってもらうためにもこれからももっと大事にしたい。そうすれば栞はきっと同じ気持ちを返してくれるはずだ。


 そしてそれはたぶん栞以外にも当てはまるんだろう。家族や友達、継実さんのように縁のできた人達。自分が大事に思えばそれはお互いのものになるはずで。


 ボッチでいた頃には思いもしなかった。まさか自分がこんなふうに考えるようになるなんて。


 やっぱり栞を好きになって良かった。勉強や料理だけじゃなくて、それ以上に大事なことを栞から教わっている気がした。




 その後も栞と協力して、火加減なんかも教わりながらカレーとサラダを完成させた。


 鍋の中に出来上がったカレーと皿に盛られたサラダを見ると、なんというか達成感がすごい。やればできるという自信もついたように思う。


 でも──。


「あっ……!」


 栞がしまったという顔をする。


「どうしたの?」


「お米、準備するのすっかり忘れてたよ……」


「あー……」


 こういうのもご愛嬌だ。俺も目の前のことに必死で気付かなかったので何も言えない。でも普段はしっかりしてるくせに、こうして抜けてるところを見せてくれるのも可愛いって思うんだ。


 お米を炊飯器にセットして炊きあがるまでの間、やっぱり我慢できなくなって、リビングのソファに戻って栞を抱きしめて過ごした。

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