第59話 ご飯のお世話

 ──今年は涼に留守番しててもらおうかと思ってるのよ。


「え、なんで?」


 俺は例年通りに行くつもりで心の準備をしていた。栞と約束した寝る前の電話はもちろんするつもりだったけど、それだけで会えない寂しさを紛らわせられるか不安だったりして。


 たかが数日のことで大げさかもしれないけれど、これは俺が栞のことを好き過ぎるがゆえ。この短期間で俺はすっかり栞依存症になってしまったのだ。


 ただ、今後もお互いの家の用事で会えないこともあるだろうし、泣き言を言って栞に情けないと思われたくはない。


 そう思って覚悟しようとしていたのに。


「だって、二人とも会えなくなるの寂しいでしょ?」


 この言葉で母さんのニヤけてる理由がわかった。またからかってるだけだと。いい加減こういうのはやめてほしい。俺達のことを考えて言ってくれてるのはわかるが、二人そろって変に照れて、おかしな空気になったりもするのだから。学校の皆もそうだったけどさ。


「寂しいのは寂しいですけど……、私のせいでご家族の予定に穴を開けるのは……」


 栞も俺達のためだと言われて申し訳なさそうだ。


「いいのいいの。というかね、おばあちゃんにあなた達の話をしたら、付き合いたての二人を離したらダメだって言われちゃったのよねぇ」


「ちょっと待って。なんて話したの?!」


 母さんとばあちゃんは仲が良くて、普段から用事がなくても電話で話したりしている。母さんはこんな性格なので、父さんの母親のはずなのに、息子である父さんよりも仲良しなのだ。


 普段なら、もうちょっと顔を見せに来いって言っているばあちゃんが、まさかそんなことを言うなんて。母さんのことだから絶対余計なことをベラベラと……。


「ん? おかしなことは言ってないわよ。涼に彼女ができて、毎日仲良くイチャイチャしてるって言っただけだもの」


「……」


 やっぱり……!


 いや、彼女ができたことを言うのはまだいい。ばあちゃんも俺の性格を知ってるので、心配してくれていただろうし。たぶん喜んでもくれていることだろう。でも毎日イチャイチャしてる、とは言わなくて良くないか? それに、そんなに毎日イチャついては……、いるかもしれないけど……。


 今日だって栞から甘えさせろと言われてるわけで、つまりはそういうことで。


 でも、だからって……。


「その代わり、そのうち栞ちゃんのことを紹介しろって。どうする? もし栞ちゃんも一緒に行くなら、涼もつれていくけど」


「えっと……、いきなりはちょっと……。どうしても、と言われれば行きますけど……」


 そりゃそうだ。婚約したならいざ知らず、付き合って一週間足らずで彼氏の祖父母に挨拶なんて、普通はしないだろう。


「でしょ? だから今回は涼はお留守番。よかったわね、涼。これで可愛い栞ちゃんに毎日会えるわね」


「それは嬉しいけどさ。その間、俺はどうすればいいの? ご飯とかさ。コンビニで済ませばいいの?」


 栞と離れなくていいというのは俺にとっては大変喜ばしいことだ。たまの機会しかなくて、会えば可愛がってくれるじいちゃんとばあちゃんには申し訳ないが、今の俺の頭の中はほぼ栞で占められている。


 でも栞に毎日会えると言っても、父さんと母さんが泊まりで出かければ夜は家に俺一人になるわけで。掃除洗濯なんかは数日しなくても問題はないだろうが、恥ずかしながら生活能力皆無の俺は食事に困ることになる。


 最悪コンビニ弁当かカップ麺でやりすごすことはできるだろうが。


 こういう時、料理ができたらって思うけど、俺は全くやったこともなくて、包丁すら握ったことがない。中学の頃の調理実習の時なんかも、あんなだった俺は輪に入ることができなくて、班の皆が作業をしているのを後で眺めていた。


 まったく、情けないったらない。栞のおかけで多少成長した今ならそう思える。


「涼はバカねぇ。なんのために栞ちゃんを呼んで話をしてると思ってるの。相談っていうのは、むしろ栞ちゃんになのよ」


 いちいち母さんは俺をけなさないと気が済まないのだろうか。バカと言われても、説明もなしにわかるわけないのに。


「え?」


 ほら、栞だってわかってないじゃないか。


「あのね、栞ちゃんに涼のご飯のお世話、お願いできないかなって」


「ふぇ?! 私がですか?!」


「こないだ一緒に作ったじゃない? あの時もほとんど一人でできてたし、栞ちゃんになら任せられると思うのよねぇ。朝はパンでもかじらせておけばいいから、昼と夜をお願いできないかな?」


「えっとえっと、私でいいんでしょうか……? 最低限はできると思いますけど、そんなに自信ないですよ?」


「あれだけできたら上出来だと思うけどね。栞の料理、美味しかったし」


 正直、味がどうのよりも栞の手料理が食べられるのなら俺はなんでも嬉しい。もっとも、過去二回食べたことがあるけど、文句のつけようはなかった。って、作れもしない俺がそんな偉そうなことは言えないんだけど。


