第60話 泊まってきたら?

 ◆黒羽栞◆


 私が要求したことなんだけどさ、涼の甘やかしはすごかった。すごかったと言うか、やばかった、かな? あと10分も続けられてたら腰砕けになって歩けなくなってたかも。


 まずは涼のお膝にのせられてギュッとされて、耳元で「栞、好きだよ」なんて囁かれたりして。その段階で内心ワタワタしてたんだけど、涼の腕の中で大人しくしていた。だって他にどんなことをしてくれるのか楽しみだったんだもん。


 次に頭を撫でられて、気持ちよくてうっとりして。帰り道でワシャワシャされたのも悪くはなかったんだけど、やっぱり優しく撫でられる方が好きなんだよね。


 しばらくして、頭を撫でてくれていた手が少し下がってきて、私の頬にそえられたら、ふにゃ〜って身体から力が抜けちゃった。前に涼にも言った通り、私は涼の手が大好きだから。温かくて大きな手が心地よくて、思わず頬ずりしていた。


 そしたら頬をむにむにされた。涼自身が楽しむみたいな感じで、ふにふにむにむにって。気に入ってくれたのかな? 最近は涼のためにスキンケアには更に力を入れてるんだからね?


 それからちょっと強引に涼の方を向かされて、見つめ合って。涼ってね、綺麗な目をしてるんだよ。真っ黒なんだけど澄んでいて、ずっと見てたくなるの。


 真っ直ぐ見つめてきたかと思ったら、恥ずかしくなったのかたまに視線を彷徨わせて、でもまた戻ってきて。私も照れてきちゃって、なのに目を合わせるのをやめないから、だんだんおかしくなってきて二人で笑った。


 コツンとおでこがくっつくともう我慢の限界だったよね。あんなに至近距離に涼の顔があるんだもん、おさえられないよ。私が目を閉じると優しくキスをしてくれた。短く触れるだけの軽いものだけど、何度も何度も。


 心も身体もフワフワした。でも我儘な私は少し物足りなくも感じていたり。もっとガツガツきてもいいのにって。私に触れる涼にはまだ遠慮が見えるから。涼のしたいようにしてくれていいのにね。


 学校で彩香に身体を弄られたせいかな? 涼にももっともっと触れてほしいって思う。色々気になってるのわかってるんだからね? たまに視線が向いてるもんね。


 実際には涼もいっぱいいっぱいだろうし、私もそこまでの心の準備はないんだけど。


 それでもやっぱり幸せで、私を精一杯甘やかそうとする涼の気持ちが嬉しくて、結局最後にはグズグズに溶かされてしまった。


 身体に力が入らなくて、涼にやりすぎって怒っちゃった。本気でじゃないよ? こんなになったのが恥ずかしくて、少し拗ねてみせただけ。だってあんなに長時間されると思ってなかったんだもん。


 涼は加減ってものを知らないよね。おかげで交代でって話だったのに私がされただけで終わっちゃったよ。


 帰り道ではちょっとフラフラしてた。涼は送ってくれようとしたけど、こんな状態で手なんて握ったら本当に歩けなくなりそうだったから断るはめになって。


 歩きながらも勝手に頬は緩んでしまって、一人でニヤけていた私は他人が見たらさぞ気味が悪かったことだろう。だから人とすれ違う時は俯かざるを得なかった。それもこれも全部涼のせいだ。


 いつか絶対にやり返してやらなきゃ。今度は私が涼をふにゃふにゃになるまで甘やかすのだ。


 ふふっ、楽しみだなぁ。



 *



「お母さん、あのね、相談があるの」


「どうしたの? そんなにあらたまって」


 その日の夜、私はさっそくお母さんに事情を説明した。私の中ではもう決定事項になっているけど、万が一反対されたら説得をしなくちゃいけない。そう考えたら早いほうがいいかなって。


 お父さんももう帰ってきていてリビングにいるけど、こういう話はまずお母さんにするべきだって思ってる。


 我が家の両親の力関係的は


 お母さん>お父さん


 という構図だ。諸々の決定権はほぼお母さんにあると言ってもいい。


 というわけで、まずはお母さんの説得から。真剣だって思ってもらえたらダメとは言わない、と思う……。


「──って感じなんだけど、いいかな? あ、帰りが遅くなるって言ってもね、涼が送ってくれるから大丈夫だよ」


 ちゃんと不安を取り除く言葉も忘れずに。涼と水希さんに言われたからね。


「う〜ん、そうねぇ……」


 一通り説明すると、お母さんは難しい顔をして考え込んでしまった。


 前回涼の家で晩ご飯をご馳走になった時はあっさり許可してくれたんだけど、数日連続でっていうのが難しかったのかな?


