第65話 私に遠慮しなくていいんだよ?
「ふぁ〜あ……」
買い物から帰り、昼食とその片付けを済ませて、栞とともにソファに腰を落ち着けたところであくびが漏れた。
「ふふっ、大あくびだね? 眠くなっちゃった?」
俺のあくびを見た栞が笑う。我ながら少し恥ずかしくなるほど大きなものが出てしまった。
「うん、ちょっとだけね」
午前中から買い物に出たことによる疲労感、それに加えて食事を終えた満腹感と栞が隣にいることの幸福感。程よく満たされていることによる眠気なのだろう。
それに、昨夜はあまり眠れなかったというのもある。栞がうちに泊まっていくということで悶々としてしまったせいだ。
「少し寝てもいいよ?」
栞が子供をあやすような顔を浮かべる。今まであまり見たことのない表情だ。母性に溢れた、と言えばいいのだろうか。慈しむような柔らかい顔をした。
「う〜ん、そうしようかなぁ」
このままでいてもいつか寝落ちしてしまいそうだし、夕方からは栞と一緒に初めての料理にも挑戦することになる。寝ぼけたままで包丁を握るわけにもいくまい。危ないし、なにより真剣に向き合いたいところだから。
「ん。じゃあ涼、おいで? お膝かしてあげる」
栞はそう言うと自分の膝をポンポンと叩く。
「え……、膝って膝枕……?」
「そのつもりなんだけど。あれ? イヤだった?」
「えっと、その……」
あまりに突然だったので戸惑ってしまう。なにせそんなことをされるのは初めてのことだから。
「あれれ? 男の子が喜ぶ代表格だと思ったのに。涼は好きじゃなかった?」
栞はクリっとした目をパチパチさせて小首を傾げた。他の人がするとあざとい感じになりそうだけど、栞のは自然だ。
何か疑問があった時によく見せる仕草で、癖なんだろう。この仕草も俺は可愛らしくて好きなのだ。
「いやっ、そんなことないけど……。いいの?」
「ダメなら自分から言わないよ? ほーらっ、好きならつべこべ言わずにおいでよ」
いまだ戸惑う俺の頭を栞が優しく撫で、強引さと柔らかさを合わせたなんとも言えない力加減で自分の膝に導いた。
ポスンと頭が栞の膝にのると、後頭部に栞の太ももの感触が伝わる。ほっそりしているくせに柔らかくて温かい。おまけに栞からふわりと甘くいい匂いがしてドキドキする。
衝動的に胸いっぱいに吸い込みたくなる。実際にやると気持ち悪いやつになってしまうからしないが。
暑い中買い物に出かけて汗もかいただろうに、汗臭さなんて全くなくて、むしろ自分の方が汗臭いんじゃないかと心配になる。
栞はそんなこと微塵も気にしていない感じで、頭を優しく撫でてくれる。
下から見上げるとパチリと栞と目が合う。栞の目は嬉しそうに、幸せそうに細められていた。
「へへ、これ一回やってみたかったんだぁ。私ね、涼の持ってるラノベ読んでたじゃない? その中のラブコメに必ずってほどこういうシーンが出てくるからさ、きっと涼も好きなんだろうなぁって思ってたの」
「いやまぁ、好きだけどさ……」
というより、嫌いな男なんていないんじゃないかな。好きな子の膝枕なんて、全男子の夢みたいなところがあると思う。
その知識が俺の蔵書からだと思うとなんとも言えない気分だけども。
好きとは言ったものの、実際にされてみると恥ずかしくていたたまれないというか。それに、重くないか心配でどうしても余計な力が入る。
仰向けで寝かされているので、栞の顔を見ようとすると、ちょうどその中間にあるものが視界を占領してくるし。悲しき男の性か、どうしても意識が向いてしまう。
あまり見てはいけないと思い、栞と反対を向こうとするも、頭を撫でてくれているのと逆の手は俺の頬に添えられていて動けない。添えられているだけのはずなのに、まるで余所見をさせまいというような力強さがあり、逆らうことができずにいた。
ただ、栞のヒンヤリした手が火照った顔の熱を奪ってくれるのはとても気持ちが良い。
「ねぇ、涼?」
頭を撫でる手同様に優しい栞の声が頭上から降ってくる。
「なに?」
「頭、ちょっと浮かせてるでしょ?」
栞に負担をかけないようにしていたことをあっさりと見抜かれてしまった。
「だって、重いかと思って……」
「楽にしていいよ。それじゃ寝れないでしょ?」
確かにこの状態では寝ることはできないかもしれない。でもそれで栞の足がしびれたりしたら可哀想だと思うと力を抜くことができなかった。
「あのね、涼。そうやって私に気を遣ってくれるのは嬉しいし、涼の優しいところは大好きだけどね」
どこまでも甘やかすような柔らかい声で栞は続ける。
「あんまり私に遠慮しなくていいんだよ?」
栞のその言葉にドキリとした。栞を優先するあまり、自分のことを二の次にしていることがバレてしまったようで。
栞が笑っていてくれるのが、俺にとって一番の望みなので我慢しているつもりはないけれど、それでも多少は抑えている部分があるのも事実で。
でも、どうしたらいいのかわからなくて何も答えることができない。
「私ね、涼のこと全部受け止める覚悟、してるから。もうちょっと我儘になってほしいな」
頭を撫でながら、真っ直ぐ目を見つめながら言われると、栞が本気だとわかる。
我儘になっていいのだろうか?
もし、もっと栞に触れたいと言ったら、栞は許してくれるのだろうか?
嫌われたくないし、傷付けたくない。この笑顔を一瞬でも曇らせたくない。できることなら、壊れやすい宝物を真綿で包むように大事にしたいんだ。
栞の脆いところは俺も知っている。俺の身勝手な欲望で壊してしまうんじゃないかと思うと不安にもなる。
でも、栞の気持ちはこのうえなく嬉しい。だから今だけはその気持ちに応えて身体の力を抜いた。
栞の膝は俺の頭をしっかりと受け止めてくれて、栞はさらに優しい顔になる。ずっとこんな顔をされていたら、幼児退行してしまいそうだ。
どうやら今は俺を徹底的に甘やかすつもりらしい。もしかしたらこないだの意趣返しのつもりもあるのかも。あの時はさんざん栞を甘やかして、ふにゃふにゃにさせてしまったから。
「いい子だね、涼。もし意地を張られたら、力が入らなくなるまでくすぐろうかと思ってたところだよ」
「それはやめて……」
こんな体勢でくすぐられたら栞の膝の上で暴れてしまいそうだ。誰かにくすぐられたこともないし、くすぐりには弱い気がする。
「なら素直に甘えてね。その方が私も嬉しいんだから。ね?」
「うん、わかったよ」
力を抜いて栞の膝に身を任せていると、心地良くて消えかけていた眠気も戻ってくる。
「ほら、寝ちゃってもいいからね」
「うん……」
それから栞は黙り込んだ。俺が眠るのを邪魔しないように、かな。
それでも頭を撫でるのは継続してくれた。髪を撫でて梳いて、整えてはわざと乱して元に戻して。
これは抗えないな……。
だんだんと重くなる瞼。逆らわずに目を閉じると、栞に全身を包まれているかのような安心感があった。
「おやすみ、涼。大好きだよ」
栞がそう呟いたのを聞いて、意識を手放すことにした。俺も大好きだよ、という思いは眠気で身体が言うことを聞かず、言葉にすることができなかった。
「本当に可愛いなぁ……。私の方が先に我慢できなくなっちゃいそう……」
完全に眠りに落ちる瞬間、そんな栞の声が聞こえた気がした。
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