第64話 両手がふさがったら困るよね

 ◆黒羽栞◆


 まったくもう。涼は本当に困った人だよ。


 私が浮かれて油断してるからって、さらっとあんなこと言ってさ。まるでなんてことのないことのように、当たり前みたいに言うんだもん。


 だからこそあれが涼の本心なんだってすぐわかってしまった。


 まだ付き合い始めたばかりだというのに、どうやら涼は真剣に私との将来のことを考えてくれているらしい。


 大好きな彼氏にあんなに想われて嬉しくない女の子なんていないよね? ね?


 え? 重いって? 


 バカなことを言っちゃダメだよ。上等じゃない。これくらい受け止められる覚悟がなきゃ、涼と付き合ったりしないもの。だって、それだけ私のことを好きって、大事だって思ってくれてるってことでしょ?


 おかげで外なのも忘れてあんなことを……。


 思い出すだけでボッと顔が熱くなる。


 でもあれだけで踏みとどまれた私偉い! あれがもし家だったら……、涼のこと押し倒してたかもしれない。


 こないだの水希さんの言葉で否応なしに意識させられてしまっていたから。


 お泊りが決まってから今日までの間、涼の前では表面上はいつも通り平静を装って過ごしていたけど、内心はアワアワしっぱなしだった。涼と会っていない時間に慌てて色々準備なんかもしちゃったりして。身体のお手入れを入念にしてみたり、可愛い下着を用意してみたり。


 もしかしたら、その、見られるかも、しれないし……?


 お母さんに涼の家まで送ってもらった時、荷物の確認をしていたのはそのせい。大丈夫かなって不安になって荷物を開けて見ていたの。


 我ながらバカなことしてるなって思うし、きっと一般的に見たらこんなの早すぎるんだろう。


 でも、素直に自分の心の声に耳を傾ければ、涼とならそうなってもいい、ううん、そうなりたいという思いに気付く。涼に私の全てに触れてほしいって。こういうのって早いとか遅いとか時間の問題じゃなくて、気持ちの問題だって私は思う。


 おかしいかな……?


 だって涼への気持ちはすでに溢れんばかりなの。もしかするとすでに溢れてるかも。その結果がさっきのキスなのだし。


 まぁ、あんなこと言われたら当然だよね。幸せのキャパをあっさりと超えちゃったんだから。


 あぁ、それにしても私は本当に涼からもらってばっかりだ。私ばかり満たされている気がする。こんなに想ってくれている涼に私は何を返してあげられるんだろう?


 今回のご飯作りはその一環だったはずなのに、涼が手伝ってくれることになっちゃったし。


 別にそれがイヤなわけじゃないよ? 涼の気持ちはおかしくなりそうなくらい嬉しかったのは事実。でも一緒に作るんじゃお返しとしての意味は半減。涼がどう思うかは置いておいて、私自身が納得できない。


 それならいったい私はどうしたらいいの……? 


 やっぱり身体で……?


 …………。


 あー、もうっ! 水希さんのせいだよっ!


 あんな事言うからこういうことしか思いつかなくなっちゃったじゃん……。ダメだよそんなの。いや、ダメじゃないけどさ……。はしたないって思われたくないし。それに……。


 そういうことは涼への好きが抑えられなくなってから──、ってもう抑えられてないよぉ!!


 好きだもん。大好きなんだもん。

 うぅ……、涼大好きだよぉ……。



「──り? 栞……?」


「ひゃいっ!」


 急に涼に呼ばれてビックリして、身体が跳ねて変な声が出た。恥ずかしっ……。変なこと考えてたの、ばれてないよね……?


「って、あれ……、私……」


 我に返って周りを見渡せば、すでにスーパーの中。涼がカートを押していて、私は涼の腕を掴んでいた。いつの間に……?


「ずっと呼んでたんだけど……、大丈夫?」


 急に呼ばれたと思ったけど、何回も呼ばれていたらしい。涼に名前を呼ばれて気付かないほど考え込んでいたなんて……。


「だ、大丈夫! ……じゃないかも。って涼のせいだからね? あんなこと言うからこんなになってるんだから、本当に気を付けてよ?」


「あー、うん。ごめん……」


 涼がシュンとした顔をする。そういう表情も可愛い……、じゃなくてっ。


 違うの! 謝らせたかったわけでもそんな顔させたかったわけでもないの……!


「あのね、涼。すっごく嬉しかったの。責めてるんじゃないからね? でも、でもね、できれば家で二人きりの時にして、ほしいな。じゃないと私、人前でもあんなことしちゃいそうだから……」


 まぁ、すでにしちゃったわけですけど?

 家だったら押し倒しちゃうかもしれないわけですけど?