 ずっとニヤついてるのには腹が立つが、ここはなかなかないであろう機会を提案してくれた母さんに全力でのっかることにした。


「もう、涼……」


 俺の言葉にポーッとした顔をする栞。栞も俺と同じで、こうやって真っ直ぐ褒められるのにめっぽう弱い。


 これはもう一押しって感じだろうか。


「ほらほら、涼もこう言ってるよ? 栞ちゃんがイヤなら無理は言わないけどね。そしたら涼は毎食コンビニ弁当かしら?」


 これが決め手になった。散々俺達をからかっている母さんだけあってポイントを押さえているというか。


「そんなのダメですっ!」


 栞が大声を出したのでびっくりした。俺が目をパチパチさせていると、栞は自分の反応に照れたのか少し赤くなって。


「えっと、その、涼にはちゃんとしたもの食べてほしいので……。だから引き受けます……!」


 栞の返事を聞いて、母さんは俺に向けてこれ以上ないドヤ顔をキメてきた。ちょっぴりウザい。


 でもまぁ、感謝だ。栞に数日会えないと思ってしんみりしていたのに、今は逆に楽しみで仕方がなくなった。


 夕飯を作ってくれるということは、うちで食べていくだろうし、いつもより長く一緒にいられということだから。


「じゃあ、帰りが遅くなると思うから、許可はもらっておいてね?」


「はい……!」


 栞も俺と同じことを考えてくれているのか表情が明るい。


「頼りないけど帰りは涼に送らせるから、それも伝えてね。涼もわかってるわよね?」


「もちろん。夜に栞を一人で歩かせたら俺が不安だし」


 俺の知らないところで栞になにかあったら、俺がどうにかなってしまう。だから、そんなの言われるまでもない。普段は夕方で明るいから、一人で帰しているけど。


「もぅ、涼は心配性なんだから」


 なんて言いながらも、その顔はまんざらでもない。こんな顔をしてくれるのなら、まだ明るい時間で断られたとしても、たまには強引に送っていくのもいいのかもしれない。



 *



 母さんとの話を終えて自室へと戻ると、栞がピョンと飛びついてきた。満面の笑みを浮かべて、喜びを隠しきれない様子で。


 それは俺も同じなのでしっかりと受け止める、つもりだったのに栞の勢いが強すぎて、バランスを崩して二人でベッドに倒れ込んだ。


「きゃっ!」「うわっ」


 それがなんだかおかしくて抱き合ったまま、おでこをくっつけて二人してクスクス笑った。


「ちょっと、涼? ちゃんと受け止めてよ!」


「ごめんごめん。よろけちゃった」


「そんなこと言って、ベッドに押し倒して何するつもりだったのかなー?」


「なにって、別に……。あっ」


 俺をからかおうとニヤッとした栞に、悪戯心がわいてくる。それに、至近距離に栞の顔があって我満ができなかった。


 尚もニヤついている栞の唇に自身の唇を押し付けた。栞は目をパチパチと瞬かせて、しだいに顔を真っ赤にさせる。


「きゅ、急にはダメだよ! 心の準備があるんだから!」


「栞がからかうから。それに嬉しくてしたくなった、というか……」


 勢いだけでしてしまってから恥ずかしくなるのはよくある話で。栞が照れているのにもつられて、俺も顔が熱くなってくる。


「ね、ねぇ、涼。もう一回、して? 今度は不意打ちじゃなくてさ」


「う、うん」


 栞は目を閉じて、「んっ」と喉を鳴らす。その顔はいつまでも見ていたいほど魅力的で。でも、こんな可愛いおねだりに我慢なんてできるわけもなくて、俺はもう一度栞にキスをした。


 キスでふにゃふにゃな顔になる栞が可愛くて、一度では済まなかった。俺から何度も、そして栞からも。


 顔を離したときには、お互いの顔が真っ赤になっていた。幸せすぎて頭がボーっとする。


「へへ、いつもより長く一緒にいられるね?」


「うん。それに栞の料理が楽しみだよ」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、美味しくなかったらちゃんと言ってね? 一人で全部作ったことなんてないし、あんまり自信ないんだから」


「栞が頑張って作ってくれるなら、文句なんて言わないけど」


「それじゃダメなのっ。だって……、ずっと一緒って約束したでしょ?」


「うん、したね」


 俺達が付き合い始めた日にした約束だ。栞の不安を取り除くために言った言葉だけど、もちろん俺の本心でもある。


「だからね、その、そのうちね、私が毎日涼のご飯作ることに、なるじゃない……? それなら涼の好みにも近づけたいっていうか、さ……」


 潤んだ瞳で俺をじっと見つめてくる栞。栞の言いたいことはなんとなくわかった。まさか今そんなことを言ってくれるなんて。


 ただ、突然だったので言葉に詰まってしまう。そのせいで栞を不安にさせてしまったらしい。


「うぅ、私やっぱり重いかなぁ……?」


「い、いや! そんなことないよ。そんな先のことまで考えてくれてるんだなって思って。嬉しいよ、栞」


「涼……。良かったぁ……。私がこんなになるの涼にだけなんだからね」


 栞の目からポロリと一粒涙が溢れた。本気だからこんなふうになってしまうのだろう。


「それは、うん、わかってる。ねぇ、栞?」


「なぁに……?」


「俺、まだまだこんなだからさ、情けないけど、ずっと支えてほしいんだ。もちろん栞のことは俺が……。だから……」


 だから、なんだろう……? 


 見捨てないで、はなんか違うし。


 なんて言えばこの気持ちが栞に伝わるのか。言葉が不器用すぎてもどかしい。気持ちが直接伝わるようになればいいのに。


「ふふっ、それも含めて一緒にいるってことだもんね。大丈夫だよ、涼の言いたいことわかったから。私の方が涼に頼りっぱなしだし、そんな顔しなくても嫌いになんてならないよ」


 栞はさらっと俺の言いたかったことを汲んでくれた。そんな顔と言われたってことは、また情けない顔でもしていたのだろう。もう少しマシにならなきゃ、そう思った。


 俺は返事の代わりに栞をギュッと抱きしめて、そこからは不安にさせたお詫びも兼ねて目一杯栞を甘やかした。


 終いには栞はぐでぐでになってしまって、やり過ぎと怒られた。それでも顔は緩みきっていたので、やったかいがあったというものだ。

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