 でも諦めるつもりはないの。どんな手を使っても許してもらうんだから。


 なんて言ったらお母さんは折れてくれるんだろ? 私がどれだけ涼のことを好きか語って聞かせたらいいかな?


 ……って、それは最近毎日してるじゃん。つい涼のことばっかり話して呆れた顔をされちゃうし。う〜……、ならどうしたらいいの?


 私がグルグルと頭を悩ませていると、ようやくお母さんが口を開いた。


「栞?」


「はい!」


 きっと何か条件でも提示されるんだろうな。譲れるところと、そうじゃないところをしっかりと見極めて──。


「遅くなるんだったら、いっそ泊まってきたら?」


「うん、そうする。──え?」




 泊まってきたら……?


 涼の家に?


 ご両親がいない家で涼と二人きりで?


 そんなの私、どうなっちゃうかわからないよ?




「文乃?!」


 ほら、お父さんも驚いてるじゃん。


「別に今時、彼氏の家にお泊りなんて普通でしょ? あなただって栞が涼君と付き合い始めたって聞いて喜んでたじゃない」


「そりゃあ、栞の笑顔を取り戻してくれた涼君のことは認めてるけど……。でも、泊まりはまだ早いんじゃ……」


 そうだよね。お父さんも涼のことは気に入ってくれてるけど、私と涼の二人きりで一夜、いや、二夜? を共にするとなればこういう反応にもなるよね。


 私は、どうなんだろ……? 涼の家に泊まって、一緒に寝ることにでもなったりしたら……。ドキドキして眠れないかな? それとも安心してぐっすり眠れるのかな?


 ……どっちでもいっか。どっちでも幸せだし。


 お母さんは難色を示すお父さんを放置して私をじっと見据える。圧を感じる気がして、勝手に背筋が伸びてしまう。


 お母さんはね、怒らせると怖いんだよ。笑顔なのに目の奥が笑ってなくて。そんな顔をして丁寧な言葉遣いで喋るから背中がゾワってするの。


 とは言っても普段はとっても優しいし、余程のことがなければ怒ることはない。


 今は怒ってるわけじゃなさそうだけど……。


「栞?」


「はい!」


「帰りは涼君が送ってくれるって言ってたよね?」


「うん、そう言われたよ」


「なら、その帰りは涼君一人なわけよね?」


「それはそうなる、かな?」


 私を家に送り届けたのに、また一緒に行ったら本末転倒だもんね。それじゃただ往復しただけだし。


 でも、なんでそんなこと聞くんだろ? 私が泊まってくるのとなんの関係があるのかな?


「じゃあやっぱり泊まってきなさいよ。栞はこの話を断る気はないんでしょ?」


「うん。もうやるって決めたの」


 だって涼があんなに嬉しそうな顔をしてくれたんだから。今更がっかりさせたくない。


「あなた?」


 お母さんは私の答えに満足そうに頷いてから、お父さんに向き直った。


「な、なんだい?」


「涼君が一人で帰ってる時に何かあったら栞はどうなると思う?」


「……」


 お父さんは答えない。答えられない、かな?


 もしも、涼が私の知らないところで事件とか事故に巻き込まれたら……、そう考えるだけで震えて涙が出そうになる。考えるだけでこれなら、実際にそうなったらきっと私は壊れちゃう。


 まぁ、そうそうめったなことは起きないだろうけど。


「ってことで、許可する条件は栞が涼君のご両親の不在の間、向こうに泊まってくること。そしたら許可してあげるわ」


 お母さんのニッコリ笑う顔にお父さんはもう何も言えなくなっていた。


 お母さんの顔を見てなんとなく理解した。私達の仲を応援してくれてるんだなって。お母さんも本気で涼に何か起こるなんて思ってないはず。お父さんが反対することを見越して、こういう流れを作ってくれたんじゃないかな。


「栞、任されたからにはしっかりやるのよ?」


「う、うん」


「あとね、数日とは言え一緒に生活すると色々見えることもあるはずよ。いいところだけじゃなくて悪いところも、ね。あなた達が今みたいな関係をずっと続けるにはどうしたらいいか、よく考えながら過ごしてみなさい?」


「わかった」


 なんだか思ってたのと違うけど、これはうまくいったってことでいいのかな? 予定外すぎてよくわからなくなっちゃったよ。

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