「わ、わかったよ。気をつけるね」


「ん、よろしい」


 全然よろしくないけど、そういうことにしておこう。じゃないとまた気まずくなっちゃいそうだもんね。


「それでさ、何買おっか? 栞は作るものってもう考えてたりする?」


「んー、そうだねぇ……」


 正直、浮かれすぎていて全く考えていなかった。涼と相談して決めようって思ってたし。道中はあんなだったから考える余裕も相談する暇もなくなっちゃったわけだけど。


 とりあえずこの後のお昼ご飯は時間も時間だから簡単に済ませるとして、冷蔵庫に開いてる素麺の袋が見えたからそれでいいかな。それから夕飯は涼と一緒に作ることになるはず。


 料理初心者の涼にも優しいメニューとなると、うーん……。


「あっ、カレーとシチューだったら涼はどっちが好き?」


 これなら簡単だよね。包丁も少しは使うから練習にもなるし。この二つなら凝ったことをしなければルーが違うだけ。


「んー、じゃあカレーで」


「は〜い。お肉は、牛豚鶏のどれがいい?」


 こういうところも好みがあるからね。今からでも相談できるところはしていかなくちゃ。


「鶏がいいかな。うちってだいたいチキンカレーなんだよね」


「あっ、うちもだよ。一緒だね」


 なんでもないことかもしれないけど、好きな人相手だと、こんな共通点ですら嬉しくなる。


 私が微笑むと涼もそれに応えてくれる。


 なんかこういうのいいなぁ。新婚さんみたいなんだもん。お互いに意見をすり合わせながら、一緒に考えていくのってすごくいいと思う。


 涼に影響されてるのかな? 私も涼と一緒の未来のことを考えてしまう。涼とならずっとこうやって進んでいけると思うんだ。優しくて温かい生活が待ってるって気がする。



 そこからは涼と相談しながら、必要な材料をカゴに入れていった。カレーだけじゃバランスが悪いから、サラダも作ることにして。他にも朝ご飯用の食パンとか牛乳とか色々。気付けばカゴの中身は結構な量になっていた。


 買い物をする中で私は一つだけ我儘を通すことにした。


「明日のお昼は私だけで作ってもいいかな?」


「いいけど、なんで?」


 なんでってそりゃ、ね?


「なんでも、だよ。私がやりたいの」


 だってさ、たぶんこんな機会、この先はめったにないと思うから。涼に私の作ったもの食べてほしいんだもん。美味しそうに食べてくれる涼の顔、見たいじゃない?


「栞がそう言うなら、わかったよ」


 涼はわかってるのか、わかってないのか。でもいいの。半分は私の自己満足だしね。


 そのための材料もちゃんとカゴに入れておいた。


 商品を選び終わったらお会計。カートからカゴをおろす時も、お会計が終わってサッカー台に移す時も、私が何も言わなくても涼がさっとやってくれた。


 こんなにいっぱい入っていて重たそうなのに軽々と持ち上げちゃって。当然なんだけど、男の子なんだなって思う。それに当たり前みたいな顔でさりげなくやられると、また嬉しくなっちゃうよね。


 さりげない優しさって本質が見える気がするし、本当にポイント高いの。別に涼に点数を付けて評価したりはしないけど、ただ私はこういうのに弱いみたい。


 二人で協力して持ってきたエコバッグに商品を詰める。かなりの量を買い込んだので、エコバッグ二つ分になってしまった。


 二人分なのに買いすぎたかも……。水希さんからいただいた食費は多めだったし、そこは問題はない。でも、家計という部分では私もこれから勉強する必要があるのかもしれない。


 真剣に考えると、こうして現実的な部分も見えてくる。


 私がエコバッグを眺めてそんなことを考えていると、涼はヒョイと二つとも持ってしまった。


「あっ、涼。私も一つ持つよ」


「でも重いよ?」


「いいから片方ちょうだい」


「これくらいなら平気だって」


 涼はなかなか譲ってくれない。きっとこういうのは男の仕事だとでも思ってるんだろう。


 もう……、涼はわかってないんだから。


 私が一人で買い物に出ようとした時のことを思い出してほしいよ。これは自分の役目だ、なんて思ってた私の目を覚まさせたのは誰だったのかな?


 それにね、涼の両手がふさがっていたら困ることもあるんだよ。


「い・い・か・ら!」


 今度はちょっと強めに言うと、ようやく涼は渋々二つの重さを比べて、軽そうな方を私に手渡してくれた。


「途中できつくなったら言うんだよ?」


「うん、その時はお願いするね。それじゃ、空いた手はこっちだよ?」


 涼の空いている方の手を取り、指をスルリと絡める。重いのなんか全然耐えられるけど、涼と一緒なのに両手が寂しいのは辛いじゃない?


「あぁ、そういうこと」


 やっとわかってくれたみたい。


「ね? 両方持ったら手繋げないでしょ?」


「そうだね。やっぱり栞は甘えん坊だ」


 涼はそう言って笑う。ちょっと照れ隠しっぽい。


「いいでしょ〜? 涼限定なんだからっ」


 私ももう必死になって否定なんかしない。意地を張ったところで事実だし、ためらわずに甘えた方が涼だって嬉しいだろうしね。


 帰りの道中、さすがにちょっとだけきつくなったけど、手を離したくなくて我慢してたのは涼には内緒だよ。

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